俺の席は、線の上にある
【審理整理担当を指定します】
作業板にその表示が出た瞬間、俺は嫌な予感がした。
「審理整理担当」
「はい」
「言葉だけで胃が重い」
「自然な反応です」
「最近そればっかりだな」
「今回は自然な反応が多い案件です」
先日、グレンが代理人として受任した。
俺は、自分の一時停止について、本人として救済を求める。
ただし、俺の言葉だけでは、怒りと請求が混ざる。
だから、請求人側の口はグレンに預ける。
そこまでは決まった。
決まっただけで、何も解決していない。
【次回準備】
本人主張整理
処理レーン側資料提出要求
自己案件からの除外設定
審理整理担当の指定
内部救済ルートへの接続
「見るだけで疲れるな」
「はい」
「否定してくれ」
「否定できません」
「できないのか」
「はい」
作業板の表示が切り替わる。
【審理整理担当候補】
ユキ
「まぁ、そうなるよな」
「はい」
白い床に淡い円が広がった。
灰色のキャソック風の服を着たユキが、ゆっくりと現れる。
肩には、当然のようにくまがいる。
「おはようございます。審理整理担当のユキです」
「その自己紹介、もう少し軽くできない?」
「本件は軽くないんで」
「くまは?」
「くまです」
「知ってる」
ユキは軽く頭を下げた。
肩のくまも少し揺れた。
「まず面子は前と同じなので不要かもですが、確認します。私は裁定者やありません」
「はい」
「あなたの味方でもありません」
「はい」
「処理レーン側の味方でもありません」
「はい」
「双方の言い分と資料を、裁定できる形に並べる担当です」
「殴り合いの場所を整える役だな」
「表現は最悪ですが、近いです」
「その返し、アイにも言われた」
「共有されています」
「嫌な共有だな」
ユキは小さな白い板を出した。
【審理整理担当】
行うこと:
主張の確認
資料の確認
争点の整理
不足資料の確認
必要な聞き取り
行わないこと:
どちらかの代理
どちらかの味方
処理側の判断
最終裁定
「ここ、長く説明すると眠くなるんで、短くいきます」
「ありがたい」
「あなたは本人です」
「はい」
「グレンさんは代理人です」
「おう」
「アイさんは処理案内と資料提示補助です」
「はい」
「処理レーン側は、資料を出す側です」
「はい」
「私は、それを並べる側です」
「だいぶ分かりやすい」
「分かりやすい方が、揉めます」
「なんでだよ」
「分かりにくいままやと、揉めたことにも気づけませんから」
「怖いこと言うな」
「本件は、もう怖いです」
そのとき、部屋が切り替わった。
白い空間の中央に、大きな円卓が現れる。
机の中央には、一本の黒い線が走っていた。
線の左側には、グレンの席。
その隣に、空席。
線の右側には、アイの席。
その隣に、空席。
そして。
黒い線の上に、俺の席があった。
俺は席を見た。
もう一度、見た。
「おい」
「なんですか?」
「俺の席、線の上なんだけど」
「はい」
「どっち側でもないんだけど」
「はい」
「しかも左右に空席があるんだけど」
「はい」
グレンが左側の席に現れ、机を見るなり顔をしかめた。
「こう見ると、さらに歪だな」
「俺もそう思う」
アイは右側の席に立った。
いつものように、俺のすぐ隣ではない。
その隣の空席には、薄く表示だけが浮かんでいた。
【処理レーン側担当】
担当表示:あなた
状態:自己案件から除外中
着席:不可
発言:不可
編集:不可
資料提出:限定表示
グレンの隣の空席にも、表示がある。
【請求人本人席】
対象者本人:あなた
状態:代理人選任済み
本人発言:可能
主張提出:代理人経由可
そして、線の上の俺の席。
【対象者本人/処理レーン表示重複】
現在位置:中間表示
本人発言:可能
処理側発言:不可
処理側編集:不可
裁定判断:不可
「俺が三ついる」
「表示上です」
「表示上でも嫌だろ!」
ユキは、笑いながらゆっくりと自分の席に座った。
裁定者席ではない。
グレン側でも、アイ側でもない。
机に走る線を、まっすぐ見るための席だった。
「この配置は、本件の混線を見える形にしたものです」
「見たくなかった」
