初仕事
「今日はここで寝たまえ。出歩くのは自由だが、命の保障は出来ないよ」
意地悪い笑みを浮かべたままそう告げると、少女は欠伸をしながら屋敷に戻っていった。俺の寝床は二日連続、いや当分の間は馬小屋確定らしい。狭い入り口を抜けると中には何枚か布が敷いてあったが、よく見るとそれは使い古されたカーテンであった。俺は自宅のベッドを恋しく思いながらも、そのまま眠りについた。
その筈だったのだが。
「おいテメエ、起きろ」
小屋の壁を蹴り飛ばされて目が覚める。外はまだ暗く、昨夜より僅かに欠けた月が空に輝いていた。
「人間風情がいいご身分じゃねえか。ええ?」
声の主はあのログとかいう犬男だった。どうやら随分と敵視されているようだ。まあ、出会いを考えれば無理もないのだが。
「何か用ですか、先輩」
「チッ」
ログは舌打ちすると、木の柵で区切られた隣の部屋に入っていった。お互い最悪の隣人というわけだ。
「お前が余裕かましてられるのも今の内だぜ。お嬢のことだ、どうせすぐに飽きる。そうなったらテメエなんざ一捻りで殺されて、俺らの晩メシになるだろうよ。楽しみにしておけ」
こいつの言うことに悪意はあっても偽りはないのだろう。俺は低い天井を仰いだ。
俺の有用性、それに仕事。どうせろくでもない目に遭うんだろうが、考えていても仕方が無い。俺は再び目を閉じ、今度こそ深い眠りに落ちた。
「人間さーん? ご飯よー」
目を覚ますと小屋の入口から猫耳が覗き込んでいた。正確には猫耳のメイドであったが。俺は連日の寝心地の悪さで痛めてしまった腰を伸ばして起き上がった。
「おはようございます」
「はいおはよう。残さず食べてね!」
猫耳メイドからドロドロとした緑色の粥のようなものが入った皿を手渡される。全く食欲をそそらない見た目だったが、俺は一昨日から何も口に入れていなかったので仕方なしに食べた。雑草の味がした。
俺が朝食と格闘している間、小屋の周りを適当に(本当に適当に)掃除していた猫耳メイドだったが、俺が食べ終わったのを見計らって戻ってきた。
「じゃあ、こっち来て。シャワー浴びて、お着替えして、お嬢様と会う準備。いいわね?」
屋敷の中を案内されるがままに着いていくと、『浴室(奴隷用)』と書かれた部屋に着いた。中は非常に清潔であったが、直前まで使っていたのであろう、微妙に残る獣の匂いが鼻をついた。
「これ着替えね。奴隷服は合うサイズがないからログのやつだけど」
獣人の男達のものと同じ服を渡される。ログ本人が知ったらまた文句を垂れるに違いない。俺としても決していい気分ではないのだが、下着は新品のようだったので我慢することにした。さてシャワーに入るか、というところで――
「あの、一応出て行ってもらえますか?」
「え?」
彼女に悪気はないのだろう。人権が存在しない世界にセクハラの概念があるはずもなく、猫耳メイドを説得するのに思わぬ時間を要したのだった。
「ようやく来ましたか」
身支度を終えてお嬢様とやらの元に向かうと、部屋の前に昨日の銀髪のメイドがいた。俺を連れてきた猫耳のメイドが答える。
「すみませんメイド長。この人間をシャワーに入れるのに手間取って」
入れてもらった覚えはないのだが、メイド長と呼ばれた女性の冷ややかな態度を鑑みて、口は挟まなかった。
「結構です、下がりなさい。さあ人間、お嬢様がお待ちですよ。こちらへ」
俺は部屋の中に案内された。一層煌びやかな部屋の中で、主人である少女が立派な椅子に腰掛けていた。部屋着と思われる白いゆったりとしたドレスから、華奢な足が見え隠れしている。
「おはよう。よく眠れたかな?」
「ええ、おかげさまで」
「ふん、いい根性してるじゃないか。キミには今日から幾つかの仕事を与える。3日目の夜までに私を納得させるような答えを出してみたまえ」
「……はい」
どんな仕事なのか分からないが、こうなればやるしかないだろう。俺は覚悟を決めていた。
「そういえばキミ、私の名前は覚えているかね?」
「アルトマリア様、と呼ばれていましたね」
「そうだ。私はセーレ・アルトマリア、この屋敷の主だよ。――で、キミは?」
少女、いやセーレが目が細めて言った。
