一.ハートパイの秘密 (上)
俺は本を読む奴はダサいと思う性質の人種だった。読んでもよいのはせいぜい漫画くらいで、活字ばかりが並ぶ書物は教科書でしか見たことがない。
でも、それは昔の話。いま俺は真面目君が取りそろった進学校にいる。メガネ率六十パー、コンタクト率が三十パーの場所だ。裸眼で視力二・○を誇る俺は、むしろ率先して読書しなければならない。一まじめな生徒として。
それでも本を読むかどうかは個人の自由だったから、図書室に入ったのはこれが初めてになる。
図書室は、中央から向こう側が全て本棚になっていた。本棚は五列あってどれも天井まで届くほど背丈がある。中身もぎっしり詰まっていた。
室内は、入り口の向かいに面した窓から夏の夕日が煌々と差し込んでおり使い古された机や床を鈍く輝かせていたが、エアコンのお陰で涼しかった。
居心地は悪くない。
しかし、室内には俺と竹川以外に誰もいなかった。
竹川が案内した場所は図書室の入り口から最も離れた窓際の机で、四人掛けの長机が二つくっ付けて準備されていた。
どうやらここがテリトリーらしく、『新聞部』と太字で書かれたネームプレートが机の中央に堂々置いてある。
「そのへんに掛けなさい」
竹川が座るよう促したので適当に席に着く。竹川は俺の真向かいの席に座り、何を考えているかさっぱり分からん目で俺を見すえた。
「さあ、名前を書いて」
竹川は改めて先ほどの入部届けを差しだした。
説明が先だろと、言いたかったが自重した。不気味な奴だから下手に突っ込んだらどういう反応をするか分からない。もしかしたらいきなりボールペンを持って俺の頭を殴りつけてくるような輩かもしれないのだ。
「そ、それより部員は? 竹川さんだけ?」
「うちは五時半集合なの。これからくるわよ」
「何人?」
「七人。あなたをいれると八人ね」
「結構多いっすね。毎日全員くるの?」
「うん。四月から六月までは自主参加制だったけど、今月から本格始動だから」
……ほかの部室を当たってみようか。
もし、竹川が美少女だったら入部するのもやぶさかじゃない。しかし竹川は毎晩習慣的に藁人形を打っているかのような奴だ。
俺のケツは今にも椅子から離れようとしていた。
そんな俺の気配に気付いたのか、竹川は入部届けの記入をせまってきた。手で机をばんばん叩きながらあおり始める。
「さあ、とっとと書くの」
「ていうか、図書室ってこんなに人がいない場所だっけ? 今日は偶然?」
「五時半からは新聞部の時間なの。暗黙の了解ってやつだけど、いちおう図書係りも他の生徒もどいてくれてるだけよ」
それは何らかの圧力か。新聞部なんぞにそんな力あるとも思えないけど。
「ほら、早く!」
「わ、わかりましたよ」
書くには書くが、絶対こないからな! と心中唱えつつ、ペンを走らせた。竹川はそれを眺めながら「げっ、字汚いのね……」とかどうでもいいことを漏らした。
そして、俺が名前を書き終わったところで用紙を奪い去った。
「はっ!?」
「よし。じゃあこれを先生に出してくるわ」
とだけ言い、竹川は駆け足で図書室をでていった。
こういうのって行動派……って言うんだろうか。集合時間より五分早く部室前に現れたようだし、わずか百二十秒足らずで新入部員を獲得した。
しかし強引と言ってしまえばそれまでだ。
とりあえずは、俺の入部が決まってしまった……。
入り口近くにシンプルな壁掛け時計が五時半ちょい前を指していた。
◇◇◇
一人目の部員が現れたのは、五時半ぴったしだった。
入り口をくぐって入ってきたのは、二メートル級の巨体……だった。
二メートル級の巨体は俺を見るやいなや直立不動──固まってしまう。
この高校にはこんな化け物が息を潜めていたのか。
