魔法
水を打ったように静まり返るメイドと獣人の男達。そんな彼等を気にする様子もなく、ソフィアが俺を睨んだ。
「随分と楽しそうですわね、ケイ。貴方の仕事はメイド達の訓練のはずよ。犬達の相手ではないわ」
どうやら騒ぎすぎたのが気に障ったようだ。ソフィアはこの屋敷の使用人達から随分恐れられているようで、メイド達はきまずそうに黙り込んでいる。俺の隣にいたグレゴが口を開いた。
「すんませんメイド長、オレが――」
「――いや、俺が受けたんですよ。強い相手ほど学ぶことも多い」
俺は謝ろうとするグレゴを制するように言った。グレゴにばかり罪を押し付けるのも忍びない。だがソフィアはそんな俺の態度が気に食わないらしく、相変わらず厳しい目つきで俺を睨んでいる。
「随分と思い上がっているようですね。元人間の分際で」
ソフィアが俺の方に歩み寄ると、周囲にいたメイドと獣人の男達が自然と道を空けた。
「貴方は死徒になっても所詮は魔法の一つも使えないただの人間よ、強さなんて最初から期待していないわ。精々肉壁がいいところね」
随分な言い様だった。思えばソフィアは以前から俺のことを目の敵にしていたように思う。だが俺もこの訓練を通じて少しは信頼されるようになったのだ、黙って聞いているわけにもいかない。
「どうだか。不死身の体ってのは便利なものですよ。そのうち役に立って見せますよ、メイド長殿には考え付かないような下等な方法でもね」
俺はあえて挑発するように言った。どうせ口論しても収まらないだろう。
「口先だけは立派ね。今この場で試してみましょうか?」
挑発に乗ってくるソフィア。この屋敷のメイド長として、そしてセーレの配下として、急に死徒となった俺との上下関係ははっきりさせておきたいのだろう。ここはやれるだけやって、大人しくボコボコにされておくか――と思ったところで。
ソフィアの姿が目の前から消えた。
「――っ!」
次の瞬間、俺の背後から首元にナイフが突きつけられていた。咄嗟に右手で防いでいなければ今頃首に穴が開いていただろう。その刃に触れている箇所から、再生の白い煙があがり続けていた。
「ただのナイフじゃないな。これが魔法ってやつか?」
「ええ。貴方のような化け物を相手にしても刃こぼれしない為にね」
「ところで、接近戦にも自信があるのか?」
このメイド長の細腕に、グレゴ程の腕力があるとは思えない。
「ええ。試してみますか?」
俺はこの時初めて気づいた。右手が動かない。感覚が鈍くなっていたせいで気づかなかったが、ナイフに触れた俺の右手は凍りついていた。
「さて、いつまで不躾に触れているつもり?」
そう言うとソフィアは両足で俺の腹部を蹴り飛ばし、宙で一回転して後方に着地した。同時に、その背後に直径2メートル程の円が浮かび上がる。青白い光で画かれたのは幾何学的な紋様だ。あれが魔法陣というものか。
「『――――開け、氷獄の門よ』」
ソフィアの言葉と同時に、その場の空気が数度下がったように感じた。あの闘技場の帰りに襲われた際のことを思い出す。彼女が得意とするのは――氷の魔法だ。
ふと周囲を見渡すと、メイド達が悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。
「ちょっとヤバいって! ソフィア様本気よ!」
「アイツが余計なこと言うから!」
そしてソフィアは容赦なく、その呪文を呟いた。
「『――――氷槍・射出』」
一つひとつがナイフよりも大きく鋭い氷柱が、横薙ぎの雨のように降り注ぐ。
これが魔法か。想像していたよりも遥かに激しい攻撃に、強化したはずの身体が悲鳴をあげていた。全身のあちこちが氷柱に貫かれ、再生の煙があがる。
「手入れしたお庭がー!」
そんな悲鳴が聞こえて周りを見ると、俺に命中しなかった氷柱が中庭の地面を抉り、一部は植木にも突き刺さっていた。メイド長が庭を汚してよいのかと軽口を叩こうとしたが、とてもそんな余裕はない。
「ぐっ……この!」
防御しているだけでは勝てない、なんとかして距離を詰めなければ。俺は肉体の強化を前面に集中させ、姿勢を低くしながら一歩ずつ距離を詰める。
降り注ぐ氷柱の先に、ふとソフィアの顔が見えた。無表情のまま、必死に耐える俺を見下ろしている。
「っ、舐めるな!」
このままでは勝ち目が無い。俺は顔面だけを庇いながら走り出した。氷柱の嵐に身を晒され、手足から抉り取られた肉片が千切れ飛ぶ。
だがソフィアはもう目の前だ。俺は魔力強化を脚に集中させ、渾身の力で飛び掛った。接近戦になればあの魔法も効果を無くすだろう。もう彼女は目の前。その距離はあと10センチもない――
というところで、俺は両足を何者かに引っぱられ、その地面に頭から突っ込んだ。
「ぶっ」
意図しない間抜けな声が漏れる。足が全く動かない、一体何が――と思って足を見ると。
地面から生えた氷塊で、足が縫い止められていた。
「はいはい、惜しかったですわね」
ソフィアがわざわざ俺の前に屈み、顔を覗き込んでくる。その間にも、地面についていた俺の両手が同じように凍り始めていた。
「……手加減したつもりか?」
「当然でしょう? 人間ごときに本気を出したらメイド長の名折れですわ」
ソフィアは勝ち誇った顔で続ける。
「分かりましたか? 不死身といっても、こうして動きを止めることぐらい容易いものです」
「……身に染みて分かったよ。しかしやりすぎじゃないのか」
「貴方が調子に乗るからよ。それにしても滑稽ですわね、文字通り手も足も出ないとは」
俺を覗き込むソフィアは心底楽しそうだ。俺の無様な姿が見られてさぞ満足なのだろう。このサドメイドめ。
そんな悔しさをぶつけてやりたかったが、ソフィアの言うとおり手足が出なかったため、口を出すことにした。周囲に隠れている獣人の男達に聞こえるように。
「白」
ソフィアはきょとんとした顔になったが、一瞬だけ目を丸くし、すぐにまた氷のような目つきに戻った。
「当分そのままでいたいようね」
ソフィアは立ち上がると俺の額をヒールで蹴り飛ばし、そのまま館へと戻っていった。いい気味だ。
「おい、大丈夫か?」
手足を地面に固定されたままの俺に真っ先に声を掛けたのはグレゴだった。
「お前のクソ度胸はどこからきてるんだ? メイド長にまで喧嘩を売るとはな」
その後ろから、獣人の奴隷達も顔を見せる。
「なあ白ってマジかよ!?」
どうやら俺の容態よりもそちらが重要らしい。だがそんな軽いノリも、今の俺には悪くなかった。
「ああ、あの女への腹いせだ。詳しく教えよう。だがその前に――」
俺は手足を着いた辛い体勢のまま言った。
「氷をどうにかしてくれ」




