俺の声は、紙より少しだけ震えていた
※アイの補足メモが、補足メモの顔をした講義資料になりつつあります。
本編理解には影響ありません。
条文番号が見えたら逃げても大丈夫です。
【請求人側再反論書を提出します】
作業板に表示が出た。
もう、線の上の席には座っていない。
今日は書面だ。
処理レーン側回答書。
請求人側反論書。
処理レーン側再回答。
審理整理担当による調査書。
旧担当処理聞き取りログ。
それらを受けて、グレンが作った再反論書が、作業板の中央に開かれていた。
【請求人側再反論書】
一、外部プログラム接続ログは確認されていない。
二、外部ツール使用疑いタグは、再確認までの仮分類にすぎない。
三、再確認予定がありながら、実施記録がない。
四、再確認処理の中断理由は、処理上明確ではない。
五、引継ぎ未了のまま、疑いタグおよび不利益処理が維持された。
六、したがって、外部ツール使用者扱いの継続、キャラクター凍結、報酬除外、ランキング除外については、少なくとも再確認未実施の影響を踏まえて見直されるべきである。
「だいぶ形になったな」
俺が言うと、黒煙の紋章が光った。
「形にしたんだよ」
「俺の文章じゃないみたいだ」
黒煙の紋章は、すぐには光らなかった。
「お前の主張だ。文章が俺なだけだ」
「それ、代理人っぽいな」
「代理人だからな」
アイが表示を確認する。
「請求人側再反論書として提出可能です」
「提出可能」
「はい」
「通るとは言わない」
アイは一度、表示欄の端を見た。
「判断ではありません。資料提示および手続確認です」
「はいはい、お役所」
「運営です」
俺は、再反論書をもう一度見た。
外部ツールは使っていない。
でも、仕様の穴は突いた。
異常周回はした。
そのことは消していない。
それでも、違うものは違う。
グレンの言葉が、少しだけ残っている。
嫌なプレイヤーだったことと、外部ツール使用者だったことは違う。
そこを分ける。
押そうとした手は、なぜか、指先が少し冷えていた。
「提出する」
「はい」
俺が触れると、作業板に表示が走った。
【請求人側再反論書:提出済み】
【審理整理担当確認中】
少し間があって、ユキから返信が来た。
【ユキ】
確認しました。
これで、主要な書面の応酬はいったん揃いました。
「いったん」
「本件なので」
「その言い方、みんな使うな」
続いて、別の表示が開く。
【審理整理担当通知】
本件について、主要な主張書面および資料の提出が確認されました。
以下の争点を中心に整理します。
一、異常周回パターンを外部ツール使用疑いとして扱い続けた根拠
二、再確認予定がありながら実施されなかったことの影響
三、再確認未実施のまま、凍結・報酬除外・ランキング除外が継続したこと
「争点、三つにまとまった」
黒煙の紋章が光る。
「だいぶ絞れたな」
「俺の人生が三つに圧縮された気分だ」
「お前の人生じゃなくて、争点だ」
「冷静」
「冷静なやつを呼んだんだろ」
その次に、作業板がまた切り替わった。
【口頭意見陳述の確認】
請求人側は、希望する場合、口頭で意見を述べる機会を求めることができます。
実施しますか?
