↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
2/9

第2話 その「全員」に、俺は入っているか

監禁されて四か月。俺の一日は、だいたいコードと缶詰でできている。


異世界転生ものなら、そろそろ神様が出てきてチート能力をくれるころだ。現実の俺の前に出てくるのは、白衣の中年と、銃を持った警備員だけだった。


早瀬湊、二十七歳。ドローンとセンサーの制御ソフトを書くのが仕事で、趣味はミリタリーと異世界もの。どちらも画面の向こうにある限り、最高に楽しいジャンルだ。


画面のこっち側に来てしまうと、ぜんぜん楽しくない。今の俺が、その証拠だ。


あの日は、海外の学会の帰りだった。空港へ向かうはずのタクシーは、空港へ向かわなかった。



白衣の中年は、警備員たちから「ドクター・クロウ」と呼ばれていた。


彼は俺に、一つだけ仕事を与えた。


「制御プログラムを書け、ハヤセ」


何を制御するのかは、教えてくれなかった。


でも、教えてもらえなくても分かってしまうことはある。毎日送られてくるセンサーの数値。食う電力の桁。そして夜になると地下の奥から響いてくる、低いうなり。


あれは、何かに穴を開けようとしている。


どこに開けるのかまでは、分からない。分かりたくもなかった。



施設には、もう一人、妙な男がいた。


警備の連中が「司令」と呼ぶ、背の高い男だ。短い髪に、左の頬の古い傷。英語の端々に、軍隊の匂いがした。ゲームのキャラなら、間違いなく途中で裏切るか、最後に主人公と一騎打ちをするタイプの顔だ。


