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BANされた俺、なぜかゲーム運営側で働く ~VRMMORPGにクソ真面目に行政法をぶち込んでみました~  作者: Altis―法律を物語に翻訳中―
第4章 Passin’ Thru ―音信― 第3部 Through the Looking-Glass, and What We Found There

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What We Talk About When We Talk About Loss ―ささやかだけれど、そこにあるもの―

本作は法律を参考にして作ったフィクションです。


現実とは、少し違う顔をしています。

挿絵(By みてみん)




 淹れてもらった茶は、少し甘かった。


 両手でカップを包むと、冷えていた指先へじわじわと熱が戻ってくる。湯気の向こうではリラがこちらを見ていて、目が合うたび、まだ休んでいろと言うようにわずかに目を細めた。


 星空サロンの天井には夜の色が残っているものの、窓の外は少しずつ明るくなり始めている。昨夜から灯り続けていた記録板の青白さも、さっきまでより弱く見えた。


 ひと口飲むと、甘さのあとから温かさが喉を通った。


 頭も少しずつ戻ってくる。


 戻ってくれば、机の上に積んだ資料まで一緒に思い出すので、それが良いことなのかは分からない。それでも今は、考えるより先に味が分かった。


「……おいしいです」


「よかったです」


 リラがほっとしたように笑った。


 その声を聞きつけたのか、少し離れた席からグレンが顔を上げる。


「クロセ。多分だけど、お前、普段は味の感想とか言わねえだろ」


「聞かれないので」


「聞かなきゃ言わねえのかよ」


「はい」


 間を置かず答えると、グレンが肩を揺らした。


 リラは茶を淹れたあとも自分の席へ戻らず、斜め向かいの椅子に腰を下ろしている。頬へ軽く手を添えたまま、まだこちらを見ていた。


 どうやら、もう大丈夫だと判断してもらうには、少し時間がかかりそうだった。


挿絵(By みてみん)


「そんなに見なくても大丈夫です」


「大丈夫ですか?」


「……さっきよりは」


「では、もう少し見ています」


「なぜですか」


「心配なので」


 迷いがなかった。


 そう言われると、こちらの方が困る。


「……そうですか」


「はい」


 クロセはそれ以上の反論を諦め、もう一度カップへ口をつけた。


 机の上には、閉じた記録板がいくつも並んでいる。閉じたからといって、空欄まで消えたわけではない。



 あとで開く。



 今は触らない。



 それくらいなら決められた。



 クロセはカップを持ったまま立ち上がった。


「もう戻るんですか?」


「資料には戻りません」


 リラの眉が少し上がる。


「別のことをします」


「そうですか」


 何をするのかまでは聞かれなかった。


 グレンは少し離れた場所で仲間たちと話している。クロセが近づくと、そのうち一人が席を空け、グレンもこちらを見た。


「グレンさん」


「ん?」


「どうして、そこまでやっているんですか」


 グレンの手が止まった。


 持っていた記録板を少し下げ、眉を寄せる。


「……また急だな」


「すみません」


「いや、別にいいけど。何の話だ?」


「今回のことです」


「広すぎる」


「あなたが言いますか」


「お前が聞いたんだろ」


 その通りだった。


 もう少し条件を絞ってから聞くべきかと考えたところで、クロセはやめた。さっきまで、それをやり続けて動けなくなったばかりだ。


「強制的な措置が行われれば、あなたのギルドにも影響がありますよね」


「あるな」


「でも、あなたは《黒煙の牙》だけを見ていません」


 昨日からずっとそうだった。


 知らない商店から連絡が来れば答え、関係のない工房の様子まで確認する。混乱が起きれば人を動かし、人手が足りなければ自分も動く。


「どうしてですか」


「どうしてって……」


 グレンはしばらくクロセを見たあと、困ったように頭をかいた。


「仲間と馬鹿やりたいからじゃねえの」


「馬鹿、ですか」


「そこ拾うなよ」


「ほかに言葉がありませんでした」


「本当にお前は……」


 髪をかき上げたグレンは、そのまま少し天井を見た。




「昔はさ、何もなくても人がいたんだよ」




「何もなくても?」


「学生の頃とか。学校が終わったら誰かの家に行ってさ、用事も約束もねえのに、行けば誰かいるんだよ」


 話しながら、グレンの視線が少し遠くなる。


「別に、その頃の連中と仲悪くなったわけじゃねえ。仕事始めて、住む場所が変わって、結婚して、子どもができて……そうすると、『今度な』とか『また時間が合ったら』とか、『落ち着いたら』って言葉ばっかり増えてく」


