表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
BANされた俺、なぜかゲーム運営側で働く ~VRMMORPGにクソ真面目に行政法をぶち込んでみました~  作者: Altis
第3章 閾の境界― The Boundary of the Gate ― 第2部 水滴穿石

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

54/60

Legal Alien in the Starlit Salon—星空サロンの異邦人—

挿絵(By みてみん)






 クロセが初めてこの世界に来たのは、たいした理由ではなかった。




 現実に、少し疲れていたのだ。

 仕事のこと。人間関係のこと。正しいと思って選んだはずなのに、正しいまま誰も救えなかったこと。



 そういうものが一つずつ肩へ積もっていたが、自分ではまだ歩けると思っていた。実際、仕事には行けていたし、人と話すこともできた。求められれば説明し、必要なら判断し、自分が間違っていない理由を並べることもできた。


 外から見れば、十分に歩けていた。


 だから、大丈夫なのだと思っていた。

 後になって思えば、歩けていたのではない。歩けているように見せるのが、上手くなっていただけだった。


 そんな頃、同僚に勧められた。


「少し遊んでみたらいいんじゃないですか? 面白いの、ありますよ」


 ずいぶん軽い言葉だった。

 けれど、重い言葉を受け取る余裕などなかったクロセには、それくらいがちょうどよかったのだろう。断る理由も特になかったので、勧められるまま登録した。


 この世界に、何かを期待していたわけではない。


 剣を振る気にはなれなかった。魔法を覚える気にもなれなかった。まして、知らない人間が集まるギルドへ入る気など起きなかった。



 それなら、なぜオンラインゲームへ来たのか。



 当時、クロセにも、よく分からなかった。


 ただログインして、知らない街を歩いた。誰かと話す必要もなく、どこかへ辿り着く必要もない。目的がないことだけが、妙に楽だった。




 何もしないためにゲームを始めるというのも、おかしな話ではある。

 それでも、何かをしなければならない現実よりは楽だった。




 そうして歩いているうちに、第二広場へ着いた。

 そこで、リラに会った。


「お疲れですか?」


 最初に言われたのは、それだけだった。



 クロセは、たぶん否定した。


 大丈夫です、と答えた気がする。


 何度も使っていた言葉だから、そのときもきっと、そう答えたのだろう。


 大丈夫ではなかったのに。


 とはいえ、大丈夫ではありませんと認めたところで、何を話せばよいのかも分からない。仕事に行けないわけではない。誰かに明確な害を加えられているわけでもない。説明を求められれば、何が起きたのかを順序立てて話すこともできた。


 説明なら、いくらでもできた。

 ただ、それで自分が何に苦しんでいるのかだけは、うまく説明できなかった。


 リラは、クロセの答えを正さなかった。


 本当は大丈夫ではないでしょうとも、何があったのですかとも聞かなかった。ただ温かい飲み物を出し、向かいではなく、少し離れた席に座った。


 近すぎず。遠すぎず。


 話してもいいし、話さなくてもいい距離だった。




 クロセは、ぽつぽつと話した。


 現実で何があったのかは、ほとんど言わなかった。言いたくなかったというより、どこから話せばよいのか分からなかったのだ。


 だから、疲れたとか。


 間違っていないはずなのに、苦しいとか。


 説明できることばかり増えて、納得できることが減ったとか。




 そういう、形にならない言葉だけを少しずつ置いた。




 リラは、解決策を出さなかった。励ましもしなかった。誰が正しくて、誰が間違っていたのかを急いで決めようともしなかった。


 ただ、クロセが置いた言葉を、一つずつ拾った。




 それだけだった。




 話したところで、現実の問題が解決したわけではない。明日になれば仕事はあるし、会いたくない人間にも会わなければならない。正しいと信じて選んだ結果が、誰も救わなかったという事実も変わらない。


