↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
5/8

第5話 翻訳の魔法

「……あなたたち、どこから来たの?」


その言葉が分かった瞬間、俺は、サムの背中の陰で、声にならない声を上げていた。


翻訳の魔法だ。


異世界ものなら、だいたい転移した瞬間に、なぜか言葉が通じている。都合のいい加護とか、スキルとか、そういうものが勝手に面倒を見てくれる。


この世界は、そこまで親切じゃなかった。森をさんざん歩いた末に、ようやく、目の前の女の子が、杖を振って、汗だくになって、言葉を通じさせてくれた。


親切じゃない分、ありがたみが段違いだった。



「アメリカだ」


隊長が答えた。


少女は、首をかしげた。


「あめ……りか?」


「国の名前だ」


「聞いたことないなあ。それって、アルヴェインより西? それとも天龍帝国より東?」


今度は、隊長が黙る番だった。


「……どちらも、聞いたことがない」


少女と隊長は、しばらく見つめ合っていた。お互いに、相手がふざけているのかどうか、確かめるような顔で。


少女が先に、ふっと肩の力を抜いた。


「まあいいや。私はアイシャ。サーラヤ王国から来た、見習いの魔導士だよ。それと、助けてくれてありがとう!」


そう言って、彼女は、ぺこりと頭を下げた。


それから顔を上げて、隊長の手の中の銃を、まっすぐ指さした。


「で、それって何?」



俺は、心の中でステータス画面を開いた。


異世界に来たのに、ステータス画面は一向に開かない。誰も見せてくれないなら、仕方がない。俺の頭の中で勝手に開くことにした。


――――――――――

アイシャ

魔法:たぶん高い(比較対象がない)

好奇心:S

危機感:C

見た目:S(測定者の主観。……いや、たぶん誰が測ってもS)

備考:銃を見て、怖がるより先に目が輝いた。

――――――――――


たぶん、俺と同じ種類の人間だ。


それにしても、と俺は思った。


大きな琥珀色の瞳。まっすぐな前髪の下で、その瞳がよく動く。黒い髪は二本の三つ編みにして、頭の後ろで輪にして結っている。編み目の間で、小さな銀の輪と色の糸が揺れている。色の白い肌は、旅の埃で汚れているのに、なぜか光って見えた。旅のために短く仕立て直した学者の上着に、短いケープ。ひざ上のスカートに黒いタイツ、編み上げのブーツ。腰のベルトには、色とりどりの小さな薬瓶。笑うと、右の頬にだけ、小さなえくぼができる。


画面の中の女の子なら、いくらでも見てきた。でも、現実の女の子に、こんな近くで笑いかけられたのは、何年ぶりだろう。


落ち着け、早瀬湊。お前は助けられた人質で、彼女は通訳をしてくれる旅の道連れだ。それ以上でも、それ以下でもない。


……備考欄だけ、こっそり書き足しておいた。


備考:笑うと、右の頬にえくぼができる。それを見ると、測定者の心拍数が上がる。



アイシャの体が、ふらりと揺れた。サムが慌てて腕を支える。


「……ごめん。これ、すごく疲れるの。一日一回が限界なんだ」


「無理するな、アイシャ」とサム。


エヴァンは、さっきから、手元の端末の画面をにらんでいた。


「GPSが使えない」


アイシャは、首をかしげた。


「じー、ぴー、えす?」


「衛星からの電波で、自分の位置を知るための仕組みだ」


「えいせい?」


「空のはるか上を回っている機械だ」


「空の上に機械が? ねえ、誰が置いたの? どうやって?」


エヴァンが、口を開けたまま固まった。


説明しようとした言葉が、全部、意味を持たない音のまま、アイシャに届いているのだ。機械の説明で、エヴァンが言葉に詰まるのを、俺は初めて見た。


その日だけで、通じなかった言葉は、ドローン、アメリカ、ヘリコプター、電池、インターネット、チーズ味のクラッカー。


最後のは、アダムが袋を見せて説明しようとして、なぜか一番時間がかかった。



「ここはね、灰の辺境っていうの。三つの国の境目にあって、どこの国のものでもないんだ。だから、法も騎士団も来ない。いるのは、野盗と、魔物と、国にいられなくなった人くらいかな」


