(18)来訪者③
一つ手前の通りで車を降りると、マドゥは一人、コインランドリーに戻った。
騒ぎは収まっていたが、まだ、ちらほらとスマホを持った人の姿が見える。
フードを目深にかぶり、背中を丸め、コインランドリーに入る。誰かが自分を見ているのではないか、不安で鼓動が速くなる。けれど、確かめるために振り向くことさえ怖かった。
下を向いたまま、黙々と洗濯物をリュックに詰める。リュックを背負うと、足早にその場を去った。
誰もつけて来ないか、時折振り向いて確認する。
部屋に戻ると鍵をかけ、ほっと息をついた。
けれど、顔を上げ、カーテンのない窓を見て、また憂鬱になった。
その夜は、不安であまり眠れなかった。
次の日、清掃の仕事を終えるとすぐ、ワンの店を訪れた。
「別の部屋に移りたいんだけど、できるかな?」
「ほう。どうして?」
「ちょっと、訳ありで……」
マドゥが言葉を濁すと、ワンはにやりと笑った。
それから、チャヤに向かって声をかけた。
「すまないが、配達を代わってくれないか。ちょっと、このお嬢さんの相手をしたい」
肩をすくめて、チャヤは出て行った。
配達用ワゴンのエンジン音が聞こえなくなるのを待って、ワンは口を開いた。
「そう言えば、テレビがなかったな」
「何の話?」
「ニュースは見てないのか、という話だ」
「見てないわ。新聞も取ってないし。って、お金がないの、知ってるでしょ」
「スマホは?」
そう言いながら、ワンはスマホを触り始めた。
「だから、お金がないの」
「ユェは持たせてくれなかったのか?」
「向こうにいる時は持ってたわよ、もちろん。でも、こっちに来るとき、置いて行けって、ユェが……。まあ、持ってても代金を払えないけどね」
「ユェにしては懸命な判断だ」
「どうして。私は不自由してる。ユェに連絡もできないし」
「GPSで位置が知られることを防ぐためだ」
「誰が私の位置情報を欲しがるって言うの?」
「そりゃあ、いろんな奴が」
そう言って、ワンがスマホを差し出した。
フォンの画像が、大量に並んでいた。
その一枚を選ぶ。
「お前だろう」
確かに、隅にマドゥが写っている。
「拡大すれば、顔が分かる。どうして化粧をしていなかったんだ?」
「忘れてた。色々あって……」
「マスクもか? 不用心にもほどがある。ユェのことだ、甘ったるく育てたんだろう」
「ユェは悪くないわ。どうして、そんなユェの悪口ばかり言うの」
「甘い人間は油断する。少しの隙が命取りになる」
「大丈夫でしょ。あんな小さな写真、気づく人なんていない」
「どうかな。ネット上では、傍に居るのは恋人かと、話題になっている」
思わず息を止める。
「探されてる、の?」
「そこまでは知らん。だがな、それだけじゃない」
ワンはスマホを操作し、今度はニュースを見せてくれた。
ギョッとする一文が飛び込んできた。
『ホラサーンの首都、ダワーヒーで密室殺人事件か?』
思わずスマホをひったくり、読み進める。
『四月×日。男が四人、マンションの一室で死んでいるのが、異臭に気づいた近所の人の報告で発見された。発見された時はかなり腐敗が進み、その状態から、死んだのは三月下旬ごろと考えられている。外傷はなく、解剖の結果、四人全員がくも膜下出血を起こしたとみられている。室内の状況から何かを撮影していたと考えられているが、ビデオカメラとスマホのデータが盗まれ、詳細は不明。警察は、防犯カメラに写っていた人物の行方を追っている』
「下手な事後処理だ」
マドゥはワンを見る。
「いいか、一人ならともかく、四人全員がくも膜下出血というのは、誰が聞いても変だと思うだろう。やるなら、仲間割れして殺し合った風を装うべきだったな」
「私がやったように言わないで」
「ああ、そうだな。だったら、今後のために聞いておけ。パソコンは、水没させてもデータ復旧は可能だ。せっかく発火させたのに、どうしてそのまま燃やさなかったんだ? 残したくない物は一瞬で完全に燃やし、あとは漏電で起きた火事を装うのが一番だ。黒焦げになれば、死因の解明も時間がかかる」
目の前が真っ暗になり、めまいを感じた。よかれと思った行動が、逆だったのだ。
震える声で問う。
「データは、復旧されたの?」
ワンは鼻で笑った。
「犯人じゃないのに気になるのか? 安心しろ。ほら、『パソコンには燃えた形跡があり、そのためデータを保存する基盤がダメになった』とここに載っている。『犯人は火事を防ぐため、燃えているパソコンを水没させたのだろう』ってさ。大当たりだろう?」
ほっと息をつく。
「だがな、死んだ男の一人が裸だ。部屋には大量のアダルトビデオが保管されていたらしいから、AV撮影中に殺されたと誰もが考える。となると、犯人は女?」
マドゥは、答える言葉も気力も失くしていた。
「目撃者が出てきたという情報はないが、これが公開されている防犯カメラの画像だ」
そこには、派手なジャケットを着て帽子を被った自分が写っている。それを、食い入るように見つめる。
(この映像から私だと分かる人はいるだろうか?)
