親子喧嘩
二人は無言で店の中に入る。
瑠璃は前を見据えたまま、警戒する。
影は御子神を見てはいなかった。
見ていたのは瑠璃だった。
あの目は捕食者の目。
あの影は瑠璃を食べるつもりだ。
それに対する警戒はない。
ただ、御子神に対する攻撃意志もその目から読み取れた。
それに警戒する。
瑠璃は御子神を護る。
それが取引だ。
影を見たとき、体が警報を鳴らしているのがわかった。
御子神の敵が来たのだと即座にわかった。
瑠璃はもし敵が襲いかかってきたら対抗するつもりだった。
しかし影は襲ってはこず、じぃっとこちらを見るだけ。
御子神の言った通り、林の中には入ってこれなかったのだろう。
もしかしたら、林には結界のようなものがあるのかもしれない。
だが、林に結界があったとしても店にもあるかどうかは不明だ。
警戒をしなければいけない。
敵はすでに襲ってくる準備は整っているはずだ。
だからこそ、挑発しに来た。
『いつでも襲うことはできるのだぞ』
そう言っているかのように。
瑠璃は初めて御子神を狙う敵を見た。
思った以上に巨大な影。
あの影に瑠璃の前任は皆食われた。
あの影の腹の中には食われた者たちがいる。
それを考えると身震いがする。
瑠璃は知らず知らず、自分の体を抱きしめるように腕を抱く。
「・・・大丈夫?」
御子神がそれに気付いて、心配そうに声をかける。
瑠璃はそんな御子神を見て、静かに目を閉じると深呼吸する。
深呼吸を何度か繰り返し、ゆっくりと目を開ける。
「大丈夫です」
笑顔を御子神に向ける。
御子神は変わらず心配そうな顔をしていたが、瑠璃は気にせず居間に向かう。
その背を御子神は苦しそうな顔で見ていた。
その日の夜、御子神は縁側で月を眺めていた。
薄い月が微弱な光で地を照らす。
いつもなら、夜になれば酒を飲んでいる。
でも今夜はそんな気分にはなれそうもなかった。
「・・・」
敵が来る。
あの影は必ず瑠璃を食べるために来る。
「・・・また、何もできないまま終わるのか・・・?」
一人呟く。
その呟きを聞くものは誰一人としていない。
と、思っていたのだが。
「終わらせたくなければ、戦え」
声のした方を見れば、統吾と桜華屋の奥さんがいた。
「あんなかわいい子を護れなかったら私はあなたを軽蔑しますよ」
二人は御子神を挟むように縁側に腰掛ける。
「お前ら・・・」
「来たのでしょう? 敵が」
奥さんは前を見て言う。
「手助けが必要なら貸すぞ?」
統吾が不敵な笑みを浮かべる。
「・・・結構だ」
御子神は統吾の皮肉に思わず口角が上がる。
「だったら、自分でどうにかしろよ。あの子の居ないところで弱音なんか吐いてる暇なんかないはずだぞ。敵は確実に来る。それがいつかはわからない。でも、敵が来たらあの子と自分を護れ」
「私たちはあなたの味方ですよ。何かがあったら必ず力になります」
奥さんが御子神に微笑みかける。
その時、まばゆい光が庭を包んだ。
庭を見れば、御子神の顔見知りの妖怪たちがいた。
「なんで・・・」
「彼らはお前に借りがあるからな。力になるために来たんだと」
統吾が妖怪たちを見て言う。
「・・・そうか」
御子神は泣きそうな表情で笑う。
「ありがとうな、みんな」
妖怪たちは嬉しそうに声を上げる。
「お前は俺たちの中の誰よりも強いんだ。だから、本気になって戦え。今度は勝ってみせろ」
「そして、瑠璃ちゃんを護ってあげてください」
それに御子神は力強くうなずく。
「ああ」
その返答に満足したのか、妖怪たちは消え、統吾と奥さんも消えた。
月を見上げる。
薄い月は笑うように弧をえがいている。
御子神の中に強固な決意が生まれ、御子神が自身にかけた枷が音を立てて崩れた。
翌朝、瑠璃が自室から出てくると庭に立派な蔵があった。
「あれ!?」
目を丸くしてその蔵を見る。
すると、蔵の中から御子神が肩を叩きながら出てきた。
「あ、おはよう。瑠璃ちゃん」
「おはようございます。って、この蔵はどうしたんですか!?」
「貰った」
背後の蔵を見ていう。
「また、貰ったんですか?」
「うん。昨日顔馴染みの妖怪たちが集まってね。その時に貰ったんだよ。作ってもよかったんだけどね」
御子神がにこりと笑う。
「瑠璃ちゃん、おいで」
御子神が手招きする。
瑠璃は首を傾げながら、御子神のもとに行く。
「中に入ってごらん」
困ったような表情を浮かべる瑠璃に優しく微笑みかける。
瑠璃は意を決して蔵の中に入っていく。
「!」
蔵に入った瞬間眩い光に目をつぶる。
「こらこら、光が強すぎるよ。もっと落として!」
