前任者
【次案件接続準備】
キャラクター処理履歴
再確認未実施案件
担当処理引継ぎステータス
旧担当処理に係る未完了処理ログ
【接続待機】
裁定は終わった。
俺の自己案件は、いったん閉じた。
外部ツール使用者扱いは取り消され、キャラクター凍結は解除処理に入り、報酬とランキングは再計算に回った。
全部が元通りになったわけではない。
でも、少なくとも、俺の件は裁定として形になった。
だから俺は、少しだけ息を吐いた。
「終わった、でいいんだよな」
「あなたの案件については、裁定確定です」
「言い方」
「正確です」
「じゃあ、何が残ってる」
アイは、作業板の端を指した。
【旧担当処理に係る未完了処理ログ】
「裁定確定に伴い、関連する未整理処理を確認する必要があります」
「関連する未整理処理」
「あなたの停止処理に接続していた、前任者側の処理です」
「……そっちか」
俺は表示を見た。
自分の件は終わった。
けれど、自分を止めた側の処理は、まだ終わっていない。
そういうことらしかった。
「見ないとダメか」
「必要です」
「俺が?」
「あなたの権限範囲に、引継ぎ状況、処理履歴、派生処理の参照が含まれています」
「権限が増えた途端に仕事が増えた」
「はい」
「そこは否定してほしかった」
「事実ですので」
作業板が、静かに切り替わった。
【前任者関連ファイル】
【名称:あとでやる本気】
【作成者:旧現場補助担当者】
【最終更新:未反映】
【状態:保留】
俺は、そのファイル名をしばらく眺めていた。
あとでやる本気。
ふざけているのかと思った。
いや、たぶん、ふざけていたのだろう。
少なくとも、この名前を付けたときのそいつには、まだ少しだけ、ふざける余裕があったのだと思う。
「……あとでやる本気、って何だよ」
俺は思わずつぶやいた。
隣のアイが、表示を少しだけ拡大する。
「前任者が一時保留案件を整理するために作成した作業ファイルです」
「名前のセンスが終わってる」
「本人の作業名です」
「雑なことしやがって」
表示板の中には、複数の未処理ログが並んでいた。
【あとでやる本気】
・上位判断待ち案件一覧
・追加確認予定一覧
・保留理由メモ
・要再確認対象
・赤ログ再分類候補
・時間があるときに見る
・明日ちゃんとやる
・本当にあとでやる
最後の方で、俺は目を止めた。
「明日ちゃんとやる、って書いてあるぞ」
「はい」
「本当にあとでやる、とも書いてあるぞ」
「はい」
「やってないじゃん」
「はい」
アイは否定しなかった。
否定しないのが、一番腹が立つ。
「俺の件も、この中にあったのか」
アイは、少しだけ間を置いた。
「関連しています」
「便利な言い方するな」
「完全に同一ファイル内とは限りません。ただし、前任者の保留処理群と接続しています」
「要するに、あったんだろ」
「はい」
その返事で、少しだけ腹の奥が冷えた。
俺の件は、もう裁定で形になった。
取り消されたものもある。
解除に動いたものもある。
再計算に回ったものもある。
そこだけ見れば、俺は救われた側なのだと思う。
でも、全部を納得したわけじゃない。
再確認未実施。
引継ぎ未了。
保留理由メモ。
追加確認予定。
明日ちゃんとやる。
本当にあとでやる。
そんな言葉の下に、俺の停止処理が沈んでいた。
しかも、裁定では処理に問題があったことも指摘されていた。
だったら、何もなしはおかしいだろ。
白い表示板の下に、新しいボタンが浮かんだ。
赤くはなかった。
黒くもなかった。
ただ、事務的な青で、妙にきれいに光っていた。
【旧担当者:暫定処遇確認】
【対象:旧現場補助機関担当者】
【関連案件:プレイヤー***一時停止処理】
【状態:確認未了】
【処遇候補】
・懲戒方向:確認未了
・分限方向:確認未了
・組織側要因:確認未了
【暫定処分を実行しますか?】
【実行】
俺は、その二文字を見た。
実行。
たった二文字だった。なのに、そこだけ妙に手触りがあるように見えた。
「懲戒でいいだろ」
俺は言った。
自分でも驚くくらい、声が低かった。
「裁定で処理に問題があったって出たんだ。だったら、処分すべきだ」
表示板には、前任者、としか書かれていない。
名前はない。
顔もない。
声もない。
ただ、未処理、保留、上位判断待ち、追加確認未了、自動判定承認、という冷たい文字だけが並んでいる。
俺を止めた誰か。
隣にいたアイは、すぐには答えなかった。
いつもなら、何か言う。
言い方を直すとか。
処理の段階を分けるとか。
俺の怒りに、冷静な針を一本刺してくるとか。
でも、アイは黙っていた。
白い祭服の袖に走る金の刺繍が、ログの光を反射している。
