プロローグ
いま最も欲しいものは明晰な頭脳でも、勉強へ傾ける情熱の源泉でもない。俺がここにいる理由だった。
莫大なテーマだし、なんだか寂しくなる話である。
しかし、俺は死ぬほど勉強がきらいなくせに進学校へきてしまった馬鹿だ。かりっかりの優等生どものなか、ハトが一匹紛れこんでいるようなもので、悩んで当然だった。
中学時代──高校受験二ヶ月前、不意な衝動から進学校を選んでしまっていた。はじめて自転車に乗る奴がいきなり立ちこぎから始めてしまったくらいに世間をわかっていなかったと思う。教師面々の反対を押しきって進学校へと、きてしまったのである。
その中学時代に戦友だと思っていたダチがいたのだが、そいつは工業系の高校へ進んでいった。教養が同レベルだったから俺も真似ればよかった。
必死にやった受験勉強も、結局俺は自分自身の意志により、得た知識をゴミ溜めに投げ込んでしまった。高校に来てつけた知識はゼロだ。
現在──夏休みまであと三週間ってころには、俺は授業についていけなくなっており、ペンを持ってもダメで、体育もてんで響かない授業をうけていた。
だからもう諦めていた。俺は世間から孤立した異端児で、道草に溶けゆく野糞で結構! と、思うことにした。
四月末にあった宿泊研修で『将来の夢』というアンケートに対し、スーパー○ンになるぜ! と書いてやったくらいに、はやい時期から。
◇◇◇
「もうすぐ夏休みだが油断しないようにな。詰めるだけ詰めこんでから存分に夏休みを満喫するように」
朝のホームルーム。俺が属する一年三組の教室で、担任の手嶋が優等生どもの首を締め上げていた。
きついなーと、誰かがつぶやき、続く失笑が教室に響く。……黙りやがれ。俺はお前らよりきつい。
そして、手嶋はひとしきり生活指導をしてから最後にこう言った。
「そういえば、みんな部活に入ったか? 夏休みまでには強制入部だから、まだ決めてない人がいたら至急決めておくようにな。でないと、私の担当する部活に入ってもらうから」
……俺のことだ。すっかり忘れていた。まだ部活には入っていない。この高校の校則によると、特別な理由がない限り何らかの部活に入らなければならないという決まりがある。
短い付き合いだったな──俺は平和な時間にそう別れを告げてから心の準備に取りかかった。
今日動こう。手嶋が担当する部活とやらには絶対入りたくないからな。
◇◇◇
この日の放課後、俺は教育棟二階から職員棟に渡った。手嶋に部活について話をするためだった。
職員室の扉を開けると、たっぷり溜まっていた冷気があふれでてきた。贅沢しやがって……と言いたかったが、気持ちよすぎて思わず顔がほころぶのを感じた。
手嶋の席は職員室の中央あたりにあり、運よく現在フリーだった。俺は所々に立つ生徒をかわしながら手嶋のもとに向かい、声をかけた。
「せんせー! 部活のことなんですが、入らなくてもいっすか?」
「おっ? 姫篠とは珍しいな。いやダメだがな」
手嶋は机の引き出しから手際よくプリントを取り出し、「ほい、これ」と言って俺に部活動リストを突きつけた。まるで待ち構えていたかのような早業だった。
「もう七月だ。手遅れだとは思うが、だからこそ早く決めて入部するように。新聞部とかおすすめだから」
◇◇◇
さて、もと居た教育棟の一階まで戻ってきたのが、出発から三分後のことだった。
こうなったら幽霊部員か、あるいは活動日数が少なそうな湿っぽい場所を探すしかないか。
手嶋にもらった部活動リストに目を通す。
ちなみに手嶋の顧問は陸上部だった。俺は昔グラウンドに生焼けホットケーキを作た苦い思い出があるため運動を毛嫌いするようになった。あんな本当に死ぬかもしれないことを率先してやる気なんて今後永劫起きないだろう。そうなると、より良いモヤシ栽培工場を探すことだけが俺に残された選択肢だった。
──うん? ちょうど玄関で自分の下駄箱を開けたところで、妙な名前に気付いた。部活動リストの新聞部の記載のすぐ下に『夜好部』という聞いたこともない名前が載っていた。夜? 好き? まさか夜行性の活動を生業としている訳じゃないだろうな。
