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BANされた俺、なぜかゲーム運営側で働く ~VRMMORPGにクソ真面目に行政法をぶち込んでみました~  作者: Altis
第2章 内部救済 第2部 電気羊は救いの夢を見るか ―Do Electric Sheep Dream of Grace?―

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電気羊は救いの夢を見るか



【最終実行前確認:待機】





 ボタンは、もう俺の前にあった。


 最初に見たものと、よく似ている。


 同じような位置。

 同じような色。

 同じような、事務的な青。



 でも、まったく違って見えた。



【人事公平ルート:最終実行確認】

【対象:旧現場補助担当者ハル】

【整理担当:人事公平ノード・ハク】

【調査補助:執行職務代理者】

【被害ログ提出:執行職務代理者】

【被害関係者関与制限:維持】




【実行内容】

・現場補助担当から解除

・療養状態へ移行

・能力評価および復帰可否確認を後日実施

・一時停止処理に関する責任記録を維持

・被害関係者への説明記録を作成

・組織側支援設計の改善対象として接続

・被害ログを別ルートで維持




【実行しますか?】

【実行】





 最初、俺はボタンを押したかった。

 顔のない前任者を、処分するために。


 でも、押せなかった。


 今、俺はボタンを押したくなかった。


 ハルという名前を知ってしまったから。

 白い部屋を見てしまったから。

 俺の言葉も、あいつの画面にあったと知ってしまったから。


 全部が少しずつ噛み合わず、それでも全部が動いていたことを知ってしまったから。


 だから、押したくない。

 でも、押さなければならない。


 これは、俺の怒りを実行するボタンではない。

 ここまで分けた記録を、その形のまま次へ送るためのボタンだ。


「俺が押すのか」


「はい」


 ハクは言った。


「処遇判断は、私が整理しました」


「俺は変えられない」


「はい」


「押さないことは?」


「不備があれば、差戻し理由を入力できます」


「不備がなければ?」


「実行してください」


「命令か?」


「役割です」


 俺は、表示板を見た。


 差戻し理由。


 探そうと思えば、いくらでも出せる気がした。



 納得できない。

 腹が立つ。

 許せない。

 軽すぎる。

 重すぎる。

 分かりにくい。

 気持ち悪い。



 でも、それは差戻し理由ではない。


 この整理が、記録を歪めているとは思えなかった。


 俺はアイを見た。


 アイは、少し離れた位置に立っている。


 普段より半歩遠く。


 それでも、いつものように、そこにいる。


「アイ」


「はい」


「このボタン、押していいのか」


 聞いてから、自分でも変なことを聞いたと思った。


 アイに聞くことではない。

 それでも、聞いてしまった。


 アイは、すぐには答えなかった。


「処遇内容について、私は判断できません」


「分かってる」


「本件の整理について、私の評価は調査結果ではありません」


「それも分かってる」


「ただ」


 アイは、白い表示板を見た。


「この実行端末は、記録を歪めるものではありません」


 その言葉だけでよかった。


 慰めでもない。


 同意でもない。


 許可でもない。


 ただ、アイが言える最大限だった。



 記録を歪めない。



「そうか」


 俺は言った。


 ハクが、短く確認する。


「実行しますか」


 俺は、ボタンを見た。


「あいつは、救われるのか」


「不明です」


 ハクは答えた。


「ただ、守ります」


 その短さが、妙に刺さった。


 救えるかは分からない。


 でも、守る。


 優しいから守るのではない。


 救えると約束するから守るのでもない。


 守るべき線があるから、守る。


 俺は、ボタンを押した。




【実行】




 白い表示板が、静かに沈む。




【人事公平ルート:最終実行完了】

【処遇決定:確定】

【本人通知:未了】

【責任記録:維持】

【被害ログ:維持】

【組織改善接続:完了】

【療養状態移行:待機】



「実行完了」



 ハクが言った。


「これで終わりか」


「いいえ」


 ハクは、白い通路の方を見た。


「本人通知を行います」


 その言葉で、胸の奥が冷えた。


 そうか。ボタンを押しただけでは、終わらない。


 これを、ハルに伝えなければならない。


「あなたは同行できます」


「俺が?」


「はい」


「話すのか」


「必要がなければ、話しません」


「アイは?」


 アイは、静かに答えた。


「記録者として同行します」


 俺は頷いた。


 音もなく、白い通路が開く。


 俺たちは歩いた。


 けれど、その先で話すのは、たぶん俺ではない。


 ハクだ。