なるほど確かに、世話になる家の主人には自分から名乗るべきだっただろう。この世界が自分の知っている世界とあまりに違うので常識が頭から抜け落ちていたようだ。
「失礼しました。成瀬圭司といいます」
「おかしな名前だな。しかも長い。今日からキミの名前はワタだ」
「……せめてケイでお願いします」
「どっちでもいいよ」
彼女は本気でどうでもいいと思っている様子だった。
「ではケイ、早速本日の仕事を言い渡す。ソフィ、地図を」
「かしこまりました」
メイド長が机の中から二枚の紙を取り出し、俺に手渡してきた。一枚はこの周辺の地図らしきもの、もう一枚には『作業奴隷一名を提供する。アルトマリア家』の文字とともに印が押されていた。
「まずは簡単な仕事だ。街の工場に行って働いてくるといい」
なるほど。工場でのバイトなら自分でも出来そうだ。街で売り買いされていた人間達に比べれば、遥かにマシな境遇ではないだろうか。
「わかりました。この丸が書いてある場所ですね?」
「そうだ。人間の足でも2時間も歩けば着くだろう」
……ここが異世界だということを失念していた。この世界には馬車や移動魔法はあっても、ただの人間が使えるような交通機関など無いのだ。
「ちなみに作業開始は丁度2時間後だ。精々頑張りたまえよ?」
俺は息を切らしながら工場に着いた。あの屋敷があろうことか山の上に建っていたせいで、普通に歩いてはとても間に合わなかったのだ。だがこの世界のことだ、遅刻しただけで首を刎ねられる可能性すらある。
「よし、全員揃ったな」
受付で紹介状を渡してしばらくすると、まとめ役らしき男が前に出た。やや小太りの普通の中年男性に見えるが、周りの人間達よりは多少まともな服装をしている。
「今日は先日に引き続きネジ留めの作業を行なう! 配置と手順は配布したマニュアルを読むように! オーナーは我々人間にもこのような素晴らしい仕事を与えて下さる方だ! その恩義に報いるよう、全身全霊を尽くすように! 以上、作業始め!」
労働者達を鼓舞するための挨拶は、まるでブラック企業の朝礼のようだった。
その仕事の内容というのは、何かの部品にネジを留めていくだけの単純なライン作業であった。これでは俺の世界の知識を役立てることも出来そうにない。俺はマニュアルを見ながら黙々と作業を始めた。
それからどれ程の時間が経っただろうか、何度目かの配置替えの号令がかかり、俺は所定の場所に移動した。単純作業は想像以上に辛いもので、回りの人間達も相変わらず死んだ目をしている。
そんな時ふと隣に目をやると、見覚えのある顔があった。
「君は、あの時の?」
黒髪の少女がこちらを振り向いた。井戸の中から俺を見つけてくれたあの少女だ。
「……あの時のへんな人。生きてたんですね」
「ああ、なんとかね。前に言っていた街の仕事ってのは、ここのことだったのか」
「お母さん……いえ、ご主人さまの計らいです。私みたいな貧弱な者でも、ここなら働けるだろうって」
なるほど。もしかしたらセーレもその辺り配慮してくれていたのかもしれない。屋敷にいた獣人達と比べて、俺が力仕事に向いていないことは明らかだった。
「そうか、大事にされているんだな。ところで、お母さんって?」
「……私は奴隷の生産施設で産まれました。5歳になっても体が弱く、廃棄されそうになっていたところを、見かねたご主人さまが買い取ってくれたんです。例え奴隷としてでも、私を育ててくれた人だから、お母さんって呼びたくなるんです。……そう呼ぶと、怒られるんですけどね」
彼女は年不相応な、憂いを帯びた表情で言った。あまりいい印象のないエルフ(とドワーフのハーフ)の女性だったが、彼女からは随分と慕われているらしい。確かにこの世界の人間の中では、こうして働いて生活していけるのはかなり恵まれている方なのだろう。
「配置換えを行なう! 全員次の担当場所へ急げ!」
中年男性の声が飛び、周りの人間達が移動し始めた。俺はその背中に声を掛ける。
「最後に一つだけ――俺の名前はケイ。君は?」
「わたし、私の名前は……」
このとき初めて、少女のはにかむような笑顔が覗いた。
「エル。お母さんが、つけてくれたんです」
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