御子神がそう言うと、光は弱くなり適度な明るさとなった。
瑠璃がゆっくりと目を開けると、蔵の中は蔵とは思えないほど明るかった。
「これは・・・?」
「蛍の妖怪が蔵の中にいるんだよ。だから、この扉が開いたら明かりがつくんだ」
蔵の中を見回す。
そんな妖怪の姿は見当たらない。
「ふふっ。そんな目に見えるほど大きな妖怪じゃないよ」
瑠璃の心を読んだように御子神は笑う。
「そんなに小さいんですか?」
「小さいよ。この光一つ一つが蛍の妖怪だ」
光を撫でるように御子神は宙に手をかざす。
「じゃあ、どれくらいいるんですか?」
「さあ? 多分一万以上はいるだろうね」
「そ、そんなに?」
「うん」
瑠璃は驚いたように光を見る。
その目はキラキラと輝いていた。昨日のことなどなかったかのように。
「そういえば、今日お祭りがあるって知ってました?」
瑠璃がふと思い出したように言う。
「そうなのかい? 人間の祭りにあまり関心がなかったから知らなかったなあ」
「行きましょうよ、お祭り」
「う~ん・・・興味ないなあ」
御子神は渋い顔をして、顔を縦には振らない。
「・・・」
そんな御子神に瑠璃は顔を俯かせる。
それに気付いた御子神は焦ったように、
「ほら! お店も忙しいしさ、またの機会にしようよ、ね?」
と慰めているのかは不明だが声をかける。
「・・・」
「わかった、わかった! 祭りに行こう」
御子神は結局折れた。
瑠璃は顔をあげて嬉しそうに顔を綻ばせる。
「やったあ! 嘘じゃないですよね?」
「嘘じゃないよ・・・」
瑠璃が満面の笑みを浮かべる。
「あ、朝ご飯を準備しないと。御子神さんも手を洗ったら来てくださいね!」
そう言って、瑠璃は駆け足で戻っていった。
「はあ・・・」
「朝から振り回されてんな~」
声のした方を見ると、統吾が塀ごしにこちらを見ていた。
「お前、また何の用だ」
「別に? 娘が家出したから探してるだけだ」
「また家出したのか?」
「ああ。まったくお転婆な娘だよ」
統吾は塀を超えて、庭に入ってくる。
「言っておくが、うちには来てないぞ」
「そうか・・・じゃあ、桜華屋かな・・・」
統吾は顎に手を当てて、考えるように唸る。
「御子神さん!」
瑠璃の驚いた大きな声が聞こえた。
何事かと御子神は台所に駆け込む。
すると、瑠璃が立ち尽くしていた。
「どうしたの?」
御子神が瑠璃の隣に立って、瑠璃の見ているものを見る。
それに顔をいかめしく歪める。
「・・・おい、統吾!」
統吾を呼ぶと、統吾がひょこっと台所に顔を出す。
「なんだ? 見つかったか?」
「ああ。早く連れて帰れ。じゃないと、うちの食料を食いつかされる」
三人が見る先には小さな犬が冷蔵庫に頭を突っ込んで食料をばくばくと食べていた。
「・・・すまん」
統吾のこめかみがピキピキと動いていた。
統吾が小さな犬に近づくと、犬が気付き逃げようと駆けだす。
それに御子神がため息を吐いて、向かってくる小さな犬の首を掴んで、持ち上げる。
「統吾。自分の娘くらい自分でしつけをしたらどうだ」
「それは本当にすまん。娘だったもんだから甘やかしすぎた」
統吾が小さな犬を受け取ると、小さな犬はぽんというかわいい音を立てて変化する。
「放せ! このバカ親父!」
幼稚園生くらいの女の子が統吾に暴言を吐く。
「口が悪いぞ、綾」
統吾が女の子、綾をぺしんと叩く。
「うるさい! いつまでも子ども扱いするな!」
「子どもだろう」
「違う! とうとう目が腐ったか、この老いぼれ!」
「・・・おい、実の父親に向かって老いぼれとは随分な言い草だな」
「事実だろうが! クソじじい!」
綾が統吾の腹を殴った。
それに統吾の表情が固まった。
御子神と瑠璃の前で親子喧嘩をしている。
いや、綾が一方的に言っているようだ。
「お前ら・・・朝からうるさいよ」
『黙ってろ! このクソ狐!』
統吾と綾が同時に御子神に言った。
それにさすがの御子神も表情が引きつる。
成り行きを見ていた瑠璃も、御子神の表情が引きつったのを見て、仲裁に入ることにした。
「はい、ストップ!」
瑠璃は統吾と綾の間に割り入る。
「邪魔だよ、小娘!」
「どきなさい。俺はこのバカな娘と話しているんだ」
「どきません。喧嘩をするなら、他所でやってください」
そう言って、統吾と綾を睨む。
それに怯んだ綾はしゅんと小さくなった。
統吾は深く溜息を吐くと、頭を掻いて、壁際に行く。
それを見ると、瑠璃はしゃがんで綾と視線を合わせる。
「綾ちゃん」
「ちゃん付けなんてしないで。私はあなたよりも年上なんだから」
