一.ハートパイの秘密 (中)
話し始めたときは弱々しかったハッチーの声が、だいぶ元気を取り戻していた。そして、柴犬みたいにハキハキ話し出したらと思ったら、用件をきっぱり言い放った。
「あのね、あれから姫篠君が帰ったあと夜好部から例の紙束が届いたんだ」
「紙束? もしかして、三万円とクッキーの価値があるとか言ってたやつか?」
「そうそう。今回もけっこうな厚さだったよ」
「ふーん。……で、そいつは一体何だったんだ?」
「分からない。でも頼んで見せてもらおうなんて、ボクは考えてないよ。どうせ見せてくれないからね」
「その口振りからすると、以前にも断られた経験がありそうだな」
「うん。それでね、早い話、ボクはそれが見たいんだ」
「……え、断られたってのに、どうやって?」
「これから見に行くんだよ」
「はっ!? ……つまりは学校に忍び込むってことか?」
「そうだよ」
当てずっぽうに行ったことが当たり、電話の向こうで、ハッチーが大仰に頷いている気配を感じられた。
俺はといえば、送話口を顔から離し、静かに溜息をついた。
──……お断りだ。
しかしハッチーとは数時間前に協力し合うことを約束し合った仲だ。その同盟に有効期限なんて定められてはいないが、気の早い奴め。
それから、ひとつ分かったことが有る。確信とまでは言えないが、おそらくハッチーは以前にも分厚い紙束を見たことがあるということだ。方法は分からないが、学校に忍び込むか、部員が居ない合間に盗み見たんだろう。
あの部室での様子は、そういうことだったのか。
「だから、姫篠君の力を借して欲しい」
「お、おう。良いけどさ……、本当に今から行く気か?」
「零時に校門で、落ち合おう!」
──ふつっと、通信が途絶えた。
ベットの脇にある目覚まし時計を見る。夜十一時だ。
ふはっはっは。……せいぜい警察に補導されないよう気をつけよう。
◇◇◇
待ち合わせ場所までは、単車で三分ほどだった。田舎町なので歩行者は居ないし、幸いなことにパトカーとも鉢合わせしなかった。
高校へと続く坂道を登ると、適当に校門脇へ単車を停めた。
単車の時計を見てからエンジンを切る。零時二分過ぎだった。
校門は閉まっており、人気も無い。今登ってきた坂道のほうを振り返っても、真っ暗闇の中をただセミが鳴いているだけだった。てっきり遅刻したと思ったが、ハッチーは未だ来ていないらしい。
まあ、念のためと思い、控え目に声を上げてみる。
「おーい」
何メートルかしか届かなかっただろう。虫の鳴き声が煩さすぎる。しかし近くに民家があるから、あまり声を上げる訳にもいかない。
俺は坂道の中腹に一灯だけ付いている蛍光灯に狙いを定め、目を凝らした。ハッチーがやって来るのを待とう。
人影は中々現れない。動くものと言えば飛んで火にいるようなクソ虫ばかりだった。
と、何か足音が聞こえた気がした。近くだ。
その足音は小さく、まるで猫の忍び足が聞こえてしまったかのようだった。
俺は怖くなり左右を見回した。
……誰も居ない。
そして背後を振り返った。
すると、そこには、白っぽい服を着た女が立っていた。
白い顔で、正面を向き、手を前に伸ばして、ゆっくりこちらへ歩いてくる──典型的な幽霊だった。
びびり、たじろいだ俺は一歩後退し……、しかし、そこから動けない! 半分腰を抜かしたような感じに体が強張っていた。
頭の中が真っ白になる。
ぼうっと闇の中に浮かんだ女が、どんどん近付いてくるのだ。
……いや、ちょっと待て。
幽霊にしては可愛すぎる!