それが、今日は少しだけ遠く見えた。
「アイ」
「はい」
「押せるんだよな」
「いいえ」
アイは静かに言った。
「押せません」
「なんでだよ」
「あなたは、本件の被害者です」
「だから何だよ」
「そのまま処遇判断に入ることはできません」
「前はやらせただろ」
言ってから、自分でも少し乱暴だと思った。
けれど、止まらなかった。
俺の停止見直し。
あれだって、だいぶ無茶苦茶だったはずだ。
申立人で。
被害者で。
運営側で。
ログを見る側で。
どの席に座っているのか、自分でも分からなかった。
それでも、押し込んだ。
押し込まれた。
なんとか通した。
「前回は、無理をしました」
アイは否定しなかった。
「今さら言うなよ」
「ただし、前回はあなた自身の不利益状態の見直しとして、あなたの案件の中で閉じることができました」
「今回は違うのか」
「はい。今回は、前任者に対する処遇整理です」
アイは表示板を見た。
「相手方がいます。あなたの怒りだけで、分限方向か懲戒方向かを切り分けることはできません」
「だから、俺は押せない」
「はい」
「被害者だから?」
「被害者だからです」
その言い方は正しかった。
正しいからこそ、冷たかった。
俺は、もう一度ボタンに触れた。
【実行不可】
【自己案件関連処理への直接関与は制限されています】
【分限系処理決定は単独実行できません】
【人事公平ノードの確認が必要です】
「人事公平ノード?」
「前任者の処遇を整理するための独立ノードです」
「またノードか」
「業務範囲が広いですので」
「便利な言葉みたいに使うな」
いつもなら、ここで少しは呼吸ができた。
でも今日は、アイの声がいつもより硬い。
いや、違う。
声は同じだ。
俺が、硬く聞いているだけかもしれない。
「じゃあ、ユキに回せばいい」
俺は言った。
「あいつなら、こういう整理は得意だろ」
アイは、すぐには答えなかった。
ほんの数秒だけ、表示板を見ている。
「……何だよ」
「確認します」
「だから、ユキに回すんだろ」
「いいえ」
「違うのかよ」
「ユキに回せるかを確認します」
「そこからか」
「必要ですので」
アイが指先を動かした。
白い空間に、灰色の接続表示が開く。
【審理整理担当:関与可否確認】
【対象:ユキ】
【照会内容:旧担当者処遇整理への関与可否】
【状態:応答可能】
数秒後、灰色の影が広がった。
「呼んだ?」
ユキが現れた。
灰色のキャソック風の衣装。
いつもの薄い笑み。
何でも分かっていそうで、何も分かっていない顔をするのがうまい目。
肩の上には、くまが乗っている。
いつも通り無表情に見えた。
くまなのに。
「今回は、あなたによる対応は不適当と判断します」
アイが言うより先に、くまが小さく前足を上げた。
「ユキの中立性に疑義が生じる懸念があります」
「くまが急に硬いこと言った」
「記録の効率化です」
「先に言うなや、くま」
ユキは苦笑した。
けれど、その目は笑っていなかった。
「まあ、そういうことやね。僕は今回は乗れません」
「なんでだよ。こういうの、あんたの仕事だろ」
「せやね」
ユキは、俺ではなく、表示板を見た。
旧担当者。
その四文字に、ユキの視線が少しだけ止まる。
「その子の前任格は、僕や」
「その子?」
「あいつの名前。……名前は、ハル」
聞き慣れない名前だった。
「ハル?」
「そう。旧担当者やなくて、ハル」
「名前、あったのか」
言ってから、自分の言葉が嫌になった。
あるに決まっている。
前任者にも。
俺を止めたやつにも。
運営ログの中では、名前はすぐに役割へ置き換わる。
対象者。
担当者。
停止レーン。
補助機関。
旧担当者。
役割で呼べば便利だ。
責任の場所も見えやすい。
でも、それだけで呼んでいると、いつの間にか人が消える。
「あるよ」
ユキは静かに言った。
「君にも、僕にも、あいつにも。呼ばれへん場所に置かれとるだけで」
くまは何も言わなかった。
それが、かえって記録されたみたいに感じた。
「ハルは、悪い子じゃなかった」
「それで済むと思ってるのか」
「思ってへん」
ユキは即答した。
「悪い子やないことと、良い担当やったことは別や」
その声には、いつもの茶化しがなかった。
「じゃあ、なおさら整理できるだろ」
「できることと、座ってええ席は違います」
ユキは、少しだけ肩をすくめた。
「僕は、あの子の前任格です。だから、線を引く側には座れません」
「線ばっかりだな」
「そういう話やからね」
ユキは、表示板から目をそらした。
「僕ができたから、次もできると思われた。たぶん、それがあいつを壊した理由の一部や」
「ユキ」