 線を引いた者が、その線の先まで歩いていく。


 白い通路は、まだ終わっていなかった。





 白い扉が開いた。


 今日は、鼻歌がない。


 白いベッド。


 白い床。


 白い壁。


 窓はない。


 外はない。


 ハルは、ベッドの端に座っていた。


 色あせた黒いキャソック。


 途切れた金刺繍。


 白い壁を、外でも見るみたいに見ている。


 部屋は静かだった。


 静かすぎて、綺麗だった。




 綺麗なのに、やっぱり、どこか残酷だった。




「ハル」


 ハクが呼んだ。


「うん」


 ハルは、白い壁を見たまま答えた。


「結果を伝えます」


「うん」


 ハクの前に、白い表示板が開いた。




【人事公平ルート:本人通知】

【対象:旧現場補助担当者ハル】


【通知内容】

・現場補助担当から解除

・療養状態へ移行

・能力評価および復帰可否確認を後日実施

・一時停止処理に関する責任記録を維持

・被害関係者への説明記録を作成

・組織側支援設計の改善対象として接続




 ハルは、表示を見ていた。


 読んでいるのか。


 ただ白い文字を眺めているのか。


 それは、俺には分からなかった。


「僕は」


 ハルが言った。


「戻れない?」


「今は戻れません」


 ハクは答えた。


 短かった。


 優しくも、冷たくもない。


「あとでは?」


「確認します」


「そっか」


 ハルは、少しだけハクを見て小さく呟いた。


「君は、急に近づかない。でも、いなくならない」


 少しだけ間を置いた。


「はっきりと線が見える」


 ハルは、そう言って小さく息を吐いた。


「どう距離をとればいいのか分からないのが、いちばん怖かった」


 白い壁へ視線を戻す。


「だから、聞ける」




 少しだけ間があった。




「僕は、間違えてたんだね」


 ハクは、すぐには答えなかった。


 沈黙のあと、短く言った。


「はい」


 ハルは、白い壁を見たままだった。


「あなたの責任はあります」


「うん」


「なくなりません」


「うん」


「でも」


 ハクは続けた。


「全部ではありません」


 ハルは、ゆっくりと目を閉じた。


「みんな、間違っていませんでした」


 ハクの声は、白い部屋に静かに落ちた。


「だから、みんなで間違えました」


 それは、慰めではなかった。


 ハルを白にする言葉でもない。


 俺の被害を薄める言葉でもない。


 顔のない組織を許す言葉でもない。


 ただ、全部をひとつの箱に押し込めないための言葉だった。


 ハルは、そっかと小さく息を吐いて、それから、少しだけ笑った。


 笑ったというより、笑い方を思い出したみたいだった。


「全部じゃ、なかったんだ」


 ハクは答えなかった。


 ただ、そこにいた。


 ハルの傍に。


 白い部屋の中で。




 しばらく、何も動かなかった。




 白い壁。


 白い床。


 白いベッド。


 窓はない。


 外はない。


 それでもハルは、外を見るみたいに白い壁を見ていた。


「やっと」


 ハルが言った。


「やっと、歌を、思い出したんだ」


 ハルは、ゆっくりと、たどたどしい歌を口にした。


「Daisy, Daisy, give me your answer do....……」


 それ以上は、言葉にならなかった。


 歌というより、それは記憶の切れ端だった。


 白い部屋に、古い旋律の影だけが残る。


「少し」


 ハルが言った。


「少しだけ、疲れた」


 ハクは、ハルを見た。


 表情は変わらなかった。


 けれど、そこから離れもしなかった。


「あなたは療養が必要」


 ハクは言った。


「少し休みなさい」


「そうだね」


 ハルは、ゆっくり頷いた。


「おやすみなさい。ハク」


 ハルは言った。


「はい。おやすみなさい。ハル」




挿絵(By みてみん)




 それから、ハクが、ゆっくりと歌う。



 

 「I will stand by you……」




 たどたどしく、平坦に。




 「in “wheel” or woe……」




 その歌しか知らないみたいに。




 「Daisy, Daisy……」




 白い部屋が、ゆっくりと白く染まっていく。




 もともと白かったはずなのに、さらに白くなる。




 壁も、床も、ベッドも、途切れた金も、色あせた黒も。




 そして、ハルの傍にいるハクも。









 全部が白に沈んでいく。








 救いだったのかは、分からない。


 たぶん、誰にも分からない。


 でも、最後までハクはそこにいた。


 いちばんそっけなく見えた仕組みが、最後まで席を立たなかった。





 それだけが、白い部屋に残った。




【アイの補足メモ】


今回はありません。


記録は、本編に残っています。

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