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BANされた俺、なぜか運営の仕事を手伝わされる 〜ゲーム世界の裏側は、思ったよりお役所でした〜  作者: アルティス


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宿屋のスタミナシチューと危ない素材の線引き


 カイが王都アーカディアで一番よく泊まる宿は、《ゆきどけ亭》だ。

 安すぎず、高すぎず。

 寝台はきちんと整えられていて、部屋の窓からは王都の屋根並みが見える。

 なにより――宿代に一回分の食事がついてくる。

 その食事が、けっこう馬鹿にできない。

 特に、名物の《スタミナシチュー》。

 食べると一定時間、最大HPが少しだけ上がる。

 狩りに行く前に、それを食べてから出発するのが、最近のカイのルーティンになっていた。

「今日はね、新しいバージョンがあるんだよ」

 いつものように木のテーブルにつくと、《ゆきどけ亭》の女将、コハルがそう言った。

 丸い盆を抱えたコハルは、いつも通り人懐っこい笑顔を浮かべている。

「スタミナシチューの“増強版”。ちょっと珍しい素材を入れてみたんだ。もちろん、追加料金はなし」

「へえ、そんなのもあるんだ」

 迷う理由は特になかった。

 新しいものは、試してみたい。

「じゃあ、それでお願いします」

「あいよ。若い冒険者は、よく食べるのが一番だからね」

 少しして運ばれてきた皿からは、いつもの香りに、ほんのかすかな苦みが混じっていた。

 見た目はそんなに変わらない。

 湯気の向こうで、肉と野菜がごろごろ沈んでいる。

 匙を入れ、一口すする。

「……?」

 味は悪くない。

 むしろ、いつもよりコクがある気がした。

 ほんの少しだけ舌の奥に残る苦みも、薬膳っぽいと言われれば、そんな気もする。

 食べ終わるころには、体がほぐれて、「ああ、今日も頑張るか」という気分になっていた。

 ここまでは、いつも通りだった。

 問題は、そのあとだ。

 宿を出て、広場で仲間と合流した。

 狩りの前に、いつものように自分の状態を確認する。

 視界の端に、薄いステータス表示を呼び出した。

「……あれ?」

 最大HPは、たしかに増えている。

 そこはいつものスタミナシチューと同じだ。

 けれど、その下に、見慣れない表示が出ていた。


【一時的なステータス低下:筋力 −3】

【残り時間:00:12:34】


「え、なんで下がってんの?」

 思わず声が出た。

 慌てて、少し前の行動ログを呼び出す。

 その直前にやったことといえば――。

 宿屋で、《スタミナシチュー・増強版》を食べただけ。

 念のため、周囲の仲間に聞いてみる。


「ゆきどけ亭の新しいシチュー食べた人いる?」

「なんか変なデバフつかない?」


 しばらくすると、返事が返ってきた。


「あー、それ。俺もなった」

「HPは上がるけど、筋力ちょっと下がった」

「バグかなって報告投げたけど、まだ返事なし」

「薬膳ってそういう意味だったの?」

「いや、違うだろ」

「……だよね」


 大きな事故ではない。

 戦闘不能になったわけでもない。

 町中で倒れたわけでもない。

 でも、「宿屋の料理を食べたらおかしくなった」というのは、正直あんまり気持ちのいい話ではない。

 宿屋は、安心するために入る場所だ。

 そこで出された料理で、よく分からない状態異常がつく。

 それは、たぶん、笑い話だけで済ませていいものではない。

 カイは視界端のメニューを開き、【不具合の可能性があります】という項目に指を伸ばした。

 そのときはまだ、ここから先で何が動くのかまでは、想像していなかった。


 挿絵(By みてみん)