女が目の前までやって来たとき、くりっと大きな愛嬌ある目とそれをふち取るまゆげが見えた。きゅっと結ばれた小さくて薄い唇、キレと丸みを両立させた顎のライン──それは紛れもなく、鉢久悠里だった。
しかし、ハッチーは一切口を開かないまま、ついには俺の胸に飛び込んだ。
柔らかい感触が全身を包み込む。
艶やかな黒い髪からは甘い香りがした。
俺は全身の毛穴が一気に開放されていくのを感じた。
安心した途端、冷や汗が噴き出したのである。
「お、おどろいたじゃねえか! 居るんなら居るって言ってくれないと」
ハッチーの肩は小刻みに震えていた。
そして俺の胸に顔を埋めたまま、やっと声をあげる。
「すっごく怖かったから」
その声は、いつも通りクールな感じの音色だった。でも見た目は明らかに怯えている。なるほど、ハッチーは感情が声に現れにくいタイプなんだな……と、急に冷静になった俺が彼女のことを分析していた。
真面目な話、ハッチーのことは顔だけの女だと思っていたから誤解していた。ちゃんと女子だったんだな。
「そうか。待たせて悪かったな」
ハッチーは顔を上げ、俺を見ながら首をかしげた。
「なんで笑っているの?」
「いや……ちょっとな」
俺が答えかねていると、ハッチーはハッとして顔を赤くした。
「うあ……! もー。ボクから離れて」
ハッチーは手で俺を突き飛ばし、肩をいからせた。
一方俺はというと、理不尽極まりない状況でありながら、抱きつかれた余韻に浸っていた。
──うん、こういうのも悪くは無い!
「ほら、早く行こう。こっちだよ」
ハッチーが少し拗ねたような表情で、校庭の外縁へと俺を誘っている。
「ああ。……ところで何処から入るんだ?」
「実習棟近くのフェンスから」
「よじ登るのか。いや、よじ登れるのか?」
「ボクは大丈夫だよ。前にも一回やったからね」
「なるほど、やっぱそうだったか」
「え……、分かった?」
「おう。何か怪しかったんだよな」
「そっか。何でかな……、気を付けてたつもりだったのに……。でも他の人にばれないよう気をつけるよ」
「ああ、そうだな。俺も気をつける。嘘付くの苦手だからさ」
◇◇◇
俺とハッチーは街灯が少ない夜道を歩き、そして目的地まで到着した。
丁度フェンスの向こう側に小屋がある場所だった。
小屋とフェンスはほとんど同じ背丈である。
「さあ、ここから登るよ」
「あの小屋の屋根に乗ってけば良いんだな」
「うん、そうそう」
「じゃあ、俺が先に行く」
俺が先陣を切った。
靴を脱ぎ、小屋の屋根に放る。そして細い鉄柵に肉に食い込ませながら登ってゆく。
小屋に移ると、屋根が抜け落ちないか慎重に確認しながら、結局端っこの頑丈な部分しか踏めそうに無くて、スパイ映画さながら手と足先だけ使い屋根を伝った。
……大怪我しそうだという意味で、スリルを感じるぜ。
「これじゃまるで泥棒だな」
腕立て伏せのような変な体制でくつをはきながら呟くと、ハッチーが笑った。
「そうだね。殆ど泥棒だけど……、でもどっちかっていうとスパイかな」
俺は靴を履いてから校庭へ飛び降りた。
着地音を誰にも気付かれていないか、辺りを見回す。
「オッケー。誰も居ないみたい」
続いてハッチーがフェンスをよじ登り、小屋に渡ると、屋根からずるりと垂れ下がってきて着地し、
「ボクは飛ぶと距離感が分からないからね……」
恥ずかしそうに言い訳した。
「さあ、こっちだよ」
校庭にはひとつも明かりが見当たらなかった。その闇の中をハッチーはすたすた歩き出す。
「おいっ、ちょっと待ってくれ。暗過ぎてまともに歩けねえって」
「ごめん。見えなくても覚えてたから……」
「まじか。そういうとこ、かっこいいじゃん」
「うん。じゃあボクが教えてあげるよ。手貸して」
「お、おう」
……まあ、暗いし誰も居ないから良いか。
俺はハッチーの手の先を遠慮気味に摘んだ。
そういえば、今日ハッチーと握手した時もこんな握り方だったっけか。
俺達は実習棟のほうへゆっくり歩んでいった。