目線をそらしたまま言う。
「じゃあ、綾さん」
「・・・」
「なんで、お父さんを毛嫌いするんですか?」
「それは・・・いつも、仕事ばっかで家にいないし、いるかと思えば私を子ども扱いするし・・・。だってもう二十六だよ? この年齢で子ども扱いされるのは嫌なんだよ」
「に、二十六!?」
瑠璃が驚いたように御子神を見る。
「妖怪では二十六はまだまだ赤ん坊と同じだよ」
「妖怪ではね! 人間では立派な大人なんだ! なのに、妖怪の血が強いせいで、こんな体だし!」
綾が自分の体を撫でる。
「綾さんのお母さんは人間なんですか?」
「ああ。妻は人間だよ。綾は半妖だ」
統吾は壁に寄りかかって、腕を組んでいる。
「なるほど・・・。綾さんは自分を妖怪だと思っていますか? それとも人間?」
「私は・・・どちらでも思っているよ」
「だったら、綾さんにも統吾さんにも非はあると思います」
その言葉に綾が瑠璃を見る。
「統吾さんは綾さんを子ども扱いしないであげてください。綾さんは立派な女性です」
瑠璃は統吾を真剣に見る。
「でも・・・」
「なんですか?」
瑠璃が統吾を見据える。
「わ、わかった」
統吾が頷いた。
それに満足そうにうなずくと、瑠璃は綾に向き直った。
その背後で統吾は御子神を呼んでいた。
「・・・あの子、気が強すぎないか?」
「それが瑠璃ちゃんなんだよ」
「性格だけとは言いづらいほどに気が強い子だぞ」
「そうか? そうでもな・・・確かに」
御子神は思い当たる節があったのか、肯定した。
「お前・・・苦労するな」
統吾が御子神の肩をぽんと叩く。
「お前もな」
二人は深いため息を吐いた。
「綾さん。あなたは統吾さんを嫌ってなんかいませんよね?」
「何言って・・・! 私は大っ嫌いだよあの人のことは!」
「嘘ですよ。本当に嫌いだったら、妖怪だなんて思わないはずです。だって、妖怪だって思うってことは統吾さんを少なからず好意的に思ってるってことでしょう?」
瑠璃は綾と視線を合わせて、言う。
「・・・」
「ただ、構ってほしいだけなんですよね? いつも仕事で忙しくて、構ってくれないから」
「違う!」
「違わないでしょう。その気持ちは私にもわかりますから」
瑠璃は綾の手を握る。
「・・・」
「素直になりましょう?」
瑠璃が笑みを向けて、綾を説得すると、コクリと頷いた。
「じゃあ、謝りましょう」
瑠璃は統吾の方へと綾の背中を押した。
「・・・ごめんなさい」
「! ・・・ああ。俺も悪かった」
統吾は始め驚いていたが、すぐに破顔して綾の頭を撫でた。
「・・・子ども扱い」
「これは子ども扱いじゃないよ。愛しい者にやる行為だ」
そう言って、統吾は綾の頭を撫で続ける。
「さあ、解決したところで、これはどうしてくれる?」
御子神が冷蔵庫を指さして言う。
『あ』
二人が冷蔵庫を見ると、食い荒らされた食材が散乱していた。
それに瑠璃は苦笑する。
「買い出しに行かないとですね」
「あ、あの、私も行く!」
綾が瑠璃の服の袖を引っ張る。
「綾さん?」
「その、私のせいだから・・・」
瑠璃は御子神と統吾を見る。
二人は頷いた。
「二人で行っておいで。私たちでここは片しておくから」
「わかりました。あ、統吾さんたちも朝食食べていきますよね?」
「いいのか?」
「はい。私は全然。御子神さんが良ければですけど・・・」
「そうか。じゃあ、お言葉に甘えることにするよ」
御子神は驚いたように統吾を見る。
「待った。私の意見はどうなったんだい?」
「お前の意見なんぞ知らん」
「は!? 一応、この家主だぞ!」
「知るか」
御子神と統吾が言い合いをしている。
それを瑠璃は面白そうに見ると、台所から出る。
「じゃあ、行きましょうか。二人は放っておいて」
「うん」
「あ、綾」
台所から統吾がひょこっと顔を出す。
「何?」
統吾は綾を手招きすると、綾に耳打ちする。
綾は頷いた。
それに統吾は安心したように笑うと、綾の背中を押した。
「じゃあ、買い出しよろしく~」
統吾はそういうと、台所に引っ込んだ。
「?」
「行こう?」
綾に手を引かれ、瑠璃は店をあとにする。
「今、綾になんて言ったんだ?」
「あの子を、瑠璃を護れって言ったんだよ」
統吾は食材を片しながら答える。
「そうか・・・すまないな」
「かまわんさ。あんな娘でも腕っぷしは強いからな、もし何かあっても護れるさ」
統吾は笑っている。
「ああ」
御子神も頷いて、小さく笑った。
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