 宿屋絡みのログが、じわじわと増えていた。


【報告:宿屋の料理を食べたあとでステータスが一時的に下がった】

【報告:新シチューで筋力ダウン?】

【報告:HPアップのはずが、動きが重くなった気がする】

【報告:ゆきどけ亭の増強版シチュー、何か変です】


「……立て続けに来てるな」

 俺がそう言うと、隣のアイも別の表示を開いた。

「はい。同じ宿からの報告が複数件です。件数としてはまだ多くはありませんが、内容が似通っているのは気になりますね」

「しかも、“宿屋の料理”か」

 戦闘中に発生したバグとは、印象が違う。

 ダンジョンで罠を踏んだとか、ボスの攻撃が変な方向に飛んだとか、そういう話ではない。

 宿屋だ。

 町の中で、安心して休む場所だ。

 そこで変なことが起きると、プレイヤーの信頼ごと削れる。

「まずは、該当メニューのログを見よう」

「了解しました」

 俺たちは、《ゆきどけ亭》のメニュー履歴を開いた。


【通常スタミナシチュー】

・素材A

・素材B

・素材C

過去の提供件数:多数

異常報告:なし


【スタミナシチュー・増強版】

・素材A

・素材B

・素材C

・素材X(新規)


「このXってやつか」

「見てみましょう」

 アイが素材Xの情報パネルを呼び出す。


【素材X】

分類:薬草系素材

主用途:解毒薬用の中間素材

過去の使用履歴:

・解毒ポーション系レシピでの利用:あり

・料理レシピでの利用:ほぼなし

関連報告:

・特定条件下でステータス表示が一時的に乱れる

・一部プレイヤーの体感で「動きが重くなる」報告あり


「……微妙にイヤなやつだな」

「はい。“致命的な毒”というほどではありませんが、飲食用として安定しているとは言い難い素材です」

「宿屋のメニューに乗せるには、だいぶグレーゾーンか」

 アイが小さく頷いた。

「特に宿屋の料理は、“新規プレイヤーにも安心して勧められるもの”であることが望ましいです。そういう意味では、この素材Xは、“宿屋の標準メニューには不向き”と言えます」

