第11話「一塊の糧、繋がる歯車」
第11話「一塊の糧、繋がる歯車」
息ができない。
視界の端から黒いモヤが広がり、思考すら白く霞んでいく。
指先一つ、微塵も動かない。
八洲の青き巨神ムラサメは、崩れた瓦礫の中で膝をついたまま、不気味なほど静まり返っていた。
暗転していくコックピットに響くのは、自分のゼーゼーという荒い吐息だけだ。
「……はっ……くそっ……!」
銀太は血の滲む唇を噛み締め、鉛のように重い腕で操縦桿を握ろうと必死に抗う。
だが、指先に力が届かない。
背中では、命の輝きを使い果たした紬が、ぐったりと無防備にもたれ掛かっていた。
「紬……おい、紬……!」
返事はない。背中越しに、消え入りそうな微かな心臓の鼓動だけが、かろうじて伝わってくる。
銀太は悔しさに瞼を閉じた。
終わってしまうのか。こんな冷たい瓦礫の上で、娘を守れずに……。
その時だった。
胸ポケットの深くに、固く四角い感触が指先に触れた。
「……ん……?」
震える指先を胸元へ滑り込ませ、それを取り出す。
煤と汗で汚れた銀色のアルミ包装。少し押し潰された小さな四角い箱。
「……そうか……これがあった……!」
脳裏に苦い思い出が蘇る。
軍需開発局での連日の徹夜作業。試作機の調整に没頭し、昼飯を食べ損ねることなど日常茶飯事だった。
だから銀太は、作業着のポケットにいつも「それ」を突っ込んでいたのだ。
高濃縮栄養食――カロリーブロック。
絶望の暗闇の中、銀太の口元に血の滲む笑みが漏れた。
「まだ……俺たちの運は尽きちゃいねぇ……!」
銀太は前歯で銀色の包装を荒々しく噛み破った。
固いパサついたブロックを、震える手で二つに割り折る。
「紬……食え……!」
背中の娘の口元を指でこじ開け、小さく砕いた欠片を滑り込ませた。
「頼む……喉を鳴らせ……飲み込んでくれ……!」
祈るような数秒。
やがて、紬の華奢な喉仏が、小さく動いた。
ゴクリ。
確かな嚥下音。
銀太は残った半分を己の口内へ放り込むと、力任せに噛み砕いた。
パサパサとした甘味が口いっぱいに広がる。猛烈に喉が渇く。
だが構うものか。唾液と血を交えて力ずくで喉奥へ押し込んだ。
数十秒。一分。
時間の感覚すら曖昧な沈黙が流れる。
やがて――冷え切っていた胃の底から、小さな温かな火が灯った。
ドクンッ!!
心臓が、世界を打ち鳴らすように大きく脈動した。
血液が酸素とブドウ糖を運び、感覚の失われていた全身の末端へと熱を呼び戻していく。
「……動く……手が、動くぞ……!」
銀太は固く拳を握り締めた。
背中の紬も、小さく、だが確かな息を吸い込んだ。
「お父さん……あたし……」
「起きられたな。よくやった」
まだ立つのすらやっとだ。だが、俺たちの魂は……まだ死んじゃいない!
その時――。
ザッ、ザッ、ザッ。
瓦礫を踏みしめる冷酷な足音。銀色の兵士たちが、目と鼻の先まで迫っていた。
並ぶ青い銃口。
先頭の一体が黒い拘束具を構え、動かないムラサメの装甲へ無雑作に手を伸ばしてくる。
――終わりだ。
一切の感情を含まない無言の圧迫。
銀太は静かに、だが猛烈な殺意を込めて両目を開いた。
「……まだだ……まだ終わらせてたまるかよッ!!」
兵士の銀色の手がムラサメの胸部へ触れようとした、まさにその瞬間!
ガギィィィィンッ!!
沈黙していたムラサメの体内で、一枚の金属歯車が猛然と回転を開始した!
続いて二枚! 五枚! 十枚!
伝導管を駆け巡る生体電流!
ガガガガガガガガガガガガッ!!
止まっていた数万のカラクリ歯車群が一斉に目を覚まし、咆哮を上げた!
双眸のカメラアイに、カッと鋭い蒼炎が吹き荒れる!
銀色の兵士が驚愕に動きを止めた。
「なっ……機体が……!?」
跳ね上がるムラサメの右腕!
折りたたまれていた積層からくり大盾が、爆風のごとき高圧空気とともに全開展開する!
バサァァァッ!!
巨大な鋼鉄の扇が、至近距離の敵兵を横殴りに薙ぎ払った!
ドガァァンッ!
吹き飛んだ敵兵が十メートル先のコンクリート壁へ激突し、肉塊となって崩れ落ちる!
銀太は操縦桿を力強く握り直した。
口内には、まだあのパサついたカロリーブロックの甘みと生々しい血の味が残っていた。
「おい……聞こえるか、異星の野郎ども」
群がる敵兵たちを、コックピットから射抜くような眼光で睨みつける。
「俺たちは……泥を舐めてでも生き抜く……!」
ズシンッ!
ムラサメが重音を響かせて大地を踏みしめ、仁王立ちした!
「俺たちは……まだ、生きているッ!!」
八洲の空の下、青き甲冑は再び戦場へと立ち上がった。
その背中には、愛する娘の温かな鼓動が、力強く打たれていた!