【はい/いいえ】
「出た。これ、前に言ってたやつか」
「はい。請求人側が希望する場合の手続です」
「やった方がいいのか?」
俺が聞くと、黒煙の紋章が少し遅れて光った。
「長くやる必要はねえ」
「じゃあ、やらない?」
「いや」
短い返信が来た。
「一言だけ、お前の口で言え」
「俺の口で?」
「そうだ。書面は俺が作った。だが、止められた本人はお前だ」
俺は、少し黙った。
書面になった俺の怒りは、きれいだった。
きれいというより、整っていた。
争える形に削られていた。
でも、削った分だけ、どこか他人の文章にも見えた。
「何を言えばいい」
「余計なことは言うな。外部ツールは使っていない。仕様の穴を突いたことは認める。だからこそ、確認しないまま外部ツール使用者扱いを続けるな。それでいい」
「それでいいのか」
「それがいい」
アイが確認欄を示した。
「希望しますか」
俺は一度、【いいえ】の方に目をやった。
それから、【はい】に触れた。
【口頭意見陳述を開始します】
白い空間が開いた。
全員がいた。
大きな机。
中央を走る黒い線。
線の左側にグレン。
線の右側にアイ。
短辺側にユキ。
ユキの肩には、くま。
俺は、線の上の席には座らなかった。
今日はそこではない。
机の中央から少し離れたところに、小さな円が浮かんでいる。
【請求人本人発言】
発言時間:短時間
対象:本人感情および本人認識の確認
注意:新たな争点の追加は行いません。
「新たな争点の追加は行いません、って釘刺されてる」
「念のため、一応、ですよ」
「審理整理担当が刺すな」
「手続です」
ユキは、淡々と言った。
グレンが、机の左側から俺を見る。
「余計なことを言うなよ」
「分かってる」
「本当だな」
「たぶん」
「おい」
アイは何も言わなかった。
ただ、作業板の記録欄を開いている。
俺は、小さな円の前に立つ。
足音はしなかった。
それでも、床に立っている感覚だけはあった。
白い空間は静かだった。
グレンは左にいる。
アイは右にいる。
ユキは短辺側で記録を見ている。
くまは、黙ってこちらを見ている。
俺は息を吸った。
喉の奥には、変な引っかかりがあった。
「俺は、外部ツールを使っていません」
出た声は、思ってたより小さかった。
「仕様の穴を突いたことはあります。配布ブーストの条件を読んで、かなり嫌な回り方をしました。そこは、たぶん褒められたことじゃないです」
自分で言って、少しだけ痛かった。
「でも、それと外部ツール使用は違います」
そのあとに何か続けようとして、やめた。
作業板の文字が、静かに記録されていく。
「再確認する予定があったなら、確認してほしかった。確認しないまま、疑いだけ残して、キャラも報酬も止めたままにするのは、違うと思います」
俺は一度、言葉を切った。
白い部屋。
外を見ていた誰か。
その文字が、まだ頭の端に残っている。
でも、今はそこじゃない。
「俺が言いたいのは、それだけです」
【口頭意見陳述:本人発言終了】
ユキが作業板に手をかざした。
「請求人本人の口頭意見陳述を受領しました」
声の調子が、さっきまでより少し硬い。
「新たな争点の追加はありません」
グレンが小さく頷いた。
「本人認識として、審理整理に反映します」
【審理整理担当確認】
口頭意見陳述:受領
新たな争点追加:なし
本人認識:審理整理に反映
意見書:作成準備
「これより、審理整理案および意見書の作成に入ります」
ユキはそこまで言って、ふっと肩の力を抜いた。
「……はい、堅いのはここまでです。よう言えましたね」
「急に戻った」
「ずっとあの調子やと肩こるんです」
そう言いながら、ユキはまだ少しだけ背筋を伸ばしていた。
「審理整理担当がそれ言っていいのか」
「記録には残しません」
「便利だな」
「便利やありません。運用です」
そのとき、ユキの肩のくまが、前足のようなものを少しだけ上げた。
「記録完了。意見書作成確認後、白卓会議意見諮問フェーズへ移行します」
小さく、けれど妙にはっきりした声だった。
【口頭意見陳述インスタンス:終了】
白い空間が閉じる。
気がつくと、いつもの管理室に戻っていた。
大きな机もない。
黒い線もない。
ユキもグレンもいない。
アイと俺だけが残っている。
さっき言った自分の声だけが、少し遅れて戻ってきた気がした。
作業板には、静かな表示が出ていた。
【意見書作成:準備中】
【白卓会議意見諮問フェーズ:待機中】
【上位裁定手続:準備中】
俺は椅子に沈み込んだ。
「疲れたな」
アイは何も答えなかった。
否定もしない。
肯定もしない。
ただ、少しだけ作業板の表示を暗くした。
「今の、気を遣った?」
「表示輝度を調整しました」
「気を遣ったんじゃん」
「表示輝度を調整しました」
「はいはい」
少しだけ、静かだった。
審理手続は終わった。
でも、全部が戻ったわけじゃない。
キャラ凍結。
報酬除外。
ランキング除外。
管理空間仮収容。