「じゃあ、まずはこの“増強版”の提供停止か」

「そうですね」

「宿全体じゃなくて、当該メニューだけ」

 俺は、先に口にした。

 アイがこちらを見る。

「はい。今回はその切り分けでよいと思います」

「お、合ってた」

「通常の宿泊、通常メニュー、通常シチューには異常報告がありません。現時点で宿全体を止めるのは過剰です」

「危ないのは宿じゃなくて、今のところそのメニュー」

「その通りです」

「だんだん分かってきたぞ。線を広げすぎると、必要ないところまで巻き込む」

「はい。段々と学習してきましたね」

「なんて嫌な表現!」

 とはいえ、少しだけ嬉しかった。

 前回までなら、たぶん「宿屋、危ないじゃん。全部止める?」と聞いていた気がする。

 今は、まずどこまで止めるかを考えている。

 たぶん、少しだけ運営文書脳が侵食してきている。

「でも、危ない素材が入ってるんだろ。お願いだけで大丈夫なのか?」

「まずは提供停止のお願いを出します。応じてもらえれば、それで足ります」

「応じなかったら?」

「その場合は、当該メニューの表示停止や、提供機能の一時ロックを検討します」

「宿そのものじゃなくて、メニュー単位で?」

「はい。危ないのは宿ではなく、現時点ではそのメニューです」

「復唱された」

「大事なところなので」

 俺は通知文作成欄を開いた。

「じゃあ、今回は俺が先に作る」

「お願いします」

「なんか今、ちょっと待ってましたみたいな顔したな」

「成長確認です」

「嫌な観察をするな」

 俺は少し考えてから、文面を打った。


【通知案・俺】

《ゆきどけ亭》コハルさんへ。

《スタミナシチュー・増強版》を食べたプレイヤーから、ステータスが一時的に下がったという報告が複数来ています。

素材Xが原因っぽいです。

宿全体を止める話ではありませんが、調査が終わるまで、増強版シチューの提供は止めてください。

使用素材と調理手順も送ってください。


「どうだ」

「かなり良いです」

「よし」

「ただし、そのままは送れません」

「知ってた」

 アイは、俺の文面に赤い線を引いた。

「まず、“原因っぽいです”は避けます」

「だって、原因っぽいだろ」

「現時点では、素材Xが影響している可能性がある、です」

「長い」

「長いですが、断定しすぎません」

「“止めてください”は?」

「今回は、調査完了まで提供を一時停止していただくお願い、ですね」

「そこも柔らかくするのか」

「はい。ただし、対象メニューは明確にします」

「“使用素材と調理手順も送ってください”は?」

「趣旨はよいです。表現を整えます」

 アイは俺の文を横に置き、整形後の文を表示した。


【通知案・整形後】

《ゆきどけ亭》コハル様

いつも宿屋機能をご利用いただき、ありがとうございます。

現在ご提供中の《スタミナシチュー・増強版》について、複数のプレイヤーから、一時的なステータス低下または操作感の変化に関する報告が寄せられています。

現時点では、同メニューに使用されている素材Xが影響している可能性があります。

つきましては、調査が完了するまでの間、《スタミナシチュー・増強版》の提供を一時停止していただけますでしょうか。

あわせて、当該メニューに使用している素材一覧と、調理手順のご共有をお願いいたします。

なお、通常の宿泊機能および通常メニューについては、現時点で提供停止をお願いするものではありません。

今回の調査結果は、今後の飲食メニューにおける安全な素材利用の線引きにも活用させていただきます。


「……俺の言いたいこと、けっこう残ってるな」

「はい。今回はかなり残っています」

「成長では?」

「成長です」

「やった」

「ただし、“宿全体を止める話ではありません”は、こちらで明確化しました」

「ああ、通常宿泊と通常メニューは止めないってやつか」

「はい。止めない範囲を明示することで、相手の不安を減らします」

「止めるところだけじゃなくて、止めないところも書く」

「よい理解です」

「今の、覚えておこう」

「記録しておきます」

「いや、俺の内心まで記録するな」

「学習ログですので」

 俺は、整形後の通知を読み返した。

 前回までより、少しだけ自分の言葉が残っている。

 ただ、それでもアイの文に通すと、だいぶ別物になる。

 断定を避ける。

 対象を限定する。

 止める範囲と止めない範囲を書く。

 情報提供を求める。

 調査結果の使い道を伝える。

 並べると、ただのお願いなのにやることが多い。

「注意文より、こっちの方が神経使うな」

「食べ物は信頼に直結しますから」

「だよなあ」

 俺は通知を送った。


   *


 しばらくして、《ゆきどけ亭》から返信が届いた。

【返信:ゆきどけ亭/コハル】

いつもお世話になっております。

当該メニューの提供は、一時停止いたしました。

使用素材一覧は添付のとおりです。

新素材Xは、解毒薬に使われていると聞き、「体に良いものではないか」と思い、少量加えてみました。

わたし自身も味見をしましたが、特に体調不良は感じませんでした。

現行の禁止素材には入っていないようですし、害のあるものとは思っておりませんでした。

「悪気はなさそうだな」

「はい。“解毒に使う薬草だから、きっと健康に良い”という発想自体は、理解できなくもありません」

「でも、現にステータスが乱れてる」

「ええ」

 アイは素材Xのログをもう一度開き、一部を拡大した。

「過去のログを見ると、“特定のバフ状態と重なったときだけ”動作が不安定になるケースが確認されています」

「宿屋で食事をしたタイミングと、クエストのバフとかが重なったら――ってことか」

「そうです。宿屋のメニューは、いろいろな状態のプレイヤーが利用します。“自分は大丈夫だった”というコハルの感覚だけで、安全かどうかを判断するのは難しいのです」

「たしかに、女将さんはたぶん戦闘用バフ盛り盛りで味見しないもんな」

「通常はしませんね」

「通常ってなんだろうな」

「その問いを深めると、かなり長くなります」

「やめよう」

 俺は素材Xの記録を眺めた。

 解毒薬には使われている。

 料理にはほとんど使われていない。

 致命的ではない。

 でも、飲食用としては不安定。

「だから、現場の味見だけじゃなくて、こっちでも危ないものの線引きを持ってるわけだ」

「はい」

 アイは別のパネルを開いた。


【危ない素材一覧:飲食用関連】

・素材Y:生のままの使用禁止

・素材Z:一定量を超える使用禁止

・処理済み素材Z’:条件付きで使用可

・……

・素材X:飲食メニューでの使用禁止(追加検討中)