地面は黒一色だったが、実習棟は月明かりを受けて青白く光っている。
ハッチーは図書室の目の前まで来ると、立ち止まり、手を振り解いた。
着いた場所はもちろん建屋の一階で、図書室は二階にある。
こんな断崖絶壁のまん前まで連れて来られてもな……。
俺がそう思っていると、ハッチーは犬走り手前に茂る草むらに手を突っ込み、木製のハシゴを取り出した。
「まさか、ここも登るのか……!?」
「そうだよ。ボクに開けられる鍵は、あの窓のものだけだからね」
「おいおい。……ガチじゃねえか」
「ふふっ。正面から入ったってやることは同じことだよ」
「まあ、そうだけどさ」
「いよいよだよ。ボクが先に上がるから、周りを見張っててね」
ハッチーはそう言ってからハシゴを壁に立てかけた。
どこにこんなものがあったのかは知らないが、長さはちょうど二階の窓枠より数センチ下に掛かる程度だった。
ハッチーは靴を脱ぎ、犬走りに綺麗に並べて置くと、ハシゴに足を掛けた。
俺はハシゴを支えつつ、辺りを見回す。
しかし校庭の外にいくつか街灯が見えるくらいで、それ以外暗闇と化し何も見えなかった。
見張るっつったってあまり意味がなさそうだな。
視線を戻すと、ハッチーはパーカーのポケットから何かを取り出すところだった。
取り出した物はユー字型をした鈍重そうな塊である。
そのユー字型を窓にゆっくり近づける。
「ちゃんと支えててね」
どうした──と俺が聞こうとする前に、ハシゴが暴れた。
そして、窓をぶっ叩いたような大きな音が、頭上で鳴る。
「お、おい! ガラス割る気かよ?」
「ううん。ほら、鍵が開いたから登ってきて」
……魔法でも使ったのか? 方法は分からないが開いたらしい。
俺も靴を脱ぎ、ハッチーの靴の隣に並べてからハシゴを登る。
一段一段がぼろ臭く、体重でいつ折れてしまってもおかしくない。
上半分に達すると、高さも結構あった。
ハッチーはよくこんなところを登って行ったな。勇気がある。
ついでに言うと、気も強そうだ……。
◇◇◇
無事図書室へ潜入した俺達は、さっそく分厚い紙束とやらを探した。
しかし、結局のところ在りかを知っているハッチーが、探すまでもなく見つけた。
机の下にいくつか小さな棚が置いてあるのだが、その内の一つに入れてあったようだ。
ハッチーは分厚い紙束を机の上に置く。
それは思っていたより厚さがあった。ノート二十冊分くらいか。
「そいつが……例の三万円とクッキーの価値がある紙束か」
「うん、それだよ。多分、今日夜好部から届いた分だと思う。ねえ、読んで?」
「おう。いいぜ」
どうやら俺を呼んだ目的は、この紙束を読ませるためだったらしい。
「ごめんね。こんな面倒なことを手伝わせちゃって」
「気にすんなよ。ところで、シェアってやつは何処だ?」
俺はこんな紙束よりもずっとシェアという巨額の部費の方が気になっていた。
「そっちは分からないな。お金だから、たぶん秋さんが持ち歩いていると思うよ。でも……、ボクらはそんな物を探すべきじゃない。見つけたら盗っちゃうかもしれないからね」
「まあ、そうなったら完全に泥棒だもんな。……正直言うと、俺はくすねる気満々だったんだがな」
「あはは。もし盗ったとしたら、どうなっても知らないよ」
「協力し合うって決めたんだから、その時は助けてくれよな」
「ばか言わないでよ。ユリさんや秋さんに殺されちゃう」
なんか俺だけ損してる気分だ。
俺は持ってきていたペンライトを取り出して、光が漏れないよう手で覆いながら、紙面を照らした。
表紙には『極秘』だとか『取り扱い注意』という赤い印が押してある。こういう印鑑って本当にあるんだなと、俺は少し驚いた。スパイごっこに興じている俺たちよりずっとスパイっぽい表紙だった。
タイトルは『新夜好聞だより』になっている。
「ハッチー、この表紙のやつって何て読むんだ?」
「それは『新夜好聞だより』だよ」
「けっ。……新聞部と夜好部を混ぜてるってことは分かるけど、意味不明だな」
