夢現 ―The Beautiful and Damned―
本作は、法律を 参考にして 作った フィクションです。
現実とは 少し
違う
顔をしています。
【世界標準時】
九時十一分
白い空間は。
変わらない。
朝から、ずっと。
変わらないまま、窓だけが増えていた。
【既存登録拠点の強制移転】
【現在の発動予定時刻】
二十二時〇〇分
そこは変えていない。
その隣。
【全体同期限界予測】
残り 十四時間〇九分
彼女が見る。
俺も見る。
「下がった」
「うん」
次。
【登録領域間移動】
高位継続
【自主登録変更】
高位継続
【登録拠点確認】
高位継続
「ここ」
「うん」
俺が指を伸ばすより先に、彼女が同じ窓を開いた。
もう驚かなかった。
閉じる。
次。
話すことがなくなったわけではない。
むしろ、多すぎるくらいだった。
ただ、それを一つずつ声にする必要がなくなっていた。
◇ ◇ ◇
【世界標準時】
九時十七分
【全体同期限界予測】
残り 十三時間五十八分
更新。
【全体同期限界予測】
残り 十四時間〇一分
「戻った」
「三分」
「うん」
その直後。
【全体同期限界予測】
残り 十三時間五十三分
「今度は減った」
彼女は答えず、別の窓を開いた。
【観測値反映遅延】
一部登録領域で発生
「これ」
「見てる」
「いつから?」
「八時台の後半」
「広がってる?」
「少しずつ」
下へ送る。
【最終反映時刻】
九時十六分
九時十三分
九時十五分
九時十七分
同じ窓の中に、違う時間が並んでいる。
「……ずれてる」
「うん」
「予測には?」
「届いたものは入ってる」
「全部じゃない?」
彼女の指が止まった。
爪先ほどの白い光が、その指を透かしている。
「届いてないものは」
「分からない」
「うん」
当然だった。
まだ届いていないものが、どれだけあるのか。
それ自体が、こちらには見えない。
数字を見ているのに。
数字の外側だけが、少しずつ広がっていく。
「大丈夫?」
「まだ」
「そっか」
それ以上は聞かなかった。
次の窓を開く。
*
【連絡窓】
新着 三件
一つ開く。
『対象領域の移動について、確認したいことがあ――』
途中で切れている。
「また」
「うん」
一度閉じる。
開き直す。
『対象領域の移動について、確認したいことがあります』
「戻った」
「うん」
次。
『強制移転について、再度の見直しをお願いいたしましす』
「誤字?」
「表示側」
彼女が元の記録を呼び出す。
【原記録】
取得中
白い文字だけが浮かぶ。
少し待つ。
【原記録】
取得中
「遅いな」
「うん」
「記録自体は?」
「残ってる」
なら、なくなったわけではない。
今はそれだけ確認して閉じる。
次。
【連絡窓】
新着 五件
「増えた」
「……うん」
「さっき三件だったよな」
「三件だった」
返事が、少し遅かった。
彼女を見る。
視線は窓へ向いたまま。
けれど、指だけが動いていない。
「怖い?」
瞳が、ほんの少し揺れた。
「……少し」
珍しかった。
「数字の反映も。通信表示も」
「うん」
「同期の遅れが、広がってる。どこまで――」
そこで止まった。
細い指が、窓の縁へ置かれたまま動かない。
「どこまで正しく見えてるのか」
声が小さくなる。
「分からなくなってきた」
「大丈夫」
口から出た。
彼女が俺を見る。
「……何が?」
「分からない」
自分でも、少しおかしいと思った。
大丈夫だと言える材料なんて、一つもない。
数字はずれている。
通信は崩れている。
届いていないものが、どれだけあるのかも分からない。
いつもなら。
理由を探す。
根拠を探す。
大丈夫だと言える条件を並べる。
今は、何もなかった。
それでも。
「大丈夫」
もう一度言った。
九時の外が。
九時のまま。
ここへ届かなくなっている。
今というものが、少しずつ遠くなっている。
それでも。
彼女は。
今。
ここにいた。
彼女の肩から、ゆっくりと力が抜ける。
「……ごめんね」
「何が」
答えはなかった。
代わりに、白い衣がほんの少し傾いた。
肩に重さが触れる。
軽い。
驚くほど。
黒い髪が、すぐ近くにあった。
俺は少しだけ口元を歪めた。
たぶん、苦笑いだった。
何も言わない。
「……ちょっとだけ」
声は肩の近くから聞こえた。
彼女は顔を上げない。