警戒した俺は必死に声をしぼりだして、なるべくそつのないよう挨拶した。
「ひっ、姫篠です。今日から入部することになりました」
束の間、二メートル級の巨体はフリーズを解いて歩き出す。気だるそうな、よたよたとした歩調だった。
「うお! 新入りか。俺は二年の加護秋」
なるほど……二年か。
二メートル級の秋は俺の目前までせまると、手を差し出した。
顔が影って分かりづらいが、表情には確かな喜びの気持ちが宿っていた。それはまるで俺を助けにきた正義のヒーローみたいな優しい顔だった。
俺たちは握手を交わす。
「よろしく。大歓迎だよ」
「ありがとうございます!」
今のところ俺の味方はこの秋先輩くらいか。そんな風に思ってしまうほど竹川は邪気に満ちた奴で、そして秋先輩はヒーロー的顔つきをしていた。
長身に童顔がひょこりと付いているところがまた愛着が湧く。
そうやって第一印象をまとめていると、秋先輩は身をかがませた。
何事だろうかと俺が見ていると、机の下から何かを取り出した。机の上に置かれたのは、漆塗りの菓子器だった。中には子袋で分けられたハート型のパイ──『ハートパイ』がぎっしり詰められている。スーパーに売っているパイの中でも高価な部類のものだ。俺の好物でもある。
「よかったら食べてくれ」
秋先輩はまたも身をかがませると、今度はコーヒーメーカーとミネラルウォーターのボトル、それからドリップ用のコーヒー豆と、順に取り出していった。机の上は嗜好品で埋め尽くされていく。
……やりたい放題。この状況をとがめるような人間はどこにもおらず、俺はただ呆気に取られるしかなかった。
部室でタバコを吸うとか、駐輪場でサドルを盗んで林の中に投げ捨てるとか、そういうレベルをもう一線ほど越えた事態が目の前で起こったように俺は感じた。
かぽかぽと音を立てながらコーヒーメーカーから湯気が上がり始めた時、図書室でこれをやってのけるのは正気の沙汰じゃないなと、思った。
◇◇◇
「あ、ハッチーだ」
また部員がやって来たらしく、秋先輩は入り口の方を見た。つられて振り返ると、図書室に入ってきたのは女だった。がっつりとうつむいていて顔は見えない。綺麗に切りそろえられたボブヘアーをテンポ良く左右に揺らしながらこちらへ歩いてくる。
ハッチーとやらは、俺の隣まで来たと思ったら、そのまま椅子にすとんと座り込み、整った姿勢で正面を向いた。
ひとめ見た時点で気付いていたのだが、ハッチーとは同じクラスの鉢久悠里だった。
あまり話したことはないが、俺はけっこう彼女のことを知っている。
「あの、今日から入部することになったんだけど。よろしく」
俺は鉢久の目の前に手を差し出す。それに気付いた彼女は、まるで俺の手を摘み上げるような形で握手を返した。
「ん? その声は……姫篠君か。よろしく」
「ああ、良く分かったな」
「ボクのことは、分かっているよね?」
鉢久がこうやってわざわざ訊ねてきた理由は、おそらく弱視を気にしてのことだろう。
「当たり前だろ。ていうか、俺もハッチーって呼んでいい?」
「そっか。あ、うん。どうぞ」
鉢久あらため『ハッチー』は、こちらを振り向くと、俺のことを上から下まで舐るように見回した。こうしなければハッチーには見えないようなので仕方ない。今は一生懸命伸びをして、俺の頭部を見ていた。
「へえ。姫篠君って金髪だったんだ。可笑しい」
「知らなかったか?」
「うん。こんなに近くでは見たこと無かったしね……。あっ」
「どうかした?」
「ううん。何でもないよ」
ハッチーは俺の胸から上をしっかりと確かめた。
無論俺にもハッチーの顔やら胸やらが目前まで迫ってきて、さすがに長時間は耐えられそうになかった。小さな鼻に治りかけのニキビがあったり、ピンクの薄っぺらい唇にも皺があることまで分かった。胸元からは緩やかな稜線が覗いてみえ、俺を変な気分にさせやがった……。