俺は急遽帰路を外れ、実習棟へと足を運ぶ。教育棟をはさんで職員棟と対になった建物が実習棟だ。その二階に夜好部があるらしい。もし面白い部活だったら通ってやらんでもない、と思って夜好部部室へ向かった。
◇◇◇
「何だお前?」
夜好部部室の扉をひらくと、一番にそんな言葉が飛び出してきた。知らない奴が門戸をたたくには時期外れだったから当たり前の反応と言える。
「一年の姫篠ですが。体験入部させてください」
「……はあ? おまえ、うちはもう満員だぞ」
部室は小さく、中央で四台の長机が輪を作っていた。その周りに七人の部員が席に着いている。おそらくは今喋っている、部屋の奥で長机をひとりで占領している奴が、夜好部の部長だろう。
「わるいが、他を当たってくれ」
「そっすか。げほん」
残念というほど残念ではない答えだった。が、せめてここが何をする部活なのかだけ聞いておこうと思った。
「ところでここって何をする部活なんだ?」
「あん? 夜好部は、だな。学校が終わって帰宅した全校生徒たちが夜に家で何をするべきか、道徳的良心を以って考えてあげる素晴らしいクラブだ。入れなくて残念だったな」
夜好部の部長がそう説明すると、一年らしき部員がおどおどと声をもらす。
「ホロ先輩。……それって」
「いや、これでいい」
夜好部部長──幌は、口をはさんだ一年を手で制した。
「説明は以上だ。ふっ。ヒメシ君と言ったか? 君には新聞部を勧めるよ。あそこは頭数を重視しているからな。まだ取ってくれるんじゃないか?」
幌は薄く笑みを浮かべながらそう言うと、制す手とは逆の手を俺に向け、ほうきをはくような仕草をとった。
……夜の生活指導ねえ。聞いた限り夜行性ではなさそうだが、実に怪しげな空気がただよっている。それに幌ってやつは微塵も道徳家には見えなかったな。若干腹が立つくらいだぜ。茶髪のオールバック姿は真面目そうには見えない。
「んじゃ、失礼します」
俺は夜好部からでて、新聞部へもおもこうか考えた。幌が言う新聞部とは、夜好部のすぐ隣──図書室が部室だったからである。
と、そのとき、突如電撃が肩から躯体を伝っていった。
「っひ!? うあたっ」
その正体は俺の肩を叩いた、冷えきった手だった。
「君、部活を探しているんでしょ?」
振り返ると、そこにはおかっぱ頭がいた。夜中に金属バットを持って徘徊してそうな危ないやつだ。真ん丸の目と堀の深いえくぼが邪悪な女子だった。
「私は竹川。新聞部の部長よ。君は姫篠君って言ったかしら。ごめんね、さっきの夜好部とのやりとりを見ちゃったの」
わずかに開いた口から除く小さな歯が不気味だった。野良猫と野生の猫が全くの別物であるように、竹川という女も人間離れした雰囲気──殺気のようなものをまき散らしている。
「ど、どうも……」
「入部先を探しているんでしょ? うちの部も見てったら? というか、これ書いていきなよ」
そう言って、竹川がカバンから取りだした小さな紙切れは、入部届けだった。見ると、すでに選択する部活動欄には新聞部という文字が記入されており、あとは俺が名前を書くだけになっている。
「うちは今日までだったら入部大歓迎なんだけど、どうする?」
「ギリ……ってゆーこと?」
「うん。それに、こんな時期だから他の部も夜好部と同じく締めきっていると思うけどなあ」
たしかにこのままだと陸上部に無理矢理ねじこまれてしまう危険性が高そうだ。思いきってこの紙に名前を書いてしまうべきか。
「入っておくべきなんだけど……、まあ、入るかどうかは姫篠君が決めることよね。あ、よかったら入って?」
竹川はそう言いながら図書室の扉を引いた。その言動を軽い意味で解釈した俺は易々と足を踏み入れてゆく。
ほんの体験入部のつもりで図書室へ入った。
しかし、既にそこは『アリ地獄』へと一歩踏み入った場所だった。……アリ地獄とは決して抜け出すことができない──でも抗わなければ本当に落っこちてしまう恐ろしい穴のことで、そこに落ちないための死の行進──デスマーチが課せられるとも知らずに、俺は前へと進んでいった。
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※10万~15万文字になる予定です




