第二千九百二十話 定石
ガレーシャは、ガイウスの態度を見て、鼻白んだ。
「ずいぶんと殊勝な態度ではないか。何か裏でもあるのか?」
ガイウスは慌てて、自らの顔の前で何度も手を振った。
「いやいやいやいや、ないないないない。本当にただただ、撤退してもらいたいだけだって。俺としては、無駄に血を流したくないんだよ」
ガレーシャのこめかみがビキッと緊張した。
「無駄だと?」
「いやいやいやいや、そういう変な意味ではなく!」
「変な意味?」
「違う違う違う違う、何でも悪く取らないでくれよ。ここのところ俺、女難の相が出ているみたいなんだよ」
「女難?そのようなこと、わたしが知るものか」
「いや、まあ、そう、そうなんだけど。とにかく、俺に他意は無い。本当に無い。誓って無い。これ本当!」
ガイウスの必死さは、ガレーシャにも一応伝わった。
「ふん、どうやら本当らしいな。わかった。だが、一時休戦だ。あくまで一時だぞ」
「わかった。ただ、ひとつ聞きたいんだけど」
「なんだ?」
「何処まで退いてくれる?」
ガレーシャがわずかに顎を斜め後ろに引いて、眉根を寄せた。
「何処まで、だと?」
「撤退するにしても、マンド国内に留まるのか、それともユラシア国境まで退いてくれるのか、どっちなのかな?」
ガレーシャはさらに眉間の皺を深くした。
「マンド国内に留めるに決まって――」
そこでパルススが、ガレーシャの言葉を覆い隠すように言った。
「ユラシア国境まで退きましょう。それがいい。一番いい。殿下、そうですよね?」
ガレーシャのこめかみが再度ピキッた。
「何を言っているんだ貴様、ここまで来て、国境まで撤退するなど有り得んぞ」
「いえいえ、あり得ます。なにせ不測の事態が起きましたからね。ここは一旦立て直すにしても、敵地でそれはよくありません。なのでここは、定石通り国境まで一気に退くべきです」
ガレーシャの鋭い視線が、パルススに突き刺さる。
だがパルススは、一向に意に介さなかった。涼しい顔で、ガレーシャの視線を真っ向から受けた。
ガイウスはその様子を心配しながらも、おとなしく見守った。
すると、折れたのはまたしてもガレーシャであった。
ガレーシャは深い溜息を吐くなり、言った。
「定石通り――か。定石では一気に退くのだな?」
パルススは間髪を容れずに言った。
「中途半端は混乱を招きます。なので一気に安全な自国領土内に撤退するのが、定石となります」