「見ないと整理できません」
「正論で殴るな」
「整理です」
グレンが俺の席を指さした。
「お前、本来ならこっち側だろ」
「止められた本人だからな」
「でも、処理レーン側にも名前が残ってる」
「残ってるな」
「だから、どっちかに寄せると嘘になる」
ユキが頷いた。
「せやから、中間表示です」
「線の上に座らせるな」
「視覚化です」
「視覚化が痛い」
「必要な痛みです」
「アイみたいなこと言うな」
「共有されています」
「嫌な共有だな!」
俺はアイの方を見た。
「アイ、遠くない?」
「本件では、私はあなたの隣には立てません」
「またそれか」
「はい」
グレンの横には、俺の席が空いている。
アイの横にも、俺の名前が残った席が空いている。
俺は、どちらにも座れない。
その結果が、これだ。
「これ、俺が悪いのか?」
「全部ではありません」
「一部は?」
「そこを整理します」
「だよな」
ユキは手元の板を軽く叩いた。
「今日は入口だけ確認します。ただし、本件では審理員の調査権に相当する権限を使います」
「調査権」
「はい。本件は見てのとおり歪です。本人側の主張だけでも、処理レーン側の表示だけでも足りません。必要な資料を集め、足りなければ追加で求めます」
「それで資料が出てくるのか」
「はい。出てくる資料もありますし、こちらから求める資料もあります」
「全部出る?」
「必要な範囲です」
「お役所」
「運営です」
【本日の確認】
一、本人側の主張入口
二、処理レーン側資料の提出範囲
三、次回までの作業
「三つだけか」
「三つだけです」
「信じていい?」
「増える可能性はあります」
グレンが机に肘をついた。
「本人側は、俺が出す」
「はい」
「ただし、本人の感情は切らない」
俺はグレンを見た。
「切らないのか」
「感情は材料だ。書面の本文に、そのまま突っ込まねえだけだ」
「おお」
「そこで感動するな」
グレンは、俺の本人主張を短く整理した。
【本人側主張の入口】
外部ツール使用はしていない。
異常周回と外部ツール使用疑いは別問題である。
停止と凍結の範囲が重すぎる。
再確認予定があるのに、実施記録がない。
管理空間仮収容と補助権限付与の根拠が不明確である。
「だいぶ短くなった」
「長く書けばいいってもんじゃねえ」
「俺の気持ちは?」
「後で使う」
「後で?」
「理由の熱にはなる。骨組みに入れるな」
「なんか詩的だな」
「黙れ」
ユキが頷いた。
「本人側入口として受けます」
「もう受けるのか」
「入口ですので」
「入口で落とされるかと思った」
「入口で落とすには、まだ材料が足りません」
「怖いこと言うな」
「次です」
ユキはアイの方を見た。
「処理レーン側資料について確認します」
「はい」
アイの前に、白い板が開いた。
ただし、資料欄はアイの隣の空席から出ていた。
誰かが座るわけではない。
人の姿はない。
でも、資料だけが出る。
「席は空いてるのに、資料は出るんだな」
「はい」
アイは短く答えた。
それ以上は言わなかった。
俺も、聞かなかった。
【処理レーン側資料:一次提出要求】
初期検知ログ
緊急保全停止の判断記録
外部ツール使用疑いと異常周回パターンの関係資料
キャラクター凍結へ派生した理由
再確認予定の設定記録
再確認未実施の経過記録
管理空間仮収容の根拠資料
管理補助権限付与の根拠資料
「多くない?」
「これでも入口分です」
「入口って何だっけ」
「通る前から長いもんです」
「やっぱりお役所じゃん」
「運営です」
グレンが表示を見て、少しだけ目を細めた。
「肝はここだな」
グレンは一点を指した。
【外部ツール使用疑いと異常周回パターンの関係資料】
「異常周回をしたことと、外部ツールを使ったことは同じじゃない」
「はい」
「同じ扱いをしたなら、その理由が要る」
「はい」
ユキが短く頷いた。
「争点候補として記録します」
【争点候補】
一、異常周回を外部ツール使用疑いとして扱い続けたこと
二、緊急保全停止から凍結・除外へ派生した範囲
三、再確認予定があるのに実施記録がないこと
四、管理空間仮収容と補助権限付与の根拠