「これ、最初からXが入ってたわけじゃないんだよな」

「もちろんです。この一覧は、世界律の大きな決めごとを、現場で動かせる形にした補助コードです。事故や検証結果が出るたびに、少しずつ更新しています」

「世界律には、直接“素材Xを禁止”って書いてない」

「ええ。世界律の側にあるのは、もっと大づかみな一文だけです」

 アイは一つ上の表示を開いた。

 そこには、少し硬い文章が浮かんでいる。


【世界律:安全に関する基本規定】

健康や安全に重大な影響を与えるおそれがあるものについては、危険側に整理し、必要な制限を行うことができる。


「……だいたい、そういう趣旨ですね」

「いや、今のほぼそのまま読んだろ」

「長く説明すると嫌がるかと思いまして」

「短くても硬いわ」

「世界律ですので」

 俺は腕を組んだ。

「なるほど。“危ないと分かったら、後から危ない側に振り分けられる”ってことか」

「そうです。世界律のほうでは、全部を細かく書き切れません。だから、現場で必要な線引きを足していけるようにしてあります」

「で、その線引きが、この一覧」

「はい。今回の素材Xは、まさにその追加候補です」


   *


「じゃあ、Xは危ない素材一覧に追加、でいいのか?」

「飲食メニューに関しては、そうですね。ただし、“素材そのものを世界から消す”ほどではありません。使い方を限って止めるのが妥当です」

「解毒薬には使えるんだよな」

「はい」

「なら、“素材Xそのものが禁止”じゃなくて、“飲食用は禁止、解毒用は条件付き”か」

 アイが少しだけ目を細めた。

「よい整理です」

「お、先に言えた」

「はい。そこはかなり正確です」

「こういう線引き、ちょっと分かってきた」

「危険な兆候です」

「なんでだよ」

「できることが増えると、仕事も増えます」

「最悪の成長システムだな」

 アイは、危ない素材一覧の編集表示を開いた。


【追加案】

素材X:飲食用レシピでの使用禁止

ただし、解毒用レシピについては、所定の処理手順を満たす場合に限り使用可


「解毒薬用のレシピでは、別の処理手順を踏んだうえで使われています。現状、そこで大きな問題は出ていません。ですので、“宿屋の料理にそのまま混ぜる”使い方だけを、今回は止めます」

