6 牽制
(寝たな)
規則的に上下する白い身体を見て、レオンハルトは思った。
いつも寝てばかりの怠け者の愛犬が、自分を探しにやってきた。
それはきっと、昨日のことがあったからだろう。
愛犬の心配を喜ぶとともに、レオンハルトはしみじみ思う。
(こいつ、それなりに俺になついてたんだな)
来るもの拒まず、去るもの追わずな姿勢を貫き通してきたゼーが、レオンハルトに興味を示したことは予想外だった。
昨日だって、あんな風に寄り添ってくれるとは思わなかった。
「こちらで引き取りましょうか?」
ネルトが問いかけると「このままでいい」とレオンハルトは返した。
今はまだ、この温かな生き物に癒されていたい。
しかし、安息の時間は唐突に奪われるものだ。
再び響いたノックの音に、ネルトが反応して用件を訊ねる。
その表情が軽く青ざめたのを、レオンハルトは見逃さなかった。
「どうした?」
「……それが」
歯切れの悪いネルトに続きを促すと、観念したように呟いた。
「第一王子がいらしたようです」
レオンハルトはしばし茫然とし、深くため息を漏らした。
正直、絶対に行きたくない。
それでも王族に逆らうことなどできないと、よく理解していた。
「……すぐに行く。ゼーを頼む」
「かしこまりました」
心地よさそうに寝息を立てているゼーをもう一度抱きしめ、レオンハルトはネルトにゼーを託した。
そして鏡の前で軽く身なりを整え、背筋を伸ばす。
(侮られるわけにはいかない。あくまで普段通り)
心の中で自分に言い聞かせながらも、背筋が凍るような感覚が拭いきれない。
震えそうになる手をぎゅっと握りしめ、レオンハルトは客間へと向かった。
客間のソファにゆったりと腰かけているその男は、レオンハルトを見て目を細めた。
ウォルター・デュ・アーレンス。
気の強い彼が、自分に逆らえずに屈服する様は、なんとも心地よい。
だらしなく緩む頬を隠しもせず、隣を指さす。
しかしレオンハルトは、向かいの席に腰かけた。
昨日の今日で警戒しているのだろう。
それが無性にむかついて、冷たい声で言い放つ。
「隣だと言っているだろう?」
レオンハルトは軽く肩を揺らし、渋々といった様子で立ち上がり、ウォルターの隣に腰かけた。
少しでも距離をとろうと端に腰かけているのがまた、嗜虐心を煽る。
「殿下。先触れのないご来訪は困ります」
「なに、俺とお前の仲だろう?」
「……困ります」
眉間に寄せられた皺。
決して合わせようとしない視線。
少し青ざめた顔。
ウォルターはレオンハルトの膝に手を置き、ぐっと距離を詰める。
生意気なレオンハルトの瞳に恐怖の色が浮かぶのを見て、満足げな笑みを浮かべた。
「なに、今日はお見舞いにな」
「……どこも悪くありませんので」
「そうか?なら、昨日の続きでもしようか」
ひゅっとレオンハルトが息を呑む。
身をよじらせて逃げようとするも、端に座ったせいで手すりが邪魔をして、逃げる場所がない。
怯えるレオンハルトに満足げな笑顔を向け、ウォルターは顔を近づける。
逃げられないと悟ったレオンハルトが、ぎゅっと目を閉じたのを見て、ウォルターも瞼をおろした。
唇が重なり合う寸前、二人の間に硬い何かが差し込まれた。
「なっ」
驚いて目を開けたウォルターの視線の先に、見知らぬ男が立っていた。
レオンハルトを後ろから支えるようにしたその男は、この世の者とは思えないほど美しい姿をしている。
どうやら口づけの邪魔をしたのは、この男の手のようだ。
邪魔をされたことへの怒りと戸惑いから口をパクパクさせていると、男は少しむっとした顔をして、ウォルターにデコピンをした。
軽い衝撃だったが、今まで暴力にさらされたことなどないウォルターの逆鱗に触れるには十分だった。
「きっさま……俺を誰だと思っている!」
ウォルターが手を上げると、傍に控えていた護衛たちが一斉に男に剣を向けた。
しかし男は気にした様子は一切なく、レオンハルトを抱きかかえ、冷たいまなざしでウォルターを見下ろしている。
「この国の第一王子に無礼を働いたこと、ただで許されると思うな」
「許されなかったらどうなるの?」
「王族を侮辱したんだ。命で償ってもらう」
おでこをさすりながら怒鳴るウォルターと、自分を抱きかかえる男を交互に見ながら、レオンハルトは頭が真っ白になっていた。
ウォルターから逃れられたのはうれしい。
でも、見知らぬ男に抱えられているこの状況は一体なんだ。
(うちにこんな使用人、いなかったはずだぞ?)
