水面に浮かぶ
シグレが退出したあと、入れ替わるようにアイが入室してきた。
「……先に話してよかったです」
「そうだな」
「相手の事情を聞かずに公表していた場合、“運営が勝手に物語を作った”と見られる可能性がありました」
「ストーリー、か」
「はい」
アイの声は、いつもより少しだけ硬かった。
「ログは嘘をつきません。しかし、ログの並べ方、見出し、説明の順番によって、見え方は変わります」
「知ってる」
「知っているだけでは足りません。今後も、都合のよい物語にしないでください」
「分かったよ」
少し間があった。
アイが、静かに言った。
「ただ……ログの信用を守る判断をしたことには、価値があります」
「大げさだな」
「大げさではありません。この世界で、ログが信用されなくなると、手続も理由も見直しも壊れます」
「……急に重い」
「重い話ですので」
俺は、深く息を吐いた。
何も決めなかったログ。
返事をしなかったログ。
相手が勝手に進めたログ。
相手が正式な文句を出さなかったログ。
それを見ていたログ。
直接の世界律が足りなかったログ。
全部、残っている。
残っているから、痛い。
でも、残っているから、やり直す線も引ける。
「なあ、アイ」
「はい」
「世界律作成側への検討依頼も、告知前に上げるぞ」
「はい」
「“上げます”って書いて、まだ上げてません、は嫌だからな」
「よい判断です」
俺は、ユキの整理メモを添えて、世界律作成側への検討依頼を送った。
【世界律作成側へ検討依頼を送信しました】
「ルル、読むかな」
「読むと思います」
「返事は?」
「すぐには来ない可能性があります」
「だよな」
「世界律は、現場対応より時間がかかります」
「でも、上げないとまた同じことになる」
「はい」
これで少なくとも、穴を見つけたログだけは残った。
見つけて、見なかったことにはしなかった。
たったそれだけなのに、少しだけ肩が軽くなった気がした。
*
告知文の作成は、思った以上にきつかった。
強く書くと、灰色の工房だけが悪く見える。
柔らかく書くと、運営の放置がぼやける。
運営の責任を前に出しすぎると、「じゃあ灰色の工房はやったもの勝ちか」と言われる。
灰色の工房の行き過ぎを前に出しすぎると、「三か月放置した運営が何を言っている」と言われる。
世界律の道が足りなかったことを書くと、「じゃあ今まで何を基準にしてたんだ」と言われる。
書かないと、後で「隠していた」と言われる。
どこから書いても、燃える。
「告知文って、文章じゃなくて燃料の配合なんだな」
「おおむね否定しません」
「否定してほしかった」
「ただし、燃料にも種類があります。事実を隠した燃料は、後で爆発します」
「今日ずっと火薬庫にいる気がする」
「おおむね否定しません」
「そこは否定しろ」
俺は作業板に、最初の案を書いた。
【運営からのお知らせ】
旧公式イベントフィールド〈レムナント・ラボ〉について、ギルド《灰色の工房》による長期利用申請が提出されていましたが、運営側の確認が長期化していました。
「まず運営の遅れから入る」
「はい。必要です」
「続き」
俺は文字を打つ。
この間、同ギルドによる継続的な利用が確認されています。
運営側の処理遅延により、申請者および関係プレイヤーの皆さまにご迷惑をおかけしたことをお詫びします。
「“この間”って便利だけど、ちょっとぼかしてないか?」
「ぼかしています」
「正直だな」
「三か月と明記する案もあります」
「明記した方がいい?」
「今回は、その方がよいと思われます」
「痛いことは先に書けってことか」
「はい。後で掘られるより、自分で出す方がまだましです」
「ましの世界で生きてるなあ」
俺は修正した。
三か月にわたり、同ギルドによる継続的な利用が確認されています。
文字にすると、痛い。
三か月。
長い。
ゲームの中の三か月は、普通に一つの拠点ができる時間だ。
俺は続けた。
一方で、正式な利用可否が決まる前に、設備の搬入や占有範囲の拡大が進んでいたことも確認しています。
「これで灰色の工房側も出す」
「はい。片方だけではありません」
「世界律の穴は?」
「書きすぎない方がよいでしょう」
「こうか」
俺は、少し考えてから打ち込んだ。
また、旧公式イベントフィールドの長期利用や暫定利用について、現在の運営規定では処理手順が十分に整備されていない点も確認しました。
この点については、世界律作成側へ検討依頼を行っています。
「……これでどうだ」
「かなり良いです」
「“道がありませんでした”とは書けないしな」
「書けません」
「でも、道が足りなかったことは出す」
「はい」
「痛い」
「必要です」
次に、落としどころを告知に入れる。
今後の対応として、運営は次の暫定措置を行います。
一 現在の利用者に対し、退去準備のための猶予期間を設けます。
二 猶予期間中、新たな設備追加および占有範囲の拡大は認めません。
三 猶予期間終了後、レムナント・ラボはいったん閉鎖し、整備状況を確認します。
