第二千九百二十一話 素直
ガレーシャはうつむき、翳りを帯びた表情で呟くように言った。
「それが定石ならば、仕方がないか――わかった。では国境まで退くとしよう」
ガイウスはこれで完全に理解した。この子はまだ司令官職に任命されて日が浅いのだ。だから自信が無い。だからパルススの進言で、定石だと言われればそれに逆らうことが出来ないのだ。ならば何故、この子のような経験のない者がこの軍の司令官にされたのか。これは恐らくだが、急に南下政策を実行せんがため、お飾りでいいからと配置されただけに過ぎないのだろう。
ならば、自分が真に対峙すべきは――
「では殿下、早速国境まで撤退するとしましょう」
パルススが柔和な笑顔を見せ、ガレーシャに言った。
ガレーシャはうんとうなずき、言った。
「そうだな。善は急げと言うしな」
ガレーシャは早速手綱を引いて馬首を返した。
そして若干振り返りながらガイウスに言った。
「では、一時休戦だ。また会おう」
ガレーシャはさっと手綱を振るい、馬を駆った。
乾いた大地を叩く蹄の音が初めは甲高く響き、次いでどんどん低く遠くなっていった。
遠ざかるガレーシャの背に、パルススが大声で言った。
「ではわたしは殿を務めますので、殿下は先頭切って退却をお願いします!」
ガレーシャは振り返りもせず「わかった!」とだけ言って、大軍の中に埋もれていった。
「さて、じゃあここからは大人の話をしようか」
ガイウスはそう言うと、パルススが笑った。
「殿下も大変でしてね。常に気を張っておられるのですよ」
「急に方面司令官なんてものに任命されれば、そりゃ気も張るさ」
パルススは肩をすくめた。
「いきなり任命されたと思ったら、すぐに南下してマンド国を平定せよ、ですからね。大変なんですよ、彼女」
「あんたも気苦労が絶えないな」
「いえいえ、わたしはそう大して苦労はしていません。結構あの方、意見を取り入れてくださるので」
「素直なんだろうな。部下であろうと、経験者の言葉をちゃんと聞く。それはいい資質だと思うぜ」
「ええ、とても素直なお嬢さんですし、とても良い資質を持っておられると、わたしも思います」
「成長したら、いっぱしの将軍になりそうだな」
パルススは、慈悲深い笑みを湛えて言った。
「どうですかねえ、それよりも宮廷内で静かに暮らされた方が、幸せだと思いますがねえ」