「うん。言いたい事は分かるんだけどね……」
まあいいや。
俺はさっそくページをめくり、中身に目を通していく。
目次はなさそうだ。
初めのほうは幾つかのグラフや画像と共に、エセ道徳家が書いたと思われる記事が、十ページくらい続いていた。
……幌が言っていたことは、どうやら部分的には本当だったようだな。
皆が夜にやっていることをリストアップしたアンケートだとか、推奨する帰宅後の時間割だとかが記されている。
そして、紙面が様相を変えたのは、夜好部の記事が終わった直後からだった。
白黒のページに人間の顔写真がいくつも印刷されており、そういうページがずっと続いていた。
見たことが有る奴の写真もあった。
顔写真の横には文字が並んでおり、まるでロールプレイングゲームの攻略本みたいに、紹介だか何だかが記されていた。
いや、この高校の全校生徒用に作られた攻略本と言ってしまって過言ではない。
さまざまな弱点──人間の弱みが載っていた。
「お、おい……これって不味くないか」
俺は声が震えた。背中に悪寒がへばりついている。汗が目に染みる。
人間という物は元々人の良い所よりも悪い所を見つけることのほうが得意らしい。当然ながら俺も色々な人間の悪い所やウィークポイントと呼べる部分を直ぐに知ってしまう。しかしいざそれが文章化されているものを見ると、おぞましく感じた。罪悪感みたいなものを感じた。書いてはいけないと思った。
「でも、読んで欲しい。ボクの記事を探して欲しいんだ」
「い……いや、ちょっと待ってくれ」
俺自身、昔、他人の弱みにつけ込んで人をイジメたことがある。この高校へ来てその時のことを後悔しながら日々を過ごしてきた──あんなこと、二度と犯したくないと思いながらである。しかしこの記事を見ていると、蘇ってきた記憶が脳裏を焼いた。
俺はペンライトを消し、震える右手を必死で押さえた。
「姫篠君……、どうしたんだい?」
そう言ったハッチーの声が、なぜか震えていた。
しかし今の俺にはその理由が分かる。そして腹立たしく思う。
「ハッチー。お前、人選を間違ってるよ」
「えっ……」
俺はそれ以上言葉が見付からず、何も言えなかった。
でもハッチーには十分伝わっていたと思う。
「ごめんなさい……。ボクには怖くて見れなかったんだ」
「そうだろうな。でも──」
……いや、言わないでおこう。こんなのはただの八つ当たりだ。
それにハッチーも素直に謝ったのである。
俺は再びペンライトを付け、紙面を照らし出す。
名前の部分だけを見るようにして、次々ページをめくっていった。
──俺みたいな半端者には特別堪えるんだよ、こういうのって。
◇◇◇
その後、十五分ぐらいはひたすらページをめくり続けていたような気がする。
分厚い紙束も後半に差し掛かったところで、俺は或る事に気が付いた。今までのページは、名前の横にアルファベットのAがずっと付いていたのだが、それがBに変わったのである。
恐らくは優先度的なものが割り付けられているのか、試しに最終ページをめくって見てみると、Cで終わっていた。
「どうやら、AからCまでランクが付けられているようだぞ」
「へえ……。それは知らなかった」
「いまBを見ているところだ。まだまだ先は長いかもしれん」
「うん。お願い……します」
「…………。さっきは悪かったな。もう怒ってないから、気にすんなよ」
「ボクのこと嫌いになった?」
「いや、か弱い女子を守るのが男子の責務だからな……──あれ?」
ここで俺は、ついに見ちゃいけないものを発見しちまった。
……Bランクに自分の名前が載っていたのである。
「どうしたの?」
「……お、おれの記事があった!」
「えっ」
盗撮したかのような顔写真つきだった。
写真うつりは決して悪くないが、問題はその内容である。
なにやら後頭部がピリピリした。もしかしたらこれが嫌な予感って奴だろうか。
……でも、気になって仕方が無い。
俺は意を決して、記事に目を移した。
. . .