四 その後、全プレイヤーを対象に、同フィールドの再利用案を募集します。
五 旧公式イベントフィールドの未処理申請について、同種案件の確認を行います。
「……固いな」
「固いですが、必要な情報は入っています」
「読まれるかな」
「一部は読まれます」
「一部かあ」
「全部読まれる文章は、かなり珍しいです」
「現実味が嫌だ」
「管理空間です」
「そういう問題じゃない」
さらに、灰色の工房側のコメント案も確認する。
【灰色の工房コメント案】
このたび、ギルド《灰色の工房》は、正式な返答を待たずにレムナント・ラボ内での設備設置および拠点化を進めていました。
今回は、申請中であることを理由に利用を広げすぎた面がありました。
今後は、運営から示される猶予期間および再利用案募集の手続に従い、正規の場で企画を提出します。
「“今回は”入ってるな」
「入っていますね」
「そこは最後まで譲らなかったか」
「灰色の工房ですので」
「お前まで言うな」
俺は、両方の文面を並べて見た。
運営側の遅れ。
灰色の工房側の行き過ぎ。
世界律と運営規定の不足。
猶予期間。
再募集。
誰かを完全な悪者にしない代わりに、誰も完全には楽にならない文面だ。
「これ、出すか」
「はい」
「燃えるよな」
「燃えます」
「二回目だぞ」
「二回聞かれましたので」
「慰めて」
「定型文でよろしいですか」
「いらん」
俺は最終確認のウィンドウを開いた。
【告知を発出しますか?】
【はい/いいえ】
ただの告知ではない。
三か月止まっていた案件を、外に出す。
沈んでいたログを、水面に上げる。
その瞬間から、これはもう「確認中」ではいられない。
俺は少しだけ息を吸って、【はい】に触れた。
*
反応は、早かった。
というか、速すぎた。
【新規意見ログ】
・三か月放置はさすがに草。
・いや笑えない。
・灰色の工房、実質占拠じゃん。
・運営が放置したなら、そりゃ使うだろ。
・使った者勝ちを許すな。
・でも猶予期間なしで追い出すのは無理だろ。
・再募集するなら応募したい。
・レムナント・ラボ懐かしい。
・あそこまだ残ってたの?
・前担当フォルダ公開して。
「最後のやつ、やめろ」
「公開できません」
「公開したら?」
「燃えます」
「今日そればっかり!」
ログはさらに増えていく。
【新規意見ログ】
・灰色の工房の案が一番現実的では?
・いや、先に使ったギルドを有利にするな。
・ノウハウ評価は当然。
・ノウハウ評価って言いながら実質内定では?
・運営、ちゃんと選定理由出せよ。
・世界律の穴って何だよ、怖いこと言うな。
・いや、そこ出したのは評価する。
・レムナント・ラボでクラフト講習は普通に助かる。
・黒煙の牙も何か出せ。
・グレンなら爆発物置き場にしそう。
「なんでグレンが出てくるんだよ」
「話題性があります」
「本人が聞いたら乗ってくるぞ」
「高確率で乗ってきます」
「嫌な予測精度」
すると、本当に新しいログが来た。
【新規申請予告】
送信者:グレン
所属:黒煙の牙
内容:レムナント・ラボ再利用案、うちも出す。灰色だけに好き勝手させるな。
「ほら来た!」
「予測通りです」
「嬉しそうにするな」
「公平な募集になりそうですね」
「荒れるとも言う」
「両立します」
炎上は止まらない。
【新規意見ログ】
・三か月放置の後に猶予期間って、結局優遇じゃん。
・いや、即追い出しの方が無理あるだろ。
・灰色の工房、やり方が上手いんだよな。
・上手いというかズルい。
・ズルいけど、運営が寝てたのも悪い。
・旧フィールド申請、他にも沈んでそう。
・前担当、他に何を寝かせてるんだ。
・灰色の工房のコメント、“今回は”ってなんだよ。
・今後も攻める気で草。
・正規ルートで攻めるならまあ見たい。
・黒煙の牙と灰色の工房が同じ募集に出るの、普通に面白そう。
・運営、ちゃんと評価基準先に出せよ。
・第二広場のときもそうだったけど、後から理由出すのやめて。
「第二広場まで飛び火した!」
「関連があります」
「あるけど!」
「記録上、利用者は過去の案件も参照します」
「嫌な連続性」
「信頼は連続します」
「重い言い方やめろ」
俺は椅子にもたれた。
ボロカスに言われた。
案の定、燃えた。
しかも、次の募集でまた揉める未来が見えている。
でも、少しだけ進んだ気もする。
少なくとも、三か月沈んでいたログは、もう沈んでいない。
世界律の穴も、見つけたまま放置しなかった。
「なあ、アイ」
「はい」
「ボロカス言われたな」
「はい」
「でも、少しだけ進んだ気もする」
「進みました」
「じゃあ、今日のところは勝ちでいい?」
「勝ちではありません」
「厳しい」
「ただし、沈んでいた案件を水面に出しました」
「それ、褒めてる?」
「はい」
「分かりにくいな」
少しだけ、沈黙があった。
いつもなら、ここで次のタスクが出る。
追加資料。
確認事項。
未来の俺がキレるやつ。
でも、このときだけ、アイは何も出さなかった。