「全部ダメじゃなくて、“この使い方はダメ”って線を引くわけだ」

「ええ。線引きを雑にすると、別のところで無駄に困る人が増えますから」

「素材屋とか、薬師とかか」

「はい。解毒薬を作っている人まで巻き込む必要はありません」

 アイは追加内容を確定した。


【危ない素材一覧:更新】

素材X:飲食用レシピでの使用禁止

解毒用レシピでは、処理済みかつ所定条件を満たす場合に限り使用可


「これで、素材Xは飲食用について危ない側に振り分けられました。世界律の一文に基づく補助コードとしては、これで筋が通ります」

「“筋が通る”って、お前ほんとそういう言い方好きだな」

「仕事ですので」

「便利な言葉だな、仕事」

「あなたもだんだん使うようになります」

「嫌だなあ」


   *


「宿屋への説明、どうする?」

「まず、あなたが作ってください」

「流れが見えてきたぞ」

「よい傾向です」

「そして、そのままは送れない」

「その可能性は高いです」

「そこは否定してくれ」

 俺は、コハルへの返信案を作った。


【返信案・俺】

コハルさんへ。

提供停止に協力してくれてありがとうございます。

素材Xは、今まで禁止素材に入っていませんでした。

でも、今回の報告を見ると、料理に入れると一部のプレイヤーに変な影響が出る可能性があります。

なので、今後は素材Xを料理に直接入れるのはやめてください。

解毒薬に使う場合は、決められた手順なら大丈夫です。

悪気がなかったことは分かっていますし、すぐ止めてくれたことは記録に残します。


「どうだ」

「かなり良いです」

「本当か?」

「はい。今回は、必要な要素がほぼ入っています」

「おお」

「ただし、文章としては整えます」

「やっぱりな」

 アイが文を整える。


【返信案・整形後】

コハル様

ご返信ありがとうございます。

また、当該メニューの一時停止にご協力いただき、ありがとうございます。

ご指摘のとおり、素材Xは、これまで飲食用の禁止素材として明示されていたものではありませんでした。

しかし、過去の不具合ログおよび今回の事例から、一部の状態のプレイヤーに対して、予期しないステータス変動等の影響を与える可能性が確認されました。

そのため、現在の安全ルールに基づき、素材Xを「飲食用メニューでの使用を控えていただく対象」として追加しております。

つきましては、解毒薬等での所定手順に沿った使用は妨げませんが、宿屋の料理に素材Xを直接使用することはお控えいただきますよう、お願いいたします。

なお、当該メニューの提供を速やかに停止していただいたこと、また素材一覧および調理手順をご共有いただいたことは、対応記録として保存しております。


「俺の要素、ほぼ残ったな」

「はい。今回は内容面ではかなりよいです」

「文面作成、要補助からそろそろ上がらない?」

「まだです」

「厳しい」

「安全に関する通知ですので」

「なるほど、そこは重いのか」

「はい。言い方ひとつで、“後から勝手に禁止された”と受け取られる可能性があります」

「“最初から禁止だった”とは言わない」

「はい」

「“今まで禁止素材ではなかったけど、今回のログで飲食用は危ない側に追加した”って説明する」

「その通りです」

「後出しに見えないように、根拠と理由を示す」

「よい理解です」

「やっぱり、ちょっと分かってきたな」

「仕事が増えますね」

「喜ばせてくれ」

 俺は返信案を少しだけ読み直した。

 悪気はなかった。

 でも、危なかった。

 禁止素材には入っていなかった。

 でも、後から危ない側に整理された。

 こういうとき、説明の仕方を間違えると、たぶんこじれる。

「じゃあ、送るか」

「はい」

 俺は宿屋への返信を送った。


   *


 一連の対応がひと段落したあと、俺は更新された一覧を見返した。


【危ない素材一覧:飲食用関連】


 項目が、また一つ増えている。

「にしてもさ。これ、毎回こうやって足していくの、結構しんどくないか?」

「しんどいですね」

 アイは驚くほど即答した。

「世界律のほうは、かなり抽象的ですから。“重大な影響”とか、“危険なおそれ”とか。そういう大きな言い方だけだと、実際の線引きは、だいたいこちらに落ちてきます」

「つまり、“危ない”って一言の中身を、毎回こっちで埋めてるわけか」

「そうです。一行の大きな決めごとのために、こちらで細かい補助コードを積み上げることになる。まあ、いつものことですが」

「ちょっと疲れた役所の人みたいなこと言ってるぞ」

「否定はしません」

 アイは珍しく、ほんの少しだけ視線をそらした。

「たまに、上のほうには“もう少し具体的に書いてくれると助かるんですが”と思います。思いますが――あまり露骨に言うと、長くなるのでやめておきます」

「愚痴る気はあるんだな」

「あります」

 そこは即答だった。

「でも、全部を世界律に細かく書くのも無理なんだろ?」

「はい。そこに全レシピ、全素材、全手順を書き始めると、今度は現場が動けなくなります」

「大きすぎても困る。細かすぎても困る」

「ええ。ちょうどよい細かさは、いつも後から探すことになります」

「嫌な真理だな」

「業務範囲が充実していますので」

「それで済ませるな」


   *


「……正直、危ない素材一覧の更新だけで回し続けるの、いつか手が足りなくならないか?」

「その懸念はあります」

 アイはあっさり認めた。

「現状、危ない素材の指定や安全上の判断は、個別案件ごとに見ています。ですが、長期的には、各宿に“安全に作る仕組み”そのものを持ってもらう必要があるでしょう」

「そこなんだよな」

 俺は、さっきの宿屋からの返信ログを呼び出す。


【宿屋返信より】

わたし自身も味見をしましたが、特に体調不良は感じませんでした。


「コハルのこの一文、現場としては当たり前の感覚なんだと思う。自分で確かめてから出してるわけだから」

「ええ」

「でも、それだけじゃ足りない。だからって、こっちがレシピ全部決めて、“この通りに作れ”ってやるのも違う気がする」

「そうですね。大きな決めごとの側で、全メニューの作り方まで並べ始めたら、さすがに世界が窮屈になります」

 アイが、少しだけ苦笑した。

「だろ。だからさ――」

 俺は、新しい案を口にした。

「各宿ごとに、“自分の厨房の安全手順”をログとして登録してもらうのはどうだ?」

「安全手順……?」

「例えば、スタミナシチューなら、“素材Aを洗う、素材Bを刻む、特定の温度まで加熱してから素材Cを入れる”みたいな、その宿なりの“安全な作り方”を一度決めてもらう」