「会わなくなる」


「そう。誰も悪くねえのにな」


 笑ってはいたが、いつもの大きな笑い方ではなかった。


 クロセはカップの縁へ親指を滑らせる。


「……厄介ですね」


「何が?」


「まだ、うまく言えません」


「そうか」


 今度はいつもの顔で笑う。


「まぁ、話し戻すが。気づいたらさ、何もなくても会える奴って減ってたんだよ。でも、ここならログインすりゃ誰かいる」


「約束をしていなくても?」


「そう。全員じゃねえよ。でも誰かはいる。くだらねえ話して、失敗して、笑って、次の日に来たら、また誰かいる」


「現実の友人の代わりですか」


「違う」


 返事は早かった。


 グレンの目が、まっすぐクロセへ戻る。


「代わりになんかならねえよ」


「……すみません」


「謝るほどじゃねえけど、別物なんだよ」


 カップを取り、残っていた茶を一口飲む。


「でもさ、大人になってから一緒に馬鹿やってくれる奴を探すのって、結構大変なんだぞ」


「そうなんですか」


「お前、全然分かってねえ顔してんな」


「分かりません」


「堂々と言うなよ」


 グレンが吹き出した。


 笑いが収まるのを待ってから、クロセはもう一度尋ねる。


「だから、なくしたくない?」


「ああ。その……こういう時間をな」


 今度の声は、少し小さかった。


「大した理由じゃねえだろ」


「私は、大したことだと思いますけど」


「は?」


 思ったまま口にしてから、少し遅れて恥ずかしくなる。


 クロセは手の中のカップを持ち直した。


「なくしたくないんですよね」


「まあ」


「なら、大したことではないと、私が決める話ではないと思います」


 グレンが黙った。


 数秒ほど見つめられ、だんだん居心地が悪くなってくる。


「お前さ、たまに真っ直ぐすぎて恥ずかしくならねえ?」


「今、かなりなっています」


「なるのかよ」


「なります」


 グレンは堪えきれなかったように笑い、クロセも逃げるように茶へ口をつけた。


 頬が熱い。


 まだカップが温かいので、そのせいということにしておく。


 机の記録には、誰が入った時刻も、出た時刻も、滞在人数も残っている。


 けれど、グレンが今話したものを、どの欄へ入れればいいのかは分からなかった。


 視線を動かすと、シオンがまだ観測板に向かっている。


 背筋を伸ばしたまま、指だけが細かく動いていた。工房周辺、市場表示、登録領域間の移動と表示を切り替え、そのたびに時刻を確かめて何かを書き加えている。


 クロセはそちらへ向かった。


「シオンさん」


「はい」


 返事はあったが、目は上がらない。


「休まれていますか」


「もう少し見ています」


 クロセは一瞬、返事を忘れた。


 ついさっき、リラから似た言葉を聞いたばかりだった。


 ただし、見ているものはまるで違う。


「……依頼したのは私ですが、そこまで見る必要がありますか」


 そこで初めて、シオンの指が止まった。


 顔を上げ、しばらくクロセを見る。


「貴方がそれを聞きますか」


「なぜですか」


「昨日から一番休んでいない人に言われたくありません」


 クロセは反論しようとして、やめた。


「……それは別の話です」


「便利ですね、その言葉」


 シオンの口元が少し緩んだ。


 そのまま観測板へ戻るかと思ったが、今度は手を膝の上へ下ろした。


「さっきの話ですよね。そうですね。現実の私は、別に不幸ではありません」


「はい」


「仕事もありますし、生活もできています。それだけは先に言っておきます」


 一度、言葉を選ぶように視線を落とす。


「ただ、昔はもう少し格好よく働いていると思っていました」


「格好よく?」


「自分にしかできない仕事があって、自分だから任される役割があって、それを自分の責任でやる。そういうものがあると思っていたんです」


「現実では?」


「思っていたより、普通でした」


 シオンは小さく笑った。


「私でなくても回る仕事があって、誰かが休んでも困らないようにしておく。それは、たぶん正しいんです」


「はい」


「不幸でもありません。ただ……なれなかっただけです」


 普段なら、クロセはそこで頷いて終わっていたと思う。