アイシャは、なんでもないことのように言った。


「地球」という言葉も、アメリカも、日本も、ここでは誰も知らない。


六人は、しばらく誰もしゃべらなかった。


隊長は、地面の一点を見つめていた。マーカスは、腕を組んだまま目を閉じていた。ノアのガムを噛む音だけが、やけに大きく聞こえた。


「地図に載っていない未開の地域だ。それで説明がつく」


最初に口を開いたのは、エヴァンだった。


「人が足を踏み入れていない場所は、地球にまだいくらでもある。言語が違うのも、国の名前を知らないのも当然だ。孤立した地域なら」


エヴァンはそこで言葉を切って、空を見上げた。


昼間の空に、月が、二つ、薄く浮かんでいた。白い月と、小さな青い月。


エヴァンは、それ以上、何も言わなかった。


――――――――――

エヴァン・コール

電子機器:S

射撃:A

魔法への理解:測定不能(本人が拒否)

備考:「思います」は数字じゃない、らしい。

――――――――――


拒否するのは、たぶん、怖いからだ。説明できないものの中で、どうやって仲間を守ればいいのか分からないから。


俺は、少しだけ、この人のことが分かった気がした。



それから先のことは、正直、あまり覚えていない。


気がついたら、俺とアイシャは、荷馬車の車輪にもたれて、ずっとしゃべっていた。日が暮れても、夕飯を食べ終えても、隊商の人たちが寝静まっても、まだしゃべっていた。


「じゃあ、そのドローンっていうのは、魔力じゃなくて、でんちっていうので飛ぶの? ねえ、そうなの?」


「そうです。電気っていう、雷のちっちゃい版みたいなものを、箱の中に貯めておくんです。つまり、持ち運べる雷ってことです」


「雷を箱に貯めるの!?」


アイシャの目が、星みたいに光った。


「それを言うなら、さっきの光の膜ですよ。あれどうやってるんですか。槍を突き立てられても破れなかったですよね」


「はりのとばり。防護の術式の一つ。魔力で空気を、こう、ぎゅって固めるの」


玻璃の帳。玻璃はガラスで、帳はカーテン。頭の中で字が当てはまった瞬間、俺は思わず拳を握った。技名がある。本物の魔法には、ちゃんと技名がある。


「でもね、張ってるだけで、魔力がどんどん減っちゃうの。さっきは、本当にぎりぎりだったんだよ」


「張ってるだけで減る。あ、それ、つまり魔力ってバッテリーみたいなものってことですね」


「ばってりー?」


「あ、それも通じないのか」


二人で頭を抱えて、それから、なぜか二人で笑った。


話しても話しても、知りたいことが減らなかった。彼女が一つ答えると、俺は次が聞きたくなる。俺が一つ答えると、彼女は質問を山ほど返してくる。


背後で、アダムの声がした。


「なあ、あの二人、何語でしゃべってんだ?」


「翻訳の魔法だろ」とノア。


「いや、そうじゃなくて。全然話についていけねえんだけど」


「オタク語だ」とノアが言った。「俺たちには一生分からない言語だ」


ひどい言われようだったけど、否定はできなかった。



話が一番盛り上がったところだった。


アイシャが身を乗り出して、何か言いかけた。


「それでね、ミナト、その雷の箱、もし魔石と組み合わせたら――」


そこで、彼女の言葉が、急に、意味を失った。


聞いたことのない、柔らかい響きの音だけが、耳に流れ込んでくる。


アイシャも、俺の顔を見て、気づいたらしい。琥珀色の目を丸くして、それから、空を見た。


いつの間にか、青い月が、空の高いところまで昇っていた。


時間切れ。魔法が、切れたのだ。


アイシャは何か言いながら、悔しそうに地面を叩いた。何を言っているのかは分からない。でも、たぶん、俺が言いたいことと同じだ。


一番いいところで。



俺たちが話し込む前に、隊長は、アイシャと取引をすませていた。