レオンハルトの視線に気づいた男は、少しだけ目を細めた。
さっきのウォルターのような下卑た表情じゃない。
まぶしいものをみるかのような仕草に、少しドキッとする。
無視をされている状況が気に食わなかったのだろう、ウォルターは護衛たちに「捕らえよ」と低く命じた。
その瞬間、パキッと音を立てて護衛たちの向けていた剣の刀身が崩れ落ちる。
「……は?」
思いもよらぬ展開に、ウォルターが間抜けな声を上げる。
そんなウォルターの目の前に男が手をかざすと、白い光が放たれた。
光はウォルターの額に紋様を刻んで消える。
「な、なに、これ……」
「お仕置き。レオンハルトをいじめちゃだめだよ」
「は?……ちょっ、消せよ!」
「消えないよ。オレ、怒ってるから」
怒りのあまり男とレオンハルトに掴みかかろうとしたウォルターの身体に、衝撃が走る。
雷で打たれたような強い衝撃に、思わずその場に倒れこみ、呻き声をあげた。
男は呆れた顔でウォルターを見下ろし「怒ってるって言ったでしょ?」と言い放つ。
「なんっ……これ、おま……」
なおも食い下がろうとするウォルターに軽蔑の眼差しを向けながら男は言う。
「次は殺すよ?」
凍り付くような視線に、もうウォルターは何も言えなかった。
地面に這いつくばったまま、ただただ部屋をあとにする二人の後ろ姿を睨みつけていた。
(……一体、何者なんだ)
レオンハルトは大人しく抱かれたまま、男を見ていた。
正直おろしてほしいんだけど、変に刺激してさっきのウォルターの二の舞になるのは怖い。
どうしたものかと悩んでいると、男がレオンハルトの顔をのぞき込んできた。
「大丈夫?」
「え?あ、はい」
「そ」
あまり会話を続ける気はないらしい。
男はそのままスタスタと歩き続ける。
(これ、どこに向かってるんだ?)
このまま進めば、レオンハルトの自室がある。
部屋まで知られているかもしれないと思うと、冷や汗が出てきた。
(悪意はなさそうだけど、本当なんなんだよコイツ)
見上げた顔は涼し気で、何を考えているのかよくわからない。
それでも、さっきまでウォルターに見せていた冷たい表情はすっかり消え失せている。
しばらく歩いたところで、ふいに床に降ろされた。
ようやく解放されたと思ったら、背中に男がのしかかってきて、心臓が飛び出そうになった。
自分よりも一回り以上大きい男に寄りかかられて、思わずよろめく。
「もう疲れて歩けないー」
「は?」
「連れてって」
「いや、重いし……」
「えー」
口を尖らせた表情は、ずいぶん幼く見える。
しかし重いものは重いし、多少鍛えてはいても体格差を考えるとかつぐのはまず無理だ。
「じゃあ、これならいいでしょ」
男がそういうと、白い煙がどこからともなく現れ、男を包み込む。
煙が消えると、男の姿も消えていた。
「は?どういう……」
そのとき、レオンハルトは足元にすり寄る生き物に気づいた。
白くてふわふわ。
レオンハルトを見上げる瞳は、さっきの男と同じ、澄んだ青色。
へなへなと脱力して座りこんだレオンハルトの膝の上に、ゼーが飛び乗って丸くなる。
そして満足げに寝入ってしまった。
信じられない気持ちで、レオンハルトはゼーを抱きかかえる。
温かなぬくもりは確かで、これが夢ではないことを証明していた。
「まじかよ……」
呟いた声は、長い廊下の隅へと溶けていった。