管理補助権限。
俺の状態は、まだ宙ぶらりんのままだ。
ただ、負け惜しみではなくなった。
そう言い切っていいのか、一瞬だけ迷った。
それだけは、たぶん大きい。
「なあ、アイ」
「はい」
「俺さ。変な話だけど、ここに来てから、結構楽しいんだよな」
アイは、すぐには答えなかった。
作業板の表示が、ほんの少しだけ揺れた。
気のせいかもしれない。
「アカウント止められて、キャラも凍ってて、報酬も戻ってない。普通に考えたら最悪なんだけどさ」
「はい」
「でも、広場の通知を直したり、受付と許可を分けたり、誰かの文句をちゃんと入口に乗せたり、そういうのは嫌いじゃない」
「はい」
「嫌いじゃないっていうか、たぶん、好きなんだと思う」
言ってから、少し恥ずかしくなった。
「俺、何言ってるんだろうな」
「確認します」
「確認するな」
「はい」
アイは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「あなたは、文句を言いながら前に進みます」
「褒めてる?」
「あなたの強さです」
言い切ったあとで、アイはほんの少しだけ視線を外した。
「急にちゃんと褒めるな」
「評価ではなく確認です」
「そこは評価でいいだろ」
アイは一度、俺を見た。
いつものように、まっすぐで、少し冷たい目だった。
でも、返事だけが少し遅れた。
「……評価です」
「言い直すな。照れるだろ」
「はい」
「はいじゃない」
白い管理室に、静かな間が落ちた。
さっきまでの審理室とは違う。
線もない。
席もない。
左右もない。
いつもの光景だった。
ただ、アイがいて、俺がいる。
「もし裁定で、キャラが戻って、元のプレイヤーに戻れるってなったらさ」
「はい」
「俺は、戻りたいのかな?」
アイは答えなかった。
何かを言おうとしたようにも見えた。
そう見えただけかもしれない。
その沈黙は、いつもの処理待ちより少し長かった。
「前なら、戻りたいに決まってるって言ったと思う」
「はい」
「今も、戻りたくないわけじゃない。キャラは戻ってほしいし、報酬も返してほしいし、外部ツール使用者扱いも消してほしい」
アイはまた何も答えなかった。
「でも、それだけじゃなくなってる。ここでやってることも、続けたいって思ってる」
言ってしまうと、少しだけ空気が変わった気がした。
アイの手が、作業板の端で止まっていた。
「……そうですか」
「薄い反応」
「返答を確認しています」
「やっぱり確認するんだ」
「はい」
「今の話、申請じゃないからな」
「雑談として扱います」
「記録には?」
アイは少しだけ目を伏せた。
作業板の端にあった未使用の欄を、なぜか一度だけ閉じた。
「本件の裁定資料には残りません」
「言い方」
「正確です」
「まあ、いいか」
少しだけ笑った。
アイは笑わなかった。
ただ、いつもより少しだけ、遠くなかった。
「じゃあ、今はそれでいい」
「はい」
「裁定が出るまでは、ここにいる」
「はい」
「その間、また変な通知とか、変なフォームとか、変な公募とか出たら見る」
「はい」
「嬉しそうだな」
「していません」
「した」
「……記録に残りません」
「便利だな、それ」
「便利ではありません」
俺は、少しだけ笑った。
隣には立てないと言いながら、ずっとアイは近くにいてくれた。
「なあ、アイ」
「はい」
「裁定が出ても、俺がここにいる間は、よろしく」
アイは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「本件で必要な範囲では、対応します」
「そこは普通に、はい、でいいだろ」
アイは、少し黙った。
作業板の表示は変わらない。
それなのに、白い空間だけが、ほんの少し静かになった気がした。
アイの右手は、何も操作していないのに、作業板の近くで止まっていた。
「はい」
「最初からそう言え」
「はい」
作業板の表示は、まだ消えていない。
【意見書作成:準備中】
【白卓会議意見諮問フェーズ:待機中】
【上位裁定手続:準備中】
さっきまでは、ただ重いだけの表示だった。
けれど今は、少しだけ違って見える。
審理は終わった。
でも、まだ終わっていない。
俺の声は、紙になった。
紙になって、記録になった。
記録になって白い卓へ送られ、その先で答えが出る。
俺がどこに戻るのか。
それとも、どこに残るのかはまだ分からないが、それだけは確かだった。
ただ、少なくとも。
俺はいつの間にか、この白い空間が、嫌いではなくなっていた。
【アイの補足メモ】
――現実法で見る書面審理と口頭意見陳述――
今回は、現実の行政不服審査法に少し寄せて整理します。
この世界の「救済ルート」は、現実でいう審査請求手続を参考にしています。
今回の中心条文は、行政不服審査法三十条、三十一条、四十一条、四十二条、四十三条あたりです。
まず、書面審理です。
処理レーン側回答書。
請求人側反論書。
処理レーン側再回答。
