(19)来訪者④
まだ、人通りの多い時間帯だった。
振り返ったが、道行く人に不審人物は見当たらなかった。
(でも、確かに誰かがつけてきてた)
やはり、警察だろうか?
用心に越したことはない。
とはいえ、どういう用心ができるのだろう?
思いつくのは、上手に相手を殺す方法を考えておくことぐらいだ。
品出しをしながら、頭の中でいろんな場面を想定し、シミュレーションする。
とりあえず気持ちだけは引き締めて、職場を後にする。
真夜中の道を、街灯を頼りに振り返りつつ歩く。
しかし、後をつけられている様子はなかった。
コインランドリーの前に来た時だった。
駐車場からのそっと出てきた男に声をかけられた。
「隠れ家に帰るのか? 魔女さんよ」
男はコインランドリーの光を背に受け、顔がよく見えない。しかし、知った声だった。
(ストーク! なぜ、こんなところで……)
「どちら様ですか?」
「えっ。知らんぷりするの?」
ストークが近づいて来る。その分、後退る。
「これ、お前だろう?」
そう言うと、スマホの画面を突きつけてきた。ワンが見せてくれた画像だ。
「人違いです」
「おいおい、その程度の化粧で誤魔化せると思ってる?」
「私じゃありません」
「手前の男、恋人か?」
「そんな男、知りません」
「嘘が下手だなあ。まあ、あれ以来一緒にいるところを見ないし、やっぱり、たまたま巻き込まれたのかな?」
「あれ以来って、どういうこと?」
つい聞き返してしまった。
ストークの整った顔が、にやりと歪んだ。
「言葉通りさ。あの日、洗濯物を取りに戻るのを待って、アパートを突き止めた。清掃業とスーパーで働いているのも知っている。ずっとつけてたからな。気づかなかっただろう? そういうの、得意なんだぜ、俺」
背筋がゾゾッとした。
「だから、正体はとうに知れてるんだよ、魔女さん。今日は話がしたかったから、わざと分かるようにしたんだ。でも、気づいてくれないから、こっちから声をかけたのさ」
マドゥは観念した。開き直るしかない。
「あんたがこっちにいるなんて、思いもしなかったからね。何でいるのさ」
「留学したんだ。こちらの高校に。編入試験は難しいと聞いてたけど、大したことなかったぜ。知ってるだろ? 俺が優秀だってこと」
そうだ、こいつは常に一番だった。学力だけでない、運動も、芸術も。王家の末裔として恥ずかしくないようにと教育されていた。
マドゥは吐き捨てた。
「性格以外はね」
「酷いなあ。魔女さんがこっちに来るって聞いたから、追いかけてきたのに」
「ちょっと待って、私がここに来るって、誰から聞いたの?」
「ユェさんさ」
「嘘よ。ユェはそんなこと、絶対に言わない」
「そう。直接言わなくても、聞き耳を立てれば情報は入って来る」
心臓が走り出した。
(こいつが言ってるのは、警察の情報だろうか?)
ストークの親は権力者だ。十分有り得る。
見透かしたように、ストークは声を潜める。
「そう。警察はもう動き始めているぜ」
「何のこと?」
ストークの指がスマホの画面を滑る。
「これさ」
初めて見た振りをする。
「へぇ。あの街でこんな事件があったんだ。知らなかったわ」
「知らなかった? お前が殺したくせに」
「失礼なこと言わないで」
「見たんだよ、あの日。お前があいつらのワゴン車に引きずり込まれたのを」
「な、何言ってるの」
ストークの顔が迫って来た。大きな青い目が突きつけられる。思わず目をそらす。
「昔から、あんたは嘘つきだったわ」
「失礼だな。嘘じゃないさ。あの日もお前に話があったから、ずっと待っていたんだ。なかなか出て来なくて、やっと出てきたと思ったら、あっという間にさらわれた。言っとくが、見たのは俺だけじゃないぜ。あいつら、人目なんかお構いなしだからな」
「でも、目撃者はいないって……」
「何だ、やっぱり知ってるんじゃないか」
しまったと思ったが、後の祭りだ。「甘い」という、ワンの声が聞こえて来るようだった。
「見たのは俺だけじゃないっていうのは嘘さ。でも、俺が見たのは本当だぜ。相手は車だ。追いつけるわけないからな、家の近くで帰って来るのを待っていた。そしたら、これだ」
今度は、防犯カメラの画像だ。
「こんな格好で帰って来たら、何かあったってすぐ分かる。随分慌ててたしな。鍵をかけ忘れただろう?」
(そうだ。話の途中でユェが気づいて閉めに戻ったんだ。「誰かいるような気がする」と言って。まさか、こいつだったなんて)