「ごめん。このくらい近付かないとボクには姫篠君が見えないんだ」
「あ、ああ……、気にすんな」
「あはは。大丈夫だった?」
「おう」
ハッチーは楽しそうだった。普段の捨て犬みたいな感じはなくて、まるで柴犬みたいに、健気である。家で飼いたくなるような感じだった。
「二人とも、コーヒー要る?」
コーヒーが出来上がったようで、秋先輩が声をかけてきた。
「ハッチーはいつも通り?」
「うん」
「姫篠は砂糖とミルクどうする?」
「ブラックで」
「ほおー。意外と渋いところをくるんだ」
秋先輩は真っ黒いコーヒーをことこととカップに注いで俺の前に差し伸べた。
ハッチーの分はミルクと砂糖がそれぞれ三つずつ添えられている。
「ハッチー……、それ全部入れるのか?」
「うん、苦いもんね。姫篠君は凄いなあ、ブラック派だなんて」
ハッチーはそういうと本当に全部入れた。水面が麦茶に牛乳を投じたような薄い色に変わる。それを一気に飲み干し、「はい」とカップをかかげた。それには秋先輩が応え、カップを受け取る。……どうやらお代わりの掛け声だったらしく、いつもの光景でもあるらしい。
ふーん。新聞部ってこんなほんわかした感じなのか。
少しだけハッチーが心配になった俺は、念のため声を掛けておくことにした。
「そんなミルク入れて飲んだら、下痢になるぞ」
「姫篠君知らないの? ボクら女子のお腹はミルクでほぐしてやらないと凄くカチカチなんだ」
「そっか。……ところで何でこんなにお菓子や何やとあるんだ? 凄く金持ちで気前がいい奴が居るとかか?」
この問いには、秋先輩が答えた。
「いや、これは部費からだよ。現三年生が昨年頑張ってたからね。結構有る」
「部費って……使ったら先生にバレませんかね」
「ああ、言い方が悪かったかな。先生方からもらうお金のほうじゃないんだ。あんな一万円ぽっちのは、はした金に過ぎない」
……正直引いた。一万円といったら結構な大金だろ。
「俺が言ってる部費っていうのは、通称『シェア』と呼ばれている──」
「そこまでよ、秋……!」
突如秋先輩の話しを阻んだ声に、皆入り口の方を振り返った。
その声のぬしは竹川だった。いつの間にか戻ってきていたらしい。
竹川はすたすた歩いてくると、俺の肩に手を置いて、
「入部してくれてありがとう」
と言った。どういう風の吹き回しだろう。竹川さまがお礼を言うなんて……と、俺が思っていると、どうやら竹川の態度は異常だったらしく秋先輩が心配の面持ちで竹川を見詰めた。
「ユリさん、どうした?」
ユリこと竹川は席に着くと、返答した。
「いま姫篠の入部届けを職員室に持っていったんだけど、顧問に呼び止められて。そしたら一年が四人辞めたらしいの」
「……そうかあ」
五時半をとっくに過ぎてるってのに、他多数の部員がなかなか現われなかった理由は辞めたからか……。ふーん、そっかそっか──と、聞き流せる話ではなかった。
しかし秋先輩もハッチーも納得の面持ちだった。二人とも理由を知っているらしい。俺だけがその理由を知らないようだった。
竹川はかなりショックだったようで机にへたり込んでしまっている。
「あの……もし良かったら教えてください。一体何をした?」
竹川は勢いよく上体を起こし、俺を睨んだ。
……一瞬の静寂の後、俺は黙殺された。
「ハッチー、ごめん。あいつに教えてあげて。私はお隣さんに用事があるから。秋も来て」
竹川は本当にせわしない奴で、また図書室から出て行った。今回は秋先輩も一緒だ。
俺はハッチーと二人きりになり、いくつか溜まっていた疑問をぶつけることにした。
「お隣さんって夜好部のことか?」
「うん、そうだよ。何らか提携してるみたいで、よく分厚い紙の束をもらってくるんだ」