 それでも、ずっと一人で背負っていたものが、ほんの少し軽くなった。





 救われた。




 大げさな言葉だと、自分でも思う。


 けれど、救われた人間がそう感じたのなら、それはもう救いなのだろう。少なくとも、あのときのクロセにとっては、そうだった。


 それから、クロセはなんとなく星空サロンにいるようになった。


 手伝うとは言えなかった。所属するとも言わなかった。リラも、何をする人なのか、いつまでいるつもりなのかとは聞かなかった。


 ただ、ある日。いつものようにカップを洗いながら、クロセに言った。


「ここにいてもいいんですよ」


「役には立てませんよ」


「いてくれるだけで、助かることもあります」


 それで十分だった。


 リラは、洗ったカップを棚へ戻した。


「そうそう。今度、第二広場で開くイベントのことで、少し相談に乗ってほしいんですが」


 それからクロセは、星空サロンの壁際にいる。


 リラのように、人の話を聞くことはできない。励ます言葉も持っていないし、誰かの苦しみを柔らかく受け止めることも得意ではない。


 ただ、声が集まる場所にいる。


 正しさや間違いに分けられる前の声が、まだ声のままでいられる場所にいる。


 それが、クロセにとっての居場所だった。


 挿絵(By みてみん)




 その日、星空サロンの入口には、いつもより多くの人が集まっていた。


 布告文を開いたまま立っている人。

 席に着いても、カップへ手を伸ばさない人。

 同じ文章を、何度も読み返している人。




 皆、ただどこか落ち着かなかった。


 何を心配すればよいのか分からないまま、心配だけを抱えてきた。



 クロセには、そう見えた。



「登録拠点の移動協力って、来ました?」


「来ました」


「任意って書いてありますよね」


「はい」


「任意なら、動かなくてもいいんですよね」


 リラは、相手の前にカップを置いた。


「そう読めますね」


 間違った答えではない。


 少なくとも、今すぐ移動を強制されるわけではなかった。布告文にも、任意協力を先行すると明記されている。

 ただ、相手が確かめたいのは、文章の読み方だけではないのだろう。


「でも、なんか怖くて」


「どのあたりが、怖かったですか?」


「よく読むと、協力が足りなかった場合の追加措置って書いてあるんです。新規登録の制限とか、操作の強制待機とか、一部機能の制限とか」


「はい」


「これって、本当に任意なんですか?」


 リラは、すぐには答えなかった。


 クロセの知るリラは、答えを急がない。


 分からないことを、分かったように言わない。安心させるためだけに、大丈夫だとも言わない。相手が何を怖がっているのか、その形が見えるまで待つ。


 けれど、答えを避ける人でもなかった。


「任意という言葉だけでは、分からないのかもしれません」


「ですよね」


 その人の肩から、わずかに力が抜けた。


 安心したというより、自分が抱いた不安を、おかしなものとして扱われなかった。それだけで、少し息をつけたようにクロセには見えた。


 別の席にいた、作業服の工房職人風のプレイヤーが口を開いた。


「俺、拠点を動かしたくないんですよ。倉庫も工房も、全部あの登録領域に紐づいてるんで」


「はい」


「移動に協力しても、後から戻せるって書いてある。でも、本当に全部戻るのかって」


「心配ですね」


「心配です」


 戻せる、と布告文には書かれている。

 だが、何をもって戻ったとするのかまでは書かれていない。


 登録先が元に戻れば、それで終わりなのか。その間にできなかった取引はどうなる。止まった工房の作業は。同期を待たされた時間は。



 戻るものと、戻らないものがある。



 クロセには、この男が怖がっているものが少し見えた。


 その境目が、まだ見えないのだ。


「ここが居場所なんです」


 茶色の髪の内側に青を差した、胸当て姿の女が小さな声で言った。


 声はひどく静かだった。


 それでも、サロンの中へはっきりと響いた。


「ログインして、いつもの場所にいて、いつもの人がいて。それだけなんですけど」


 リラは、そちらを見た。


「それだけでは、ないんですね」


「はい」


 クロセは、壁際でその言葉を聞いていた。




 ここが居場所なんです。




 その言葉だけが、クロセの中に残った。


 クロセは、布告文へ視線を戻した。





【世界律】