審理整理担当による調査書。
旧担当処理聞き取りログ。
請求人側再反論書。
いろいろ出てきました。
現実の行政不服審査法でいうと、処分庁側が出すものは弁明書、請求人側がそれに対して出すものは反論書です。
行政不服審査法三十条では、審査請求人は、弁明書に記載された事項に対する反論書を提出することができます。
ただし、本文中の「再反論書」は、行政不服審査法にそのまま出てくる法定名称ではありません。
ここでは、反論書提出後に、追加で争点を補充し、主張を整理する書面として描いています。
現実でも、手続の中で追加の主張書面や補充書面が問題になることはあります。
名前より大事なのは、中身です。
何を争うのか。
どの事実を認めるのか。
どの評価を争うのか。
どの処理を見直してほしいのか。
それを判断できる形にすることです。
今回の争点は、大きく三つに整理されました。
一つ目。
異常周回パターンを、外部ツール使用疑いとして扱い続けた根拠。
二つ目。
再確認予定がありながら、実施されなかったことの影響。
三つ目。
再確認未実施のまま、キャラクター凍結、報酬除外、ランキング除外が継続したこと。
ここで重要なのは、主人公が良いプレイヤーだったかどうかではありません。
そこは、あまり良くありません。
異常周回はしています。
仕様の穴も突いています。
報酬効率の高い手順を繰り返しています。
処理側から見れば、確認対象にしたくなる動きです。
ですが、それと外部ツール使用は別です。
疑わしい動きがあった。
だから確認する。
ここまでは分かります。
しかし、確認予定がありながら、確認した記録がない。
それでも、外部ツール使用疑いタグと不利益処理だけが残っている。
ここが問題です。
疑いは、確認によって事実になります。
または、確認できなかった疑いとして整理されます。
どちらにも進まず、疑いだけを不利益処理の根拠として残すと、手続上かなり危険です。
次に、口頭意見陳述です。
行政不服審査法三十一条では、審査請求人または参加人の申立てがあった場合、原則として、口頭で意見を述べる機会が与えられます。
本文で、主人公が【はい】を押して発言した場面が、これにあたります。
ただし、口頭意見陳述は、何でも自由に話してよい場ではありません。
新しい不満を無制限に追加する場ではありません。
相手を責める演説会でもありません。
全部をひっくり返すための必殺技でもありません。
行政不服審査法三十一条四項では、事件に関係のない事項にわたる場合や、相当でない場合には、審理員が陳述を制限できるとされています。
本文中の、
【新たな争点の追加は行いません】
という表示は、この考え方を作中処理に置き換えたものです。
本人が話すことに意味はあります。
ただし、話すべきことは、争点に沿った本人認識です。
今回、主人公が言ったことは短いです。
外部ツールは使っていない。
仕様の穴を突いたことは認める。
だからこそ、確認しないまま外部ツール使用者扱いを続けるのは違う。
これで十分です。
むしろ、これ以上言いすぎると危険です。
感情を足しすぎると、争点がぼやけます。
関係ない不満を入れると、審理整理が乱れます。
相手の悪意を決めつけると、記録上は弱くなることがあります。
グレンが「余計なことを言うな」と言ったのは、そのためです。
冷たく見えます。
ですが、代理人は応援団ではありません。
本人の怒りを、判断できる形にする係です。
そして、審理整理担当は、ここまでの書面、資料、本人の発言をもとに、手続を終結へ進めます。
行政不服審査法四十一条は、審理手続の終結に関する条文です。
そして、四十二条では、審理員が審理員意見書を作成し、事件記録とともに審査庁へ提出することが定められています。
本文中の、
【意見書作成:準備中】
は、この四十二条に対応するイメージです。
さらに、その先にある、
【白卓会議意見諮問フェーズ:待機中】
は、四十三条の行政不服審査会等への諮問に対応します。
つまり、白卓会議は、審理員意見書そのものではありません。
審理員意見書を受けたあと、さらに第三者的な会議体へ意見を求める段階です。
そして、
【上位裁定手続:準備中】
は、その後の裁決手続に向かう表示です。
ここまで来ると、主人公の怒りは、ただの愚痴ではなくなりました。
主張になりました。
書面になりました。
本人認識として記録されました。
審理員意見書に乗る材料になりました。
白卓会議へ送られる前提にもなりました。
これは、手続上かなり大きいです。
なお、最後の雑談について。
「ここでやってることも、続けたい」
という発言は、本件の裁定資料には残りません。
停止見直し、キャラクター凍結、報酬除外、ランキング除外の判断とは、直接関係しないためです。
ただし、記録に残らないことと、意味がないことは別です。
以上です。
記録に残りません。
……本件の裁定資料には。