「なんだそれ……。夜好部に新聞を書かせてるのか?」
「ううん。そうじゃないみたいだよ」
「じゃあ何の紙なんだ?」
「それはボクには分からない。でも、その分厚い紙が新聞部にとっては重要らしくて、お金を払ってたよ。この前は三万円だったかな。あとクッキーのアソートを一箱」
三万!? 俺にとっての大金に掛けること三をした莫大なお金じゃないか……! しかもそれなのに秋先輩は部費が有り余ってそうな口振りをしていなかったか?俺は何やら飛んでもない部に頭を突っ込んでしまったようだ。
あからさまに普通じゃない。新聞部って何なんだ……。いや、そこじゃない。あいつらが一体何者なんだって話だ。
「姫篠君、大丈夫?」
「うっ……。平気だよ。ちょっと金額に驚いただけ」
「だよね。ボクも始めはびっくりした。シェアっていう部費がいくら有るんだろうって気にならない?」
「いや、気になって仕方ないぜ……。百万くらいあんのかな」
「あはは。さすがにそんなには無いと思うな。近いぐらいは持ってるかもしれないけどね」
「うう……。だよな。俺明日からこなくていいかな、部活に」
「えー。それはやめた方がいいよ」
「なぜだ?」
「辞めたら手嶋先生の担当してる部活に入らされるからだよ」
「えっ……。何でそんなことになるわけ?」
「だって、さっき辞めたって言ってた四人が、そうだったんだもん。多分裏でユリさんが手嶋先生に話を通してるんだろうね」
「………………。陸上は無理だぜ」
「ボクもヤダね。だから一緒に頑張ろう、姫篠君?」
「そうするしか無いようだな……」
ハッチーの言葉がありがたかった。新聞部なんぞで何でこれ程に熱い結託が必要なのかは不思議でならないが、俺とハッチーとで協力することになった。多分そうしなければ生き残れないような先行きの不安がハッチーにはあるのだろう。
「ところで、その四人が辞めた理由って、結局何をされたからなんだ?」
「先週の金曜日、合宿があったんだ。近所の旅館で二泊三日のね」
「それは……楽しそうだな?」
「行くまではね、きっと四人もそう思ってたはずだよ。ボクだって楽しみだった」
「でも?」
「うん。勉強尽くめの立派な強化合宿だったよ。小論文とかいうものも書かされたし、何度も書き直しさせられたりね。他には筋トレも……とにかく色々させられて、最終日の日曜日には皆へろへろだったよ」
「まじかよ。俺だったら、もしかしたら辞めてたかもしれんな。勉強も運動も苦手だし」
「へ? どちらも苦手なの?」
「ああ。俺に出来ることなんて何もないよ」
ずっと窓の外を眺めながら話していたハッチーが、突然こちらを向いた。
「そうかな?」
「えっ……。なんだよ、いきなり」
「意外と筋肉とかあると思うけどな」
「中学の頃、絡まれることが多かったんだ。だから少し……な」
女の前でこんなことを言うのもどうかと思うが、俺の取り得はそれくらいしか無い。
「頼もしいね」
ハッチーはそう言うと、首を傾けて色っぽく微笑んだ。
しかし拳が頼もしい新聞部っていうのも意味が分からない。
「ハッチーは……何か知ってるのか?」
訊ねると、ハッチーは再び窓の外を仰ぎ見た。
「そろそろユリさんや秋さんが戻ってくるよ。こしょこしょ話はここまで。言わないでね」
言うなと言われても、ハッチーの話は重要なところがぼんやりしてて今一つ分からなかった。ハッチーは何か裏情報的なものを知っているということでいいんだろうか。そして俺たちが新聞部に居続けるためには、お互いの協力が必要──もしくはハッチーが一方的に助けを求めているだけか……、この点は不明だ。
「ねえ、番号交換しない?」