「ジャケットと帽子は燃やしただろうな?」
返事はしなかった。けれど、ユェが燃やしておくと言ってくれたから、大丈夫だろう。
「それにしても、カメラを避けるか壊すかできなかったのか? おまけに、完全な密室だ」
「それが、何……」
半泣きで、声が途切れる。まだ何かヘマをしたと言うのか?
「トリックがあるなら、完全密室を装っても良い。なければ疑われるのは」
スマホで新たなページを開く。
『犯人は白髪の魔女?』
「こうなる」
あえぐように、反論する。
「それが、私と、関係あるの?」
「大ありだ。子供の頃に事件を起こしているだろう? 白髪の魔女と呼ばれていた少女が事件以降行方不明だと、SNSでもっぱらの話題になってるぞ。育ての親が事情聴取されたこともな」
「そんな……」
「いいか、玄関は閉めてもOKだ。チェーンも掛けておけば良い。しかし、ここから逃げましたよと臭わせる箇所を作っておけ。窓を開けるとか、天井板を一枚ずらすとか、だ。ユェは教えてくれなかったのか?」
しゃくりあげながら答える。
「そんなこと、ユェは言わない」
「だから甘いって言ったんだ」
「でも、……」
「ばあちゃんはどうだったんだ? ばあちゃんなら、もっと厳しかっただろう? それとも、孫には甘かったのか?」
「ど、どうして、おばあちゃんのこと、知ってるの?」
「ユェとは古い付き合いだ。たいていのことは知っている」
「あなた、ユェの何? まさか……」
(ユェの恋人?)
違う。たとえ恋人でも、私が円使いということを話すようなユェじゃない。
けれど、彼は知っている。そして、ユェはそんな彼を信頼して私を託した。
(まさか、私の……)
父なのか、という言葉を飲み込む。
ワンは、顔色一つ変えず告げる。
「一番良いのは、高級車の男のところに戻ることだ」
「そんなことできないし、したくない」
「だが、な、あの男なら守ってくれる。それだけの金と力がある」
「そんな権力者なの? 彼」
「お前、知らずについて行ったのか?」
泣きべそをかいたままうなずく。
あの状況では仕方なかったのだ。
「ナッシュコーポレーションの社長だぞ。超有名人じゃないか」
「う、そ……」
「ここをかぎつけられるのも時間の問題だ。警察よりもっと質の悪い奴に見つかる前に、ニーケのところに転がり込め」
(でも、彼が興味を持っているのはフォンだ。私じゃない)
チャヤが帰って来た。
「あら、まだ話の最中?」
「いや、もう終わった。とにかく、家賃は早めに頼むよ」
「あら、この子、泣いてるじゃない。何泣かせたの?」
「だから、家賃の話だ」
「少しくらい待ったげたって良いじゃない。知り合いの子なんでしょ」
「ダメだ、ダメだ」
ワンは追い払うような手つきをした。
仕方なく店を出る。
どうすれば良いのか。
決めかねて、ずるずる日々を過ごす。
そして二日後。
清掃業を終えスーパーに向かう時、つけられているのを感じた。