一度だけ、その男が俺の部屋に来たことがある。


彼は黙ってモニターを覗き込み、しばらくスクロールしてから、言った。


「お前のコードは、きれいだな」


「……どうも」


「きれいなコードを書く奴は、たいてい嘘が下手だ」


それだけ言って、出ていった。


俺はその夜、一睡もできなかった。


なぜなら、俺は嘘をついていたからだ。


三週間前、俺はプログラムの奥深くに、小さな鍵を仕込んだ。装置の出力が、ある値から上に上がらなくなる鍵。誰にも気づかれないように、何重にも包んで隠した。


それが、銃も腕力もない俺にできる、たった一つの抵抗だった。



その夜、午前二時を少し過ぎたころ。


遠くで、何かが爆ぜる音がした。


続いて、乾いた破裂音が、短く、規則正しく。映画の銃声よりずっと軽くて、ずっと現実的な音。


部屋の外が、急に騒がしくなる。走る足音。怒鳴り声。そして、ぴたりと止む。また音がして、また止む。


撃つ音より、撃ち終わった後の静けさの方が怖いということを、俺はその夜初めて知った。


扉の鍵が、外から開いた。


暗い廊下の非常灯を背にして、影が立っていた。


四つの目。


暗視装置のレンズが、かすかに光を跳ね返している。四眼の暗視ゴーグル。ゲームで嫌というほど見た装備だ。画面の中では、あれを着けているのはいつも自分の方だった。


向けられる側に立つと、ただの怪物にしか見えなかった。


「ハヤセ・ミナトだな」


影がしゃべった。低くて、落ち着いた声だった。


俺はうなずいた。うなずくことしかできなかった。


「アメリカ陸軍だ。迎えに来た」


アメリカ陸軍。この装備。この動き。この人数。人質の救出。


頭の中で、オタクの知識が勝手に答えを組み立てていく。


いや、まさか。でも、たぶん。


「……本物だ」


声に出ていた。


「何がだ」


「あ、いえ、なんでもないです」


言えるわけがない。「あなたたち、たぶんデルタフォースですよね、ゲームで見ました」なんて。



大きな男が、俺の前にしゃがみ込んだ。髭面で、腕はタトゥーだらけ。どう見ても助けに来た側の顔ではない。


なのに、俺の目を覗き込む手つきは、驚くほど優しかった。


「脱水、栄養不足。外傷はなし。歩けるか、ミナト」


「歩けます。たぶん」


「たぶんで十分だ。立とうな」


たぶん、の一言で済ませてくれる大人に、俺はここに来て初めて会った。


肩を借りて立ち上がったとき、モニターの一つが目に入った。


装置の出力の数値が、動いていた。


ありえない。俺の鍵がある限り、あの数値はあそこで止まるはずだ。なのに数値は、鍵の手前で何度も跳ね上がろうとしている。誰かが、無理やりこじ開けようとしている。


クロウだ。


「あ、あの、待ってください。奥の装置が、あれ、止めないと――」


「話は外で聞く」


眼鏡の隊員が、短く言った。


外で聞いてもらえる時間が、あればいいんだけど。



警報が鳴った。


そこから先のことを、俺はほとんど見ていない。


髭の衛生兵――サムと呼ばれていた――が、俺を壁に押しつけて、自分の大きな体で覆ったからだ。俺に見えたのは、彼の背中の装備と、その向こうで明滅する赤い光だけだった。


