連理の枝 ―Bound Where the World Grows Still―
※ 表現、誤字の修正を行っています
布告から十二分が過ぎた。
最初の反応は、思ったより静かだった。
白い管理空間の正面に、広場掲示板の反応監視画面が開いている。
白い空間。
白い文字。
白い警告。
どこにも色はない。
だから、数字だけが妙にはっきり見えた。
【全体同期限界予測】
残り 三十四時間三十五分
「……減るな」
「時間は経過します」
アイはいつも通りだった。
少なくとも、声は。
白い指が動く。
【関連投稿】
・登録拠点移動協力について
・低優先同期延期って何?
・倉庫同期、止まるの?
・対象登録領域ってどこ?
・任意協力なら動かなくていい?
・解除条件まとめ
まだ、荒れてはいない。
分からないから聞く。
不安だから、自分の足元を見る。
その程度だった。
その程度なのに、照会数は増え始めている。
【再照会発生率】
通常時比 一一四%
「ただの質問だぞ」
「質問に伴い、登録領域、倉庫状態、移動可否への参照が増えています」
「知ろうとすると重くなる、か」
「はい」
知らせなければ、不信が増える。
知らせれば、世界が重くなる。
世界を守るために説明する。
説明すると、世界が沈む。
少しずつ。
音もなく。
「公表文、柔らかくしすぎたか?」
「いいえ。あれ以上強くすれば、照会を早めていた可能性があります」
少なくとも、書き方を間違えたわけではない。
そう言われた気がした。
慰めではなかった。
それでも、少しだけ楽になった。
そのとき、新しい投稿が上へ浮かんだ。
【登録拠点移動協力について】
投稿者:リラ
「リラ?」
「第二広場の星空サロン運営者です」
「知ってる」
「知っています」
アイが少しだけ俺を見る。
視線が合った。
何を言いたいのかは、聞かなくても分かった。
これは、聞かない方がいい。
「……投稿を出してくれ」
画面が開いた。
【詳しい人に聞いてみました】
登録拠点の移動協力について、少し確認しました。
今すぐ何かが強制される、という話ではないようです。
任意協力が基本で、移動する場合は提示された候補から移動先を選べます。準備のための猶予、措置を見直すための導線、解除条件も用意されています。
ただし、任意協力だけでは負荷が下がらない場合、新しい登録の制限、負荷の高い操作の待機列、低優先同期の延期、一部機能の制限などが行われる可能性があります。
既存の登録拠点を強制的に移す措置は、全体同期の断絶が迫り、ほかの方法では避けられない場合に限られているとのことです。
不安な方は、自分の活動に関係がありそうか、慌てずに見てみてもいいかもしれません。
星空サロンでも、お話を聞きます。
煽ってはいない。
運営を責めてもいない。
安心させすぎてもいない。
それでも、必要な部分は外していなかった。
「……詳しい人」
「投稿内に氏名の記載はありません」
今すぐ強制されるわけではない。
任意協力が基本。
そのうえで、協力だけでは負荷が下がらなければ、追加措置がある。
布告文では、その刃を鞘へ納め、後ろへ置いた。
今すぐ起きることと、その先にあり得ることを、同じ場所へ並べないために。
リラは、その順番を崩していない。
刃も抜いていない。
ただ、鞘がどこにあるのかを示した。
柔らかく。
誰にでも見える言葉で。
「不正確ではありません」
「そこが一番困る」
間違っているなら、訂正できる。
間違っていない。
だから、届く。
声は形を与えられると、遠くまで行く。
反応がつき始めた。
【詳しい人に聞いてみました】
新規登録制限って新しく始める人だけ?
高負荷操作って何が対象?
工房も関係ある?
ギルド倉庫は?
任意だけど、その後には制限があるってこと?