「このままで」
「……ああ」
動かなかった。
それだけにした。
窓の中では、数字が変わっている。
何かの警告が、一度だけ赤く瞬いた。
けれど。
その数秒だけ。
見なかった。
白い空間に、彼女の重さだけがあった。
世界がどこまで正しく見えているのか。
もう分からない。
なのに―――――
肩にあるものだけは、ひどく確かだった。
ほんの少しして、重さが消えた。
黒い髪が離れる。
彼女は何事もなかったように、また窓を見る。
俺も何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
【世界標準時】
九時三十一分
【既存登録拠点の強制移転】
【現在の発動予定時刻】
二十二時〇〇分
「二十二時」
「うん」
「まだ、ここ」
彼女は数字を見る。
それから俺を見る。
「うん」
変えていない。
そこだけは。
【全体同期限界予測】
残り 十三時間三十一分
【最終反映時刻】
九時二十九分
次。
【局所同期状況】
【最終反映時刻】
九時三十六分
止まった。
「未来」
「……うん」
彼女が閉じる。
もう一度開く。
【最終反映時刻】
九時三〇分
「戻った」
「うん」
「記録は?」
「残ってる」
「じゃあいい」
「……うん」
さっきより返事が遅い。
「大丈夫か?」
「ん?」
「俺が見ようか」
「何を?」
「全部」
彼女が俺を見る。
「無理」
「だよな」
「うん」
「じゃあ半分」
「半分でも多い」
「厳しいな」
「事実」
俺は少しだけ口元を緩めた。
彼女も、ほんの少しだけ笑った。
それで終わりだった。
また窓を見る。
新着 四件
開く。
『現行措置について、蜀榊コヲ縺ョ隕狗峩縺励r豎ゅa縺セ窶補?縲?』
「……また」
「うん」
次。
『隍?焚縺ョ隕∵悍繧帝寔邏?@縺セ縺励◆縲ら樟蝨ィ縺ョ謗ェ鄂ョ縺ォ繧医▲縺ヲ窶補? 王都内の利用者から』
最後だけ読めた。
「王都内の利用者から」
「うん」
「その前は?」
「崩れてる」
彼女が原記録を開こうとする。
【原記録】
反映待機中
「待ち?」
「うん」
「どのくらい」
「分からない」
その間に。
【連絡窓】
新着 二件
「減った」
「……うん」
「読んだから?」
「判定では」
「判定では?」
「二件が既読になってる」
「俺、読んだ?」
「私も、全部は見てない」
表示を見る。
【既読】
そう書いてある。
読めていない。
文章そのものが、こちらへ届いていない。
それでも。
既読だった。
「記録は?」
「ある」
そこだけは、まだ残っている。
「なら、あとで追える」
彼女が俺を見る。
「……うん」
閉じる。
読めるものを全部読むことは、もうできなかった。
今、見る必要があるものを選ぶ。
それしかなかった。
外の窓を開く。
王都。
市場。
広場。
登録拠点。
人。
同じ街が、いくつも並ぶ。
【最終反映時刻】
九時三十二分
次。
九時二十八分。
次。
九時三十四分。
次。
九時二十五分。
同じ場所なのに。
同じ今ではない。
九時三十二分の人が動く。
九時二十五分の市場が動く。
九時三十四分の記録が、その隣にある。
どれが正しいのか。
ではなく。
どれを今と呼べばいいのか。
一瞬。
分からなくなる。
窓を閉じた。
「見ないの?」
「今はいい」
「うん」
彼女も開かなかった。
代わりに、一つだけ窓をこちらへ寄せる。
「キミ」
「ん」
「これ」
見る。
【既存登録拠点の強制移転】
【現在の発動予定時刻】
二十二時〇〇分
「……まだ」
「うん」
そこだけ確認する。
理由は言わなかった。
聞かれもしなかった。
数字は、少しずつずれる。
時刻も。
文字も。
同じ世界の中に、違う時間が増えていく。
九時三十二分。
九時二十五分。
九時三十六分。
どれも、そこにある。
どれも。
今なのか分からない。
俺が次の窓へ手を伸ばす。
彼女の指も、同じ場所で止まった。
それだけでいい。
俺が開く。
彼女が読む。
残すものを選ぶ。
閉じる。
次。
もう、ほとんど言葉はいらなかった。
世界の方が。
少しずつ。
今から外れていく。
数字がずれる。
時刻がずれる。
文字が崩れる。
それでも。
俺たちは。
ずれなかった。
それで。
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