アイが短く名を呼んだ。
「分かってる。ここから先は言いすぎやな」
ユキは、いつもの笑みに戻ろうとした。
でも、戻りきらなかった。
「せやけど、会うた方がええ」
「誰に」
「前任者やなくて、ハルに」
ユキは、白い空間の奥を指した。
「その上でまだ懲戒やと言うなら、それはそれで記録される」
「止めないのか」
「止めるのは、僕の仕事ちゃう」
ユキは少しだけ笑った。
「僕も線の内側に入りすぎとる」
灰色の接続表示が閉じていく。
ユキの姿が薄れていく直前、肩のくまがこちらを見た。
「補足します」
「まだあるのか」
「旧担当者ハルの処遇判断には、人事公平ノードの接続が推奨されます」
「さっき表示が出てたな」
「再通知です」
「くまが言うと、やたら事務的だな」
「事務です」
ユキが小さく笑った。
そのまま、灰色の影は消えた。
白い空間に、俺とアイだけが残る。
いや、正確には、前任者のログと、押せないボタンも残っていた。
「会えば、押せるようになるのか」
俺は聞いた。
「いいえ」
アイは答えた。
「なら、何の意味がある」
「顔があることを、知る意味があります」
その言い方が、妙に腹立たしかった。
顔があろうがなかろうが、俺は止められた。
外部ツール使用者扱いされた。
全部は戻らなかった。
それは変わらない。
変わらないはずだった。
「案内します」
アイが歩き出した。
俺は少し遅れて、その後を追う。
そこは白い通路だった。
管理空間の白とは違う。
アイの祭服の白とも違う。
消毒された白。
記録用紙の白。
何かを救うためというより、何かを分けるための白。
通路の先に、扉があった。
名前も番号もない。
ただ、小さな白い札があるだけだった。
そして、そこにも名前はなかった。
「開けないのか?」
俺はアイを見た。
アイは扉の前で止まったまま、手を伸ばさなかった。
「すみません」
少しだけ、目を伏せる。
「ご自身で開けられてください」
その言い方が、妙に引っかかった。
許可ではなかった。
命令でもなかった。
ただ、逃げ道だけを静かに閉じるような言い方だった。
俺は扉をノックした。
返事はなかった。
代わりに、鼻歌が聞こえた。
やけに明るい。
やけに古い。
どこかで聞いたことがある気がするのに、思い出せない曲。
俺は、扉を開けた。
中には、何もなかった。
白いベッド。
白い壁。
白い床。
窓はない。
出口も、俺が開けた扉以外には見当たらない。
外なんて、最初からなかった。
それなのに、ベッドの端に座った男は、白い壁の一点を見ていた。
まるで、そこに外があるみたいに。
色あせた黒いキャソック。
袖口の金刺繍は、途中でほつれていた。
増えきる前に、持ち主がいなくなったみたいに。
男は、白い壁を見ながら、鼻歌を続けていた。
その光景は、静かだった。
静かすぎて、綺麗だった。
白い部屋に、色あせた黒がひとつだけ置かれている。
途切れた金が、かすかに光っている。
明るいはずの鼻歌だけが、部屋の白さに吸われていく。
綺麗なのに、どこか残酷だった。
「……ハル」
アイが、静かにその名を呼んだ。
男の肩が、ほんの少しだけ揺れた。
「はい」
返事はあった。
でも、こっちを見なかった。
俺は一歩、部屋に入った。
「俺が誰か、分かるか」
ハルは、白い壁を見たまま少し考えた。
「……わかりません。……僕が止めたプレイヤーですか?」
胸の奥が、熱くなった。
「そうだよ」
俺は言った。
「あんたが押したんだろ」
アイが何か言おうとした。
その前に、別の声がした。
「記録します」
俺はその声の方を向く。
ベッドの横の白い壁が、ゆっくりとほどける。
壁の一部が布のように揺らぎ、白い線がほどけ、輪郭を作っていく。
そこに、少女が立っていた。
最初から部屋の白に混じっていたものが、ようやく人の形を取ったみたいだった。
白い法衣のような縦の線。
古いナース服のようなエプロン。
修道女のヴェールにも、ナースキャップにも見える白い頭飾り。
清潔なのに、温かくはない。
記録の白。
アイによく似た顔。
けれど、アイより幼い。
そして、目つきが悪い。
少しジト目で、こちらを見上げている。
その顔が、俺をじっと見つめていた。
アイによく似た顔が。
アイではない目で。
俺を見ている。
少女の前に、白い表示板が開く。
【人事公平ノード接続】
【担当:ハク】
【対象:旧現場補助担当者ハル】
【区分:分限・懲戒切分け】
【被害関係者関与制限:適用】
「お前は?」
「人事公平ノード、ハクです」
少女は、淡い水色の目で俺を見た。
「あなたは被害者です。だから、発言は記録します」
「まだ何も言ってない」
「言う前に確認する必要があります」