慌てず見てって言われると逆に見たくなる
さっきまでぼんやりしていた不安が、自分の足元へ向かう。
自分の居場所が、何につながっているのか。
それぞれが見始める。
その行為だけで、更に世界が沈んだ。
俺が画面の端を見る。
アイは、もう関連指標を広げていた。
【登録領域参照】
通常時比 一二一%
【倉庫状態照会】
通常時比 一一七%
「これだけで?」
返事の代わりに、別の通知が開く。
【高反応投稿検出】
投稿者:グレン
「うわ、出た」
「グレンです」
【返信:グレン】
おい、これをただのお願いだと思うな。
今すぐ何かされる話じゃねえ。
だからこそ、自分に関係ある場所だけは確認しとけ。
拠点。
倉庫。
工房。
後で慌てても遅い。
文字が流れた。
さっきまで声になる前だったものが、一斉に形を持つ。
そこへ、別の返信が重なる。
【返信:シグレ】
拙者なら、工房だけ見て安心はできないでござるな。
工房。
倉庫。
市場。
登録領域。
どこでつながっているか分からない以上、一か所だけ正常でも安心とは言えないのでござる。
点だったものが、線になる。
線だったものが、網になる。
そして今、そのつながりが世界を一層、重くしていた。
投稿はもう、一つずつ追えなかった。
【詳しい人に聞いてみました】
工房も見た方がいい?
市場同期どこで分かる?
ギルドの登録領域って誰が見られる?
納品履歴が遅れてる
倉庫だけ無事でも駄目なのか
数字が、画面の端で次々と書き換わる。
一二一。
一二九。
一三一。
一三八。
数字だけが、先へ進んでいく。
「グレンが核心を示して、シグレが全部つなげた」
「その分析は妥当です」
アイが限界予測を開く。
【全体同期限界予測】
照会集中反映後:
三十時間七分
「……もう間に合わない」
二十二分。
元々、余裕とも呼べない時間だった。
それでも、確かに残っていた。
それがいま、なくなった。
身体から力が抜ける。
白い空間が傾いた。
画面の数字が滲む。
流れ続けていた文字も、遠くなる。
誰かの声も。
世界が沈んでいく音も。
何もかもが、白の向こうへ離れていく。
俺も、そのまま沈みかけた。
――背中に、白い手が添えられた。
思っていたより、ずっと小さな手だった。
強く引き戻されたわけではない。
立てと言われたわけでもない。
ただ、ここにいると伝えるように。
落ちていく俺の背中に、触れていた。
それから、もう一つ。
小さな重みが重なった。
アイが、俺の背中に額を預けていた。
いつもなら、振り返れば画面がある。
白い指がある。
次の手順を告げる声がある。
けれど、いまは何も動かなかった。
数字も。
警告も。
アイの指も。
世界だけが、俺たちを置いて遠ざかっていく。
背中に触れる手。
かすかに預けられた額。
その重みだけが、まだここにあった。
何も言わない。
俺も、言えない。
何を選べば世界を守れるのか。
もう、分からなかった。
それでも。
――――アイは見えた。
沈んでいく白の中で。
最後まで、そこにいた。
俺は、ゆっくりと身体を起こす。
背中から、アイの額が離れた。
白い手は、ほんの少しだけ遅れて離れた。
振り返る。
世界は、まだ遠かった。
数字も、声も、戻ってこない。
ただ、アイだけが近くにいた。
「……ありがとう」
「はい」
それだけだった。
何も解決していない。
失った二十二分も、戻らない。
それでも、息ができた。
「できることをする」
「はい」
短い声だった。
けれど、その声だけは。
もう、遠くなかった。
止まっていたアイの指が動く。
白い画面に、流れ続けていた文字が戻ってくる。
工房。
倉庫。
市場。
登録領域。
遠ざかっていた世界が、少しずつ輪郭を取り戻す。
二人だけでは、いられなかった。
世界はまだ沈んでいる。
その世界で、誰もが自分にできることを探していた。
リラは、分かる言葉にした。
グレンは、その奥を指した。
シグレは、世界がどうつながっているかを示した。
誰も、間違っていない。
正しく知ろうとしている。
自分の居場所を守ろうとしている。
その当然の声が、世界を重くしている。
流れ続ける文字の中に、新しい呼びかけが浮かんだ。
【返信:グレン】
シオン。
見てるなら出てこい。
今の観測結果が欲しい。
【返信:シオン】
現在、《青車輪》と紛争中で手が離せないんですが。
知っていますよね?