閃光。耳を突き抜ける破裂音。誰かの悲鳴。そして、あの軽い銃声が、何度も何度も。


その合間に、無線の声が聞こえた。隊長らしい人の、あの落ち着いた声。


「合流して、全員で出る」


全員で。


その全員に、俺は入っているのだろうか。


たぶん、入っていない。俺は隊員じゃない。救出対象だ。荷物だ。荷物を「全員」とは数えない。


それでいい、と思った。荷物は荷物らしく、黙って運ばれていればいい。


外から戻ってきた隊員が一人加わって、若い隊員と軽口を叩き合った。こんな状況で冗談を言える人間を、俺はアニメの中でしか見たことがなかった。



中央ホールの扉が開いた瞬間、俺は息を止めた。


金属の輪。その内側で揺れる、青白い光。


四か月間、俺はこれのためにコードを書いてきた。設計図も写真も一枚も見せてもらえなかったのに、なぜか一目で分かった。あれは、俺が動かしていたものだ。


そして、その前に立っていたのは、司令だった。


司令が隊長の名前を呼び、副隊長らしい男が震える声で「死んだはずだ」と言った。この二人は知り合いなのか。死んだはずの男が、この施設を守っていた、あの司令なのか。


頭が追いつかないうちに、制御盤の前のクロウが叫んだ。


「出力が上がらない! ハヤセ、お前、何をした!」


全身の血が冷たくなった。


ばれた。


クロウは制御盤のパネルを力任せに引き剥がし、中の配線に手を突っ込んだ。俺の鍵を、プログラムごと物理的に飛ばそうとしている。


そのとき、俺は気づいた。


気づいてしまった。


俺が仕込んだ鍵は、装置の安定装置と同じところに組み込んである。そうしないと、隠し通せなかったからだ。だから、鍵を無理やり外せば。


安定装置も、一緒に外れる。


「だめだ」


声が勝手に出た。


「その数値で起動したら、だめなんです! 止めて、早く止めて――!」


誰も止めなかった。止められなかった。


輪の光が膨れ上がる。高い音が耳を裂く。床が揺れる。


サムの手が、俺の腕を強くつかんだ。


光に飲まれる直前、俺の頭にあったのは、たった一つの言葉だった。


俺のせいだ。


俺が鍵を仕込まなければ。俺がこの装置のコードを書かなければ。


真っ白な光の向こうで、隊長が叫んでいた。


「全員、離れるな!」



草の匂いがした。


冷たい。背中が湿っている。どこかで、聞いたことのない鳥が鳴いている。耳の奥には、光に飲まれる直前のあの高い音が、まだ細く残っている。


目を開けると、髭面が俺を覗き込んでいた。


「生きてるな、ミナト」


サムだった。俺はうなずいて、ゆっくり体を起こした。


とたんに、胃がひっくり返った。横を向いて、草の上に少しだけ吐く。手足が、自分のものじゃないみたいに遠い。


「大丈夫だ。吐いた方が楽になる。ゆっくり息をしような」


サムの大きな手が、背中を上下にさすった。


森だった。


針葉樹とも広葉樹ともつかない、見たことのない形の木々。その隙間から、夜空が見える。


俺たちが倒れていたのは、木と木の間に小さく開けた場所だった。足元の草が、輪の形に、外へ向かってなぎ倒されている。真ん中から、何かが一度に吹き出したみたいに。


焦げた匂いが、かすかにした。基板がショートしたときの、鼻の奥に残るあの匂いだ。


装置も、金属の輪も、ホールの床も壁も、どこにもない。ここにあるのは、俺たちの体と、隊員たちが身につけてきた装備だけ。


どっちを向いても、壁がない。風が、好きな方から吹いてくる。部屋の中でしか暮らしていなかった体が、それだけで縮こまった。


周りでは、隊員たちがもう動いていた。副隊長が手で短く合図すると、草の輪の外へ散って、森に銃を向ける。


暗がりのどこかから、隊長の低い声がした。


「点呼」


隊長が名前を呼び、呼ばれた順に、短い返事が返ってくる。


「マーカス」


「いる」


「エヴァン」


「異常なし」


「アダム」


「生きてる。マジで」


「ノア」


「耳鳴り以外はな」


「サム」


「ここだ」


「ミナト」


自分の名前だと気づくのに、一拍かかった。


「は、はい! います!」


声が裏返った。


荷物の確認だ、と思った。運んできたものが、ちゃんと届いているかどうか。救出対象が生きているかどうかは作戦の結果そのものなんだから、確かめるのは当たり前だ。


名前と顔は、まだ半分もつながらない。暗くて、どの返事がどこから来たのかも、よく分からなかった。


「GPS、捕捉できる衛星はゼロだ」眼鏡の隊員――エヴァン――が、端末を何度も叩いている。


「本部、こちらリース。応答しろ。……応答しろ」


隊長の呼びかけに、無線は砂嵐すら返さなかった。完全な沈黙だった。


「なあ、どこだよここ。カナダじゃね?」と若い隊員。


「カナダに失礼だろ」と、ガムを噛んでいる隊員。


副隊長が低く言った。「ギデオンは」


「分からない」隊長が答えた。「あの白衣の男もだ」


あの白衣の男。


クロウが制御盤の配線に手を突っ込んだときの顔が、まだ目の奥に焼きついている。ああなると分かっていたのは、あのホールで俺だけ。


俺のせいだ。


光の中で思ったことは、目が覚めても、少しも薄まっていない。


言わなきゃいけない。この人たちは、俺のせいで、ここにいる。


口を開きかけて、閉じた。


言ったら、どうなる。俺は、ただの荷物じゃなくなる。この人たちをこんな所へ放り込んだ張本人だ。そんな奴を、わざわざ背負って歩く理由が、どこにある。


足の下で、地面が、一度だけ小さく揺れた気がした。


遠くで、重い戸が閉まったような、低い揺れ。誰も何も言わない。俺の体が震えているだけなのか、地面なのか、自分でも分からなかった。


気のせいだ、と思うことにした。


俺は、逃げるように空を見上げた。


月が、二つあった。


一つは見慣れた白い月。もう一つは、少し小さくて、ほのかに青い。


ああ、と思った。知っている。この展開を、俺は何百回も読んできた。


「これ、異世界転移だ」


六人が、一斉に俺を見た。


「は?」と若い隊員が言った。


言ってしまった。言わなきゃいけないことは、喉の奥に引っかかったままなのに。代わりに出てきたのが、それだった。


笑われると思った。頭を打ったのかと聞かれると思った。


隊長だけは、笑わなかった。


彼は俺の視線をたどって、二つの月をしばらく黙って見上げた。長い時間だった。


そして、こちらに向き直って、言った。


「全員、弾を数えろ」


この人は、二つの月より先に、それを数えるのか。


隊員たちが、黙々と弾倉を外し、数え、報告していく。若い隊員も、ガムの隊員も、もう冗談を言わなかった。


最後に、エヴァンが合計を読み上げた。


「小銃弾、九百十二。拳銃弾、二百三十八。爆薬、残り二。ドローンのバッテリー、六十パーセント」


隊長は、うなずいた。


「それが、俺たちの全部だ」


全部。


六人が持っている、全部。


俺は、自分の手のひらを見た。何も持っていない手だった。


弾は数えられた。


その中のどこにも、俺は数えられていなかった。



残弾 小銃弾912/拳銃弾238

爆薬 二個

戦闘糧食 残り十八食

ドローンのバッテリー 60%



(第2話 了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。