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BANされた俺、なぜかゲーム運営側で働く ~VRMMORPGにクソ真面目に行政法をぶち込んでみました~  作者: Altis
第3章 閾の境界― The Boundary of the Gate ― 第2部 水滴穿石

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風の通ひ路 ―Where the Wind Passes―



挿絵(By みてみん)



 



 白い転送表示に触れる。


 視界がほどけ、次に足元が固まったとき、空気が変わっていた。


 第二広場は、夕暮れの中に沈みかけていた。

 

 中央広場ほど大きくない。

 王都の中心ほど賑やかでもない。


 昼の名残だけが、まだ石畳の上に残っている。


 露店の布は半分ほど畳まれ、掲示板の前にいた人影も、もうまばらだった。

 遠くで、子どものようなアバターが走っている。


 笑い声がひとつ上がり、すぐに風の向こうへ薄れていった。


 誰かがベンチで鳴らしている楽器も、楽しげというより、今日を見送るための音に聞こえる。

 通路の脇には、使い終えた木箱がきれいに積まれていた。


 広場は、まだ動いている。

 けれど、もう一日の終わりへ向かっていた。




 前に来たときより、少しだけ広く見えた。




 いや。

 人が減ったからじゃない。

 俺の見方が変わったのかもしれない。


 少し前まで、ここは面倒な場所だった。




 募集。

 選定。

 理由。

 見直し。

 文句。

 争点。




 でも、今思えば、まだ分かりやすかったのかもしれない。



 人が集まる。

 文句を言う。

 理由を出す。



 その日のうちに答えが出なくても、季節が変われば、また次の募集が始まる。

 ここには、続きがあった。

 転送門のように、道そのものを閉じる話ではなかった。


「何が正解だったんだろうな」


 気づけば、口にしていた。


 誰に聞いたわけでもない。

 ただ、夕方の空気に押し出されたように、言葉が落ちた。


 門を閉じたこと。


 代わりの道を残したこと。


 拾いきれなかったログ。


 読んだときには、もう間に合わなかった通知。


 優先した人。


 その外に置いた人。


 どれも、完全な間違いではなかった。

 でも、全部が正しかったとも言えない。


 俺は広場の端にあるベンチへ腰を下ろした。


 夕暮れの光が、石畳の目地を細く照らしている。


 白い管理空間より、ずっと色がある。

 黒環書庫より、ずっと柔らかい。

 それなのに、胸の奥は軽くならなかった。


 空だけが、何事もなかったように、ゆっくりと色を変えていく。


 青が薄れ、紫が混じり、その向こうから夜が近づいていた。




 なんだか、落ち着かない。



 隣に誰もいない。



 作業板もない。



 問いかける前に返ってくる声もない。



 久しぶりに一人になったはずなのに、静かになったというより、何かが抜け落ちたような感じがした。


 俺は無意識に隣を見る。


 当然、誰もいない。


 空はもう、昼の色ではなかった。


 けれど、夜と呼ぶにはまだ少し早い。


 昼にも夜にも属さない時間だけ、広場は誰のものでもない顔をしていた。


 音が遠のいたわけでもないのに、その一瞬だけ、辺りが薄く止まったように感じた。



「……こんなに静かなんだな」




 誰に聞かせるでもなく、言葉がこぼれた。


 返事はない。


 風が、空いた一人分を抜けていく。




挿絵(By みてみん)