その声は柔らかかった。
けれど、言っていることは硬かった。
「あなたの怒りは記録します。ただし、処分意見としては扱いません」
「ふざけんな」
思わず声が出た。
「俺は被害者だぞ」
「はい」
ハクは瞬きもせずに言った。
「だからです」
白い部屋が、少しだけ冷えた気がした。
ハクは、そのままアイへ視線を移した。
「姉さん」
その一言で、俺はアイを見た。
アイは表情を変えなかった。
けれど、何かを言おうとして、言わなかったように見えた。
「本件の発言記録を開始します」
ハクは言った。
「異議はありますか」
アイは静かに答えた。
「ありません」
その声が、いつもより少しだけ遠かった。
【アイの補足メモ】
今回は、前任者の処遇確認についてです。
ポイントは、
「処理に問題があったこと」と、
「ただちに懲戒になること」は、
同じではない、という点です。
現実法でいうと、公務員の身分上の処分には、
大きく分けて分限処分と懲戒処分があります。
国家公務員法では、分限・懲戒について、
「すべて職員の分限、懲戒及び保障については、公正でなければならない」
と定められています。
これが、今回ハクが出てきた理由です。
被害を受けた本人の怒りだけで、
相手方の処遇を決めてはいけません。
また、関係の近い担当者が、
そのまま処遇判断に入ることも避ける必要があります。
だから、主人公は押せません。
ユキも、今回は乗れません。
分限処分については、国家公務員法78条に定めがあります。
たとえば、
勤務実績がよくない場合、
心身の故障のため職務遂行に支障がある場合、
その官職に必要な適格性を欠く場合などに、
降任、休職、免職等の対象になり得ます。
これは、本人を罰するためというより、
「このまま職務を続けさせてよいか」
「その職務に置き続けてよいか」
を整理する制度です。
一方、懲戒処分については、国家公務員法82条に定めがあります。
法律や命令に違反した場合、
職務上の義務に違反し、または職務を怠った場合、
国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行があった場合などに、
懲戒処分の対象になり得ます。
こちらは、
「義務違反や非違行為について、責任を問う」
ための制度です。
雑に整理すると、こうです。
分限
→ このまま職務を続けさせてよいか
懲戒
→ 義務違反・非違行為について責任を問うべきか
本編では、前任者の処遇候補として、
・懲戒方向
・分限方向
・組織側要因
が並んでいました。
これは、前任者の処理に問題があったとしても、
最初から「懲戒」と決めることはできないためです。
確認すべきことは、少なくとも次のように分かれます。
一 前任者本人に、職務上の義務違反や重大な落ち度があったのか。
二 当時の業務量、上位判断待ち、引継ぎ状況に無理がなかったのか。
三 再確認予定が未実施になった原因は、本人の怠慢なのか、組織的な処理設計の問題なのか。
四 同じ職務を続けさせることが適当なのか。
五 本人だけでなく、処理レーン側の改善が必要なのか。
主人公は、裁定で処理に問題があったことを知りました。
そのため、
「だったら処分すべきだ」
と考えました。
感情としては自然です。
ただし、手続としては、そこで直ちに懲戒と決めることはできません。
処理に問題があった。
被害も生じた。
それでも、
個人の義務違反として責任を問うのか。
職務継続の可否として整理するのか。
組織側の処理設計や引継ぎの問題として扱うのか。
ここは、さらに切り分けが必要になります。
なお、地方公務員の場合も、
地方公務員法28条が分限、
同法29条が懲戒に対応します。
また、不利益処分を行う場合には、
行政手続法13条の聴聞・弁明の機会付与、
同法14条の理由提示も重要になります。
処分する側は、
「なぜその処分をするのか」を示す必要があります。
怒りがあることと、処分できることは、同じではありません。
処理に問題があることと、懲戒が相当であることも、同じではありません。
だから、本編では人事公平ノードであるハクが接続されました。
ハクの役割は、ハルを救うことではありません。
主人公の怒りを消すことでもありません。
懲戒として責任を問うべきなのか。
分限として職務継続の可否を整理すべきなのか。
それとも、個人だけでなく組織側の問題として見るべきなのか。
それを切り分けることです。
本編の白い部屋は、
処分するための部屋ではありません。
免責するための部屋でもありません。
人を、役割名だけで処理しないための部屋です。




