↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
1/8

第1話 全員で帰る

午前二時を、少し回ったところだった。


山の稜線の向こうに、研究施設の灯りが小さく浮かんでいた。


地図の上では、ここには何もないことになっている。三年前に閉鎖された鉱山会社の倉庫。それが、半年前から夜通し電気を食いはじめた。


「最終確認だ」


ダニエル・リースは、岩陰にしゃがんだ五人を見回した。


「目標は施設の地下。救出対象は日本人の技術者、ハヤセ・ミナト。四か月前に学会の帰りに拉致された。生きている可能性は高い。連中はまだ彼を使っている」


「まだ使われてるってことか。ひどい話だな」


衛生兵のサミュエル・オルティスが、髭の奥で顔をしかめた。


「交戦規定はいつもどおり。武器を持った者だけを撃て。白衣は撃つな」


ダニエルは一人ずつ顔を見た。最後に、少しだけ声を落とす。


「全員で帰る。いつもどおりだ」


「出た、隊長のそれ。それ聞かなきゃ始まんないじゃん」


最年少のアダム・ウォーカーが、爆薬の入ったポーチを叩いて笑った。


「始まらなくても誰も困らないだろ。俺は帰って寝たい」


狙撃手のノア・ブルックスが、ガムを噛みながら言う。


「黙れ二人とも」


副隊長のマーカス・ショウが、それだけで場を締めた。


ダニエルは、胸の内ポケットにある絵の感触を、装備の上から一度だけ確かめた。八歳の娘が描いた、へたくそな父親の絵。それから、何も考えないことにした。


「行くぞ」



ノアが一人、稜線を回り込んで闇に消えた。


残る五人が斜面を下りはじめると、通信担当のエヴァン・コールが手のひらほどの小型ドローンを放った。蜂の羽音のような小さな音が、夜空に吸い込まれていく。


「熱源、外周に四。屋上に二。正面ゲートの詰所に一」


エヴァンが眼鏡の奥で端末を睨む。


「地下は映らない。電波が通らない造りだ」


「じゃあ地下は行ってみてのお楽しみじゃん」アダムが言った。


「楽しくはない」エヴァンが即座に返す。


無線に、ノアの声が入った。


「位置についた。屋上の二人、見えてる」


「やれ」


ダニエルの短い一言のあと、空気を押し出すような乾いた音が二度、遠くで鳴った。屋上の熱源が二つ、端末の上から消える。


「屋上クリア。あいつら、タバコ吸ってたぞ。夜勤でも健康には気をつけないとな」


「お前が言うな」マーカスが低く言った。


戦う前に、すべてを知っておく。見張りの位置、交代の時間、逃げ道、増援が来るまでの時間。撃ち合いが始まったときには、もう勝負の半分は終わっている。ダニエルたちの仕事は、ほとんどがその「半分」のためにある。