「なるほど」

「で、その手順を記録しておく。実際の調理ログと照らし合わせて、大きく外れたときには宿にも、こっちにも警告が飛ぶようにする」

「“決めた安全手順から外れたかどうか”を見る仕組み、ですね」

「そう」

 俺は、危ない素材一覧を指さした。

「大きな決めごとは、“危ないと分かったら線を引ける”っていう枠だけ。危ない素材一覧は、“何が危ないか”の一覧。そのうえで、“各宿が自分で決めた手順を守っているか”を見る仕組みがあれば、こっちは全部を一件ずつ見張り続けなくても済む」

 アイはしばらく考え込んだ。

 いつもなら即答してくるのに、今回は少し長かった。

 たぶん、裏側でかなりの数のログと仕様を照合している。

「合理的です」

 やがて、アイは静かに頷いた。

「大きな決めごとの枠を崩さず、現場の工夫を残したまま、“安全の作り方”をこの世界に増やしていけます」

「一回ずつの調査じゃなくて、普段の回し方そのものを支える仕組みってやつだな」

「はい」

 アイの声が、少しだけ明るくなった。

「危ない素材一覧で“何が危ないか”を示して、各宿の安全手順で“どうすれば安全か”を支える。その両方がそろって、やっと現場が回ります」

「二段構えか」

「ええ。そして、そのほうが、毎回私たちだけで全部抱え込まずに済みます」

 その言い方が妙に気に入って、俺は黙って頷いた。

 大きな決めごとは、簡単には変えられない。

 けれど、そのまわりに積み上がっていく補助コードと現場の工夫で、この世界の「当たり前」は、少しずつ変わっていく。

 注意ポップ。

 視覚エフェクト軽減エリア。

 危ない素材一覧。

 安全手順の登録。

 どれも派手ではない。

 英雄の剣でも、伝説の魔法でもない。

 でも、誰かが安心して広場を歩いたり、宿屋でシチューを食べたりするためには、たぶん必要なものだった。


   *


 その日の対応ログを保存し終えたところで、目の前に新しい通知が浮かんだ。

【対応記録】

・《ゆきどけ亭》の《スタミナシチュー・増強版》に関する報告を受理

・通常メニューと増強版メニューを区別

・《スタミナシチュー・増強版》の一時提供停止を依頼

・素材一覧および調理手順の提出を依頼

・素材Xを飲食用レシピでの使用禁止対象として追加

・解毒用レシピでは、所定手順を満たす場合に限り使用可と整理

・各宿の安全手順登録案を検討事項として記録


【補助者学習ログ】

趣旨把握:可

対象処理の切り分け:良

文面作成:要補助

禁止範囲の限定:一部理解

後発的な線引きの説明:要確認


「対象処理の切り分け、“良”になってる」

「はい。今回は、宿全体ではなく当該メニュー、素材全体ではなく飲食用という整理ができていました」

「文面作成はまだ要補助か」

「はい」

「そろそろ外してくれよ」

「安全関係は慎重に見ます」

「それを言われると反論しづらい」

 そこへ、続けて新しい通知が浮かんだ。


【運営候補アカウント:状態更新】

【体験版権限を終了します】


「……は?」

 俺は思わず、間抜けな声を出した。

「今、なんか不穏な表示が出たんだけど」

「おめでとうございます」

 アイが、きれいな姿勢で小さく頭を下げた。

「あなたは、運営候補の体験版を卒業しました」

「待て待て待て。卒業って何。俺、入学した覚えもないんだけど」

「最初の管理空間で、運営候補として話を聞くことに同意しています」

「それは言い逃れできないけど、納得はしてない」

 通知は、さらに続いた。


【権限更新】

旧:研修中・体験版

新:運営候補・初級補助


【追加担当】

・軽微な注意表示

・現行ルール内の応急対応

・素材・飲食関連ログの一次確認

・安全手順登録案の検討補助



【本人停止案件】

別レーンで見直し継続中



「本人停止案件、まだ残ってるじゃねえか!」

「もちろんです。そこは別レーンですので」

「俺の本件を置いたまま、権限だけ増やすな!」

「権限だけではありません」

「何が変わったんだよ」

 アイが、俺の袖口を指さした。

「袖の糸が一本増えました」

「……は?」

 俺は自分の袖を見た。