ハッチーはスマートホンを取り出して、顔を近づけてきた。もちろん良いに決まってる。竹川には絶対教えないが、ハッチーのなら三百件くらい登録してやってもいいくらいだ。
電話帳がまっさらの俺にとって嬉しい話だった。
「いいぜ」
赤外線でやり取りしていると、ハッチーは図書室の入り口のほうを警戒しながら、少し渋り気味に言う。
「姫篠君……。今夜、空いてる?」
聞かなくとも俺の予定はがら空きである。
俺は上目遣いになったハッチーを見詰め返した。
「どうした?」
「電話したいんだけど」
「……電話って、どうしたんだ?」
「嫌だった?」
「そうじゃない、電話は嬉しいさ。でも唐突だったから内容が気になってさ」
「うん……。でも姫篠君にとってあまり嬉しくない内容かも。相談なんだ」
「どんな?」
ハッチーはうつむいてスマートホンの角っこを爪で引っかいた。ほそくて白い指が軽やかに動き、その度に小さな低音が響いた。ハッチーの黒い髪がか細く揺れる。
「手伝って欲しいことがあるんだ」
「ふーん。俺は全然いいぜ」
「ありがとう。姫篠君って良い人なんだね」
「そうかな?」
「うん、まあまあ」
まあまあかよ。
このとき俺は、解決したい悩み事でもあるんだろと、そのくらいに考えていた。
携帯で『鉢久悠里』の番号が登録されたことを確認し、携帯をぱちりと閉じる。
ハッチーは狙撃手のごとく片目をつむってスマートフォンをにらみ込んでいた。
「俺のはばっちり?」
「うん。佑太君だよね。ばっちり」
「じゃあ、俺はこの辺で帰るよ」
「えー……。帰っちゃうの?」
「うん。なんだか頭がこんがらがってきた。家で整理するわ」
「そっか。もし体調悪かったら言ってね」
「大丈夫だよ。竹川さんと秋先輩によろしく言っといてくれ」
体調のほうはすこぶる良い。しかし入部早々、色んなことを聞かされた頭の方が限界だった。
平凡な日々が捨てがたい。
俺は新聞部入部一日目にして一体何を聞かされてんだか。意味分かんな過ぎて頭が爆発しちまいそうだ……。
◇◇◇
さて、それから家に帰った俺は、飯や風呂なんかを済ませて、自室でグラビア雑誌片手にベットに寝転んでいた。
携帯電話が鳴り出したのは、集中が最高潮に達したその時である。
──くそっ。大事な時に誰だよ、一体。
この時、すっかり忘れていた。
サブディスプレイに表示されている名前は、鉢久悠里のものだった。
「もしもし!」
「もしもし。悠里だよ。分かる?」
返ってきた声は、部室で聞いていた時よりずっと弱々しく、いつもの捨て犬みたいな感じに戻っていた。
「へ? ……ああ、うん。佑太だよ」
「例の学校でのことだけど。いま時間は良かった?」
「おう。退屈だったから寝ようと思ってたところだ」
「へー。予習と復習はやった?」
「いいや」
「駄目だよ、ちゃんとやらなきゃ……」
「復讐や予習ができるほど、授業には付いていけてないからな」
「夏休みに補修やることになるよ。あっ、そうならないようにボクが教えてあげようか?」
「げっ、補修は面倒だな。でも俺を教えるとしたら、宿泊研修の直後からになるぜ」
「直後って、未だ四月じゃなかったかな。姫篠君は何のために進学校に来たの?」
ハッチーの言葉は、釣り針みたく俺のはらわたに刺さり込んだ。あん時自分がどういう思いで進学校を選んだか、思い出せない。いや、思い出せないということにしておきたい。
電話越しの鉢久悠里を前にして、そう思った。
「冗談だよ」
「ああ。だろうと思った」
「それで……、本題だけど、とても面倒な相談事だから断ってもいいからね?」
「相談って、イエスかノーで答えないといけないようなことなのか?」
「うん」
……それって頼みごとって言うべきじゃないか?
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