【返信:グレン】
知ってる。
まあ聞け。
多分、お前にも関係がある。
今、公開されてる数字と、実際の人の動きは合ってるか。
返信は、すぐには来なかった。
その間にも、文字は流れ続ける。
数字は変わり続ける。
アイの指も止まらない。
俺は、その横顔を見ていた。
何度も見たはずの横顔だった。
なのに、少しずつ違って見える。
【返信:シオン】
公開されている負荷表示と、私たちの定点観測ログでは、反映時刻が一致していません。
詳細は整理します。
【返信:グレン】
第漆転送門のときはどうだった。
また、返信が止まる。
文字のない時間だけが流れた。
【返信:シオン】
……確認します。
しばらくして、短い返信が表示される。
【返信:シオン】
同様のずれがあった可能性があります。
当時は、急激な人流変化による予測誤差として整理していました。
【返信:シグレ】
待て。
それが事実なら、紛争の前提に置かれた情報精度が変わる。
「あ」
思わず声が出た。
ずっと今をどう止めるか。
次に何をするか。
そればかり考えていた。
第漆転送門のとき、すでに同じことが起きていた。
それが黒環書庫の裁定につながっている。
そこまでは、頭が回っていなかった。
「これ、またレクスに呼び出されるな」
アイは、静かに俺を見た。
「そのときは、私も行きます」
隣にアイがいる。
それだけで、まだ踏みとどまれる。
【返信:シオン】
……その確認には、私たちも協力した方がよさそうですね。
【返信:グレン】
なら、観測ログを出せ。
【返信:シオン】
必要な範囲は共有します。
ただし、公開された場所で扱う内容ではありません。
【返信:シグレ】
一度集まった方がよさそうでござるな。
【返信:リラ】
それなら、星空サロンへ来ませんか?
お話をする場所と、記録を広げる場所なら用意できます。
声が集まる。
記録が集まる。
不安が集まる。
別々の場所にあったものが、一つの場所へ向かい始めた。
【詳しい人に聞いてみました】
星空サロンに行けば話聞ける?
工房関係者です
ギルド倉庫の記録があります
表示が遅れた時刻を控えています
【返信:リラ】
一度に入れる人数には限りがあります。
まずは、記録をお持ちの方からお願いします。
見学だけの方は、少しお待ちください。
「……なんで一番集まってほしくないときに集まるんだよ」
「集まれば、声は少しだけ遠くまで届くそうです」
俺はアイを見る。
アイも、俺を見ていた。
何かを言う前に、次の画面が開いた。
【登録領域参照】
通常時比 一四七%
【工房関連照会】
通常時比 一四四%
【ギルド倉庫参照】
通常時比 一三九%
【市場同期照会】
通常時比 一三五%
声が集まる。
記録が集まる。
そのために、人が一つの場所へ向かっている。
止めることはできない。
止めてはいけない。
なら。
「流れを散らす」
「はい」
返事と同時に、アイの指が動いた。
俺も手を伸ばす。
【対応案】
一 照会時間分散の協力要請
二 登録領域表示の軽量化
三 ギルド倉庫参照のキャッシュ表示
四 工房関連照会の待機列分離
五 追加措置発動手順の事前確認
最後の一行だけが、重く見えた。
「五も始める」
「準備です」
「分かってる。まだ、発動じゃない」
アイが、小さくうなずく。
それで十分だった。
俺が一を開く。
アイが二と三を広げる。
四の処理系統を切り分けながら、五に必要な記録を並べていく。
どちらが先に手を動かしたのかは、分からなかった。
一瞬だけ、互いの指が同じ場所を示す。
触れてはいない。
けれど、もう確かめる必要もなかった。
俺が見れば、アイがいる。
アイが見れば、俺がいる。
同じ画面を見て。
同じ世界が沈む時刻を見て。
それぞれの手を動かしている。
【全体同期限界予測】
照会集中反映後:
二十九時間五十八分
三十時間を切った。
世界が止まる時刻は、また近づいた。
俺は、その数字を見る。
アイも、同じ数字を見ていた。
何も言わない。
言葉にしなくても、同じものが見えていた。
画面の向こうでは、声が増え続けている。
正しく知ろうとする声が集まるほど、世界は深く沈んでいく。
声が増えていく。
時間が失われていく。
世界が、少しずつ遠くなる。
それでも。
俺が見れば、アイがいた。
アイが見れば、俺がいた。
沈んでいく世界で、俺たちは、少しずつ二人になっていった。
記録は不要です。