俺たちには、道案内と通訳が要る。アイシャは、旅の護衛が要る。隊商は次の町まで行くが、アイシャは途中で別れて、一人で旅を続けるつもりだったらしい。


「この辺境を一人で歩くの、正直ちょっと怖かったんだよね」


彼女はそう言って、それから、条件を一つだけ足した。


「その代わり、あなたたちの武器、調べさせてくれる? ね?」


マーカスが眉をひそめた。隊長は、少しだけ笑った。


「見るだけなら、好きにしろ。触るのは、マーカスの機嫌が直ってからだ」


「それで十分!」


アイシャは、本当に嬉しそうに笑った。


取引がまとまった後で、隊長は一つだけ聞いた。


「アイシャ。君はなぜ、こんな場所を一人で旅している」


アイシャの笑顔が、ほんの一瞬だけ止まった。


「……学院の課題なの。古い遺跡の調べもの」


「野盗と魔物しかいない土地を、一人でか」


「見習いだもん。護衛を雇うお金なんてないよ」


彼女はそう言って、また笑った。


隊長はそれ以上聞かなかった。ただ、その目が、彼女の顔から少しも離れなかったのを、俺は見ていた。


これだけの土地を、本当に一人で。そう思ったのは、たぶん俺だけじゃなかった。でも、誰も口には出さなかった。


こうして、七人の旅に、八人目が加わった。



隊商の長は、白髪まじりの太った男で、何度も何度も頭を下げていた。お礼にと、干し肉の束と、固く焼いたパンを、袋いっぱいに分けてくれた。


食料が増えた。


その瞬間、一番ほっとした顔をしたのは、ノアだった。


「これで、虫は食わなくて済む」


「いやいや、まだ分かんねえじゃん」とアダム。


「済む。俺は済ませる」


隊商の人たちは、俺たちのことを、ずっと遠巻きに見ていた。子どもが母親の陰から、こちらを指さして、何か小さな声で言う。母親が、慌てて子どもの口をふさぐ。


アイシャが、魔法が切れる前に教えてくれた。


あの人たちは、俺たちのことを、こう呼んでいたらしい。


異界の戦士。


遠くから、音だけで人を倒す、見たことのない服の男たち。


その呼び名は、きっと、この隊商と一緒に、次の町へ運ばれていく。



その夜。


俺は、なかなか寝つけなかった。


今日一日で、聞きたいことが多すぎた。魔法のこと。魔石のこと。三つの国のこと。言葉が通じない今、全部、明日まで持ち越しだ。


水を飲もうと起き上がったとき、少し離れた岩陰に、小さな明かりが見えた。


アイシャだった。


杖の先に、ろうそくほどの淡い光を灯して、膝の上の手帳に、何かを書き込んでいた。


昼間とは、まるで違う顔だった。笑っていなかった。眉を寄せて、真剣に、ほとんど怖いくらいの顔で、ペンを走らせている。


手帳には、見たことのない文字が並んでいた。アイシャたちが普段使っている文字とも、少し違う気がした。もっと角ばった、古い感じの文字。


俺が一歩近づいた瞬間、アイシャが顔を上げた。


そして、ぱたん、と手帳を閉じた。


一瞬だけ、ひどく慌てた顔をした。それから、すぐに昼間と同じ笑顔に戻って、何か明るい調子で言った。


言葉は分からない。


でも、ごまかされたことだけは、分かった。


アイシャは手帳を胸に抱えたまま、おやすみ、と言うように小さく手を振って、毛布にもぐり込んでしまった。


俺は、その場に立ったまま、しばらく動けなかった。


何を書いていたんですか。


明日、言葉が通じたら、聞いてみようか。


そう考えて、すぐに打ち消した。


人に隠し事を聞く資格なんて、俺にはない。


俺だって、この人たちに、一番大事なことを隠しているのだから。



残弾 小銃弾841/拳銃弾231

爆薬 二個

戦闘糧食 残り十食(ほかに干し肉とパン、数日分)

ドローンのバッテリー 51%



(第5話 了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。