 黒いキャソック風の袖口。

 そこに、昨日まで一本だった細い金刺繍が、二本になっている。

 言われなければ、絶対に気づかない。

「わかるか!」

「識別記号です」

「識別できねえよ!」

「慣れれば分かります」

「慣れたくないし、慣れても分かりたくない」

「初級補助としての権限上昇が、視覚的に反映されています」

「もっと分かりやすく光るとかないのか」

「ありますが、威圧的です」

「袖の糸一本も分かりにくすぎるだろ」

「控えめな権限上昇ですので」

「控えめすぎる」

 俺は、二本になった金刺繍をしばらく眺めた。

 ステータスが上がったわけでもない。

 攻撃力が増えたわけでもない。

 ただ、できることが少し増えた。

 そのぶん、見なければならないログも増えた。

「……なんか、喜んでいいのか分からないな」

「よい感覚です」

「またそれか」

「権限が増えるということは、押せるボタンが増えるということです」

「嫌な言い方するな」

「同時に、押した後に説明しなければならないことも増えます」

「もっと嫌な言い方するな」

「大事ですので」

「はいはい」

「業務範囲が充実してきましたね」

「それ、絶対いい意味で言ってないだろ」

「記録上は祝福しています」

「記録外では?」

「黙秘します」

「やめろ。不安になる」

 俺は、更新された自分の権限表示を見つめた。

 体験版は終わったらしい。

 俺の停止は、まだ終わっていない。

 宿屋のシチュー問題も、とりあえず当該メニューを止めただけで、世界中の宿屋が安全になったわけではない。

 未処理ログは、相変わらず赤く光っている。

 それでも、さっきまでとは少しだけ違って見えた。

 面倒な苦情の山。

 危ない素材の一覧。

 宿屋からの言い訳めいた説明。

 そして、その中に混ざっている、この世界を少しだけ良くするための手がかり。

「……なあ、アイ」

「はい」

「体験版を卒業したら、給料とか出るの?」

「称号なら出ます」

「称号?」

 目の前に、最後の通知が浮かんだ。


【称号を獲得しました】

駆け出し運営補助


「地味!」

「お似合いです」

「褒めてないだろ、それ」

「記録上は褒めています」

「記録を盾にするな」

 俺はため息をついた。

 けれど、悪い気分ではなかった。

 運営ってやつは、思っていたよりずっと細かくて、ずっと不器用で、そして少しだけ面白い。

 そんなことを思った瞬間、また新しい通知音が鳴った。


【新規相談】

第二広場の季節イベント枠について、募集文案の確認をお願いします。


「……はい次」

「業務範囲が充実してきましたね」

「もうそれ、呪いだろ」

 俺は小さく肩を落としながら、次のログを開いた。



アイの補講メモ:線引きは、後から育ちます


今回のテーマは、危ないものをどこまで止めるか、です。


《ゆきどけ亭》で問題になったのは、宿屋全体ではなく、

《スタミナシチュー・増強版》に入っていた素材Xでした。


だから運営は、宿屋そのものを止めるのではなく、

まず問題のあるメニューだけを一時停止してもらいました。


大事なのは、

危ないかもしれないから全部禁止する

ではなく、

どの使い方が危ないのかを見て、止める範囲を絞る

ということです。


また、素材Xは最初から禁止素材だったわけではありません。


今回のログや報告を見て、

「飲食用には向かない」と後から整理されました。


ルールは、最初から完璧ではありません。

実際の出来事を見て、記録して、少しずつ線引きを育てていきます。


注意ポップ。

看板表示の修正。

危ない素材の整理。


導入編で主人公が学んだのは、

運営の仕事はボタンを押すことではなく、

押す前に何を見るか、押した後に何を説明できるか

ということでした。


関連法分野

行政手続法(行政指導)

景品表示法(表示と誤認)

食品衛生法(安全確保)

比例原則(必要な範囲だけ止める)


※本作は理解しやすさを優先したフィクションです

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