「よければ、どうぞ」




 風の代わりに、声がした。


 顔を上げると、灰色の髪の女性が立っていた。


 柔らかな髪は後ろで緩くまとめられ、いくつかの細い房が頬のそばに落ちている。

 夕暮れの中では、灰色というより、淡く光を残した銀色に見えた。


 派手な装飾はない。

 武器も、豪華なローブも身につけていない。


 白いブラウスと、くるぶしまである落ち着いた色のスカート。

 その上から、胸元に小さな星の飾りを留めた、使い込まれたエプロンをつけている。


 両手には、湯気の立つ木製のカップがひとつずつ。


 どこにでもいそうな姿だった。


 けれど、だからこそ、夕暮れの広場に自然に溶け込んでいた。


「え、俺に?」


「はい。少し多く淹れてしまったので」


「多く?」


「はい」


「それ、配ってるのか?」


「疲れていそうな人にだけ」


「俺、そんなに疲れて見えたか」


「はい」


 迷いのない返事だった。


「隠せてないな」


「疲れているときは、だいたいそうです」


「詳しいな」


「そういう人を、よく見ますから」


 彼女は、ほんの少しだけ笑った。


 慰めるでもなく、面白がるでもない。

 こちらが一歩引けば、その分だけ待ってくれそうな笑い方だった。


 俺は差し出されたカップを受け取った。

 木の表面には、手のひらになじむ程度の温かさが残っている。


 甘い香り。


 果実茶のような、どこか懐かしい匂いだった。


「君は?」


「リラといいます」


 彼女は小さく頭を下げた。


「ここで星空サロンをしています」


「ああ」


 俺はカップを持ったまま、もう一度顔を上げた。


「星空サロンの」


「知っていますか?」


「話は聞いてた。でも、こうして見るのは初めてだ」


「そうなんですね」


 リラは、それ以上聞かなかった。


 俺がどこで聞いたのかも、何を知っているのかも、リラは聞かなかった。


 答える準備だけが、行き場をなくした。



「座ってもいいですか?」


「どうぞ」


 リラはベンチの端へ腰を下ろした。


 近すぎない。

 遠すぎない。


 カップの湯気が、互いの間で混じらないくらいの距離だった。




 しばらく、二人とも何も言わなかった。




 広場の音だけがあった。


 木箱を動かす音。

 遠ざかっていく足音。

 小さな笑い声。

 誰かが奏でる、少し外れた旋律。

 掲示板の紙を、夕方の風が揺らす音。



 白い作業板を流れる文字より、ずっと遅い音だった。


 リラはカップを両手で包み、広場の向こうを見ていた。


 こちらを見ないことが、妙にありがたかった。


「何か、悩み事ですか?」


 しばらくして、リラが聞いた。


 声は小さかった。

 けれど、遠くの楽器に紛れないくらいには、はっきりしていた。


「まあ」


 俺はカップの中を見た。

 揺れる水面に、夕暮れの色が薄く映っている。


「うまくいかなかったわけじゃないんだ」


「はい」


「でも、うまくいったとも言いづらい」


「はい」


「間違いではない。けど、正解でもない。そんな感じ」


 リラは何も言わなかった。


 言い直さなくてもいい沈黙というものが、あるらしい。



「道を残したつもりだったんだけどな」


 俺は、少しだけ笑った。


「その道を、歩けなかった人がいた」


 リラはカップを両手で包んだまま、ゆっくりとまばたきをした。


 湯気が、夕暮れの光の中で薄くほどけていく。


「大事なことですね」


「大事なんだよな」


「はい」


「だから、面倒なんだ」


「面倒なんですね」


「めちゃくちゃ面倒だ」


 俺は果実茶を一口飲んだ。


 甘い。


 そのあとに、少しだけ酸味が残った。

 疲れた頭には、ちょうどよかった。


「うまくいかなかったことを、なかったことにしないでいるんですね」


 その言葉は、静かに落ちた。


 黒い卓の札ほど重くない。

 それでも、見なかったことにはできない場所に残った。


「……そういう言い方になるのか」


「違いましたか?」


「いや」


 俺は首を振った。


「たぶん、それが一番近い」


「ちゃんと向き合っているんですね」


 俺は少しだけ笑った。


「向き合えてるのかな。まだ、引っかかってるだけかもしれない」