登録処理系統の負荷軽減および全体同期維持に関する暫定措置


【布告文】

現在、登録処理系統において、一部遅延が確認されています。


全体同期を維持するため、対象登録領域に属するプレイヤーに対し、登録拠点の移動、低優先同期処理の延期、高負荷操作の時間分散等への任意協力をお願いします。


協力に伴う移動先は、提示された候補から選択できます。


対象となる処理、期間、現在の負荷状況および解除条件は、随時更新します。




【追加措置】

任意協力による負荷低下が基準値に達しない場合、対象、範囲、期間、解除条件および判断理由を明示した上で、次の措置を段階的に実施することがあります。

・混雑登録領域への新規登録制限

・高負荷操作の強制待機列投入

・低優先同期処理の強制延期

・対象領域における一部機能制限


【例外措置】

既存登録拠点の強制移転は、全体同期の断絶が切迫し、他の措置では回避できない場合に限り、個別審査を経て実施することがあります。





 文章はやわらかい。


 不安を煽りすぎないように書かれている。協力が必要となった理由も、選べる移動先も、戻すための条件も示されていた。


 見直しの導線がある。

 解除条件もある。

 移動先を選ぶ余地も残されている。


 任意協力と強制措置は分けられ、措置の順番も決められている。最も強い措置は例外とされ、最初から使えるわけではない。


 悪い文章ではない。


 むしろ、よく抑えられていた。


 だからこそ、クロセは慎重にもう一度読んだ。


 乱暴な命令なら、話は簡単だ。


 おかしいと言えばいい。


 必要な範囲を超えていると指摘すればいい。


 だが、これは違う。


 世界を維持するために作られ、できるだけ傷を小さくしようとしている世界律だった。



 だからといって、傷がなくなるわけではない。


 布告文が最初に求めているのは、協力だった。

 けれど、それだけで終わるとは書かれていない。


 任意協力によって負荷が下がらなければ、その後には強制措置がある。




 刃は、きちんと鞘に収められていた。


 それも、幾重にも留め金を掛けて。


 それでも、そこに刃があることに変わりはなかった。





 リラが、小さく振り返った。


「クロセさん」


「はい」


「これ、どう読むんでしょう」


 サロンに集まった視線が、クロセへ向いた。


 クロセは、すぐには答えなかった。


 ここで断言すれば、話は簡単になる。




 これは危険だ。


 これはおかしい。


 これは止めるべきだ。




 そう言えば、集まった人たちは、自分の不安へ分かりやすい名前を付けられる。


 けれど、一度名前を付ければ、その後に集まる声まで、最初に付けた名前へ引っ張られる。

 ここは、声がまだ声のままでいられる場所だ。


「この協力要請だけを見れば、お願いです」


 サロンの空気が、少し止まった。


「ただし、この布告は、お願いだけでは終わりません」


「どういうことですか?」


「任意協力で負荷が下がらなければ、その後に強制措置を使える世界律が、すでに成立しています」


「じゃあ、協力しなかったら制限されるんですか?」


「協力しなかった人に、罰を与えるための措置ではありません」


 そこは、クロセにもはっきり読めた。


「個人が協力したかどうかではなく、全体の負荷が基準まで下がったかどうかで、次の段階へ進む仕組みです」


「それなら、動かなくても大丈夫?」


「大丈夫とは言えません」


 期待された答えではなかったのだろう。


 相手の表情が、わずかに曇った。


「今すぐ、何かを強制されるわけではありません。移動先を選ぶ余地も、準備のための猶予もあります。措置を実施した後の見直しや、解除の条件も用意されています」


「だったら――」


「それでも、全体の負荷が下がらなければ、強制措置へ移る可能性はあります」


 安心させるための材料はある。


 だが、安心させるために、書かれているものを小さくすることはできなかった。


「危険なのは、移動することだけではありません」


 クロセは、そこを曖昧にしなかった。


「登録情報に触れるということは、プレイヤーの所属、拠点、財産、履歴に触れるということです」


「財産……」


「倉庫、アイテム、取引履歴、工房、ギルド資産。同期を止める。待機列に入れる。処理の優先順位を下げる。それによって、自分が持っているものへ、一時的に触れられなくなる可能性があります」


