一日目の夜
結局作業は夕方まで休みなしで続いた。運動不足で鈍った体が悲鳴をあげているのを感じながらも、俺はなんとか帰路に着いた。あまりのんびりもしていられない。これからあの屋敷まで戻らないといけないのだから。
急ぎ足で街から出ようとしたところで、ふと声が掛けられた。
「あら? もしかして貴方、人間?」
色とりどりの花が並べられた店の前に、ジョウロを抱えた女性が立っていた。見た目は俺より少し年上くらいだろうか。腰の辺りまで伸びた栗色の髪が、夕日を反射して輝いていた。
「そうです。もしかして貴方も?」
「ええ、そうなの! 普通の人間を見るのは街では珍かったから、つい声を掛けちゃったわ。もしかして忙しかった?」
急いでいたのは確かだが、彼女に対する興味がそれを上回った。美人だからというだけではなく、彼女はこの世界で目にした人間の中でも最も『正常』に見えたからだ。
「いえ、大丈夫です。貴方はここで働いているんですか?」
「ええ、この『フローレ』で花の管理や接客をしているの。どう、綺麗でしょう?」
俺は花の知識など一切なかったが、確かに店頭に並べられた花は鮮やかに咲いており、よく手入れされていることを伺わせた。
「ええ、とても綺麗ですね。持ち合わせがあれば買って帰りたかったんですが」
「あらごめんなさい、気を遣わせてしまったかしら? そんなつもりではなかったのだけど。仕事場から戻るところなのでしょう?」
「そうなんですよ。一日中働き通しで、ようやく終わったと思えば、今度は山の上の屋敷まで歩かされているところでして」
「あら。山の上のお屋敷って、もしかしてアルトマリア様の?」
「ええ、ご存知ですか?」
「そりゃあ噂になってるもの! 珍しいもの好きのお嬢様が、今度は人間を買って行ったって。その人間ってあなたのことだったのねえ」
「はは……」
顔をまじまじと見られて、俺はなんとなく気恥ずかしい気持ちになった。自分は思っている以上に有名な存在らしい。
「さて、そろそろ戻らないと」
「ええ、お気をつけて。あ、そうそう」
別れ際、彼女はとびきりの笑顔で微笑んだ。
「お祝いや贈り物には、アルラウネ直営の『フローレ』へどうぞ!」
山道を登り続け、ようやく屋敷についたのは日が沈んでからだった。門を開けると、中から今朝の猫耳メイドが迎えに来てくれた。
「お疲れさま。初のお仕事はどうだった?」
「まあ、それなりに働けていたと思いますが」
「ふーん。サボったりしてないわよね?」
「まさか」
「ならいいけど。貴方は気づかなかったでしょうけど、お嬢様のことだから使い魔でも飛ばして様子を見ていたと思うわよ」
監視されていたということか。だが確かに、俺の働きぶりを確認するのは主人として当然のことだろう。
「お嬢様からお呼びがかかってるわよ。まずはシャワーを浴びてらっしゃい」
俺はメイドから手渡された服とタオルを持って、再度浴場へ向かった。
着替えを終えて廊下に出ると、そこに待っていたのはメイド長のソフィアだった。
「遅いですよ」
俺に向ける目は相変わらず険しい。やはり彼女からはあまり歓迎されていないようだ。
「こちらへ。お嬢様がお待ちです」
それだけ言うと彼女は早足で歩き出し、俺はその後ろを慌てて着いて行った。無言のまま屋敷の内装を眺めながら歩いていると、気がつけばセーレの部屋の前だった。
「お嬢様。ケイを連れてきましたが」
「ああ、今手紙を書いているから少し待って頂戴」
「は、かしこまりました」
俺とメイド長の二人は廊下で待つ。黙っているのも気まずいので、俺は話しかけてみることにした。
「メイド長はいつからこの仕事を?」
「産まれたときからです」
相変わらずの無表情だが、一応口は利いてくれるようだ。
「私共の一族はアルトマリア家に代々仕えるもの。それこそお嬢様が産まれる以前より、メイドとしてお仕えしてきたものですわ」
そのまま俺のほうを見もせずに続ける。
「そのお嬢様が名乗られたので一応私も名乗っておきましょう。ソフィア・エーデルグランデ。まあ、貴方が口にする機会は訪れないでしょうけどね」
メイド長は無表情のままそう言うと、再び目を逸らした。しばらく重い空気が流れた後、部屋から声が掛かる。
「待たせたね。ソフィ、ケイ、入りたまえ」
中に入ると、セーレの机の上に山積みになった書類が目に入った。屋敷の主も楽ではないらしい。
「今日一日ご苦労様。キミの仕事ぶりを見させてもらったけど――」
俺の全身が無意識に強張る。俺の命運がかかっているのだ。
「――普通だね」
なんとも微妙な答えに、俺は肩透かしを食らった。良いでも悪いでもなく、普通。
「与えられた仕事はこなしたつもりです」
「ああ、作業奴隷としての責務は果たしていたとも。だが、私がそんなことのためだけにキミを買ったとでも?」
彼女の言っていることは尤もだ。ただの奴隷にはこの屋敷に住まうほどの価値はないということだろう。
だが、それならば俺は他に何が出来るだろうか。こんな狂った世界の政治や経済に俺の知識が通用するとは思えないし――
「どうやらキミはまだ、"人間"としての立場を分かっていないと見える」
黙っている俺に対し、セーレが呆れたように言葉を投げかける。
「もう作業は結構。それよりも、明日は私の個人的な用事を済ませてもらおう。詳しくは明日説明するから、キミはもう下がっていいぞ」
俺は何も言えぬまま、寝床である小屋に戻った。近日中に犬の餌となる覚悟をする必要があるかもしれない。そんな不安を感じながらも体は疲れきっていたので、泥のように眠りについた。
二人だけになった部屋で、ソフィアが主人に問いかける。
「お嬢様、あの人間に何をさせるおつもりで? 些事なら私が済ませますが――」
「あの人間に、もっと現実を知ってもらおうと思ってね」
セーレは書類に目をやりながら答えた。
「ただのお遣いだよ。『牧場』までね」
「……なるほど」
ソフィアは主の意図を察し、何かを言おうとしたが、結局口にすることはなかった。
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