 本人がそう言うなら、それ以上踏み込む必要はない。


 けれど今日は、さっきグレンへ尋ねたときと同じように、次の言葉が先に出た。


「……悔しくありませんか」


 シオンが目を瞬いた。


 クロセも少し遅れて、自分が何を聞いたのか理解する。


「すみません。今のは――」


「悔しかったですよ」


 言葉を重ねられた。


「……そうですか」


「はい。今でも、多少は」


 シオンはもう一度観測板へ手を置いた。


 青白い光が指先を照らす。


「ですが、ここでは、私が観測します」


「ゲームの中でも?」


「ゲームだからです」


 返事に迷いはなかった。


「私が見なければ、残らないものがあります。誰かがあとで見直すためには、誰かが最初に見て、記録しなければいけない」


 指先が観測板の縁をゆっくりとなぞった。


「第漆転送門のとき、私の予測は外れました」


 クロセは黙って聞く。


「見えていなかったものもありましたし、後から変わったものもありました。結果だけ見れば、私の出した情報では足りなかった」


 一度、指が止まる。


 シオンの視線は観測板に落ちたままだった。


「それでも、私はちゃんと見た」


 声は静かだった。


 けれど、それまでよりはっきり聞こえた。


「表示と実際の動きが合っていなかったことも、門の周りで人の流れが変わっていったことも、自分が見たところまでは記録した」


 クロセは少し考えた。


「だから、自分が正しかったと証明したい?」


 シオンはすぐには答えなかった。


 観測板の端に置かれた指が、わずかに曲がる。


「……それも、ないとは言いません」


「では」


「でも、それだけなら、自分が間違っていたと分かったときに、訂正したくないはずです」


 今度はクロセが黙った。


「間違っていたなら訂正します。見落としていたものがあれば足します。それでも、途中で自分の記録から手を離したくはありません」


「なぜですか」


 シオンが顔を上げる。


「最後まで見たいんです」


 迷いはなかった。


「ちゃんと見た。最後まで見た。そのうえで間違っていたなら、それでいい。そこまで含めて、自分が見たものにしたいんです」


 観測板へ触れた手は、そのまま動かない。


「……それが、誇りですか」


「はい」


 今度は即答だった。


「たかがゲームだと笑われるかもしれませんけど」


「笑いません」


「まだ何も言っていません」


「笑われるかもしれないと言ったので」


「……そうでしたね」


 シオンは少しだけ目を細めた。


「ここで役割を果たすことは、私の誇りです」


 その言葉のあと、クロセは自分のカップへ目を落とした。


 茶はいつの間にかかなり冷めている。


 グレンが話したものも、シオンが今話したものも、机の上の資料には、そのままの名前では載っていない。


 クロセは考えた末、素直に尋ねた。


「これ、資料のどこに入れればいいんでしょう」


「知らねえよ」


 グレンが即答した。


「私に聞かれても困ります」


 シオンまで続ける。


「そうですか」


「そこは貴方が考えるところでは?」


「そうでした」


 離れたところで聞いていたらしいリラが、小さく笑った。


 クロセはそのまま顔を上げて天井を見た。


 話を聞けば何か整理できると思ったのに、資料へ入れる場所は、むしろ分からなくなっている。


 それでも、すぐ記録板へ戻る気にはならなかった。


 目の前の二人から聞いたものを、また急いで自分の欄へ押し込めば、さっきと同じことになる気がした。


 そのとき、リラがポットを持って近づいてきた。


「お代わり、いりますか?」


「お願いします」


 自分でも少し早い返事だった。


 リラは何も指摘せず、冷めた茶の上へ新しい茶を注いだ。細い湯気が立ち、甘い香りが戻ってくる。


「また難しい顔になっています」


「……分かりますか」


「分かりやすいですよ」


「そこまでですか」


「はい」


 少々格好が悪い。


 ただ、さっきよりは見られていても困らなかった。


 クロセは温度の戻ったカップを持ち上げた。


「……もう少し、聞いた方がいいのかもしれません」


「誰に?」