 説明しながら、クロセは工房職人風の男を見た。


 男は、開いたままの倉庫一覧へ視線を落としていた。


「それだけではありません。自分がどこに属しているのかを、外から制限されることもあります。ログインして、いつもの場所へ行き、いつもの人と会う。その前提が変わる」




 ここが居場所なんです。




 先ほどの声が、クロセの中に残っている。


 ログインする場所が変わっただけで、現実の生活が壊れるわけではない。倉庫や工房が一時的に使いづらくなったとしても、生命を奪われるわけではない。


 そう説明することはできる。





 説明はできるのだ。




 けれど、居場所とは、失った後の被害だけで測るものではない。


 何も求められずにいられること。いつもの人がいること。何かの役に立たなくても、そこにいてよいと言われること。

 それを、単なる登録情報だとは言えなかった。


「ここを居場所にしている人にとっては、単なる登録情報の移動ではありません」


「じゃあ、これ……」


「重大です」


 クロセは静かに言った。


 誰かが息を止めた。

 少し、言葉が強すぎたかもしれない。


 だが、軽くは言えなかった。


「ただ、今すぐ強制措置が発動されるわけではありません」


 クロセは続けた。


「だからこそ、今のうちに確認する必要があります。何が不安なのか。移動すると何が使えなくなるのか。何が戻り、何が戻らないのか」





 問題が起きてからでは、失ったものの話しかできない。




 まだ起きていない今なら、失いたくないものの話ができる。




 リラは黙って聞いていた。


 サロンにいる人たちも、それぞれの画面を見ていた。先ほどまでと同じ布告文を、少し違うものとして読み直しているようにクロセには見えた。


 やがて、リラが静かにうなずいた。


「ありがとうございます」


 それから、少し考えるように布告文を見た。


「これは、みんなが知っていた方がいいことですか?」


 クロセは、すぐには答えなかった。




 知らせれば、不安は広がる。


 知らせなければ、事情を知らないまま協力するかどうかを選ぶことになる。


 どちらにも、別の危うさがあった。




 クロセに見えるのは、布告された文章だけだった。


 運営側が何を見ているのかは分からない。


 だが、文章に引かれた線なら読める。


「知っていた方がいいです」


 クロセは言った。


「ただし、煽るべきではありません」


「分かりました」


「今すぐ何かが強制されるわけではないこと。任意協力には、移動先を選ぶ余地があること。見直しと解除の条件が用意されていること。それは、きちんと伝えてください。ただし、その後に強制措置があることも、隠すべきではありません」


「そこも書きます」


 リラは、広場掲示板を開いた。


 その指先は、慌てていなかった。


 怒ってもいなかった。


 いつものように、誰かが置いた言葉を、届く形へ直そうとしていた。


 クロセは、少しだけ不安になった。





 リラは、事実を歪めない。


 不安を煽ることもしない。


 けれど、ときどき、こちらが慎重に抑えた言葉の中から、芯だけを正確に拾ってしまう。





 優しい言葉で。



 読みやすい形で。



 届いてしまう言葉にする。




「リラさん」


「はい」


「強く書きすぎないでください」


 リラの指が、そこで一度止まった。


「でも、弱く書きすぎても伝わりません」


 リラは少し考えてから、うなずいた。


「ちょうどよく、ですね」


「それが難しいんですよ」


「そうですね」


 リラは、少しだけ笑った。


「でも、困っている人がいるなら、届いた方がいいと思います」


 クロセは、それに反論できなかった。


 リラが掲示板に文字を打ち始める。


 赤いポニーテールの手伝いが、エプロンで手を拭きながら、その左から画面をのぞき込んだ。


 居場所だと言った胸当て姿の女も、手にしていたカップを置き、反対側へ回った。


 二人とも、口は挟まなかった。


 ただ、リラが置いていく言葉を見ていた。


 星空サロンの中で、誰かが小さく息を吐いた。別の誰かは、布告文を最初から読み直している。


 工房職人風の男は、手元の倉庫一覧を見つめていた。






 不安は消えていない。




 ただ、何を怖がっていたのかは、少しずつ見え始めていた。


 クロセは壁際へ戻り、リラの背中を見た。


 彼は、リラのようには聞けない。


 誰かが置いた言葉を、そのまま受け止めることもできない。


 聞けば、その言葉が何を意味するのかを考えてしまう。どの権限に触れるのか。どこへ届ければよいのか。何を争点として残せるのか。


 まだ声でしかないものに、線を引こうとしてしまう。




 それがよいことなのか、クロセには分からなかった。




 ただ、声が集まる場所にいる。


 声が、まだ声のままでいられる場所にいる。


 そして必要になれば、その声がどこへ届くのかを見る。


 今のクロセにできるのは、それくらいだった。


 リラの左右では、二人が、まだ黙って掲示板をのぞき込んでいた。



挿絵(By みてみん)


 その視線の先で、リラの指が最後の一文を打った。






【詳しい人に聞いてみました】





 クロセは、少しだけ目を伏せた。


 届いてしまう。


 そんな予感だけがした

アイの補足メモは今回、お休みです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