外周の四人は、巡回の死角を縫って一人ずつ静かに眠らせた。誰も声を上げなかった。



裏手の搬入口。鉄の扉の前で、アダムが手早く爆薬を貼りつける。


「ノックの時間だ」


「普通のノックって知らないのかよ」ノアが無線越しに言った。


「なあ、中の人が寝てたら悪いじゃん? だから元気よく起こしてあげんの」


アダムが指を三本立てた。二本、一本。


轟音と同時に、扉が内側へ吹き飛んだ。


煙が晴れる前に、五人はもう中にいた。


緑色の世界。暗視ゴーグルの視界の中で、廊下が細長く伸びていく。マーカスが先頭で角を取り、ダニエルがその背中に重なるように続く。


「左、クリア」

「右、クリア」

「前進」


声は短く、動きに迷いがない。何千回と繰り返してきた手順は、もう考える前に体が動く。扉を開け、角を確かめ、部屋を確かめ、次へ。


二つ目の部屋で、銃を構えた男が振り向きかけた。振り向き終わる前に、マーカスの銃口が二度、短く光った。


三つ目の部屋は、実験室だった。


並んだ機材の陰で、何かが動いた。


ダニエルの指が引き金にかかる。暗視の緑の中で、人影が机の下から這い出そうとしている。手元に何かを持っている。


撃つか。


〇・五秒。


ダニエルは撃たなかった。


人影が持っていたのは、銃ではなくクリップボードだった。白衣を着た中年の女が、両手を上げて震えていた。


「伏せていろ。動くな」


女は何度もうなずいて、床に額をつけた。


部屋を出たところで、アダムが小さく息を吐いた。


「今の、マジで危なかったな」


「危ないのは、撃つ方だ」


ダニエルはそれだけ言って、前を向いた。撃つのは一瞬で済む。撃たなかったことを後悔するのも一瞬だ。だが、撃つべきでない相手を撃った後悔は、一生残る。



地下へ続く階段の先に、鍵のかかった扉があった。


エヴァンが端子をつなぎ、あっという間に開ける。


中は、狭い部屋だった。壁一面にモニター。床に散らばった空の缶詰。そして、机にしがみつくように座っている、痩せた東洋人の男。


男は、暗闇から現れた五人を見上げて、目を見開いた。


「ハヤセ・ミナトだな」


ダニエルが言うと、男は口を開けたまま、ゆっくりうなずいた。


「アメリカ陸軍だ。迎えに来た」


男はしばらく固まっていた。そして、かすれた声で、なぜか小さくつぶやいた。


「……本物だ」


「何がだ」


「あ、いえ、なんでもないです」


サムが男の前にしゃがみ、手早く目と脈と腕を見ていく。


「脱水、栄養不足。外傷はなし。歩けるか、ミナト」


「歩けます。たぶん」


「たぶんで十分だ。立とうな」


サムが肩を貸して男を立たせた、そのときだった。


男が、モニターの一つを指さした。


「あ、あの、待ってください。奥の装置が、あれ、止めないと――」


「話は外で聞く」エヴァンが言った。


その瞬間、施設中に警報が鳴り響いた。



赤い警告灯が回りはじめる。廊下の先から、怒鳴り声と足音が近づいてくる。


「隊長、外に車両二台。増援だ、十二人以上」


ノアの声に、緊張が混じった。


「ノア、下りてこい。搬入口を押さえろ。合流して全員で出る」


「了解。全員で、な」


廊下の角から、銃を持った男たちがなだれ込んできた。


「伏せろ!」


マーカスが叫ぶのと同時に、アダムが閃光弾を投げた。白い光と破裂音が廊下を満たし、男たちの悲鳴が上がる。その隙に、ダニエルとマーカスが左右に分かれて撃ち込む。サムはミナトを壁際に押しつけ、自分の大きな体で覆った。


「後退する。エヴァン、退路は」


「搬入口側は増援が回り込んできてる。もう一本ある。中央ホールを抜ければ、北の非常口に出られる」


「中央ホールには何がある」


エヴァンが一瞬だけ言葉に詰まった。


「……不明だ。そこだけ、熱源の反応が異常だった」


ダニエルは迷わなかった。


「中央ホールを抜ける。マーカス、先頭。アダム、最後尾。サム、ミナトから離れるな」


撃ち、下がり、撃ち、また下がる。誰かが弾倉を替えるとき、別の誰かが必ず撃っている。六人目のノアが搬入口の方から合流し、背後の敵を黙らせた。


「待たせたな」


「待ってねえよ」とアダム。


「泣いて喜べよ」とノア。


軽口を叩きながら、二人の銃口は一度も同じ方向を向かない。互いの死角を、言葉より先に体が知っている。



中央ホールの扉を蹴り開けた瞬間、全員の足が止まった。


天井の高い、がらんとした空間。その真ん中に、巨大な金属の輪が立っていた。人の背丈の三倍はある。輪の内側で、青白い光が、水面のように揺れている。


輪の脇の制御盤に、白衣の男がしがみついていた。痩せた顔に、熱に浮かされたような目。


そして、その前に。


銃を構えた男たちが、横一列に並んでいた。


真ん中に立つ男だけが、銃を下げていた。


背の高い男だった。短く刈った髪。顔の左側に古い傷。その立ち方を、ダニエルは知っていた。重心の置き方。銃の持ち方。十年前、同じ部屋で、同じ扉を、何十回も一緒に越えてきた男の立ち方だった。


「久しぶりだな、ダニエル」


男が言った。


「マーカスもいるのか。相変わらず、怖い顔だ」


隣で、マーカスが息を呑む音が聞こえた。この男が息を呑むのを、ダニエルは初めて聞いた。


「……ギデオン」


マーカスの声が、かすれていた。


「お前は、死んだはずだ」


「ああ」


ギデオン・クロスは、薄く笑った。


「お前らの国に、殺されたよ」


銃口が、互いに向き合ったまま止まった。誰も撃たない。誰も動かない。ホールに響くのは、輪の中の光がうなる低い音だけだった。


「隊長」


ノアが、ほとんど唇を動かさずに言う。


「指示を」


ダニエルは答えられなかった。


撃つべき相手だ。頭では分かっている。だが、引き金にかけた指が、十年前の記憶に引っかかって動かない。


そのとき、制御盤の白衣の男が叫んだ。


「出力が上がらない! ハヤセ、お前、何をした!」


サムの背後で、ミナトがびくりと肩を震わせた。


輪の光が、急に明るさを増した。うなりが、悲鳴のような高音に変わっていく。床が震え、天井から埃が降ってくる。


「だめだ」


ミナトが叫んだ。


「その数値で起動したら、だめなんです! 止めて、早く止めて――!」


光が、輪からあふれ出した。


白い。何もかもが白い。


ダニエルは、とっさに叫んでいた。


「全員、離れるな!」


誰かの手が、誰かの装備をつかむ。アダムがノアの肩を、サムがミナトの腕を、マーカスがダニエルの背中を。


光の向こうで、ギデオンがこちらを見ていた。笑っているのか、泣いているのか、分からなかった。


胸の内ポケットで、娘の絵がかさりと鳴った気がした。


全員で帰る。


その約束を、ダニエルは心の中でもう一度だけ繰り返した。


そして、世界から音が消えた。



(第1話 了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。