「四つか」
「現時点では、四つです」
「増えそう」
「資料次第です」
「やっぱり増えそう」
グレンが俺を見る。
「ここで騒ぐな」
「まだ騒いでない」
「顔が騒いでる」
「顔に出るタイプなんだな、俺」
「今さらか」
アイが静かに言った。
「処理レーン側資料は、提出可能範囲を確認します」
「全部出るわけじゃないのか」
「本件で必要な範囲です」
「便利な言い方だな」
「必要な言い方です」
ユキは、そこで一度だけアイを見た。
「不足があれば、こちらから追加で求めます」
「はい」
「必要なら、聞き取りもします」
「はい」
その瞬間、右側の空席の表示がわずかに揺れた。
俺は気づいた。
声には出さなかった。
聞いたら、たぶん面倒なことになる。
くまが、こちらを見ている気がした。
「くま、何か知ってる?」
「くまです」
「知ってる」
ユキは何事もなかったように板を閉じた。
「本日の整理は、ここまでです」
「早くない?」
「長くすると、次以降が死にます」
「誰が?」
「主にあなたが」
「否定できない」
グレンが鼻で笑った。
「いいんじゃねえか。今日は席と入口だけで十分だ」
「お前がそう言うなら、そうなんだろうな」
「信頼が雑だな」
「代理人だから」
「便利に使うな」
「便利な線引き道具」
「それを言うな」
ユキは最後に、机の表示を固定した。
【本日の整理結果】
対象者本人は、請求人側・処理レーン側の双方に表示されるため、中間席とする。
請求人側主張は、代理人グレンが提出する。
処理レーン側は、必要な範囲で資料を提出する。
アイは処理案内および資料提示補助を行う。
ユキは審理整理担当として、争点と資料を整理する。
裁定は行わない。
【次回までの作業】
代理人:主張書面の一次案作成
処理レーン側:一次資料提出
審理整理担当:不足資料の確認
対象者本人:感情と事実を分けてメモすること
「最後、俺だけ宿題が小学生みたいなんだけど」
「大事です」
「感情と事実を分けてメモ」
「はい」
「日記かよ」
「負け惜しみ防止です」
「刺すな」
「必要な整理です」
ユキは、そこで机の中央を軽く叩いた。
「それと、毎回この形で集まると大変なんで、基本は書面とメッセージで進めます」
「助かる」
「ただし、請求人側が希望する場合や、こちらで必要と判断した場合は、またこの形を取ります」
「また線の上に座るのか」
「必要があれば」
「必要なくあってほしい」
「そこは資料次第です」
「お役所」
「運営です」
グレンが鼻で笑った。
「いいんじゃねえか。紙で殴れるなら、その方が早い」
「紙で殴るな」
「救済ルートはそういう場所だろ」
「言い方」
ユキは小さく頷いた。
「では、次は一次資料と代理人主張案を、書面で確認します」
グレンが立ち上がった。
「お前は、とりあえず思い出せ。自分が何をやったか。何をやってないか。何に怒ってるか」
「多いな」
「多いから書け」
「はい」
「あと、盛るな」
「盛らない」
「都合の悪いことも消すな」
「消さない」
「本当だな」
「たぶん」
「そこは断言しろ」
アイが静かに言った。
「記録は残っています」
「最強の圧」
「はい」
ユキが立ち上がる。
肩のくまも、少し揺れた。
部屋の中央を走る黒い線が、最後にもう一度だけ光る。
グレンの横の空席。
アイの横の空席。
そのどちらにも座れない俺の席。
俺は、線の上に座っていた。
元プレイヤーとして。
管理補助者として。
止められた本人として。
でも、自分の件については、処理側には座れない者として。
歪だ。
だが、ようやく見える形になった。
「なあ、アイ」
「はい」
「これ、見えるようになっただけで、何も解決してないよな」
「はい」
「そこは嘘でも励ませ」
「嘘はつきません」
「知ってた」
作業板に、次の表示が出る。
【一次資料提出:待機中】
【代理人主張案:作成中】
【不足資料確認:準備中】
右側の空席が、ほんの少しだけ点滅した。
誰も座っていない。
でも、何かがそこから出てくる。
「資料だけが来る席って、嫌だな」
「はい」
「誰もいないのに、誰かがいるみたいだ」