「……少し、少しだけ、休みますか」
「え?」
「本件の一次対応は、完了しています。次の作業に入る前に、短い停止時間を入れても問題ありません」
「それ、休めって言ってる?」
「はい」
アイは、いつも通り平坦な声で言った。
「あなたの判断精度が落ちると、次のタスクに影響します」
「理由が業務寄りだな」
「業務ですので」
「そこは否定しないのか」
「ただ」
アイは、少しだけ言葉を探すように間を置いた。
「……お疲れさまでした」
「え?」
「本件についてです」
「急にどうした」
「評価ではありません」
「じゃあ?」
「……労いです」
「今ちょっと間があっただろ」
「慣れていませんので」
俺は少しだけ黙った。
褒められた、というより。
慰められた、というより。
ただ、隣にいた相手が、こちらの疲れを見なかったことにしなかった。
そんな感じだった。
「……分かった。少し休む」
「はい」
「その間に次のタスクを積むなよ」
「努力します」
「そこは断言しろ」
「未来の状況によります」
「不器用か」
「仕様です」
それでも、さっきよりは少しだけ肩の力が抜けていた。
俺は、閉じる前に作業板の端へ新しいメモ欄だけを開いた。
【レムナント・ラボ再利用案募集ページ】
タイトルだけ入れて、手を止める。
旧フィールド〈レムナント・ラボ〉の新しい使い方を募集します。
「……ここまでにしとくか」
「はい。それがよいと思います」
「未来の俺が読んでも、あんまりキレない文にしたいな」
「そのためにも、今のあなたは一度休んでください」
「今の俺と未来の俺が分業するのか」
「はい。未来のあなたは、今のあなたとは別人ですので」
「そういうところだけ哲学っぽくするのやめろ」
少しだけ、笑えた。
何も決めなかったログから。
ちゃんと入口を作るためのログへ。
今度は、そっち側に残せるように。
俺はキーボードから手を離した。
続きは、明日の俺に任せる。
それくらいは、
今の俺にも許される気がした。
【アイの補足メモ】
今回は、前回の続きです。
前回は、「ログを物語に変えてはいけない」という話でした。
今回は、そのログを前提にして、実際にどう公表し、どう暫定措置を組み、次の手続につなげるかが中心です。
まず、今回の告知は、単なる謝罪文ではありません。
運営側の長期未処理を認める。
灰色の工房側の行き過ぎも確認する。
そのうえで、すぐに追い出すのではなく、退去準備の猶予期間を置く。
さらに、全プレイヤー向けの再利用案募集へ進める。
つまり、これは「過去の処理ミスの公表」と「現在の暫定措置」と「将来の公正な手続」を、一つにつなぐ文書です。
行政法的には、暫定措置の設計が重要になります。
いきなり全部取り消す。
すべてなかったことにする。
すぐ退去させる。
逆に、そのまま正式利用として認める。
どれも簡単そうに見えますが、今回のような案件では危険です。
運営側の放置がある以上、即時退去だけでは過酷に見えます。
しかし、申請者側の拠点化をそのまま認めれば、今度は「既成事実を作った者勝ち」になります。
そこで必要になるのが、猶予期間と条件です。
猶予期間は、責任逃れのための時間ではありません。
過去の未処理によって急に不利益を受ける人を調整するための時間です。
一方で、その期間中に新しい設備追加や占有範囲の拡大を認めれば、猶予ではなく追加の既成事実化になります。
だから、今回の対応では、
退去準備の時間は置く。
ただし、拡張は止める。
いったん閉じる。
その後、全体に開いた再募集へ進める。
という形になっています。
次に大事なのは、再募集です。
今回、灰色の工房には実際に使ってきたノウハウがあります。
それ自体を無視する必要はありません。
ただし、そのノウハウを理由に自動的に採用してしまうと、公正な選定ではなくなります。
したがって、次に必要なのは、募集要項と評価基準です。
何を評価するのか。
どの点を比較するのか。
過去の利用実績をどの範囲で見るのか。
他のギルドにも同じ条件で応募できる機会を与えるのか。
ここを曖昧にすると、また燃えます。
最後に、処理する側の話です。
今回、主人公は告知を出したあと、すぐに次の募集ページを作ろうとしました。
気持ちは分かります。
しかし、一次対応の直後は、判断が荒くなりやすいです。
燃えたログを見た直後の文書には、焦りや防御反応が混ざります。
その状態で作った募集要項は、次の紛争の種になります。
ですので、必要なところまで処理したら、一度止まることも仕事です。
「続きは明日の自分に任せる」は、放置ではありません。
一次対応を終えた後、次の判断精度を守るための停止です。
以上です。
なお、「あとでやる」と「明日やる」は似ていますが、同じではありません。
前者は、沈むことがあります。
後者は、期限と引き継ぎメモがあれば、まだ手続です。
明日の自分に任せる場合は、明日の自分が読んで怒らない程度のメモを残してください。