「それでも、見ないふりはしていません」


 リラはカップを両手で包んだまま、静かに言った。


「でも、ずっと向き合い続けていると、疲れてしまいますよ」


「もう遅い気もするけどな」


「そういうときは、言葉にするんです」


「言葉に?」


「はい。自分の中だけに置いておくより、少しだけ軽くなることがあります」


「そんなものかな」


 広場の向こうで、灯りがひとつ点いた。


 露店のランプだった。


 暖かな光が、畳みかけの布と木箱の角を薄く照らす。

 まだ星は見えない。


 でも、空は少しずつ青から紫へ変わっていた。


「そうですよ。それに、同じようなものを抱えている人もいるかもしれません」


 リラは、広場の向こうを見たまま言った。


「一人では、うまく言葉にできない人も」


「いるだろうな」


「はい」


 リラはカップを両手で包み直した。


「同じように困った人がいるなら、集まればいいんです」


「集まるだけで、何か変わるのか?」


「すぐには、変わらないかもしれません」


 リラは少しだけ間を置いた。


「でも、集まれば、声は少しだけ遠くまで届きます」


 俺は言い返せなかった。


 ミナトのカードを思い出した。


 主役ではない。


 争いの中心にも置かれなかった。


 でも、消えない。

 あのカードは、最後まで黒い卓の端に残っていた。


「一人で困ったまま帰るよりは、いいこともあります」


 リラはそう付け加えて、カップへ視線を戻した。


 解決するとも、正しいとも言わなかった。

 ただ、帰る前に座る場所の話をした。


「星空サロンは、広場の西側にあります」


 リラは立ち上がった。

 エプロンの裾が、夕方の風にわずかに揺れる。


「疲れたときは、いつでも待っています」


「……いつでも?」


「開いているときは」


「急に現実的だな」


「はい」


 リラは、少しだけ目を細めた。


 冗談なのか、本気なのか。

 どちらとも取れる程度の笑みだった。


 そのとき、少し離れた人の輪から、女性の声がした。


「リラさーん」


 リラが今行きますと答えてから、一歩踏み出そうとして振り返る。



挿絵(By みてみん)


「では、また。お待ちしていますね」



 灰色の髪とエプロン姿が、夕暮れの人混みにゆっくりと紛れていく。


 派手ではない。

 強くも見えない。


 それでも、いなくなってからの方が、その言葉はよく聞こえた。


 リラの向かった先に、黒い服の男が一人いた。


 細身で、目立たない。

 人の輪からわずかに外れた場所に立ち、何かを待つように周囲を見ている。


 リラが近づくと、男は顔を寄せるでもなく、短く何かを伝えた。

 リラは一度うなずき、そのまま女性たちの輪へ入っていく。


 男はこちらを見ることもなく、少し遅れてその後ろへ続いた。


「リラ、か」


 俺は、しばらくその場に座っていた。


 作業板はない。


 通知もない。


 黒い卓もない。


 ただ、第二広場の夕暮れがある。

 昼の名残は、もうほとんど消えていた。


 露店の灯りがひとつずつ増え、代わりに広場を歩く人の数は、少しずつ減っていく。

 さっきまで誰かが座っていたベンチの端に、まだわずかな温度が残っていた。


 空いた一人分を、また風が通った。



 そのとき、視界の端に白い通知が浮かんだ。




【休憩状況確認】

休憩時間:十分




「……十分?」


 少し前まで、再研修を止めたのはアイだったはずだ。


 俺は通知を見つめた。


 通知の下に、新しい一行が追加される。




【帰還を推奨します】




「わかったよ」


 表示は消えなかった。


 夕暮れの広場の中で、その白だけが妙にはっきりと浮かんでいる。


 何が正解だったのかは、まだ分からない。

 ただ、分からなかったことまで消す必要はない。



 俺は立ち上がった。


 手の中のカップには、まだ温かさが残っている。




 それを返す場所を探して、第二広場の灯りの方へ歩き出した。




今回は、補足メモはありません。


遊んでいる余裕があるなら休憩は十分です。

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