第3話「北への道、脱走兵」
第3話「青き巨神、地獄に立つ」(後編)
ムラサメを待機モードへ移行させる。
重い駆動音が静まり、青い巨体はビルの陰で息を潜めた。
銀太はハッチを押し開ける。
熱風が、容赦なく顔を叩いた。
鼻を刺す焦げ臭さ。
焼けたコンクリートの匂い。
どこからともなく漂う、鉄錆にも似た生臭さ。
「……っ」
胸が締めつけられる。
震える手で胸ポケットから『敷島』を取り出した。
一本咥え、オイルライターを擦る。
紫煙を肺いっぱいに吸い込み、ゆっくり吐き出した。
恐怖を消すことはできない。
だが、立ち止まるわけにもいかなかった。
ヘルメットを脱ぎ捨て、地面へ飛び降りる。
視界の先には、地獄が広がっていた。
建国記念日の提灯は黒く焦げ、屋台は骨組みだけを残して崩れ落ちている。
道路には砕けたガラスが敷き詰められ、動かなくなったスマートフォンを握り締めたまま、泣き叫ぶ人々が逃げ惑っていた。
救急車も消防車も来ない。
通信は死んでいる。
誰もが、自分の足だけを頼りに生き延びようとしていた。
「紬!」
銀太は人波をかき分ける。
「紬ッ!」
返事はない。
焦りだけが募る。
ようやく辿り着いた中央広場は、巨大な隕石でも落ちたかのように抉れ、かつて人で賑わっていた面影はどこにもなかった。
生徒会が準備していた特設テントも消えている。
「そんな……」
膝から力が抜けそうになる。
その時だった。
瓦礫の隙間に、見覚えのある紺色が覗いた。
「……紬?」
駆け寄る。
違う。
通学鞄だった。
半分は焼け焦げ、金具も熱で歪んでいる。
「紬の鞄だ……」
銀太はそれを抱き寄せた。
熱はもう残っていない。
それでも、娘の温もりが残っているような気がした。
「頼む……返事をしてくれ……」
周囲を見回す。
瓦礫を退かす。
呼び続ける。
だが、遺体はない。
血痕もない。
「……?」
銀太の動きが止まった。
技術者として培った観察眼が、小さな違和感を捉える。
広場一帯は熱線によって溶け、舗装はガラスのように変質していた。
なのに。
鞄が落ちていた場所だけが違う。
半径数メートルだけ、焼け方が不自然だった。
まるで、見えない傘でも広げたように。
熱線の跡が、そこだけ避けている。
「……あり得ない」
しゃがみ込み、指先で地面をなぞる。
偶然ではない。
レーザーの出力なら、この一帯は等しく焼失しているはずだった。
だが、この場所だけは守られている。
銀太は静かに息を呑んだ。
「そうか……」
脳裏を、一つの可能性が駆け抜ける。
「マブイ……」
娘にも、自分と同じ血が流れている。
極限状態で、眠っていた力が無意識に目覚めたのだ。
その瞬間だけ。
紬自身を守るために。
銀太はゆっくりと立ち上がる。
焼け残った地面の先へ目を向けた。
そこには、小さな靴跡が続いていた。
瓦礫を避けるように。
ふらつきながらも、一歩ずつ。
学校のある北へ。
「生きてる……」
声が震える。
「紬は、生きてる!」
絶望しかけていた胸に、熱が戻ってくる。
銀太は焦げた鞄を抱え、空を見上げた。
巨大な浮遊物体は、なおも首都の空に鎮座している。
まるで、人々の苦しみを見下ろむように。
銀太は静かに拳を握った。
「待ってろ、紬」
その声に、もう迷いはなかった。
「お父さんが、必ず迎えに行く」
最後にもう一度、『敷島』を深く吸う。
紫煙がゆっくりと空へ溶けていく。
吸い殻を踏み消すと、銀太は振り返った。
ビルの陰では、青き巨神ムラサメが静かに主人を待っている。
銀太は駆け出した。
娘を取り戻すために。
そして、この空に現れた敵と決着をつけるために。