「そのとき聞いたのさ。ユェが、飛行機でリイナに行くよう、お前に言ったのを。それで、先回りしてバス乗り場でお前を待っていた。のに、来なかったな」
(そうよ。あんたがいたから、バスに乗れなかったのよ)
あの日、準備を終え、一人バスターミナルに向かった。
しかし、空港行きのバス乗り場にストークの姿を見つけ、足を止めた。誰を待っているのか、きょろきょろと周りを見回している。
それで、手前のバスに飛び乗った。それは、ファラスとの国境行きだった。
バスはすぐ発車し、国境で長距離バスに乗り換え、バスを乗り継ぎここまで来た。
(まさか、私を待っていたなんて……)
「だから、別の方法で脱出したと気づいた。それで、俺もこっちに来た。まあ、広い街だからどこにいるか分からなかったが、この男のお陰で会えてよかったよ」
「良くないわ。私は会いたくなかった」
ストークはにやにや笑うばかりで、気持ち悪い。とにかく、早く話を終わらせたい。
「それで、話って何よ」
「俺の女になれ。そしたらアリバイを証明してやる。その時間は二人きりでいたって」
「はぁ? 何言ってるの」
マドゥは、目をむいた。
さっきまでの怯えは飛んで行って、今度は怒りが込み上げてくる。
「断るわ。だって、私、その事件とは関わりないから」
「犯人は、完全密室から逃げ出してるんだ。そんなこと、白髪の魔女にしかできない。つまり、お前だ」
マドゥは、ぐっと唾をのみ込んで気持ちを整えた。
「言っとくけど、そのあだ名は、あんたが勝手につけただけ。何の根拠もないわ」
どんどん怒りが湧いて来る。
「そのせいで、私がどんな目に遭ったか知らないわけじゃないでしょ。せっせとみんなを先導して、私をいじめ抜いたくせに。それが、何? 俺の女になれ? どの口が言ってんのよ。冗談にもほどがあるわ」
「そう怒るなよ。ガキの戯れじゃないか」
「何が戯れよ。自分のしたこと分かってないでしょ」
「分かってるさ、悪かったって。でもな、お前が好きだったんだよ。だから、気を引きたくて、つい、やっちまったんだ。なのにお前、全然振り向いてくれないから、こっちもエスカレートしちまった。な、分かってくれよ、この気持ち」
「分かるわけないでしょ。あんたが私の気持ちを分からないようにね」
「分かった、分かった。悪かったよ」
「分かってない。あんな、……」
思い出すのもおぞましい。
しかし、ストークはサラッと言ってのけた。
「ショーツを脱がそうとしたのは、本当に悪かった」
恥ずかしさと怒りで、ぐわぁと体が熱くなる。
卑猥な話と下ネタが好きなストークが、マドゥをつかまえ下着を脱がそうとしたのは、まだ十一の時だった。「下の毛も白いのか?」と。
その時初めて、円を使った。
風を起こし、砂が舞った。ストークが目を押さえうずくまった隙に逃げたのだが、彼の左目は傷つき、失明した。もっとも、角膜を移植し、現在は視力を取り戻している。
しかし、周囲にいた取り巻き立ちも被害に遭ったため、一気に白髪の魔女の噂が広まったのだ。
「私は被害者だったのよ。性犯罪の。なのに、加害者にされて……」
「あの頃は、本当にガキだったんだ。自分の気持ちに気づいてなかった。俺は王家の末裔で、お前は孤児で、怪しげな商売をしている女の養女だ。相応しくないと周囲に言われ、俺もそうだと思った。思わされていた。だがな、今は言える。俺はお前がずっと好きだったんだ」
その表情は真剣で、その気持ちは本物だろうと思えた。
しかし、そう思うほど滑稽で、腹の中が煮えくり返った。
「あんたさ、それで私の気持ちが傾くと、本気で思ってんの? だとしたら、ただのバカだよ」
「マドゥ。俺はお前を助けたいんだ。このままじゃ、捕まるのも時間の問題だ」
ストークの手が伸びて来る。それを払いのけ、体をかわす。
ストークは執拗に迫って来る。逃げるにも、限界がある。
(どうやって殺そう)
ワンに「下手な事後処理だ」と言われないために……。
気持ちを見透かすように、ストークがスマホを取り出す。
「言っとくけど、今までの会話は、俺のパソコンに送信している。何かあった時の保険だ」
ストークのずる賢さに、自分の甘さを改めて痛感する。
どうすれば良いのか、ためらっている間に、マドゥは壁際に追い詰められた。
「女の子は、壁ドン好きだよな?」
青い目が、欲望でギラギラしている。腕が伸びて来る。
怖い……。
身をすくめたとき、暗闇から声が近づいて来た。
「止めなさい。嫌がっているだろう」
見たことのない男が、ストークの腕をねじり上げた。