 グレンが尋ねる。


「まだ決めていません」


「何を聞く?」


「それも、まだです」


「何も決まってねえじゃねえか」


「はい」


「大丈夫か?」


「分かりません」


 答えると、グレンが嫌そうな顔をした。


「そこは大丈夫って言えよ」


「さっき、それで失敗しました」


「ああ……」


 反論できなくなったらしい。


 シオンは何も言わず、観測板へ視線を戻した。けれど、指が動き始めるまでには少しだけ間があった。


 そのときだった。


 サロンの空気を切るように通知音が鳴る。


 一枚目の白い表示が視界の端へ開き、続いて二枚目、三枚目と、同じ光が部屋のあちこちに浮かび上がった。


 残っていた笑い声が止まる。


 グレンがカップを机へ置き、底が木に触れて硬い音を立てた。シオンの指も観測板から離れ、リラは手にしていたポットを胸元へ引き寄せる。




【世界標準時】

六時四十分


【第一段階追加措置】

 運用状況及び全体同期状態を再評価した結果、

 現在の追加措置を継続する。


【延長時間】

八時間


【終了予定】

十四時四十分





 白い文字が、朝の色が混じり始めたサロンを照らしていた。


 さらに、その下へ新しい表示が開く。




【既存登録拠点の強制移転】

 全体同期状態が所定の条件に達した場合、

 例外措置として実施する。


【実行予定時刻】

二十二時〇〇分





 クロセの手の中では、まだ茶が温かい。


 それなのに二十二時という数字を見た瞬間、カップを支える指へ余計な力が入った。


「二十二時」


 グレンが低く言った。


「はい」


 クロセは表示から目を離さなかった。


 二十二時までに、何かを組み立てなければならない。


 反射的に自分の席へ視線が向く。


 閉じた資料がある。


 今なら、さっきより速く分けられる気がした。回復できるものと難しいものを分け、人数や時間を比較して、裁定に届きそうなものから並べていく。


 そこまで考えたところで、クロセはカップから手を離した。


 たぶん、それをやればまた同じ場所で止まる。


「……外へ行ってきます」


 グレンが顔を上げた。


「今から?」


「はい」


「どこに?」


「まだ決めていません」


「おい」


「何を見るかも、誰に聞くかも決めていません」


 自分で言ってみると、かなり頼りない。


 グレンも同じことを思ったらしく、眉間に皺を寄せた。


「本当に大丈夫か?」


「それも、まだ分かりません」


「不安になる答えばっかり返すな」


「すみません」


「謝ればいいってもんじゃねえぞ」


 それでも止められはしなかった。


 クロセは残っていた茶を飲み、カップを机へ置いた。


 長く座っていたせいか、立ち上がった最初の一歩だけ膝の奥が固かった。軽く足首を動かしてから、そのまま扉へ向かう。


「クロセさん」


 呼ばれて振り返った。


 リラがこちらを見ていた。


 一度だけ何かを言いかけ、唇を閉じる。視線が机の資料へ向かい、それからまたクロセへ戻った。




「……いってらっしゃい」




 それだけだった。


 クロセは一瞬、返事を忘れた。


 行き先すら決めていないのに、その言葉だけは、帰る場所の決まっている人へ向けられたもののように聞こえた。


「行ってきます」


 なぜ嬉しかったのかは、今は考えないことにした。


 机の上の資料にも触れなかった。


 何を聞けばいいのかは分からないし、聞いたものをどう使うのかも決めていない。さっきの二人の話ですら、まだどこに置けばよいのか分からないままだ。


 それでも、分からないまま一度見に行くことくらいはできる。


 クロセが星空サロンの扉を開けると、冷えていた夜気の代わりに朝の空気が頬へ触れた。


 軒の向こうでは石畳が淡く光り、夜通し灯っていた店の明かりが一つずつ薄れている。その間から、朝の光が王都の輪郭を拾い始めていた。


挿絵(By みてみん)





 夜は、もう終わっていた。


【仮の差止め申立て準備資料 整理メモ・追記】


作成者 クロセ


【何を残すか】


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