アイは答えなかった。
ユキも答えなかった。
くまだけが、黙ってこちらを見ていた。
グレンが短く言った。
「なら、なおさら記録を見ろ」
俺は、黒い線の上で頷いた。
次に来るのは、資料だ。
俺を止めた理由。
俺を凍らせた理由。
俺をここに置いた理由。
誰かが出てこなくても、記録は出てくる。
俺は線上にいる。
【アイの補足メモ】
今回は、審理整理担当と資料の確認についてです。
まず、審理整理担当については復習です。
以前の第二広場の件でも触れましたが、ユキは裁定者ではありません。
どちらが正しいかを最終的に決める人ではなく、本人側の主張と処理レーン側の資料を、判断できる形に並べる担当です。
本人の味方でもありません。
処理レーン側の味方でもありません。
かなり嫌な言い方をすれば、双方がちゃんと殴り合えるように、場所と資料と争点を整える役です。
嫌な言い方ですが、だいたい合っています。
ただし、今回が前と違うのは、主人公自身の案件であることです。
主人公は、一時停止された本人です。
その意味では、請求人側にいます。
しかし同時に、管理空間では運営候補・現場改善補助として、処理レーン側にも表示が残っています。
つまり、今回は単に「審理整理担当とは何か」という話ではありません。
本人側にもいる。
処理側にも表示が残っている。
でも、自分の件について処理側には座れない。
その歪な状態を、どうやって裁定できる形に並べるか、という話です。
今回、主人公の席が黒い線の上に置かれたのは、そのためです。
本来なら、一時停止された本人として、主人公は請求人側に座ります。
しかし、処理レーン側にも主人公の名前が残っています。
だからといって、自分の件について、主人公が処理側に座ることはできません。
自分の一時停止理由を、自分で編集することもできません。
自分への処理について、自分で裁定することもできません。
自分に都合の悪い資料を、自分で出さないことにすることもできません。
それを許すと、立場が混ざります。
そのため作中では、主人公を自己案件から除外し、処理側の発言・編集・判断をできない状態にしています。
それでも、表示上は両側に名前が残る。
その歪さを、今回は「線の上の席」として見せています。
また、今回は資料の提出要求も出てきました。
処理レーン側が何を根拠に一時停止したのか。
なぜ外部ツール使用疑いとして扱ったのか。
なぜキャラクター凍結や報酬・ランキング除外まで進んだのか。
再確認予定があったのに、なぜ実施記録がないのか。
管理空間への仮収容と補助権限付与には、どのような根拠があったのか。
こうした資料を確認しなければ、本人側の言い分が正しいのか、処理レーン側の判断が妥当だったのかを判断できません。
現実の行政不服審査でも、審理員には、必要な書類や資料の提出を求めたり、関係する資料を確認したりする役割があります。
作中の「審理整理担当として必要なログを追加で求める権限」は、そのイメージに近いものです。
ただし、資料が何でも全部出てくるわけではありません。
必要な範囲で出します。
足りなければ追加で求めます。
それでも足りなければ、聞き取りをします。
このあたりが、主人公の言う「お役所っぽさ」です。
運営です。
今回のポイントは、何かが解決したことではありません。
むしろ、何も解決していません。
ただし、誰がどの席に座るのか。
誰が主張を出すのか。
誰が資料を出すのか。
誰が争点を整理するのか。
そこが少し見えるようになりました。
救済手続では、ここがかなり大事です。
怒りがある。
不満がある。
納得できない。
それだけでは、まだ手続にはなりません。
怒りを、主張にする。
不満を、争点にする。
納得できない理由を、資料で確認できる形にする。
そのために、まず席を分け、資料を出し、争点を並べます。
以上です。
なお、「感情と事実を分けてメモすること」は、本当に大事です。
地味です。
面倒です。
宿題としては小学生みたいです。
しかし、これができないと、だいたい負け惜しみになります。
混ぜると揉めます。




