第三章 実り
空の青が、少し薄くなってきた。
薄い白い雲が、ぽつん、ぽつん。
温暖季も終盤に差しかかる頃。
今日もいつものように、
いつもの見回り。
かーん。
かーん。
かーん。
東の櫓から鐘の音が響いた。
「ん?」
「注意か?」
「籐吾、行ってみるか?」
「そうだな」
わたし達は東の櫓の方へ急ぐ。
遠くに――
大きなつのが見える。
「うげ、大角鹿じゃん」
「……」
「いや、どうしよう」
大角鹿の群れ。
防護林の木の実を食べている。
地面に落ちた実。
まだ木になっている実。
ひときわ大きな雄が一頭。
大人の鹿が数頭。
あとは、子鹿の群れ。
子鹿とはいえ、でかい。
わたし達は、そっと、そっと櫓の下へ。
防護壁にぴったり背中をつけて、離れたところから見守る。
上から声が飛んできた。
「御形!」
「ん?」
「あれ、狩れないか?」
「いや、群れでは無理だよ」
「そっか、残念だなぁ。美味いのに」
「だよなぁ」
隣を見る。
「籐吾! 手を出すなよ」
「うーん」
「子連れの群れに手を出して、あのつのにやられてみろ。一発で終わりだぞ」
「うーん」
まったくこちらを気に留めることなく、
鹿の群れは食事を続けている。
ずいぶんとたって。
ふと、
あの大きな雄が頭をこちらへ向けた。
「うわ」
目が合う。
しばらく、見つめ合う。
つぶらな瞳。
見た目だけなら、つぶらなんだけど。
ふん。
大きく一息吐いて、
雄はゆっくりと向きを変えた。
それに続いて、
群れも外界へと出ていく。
これから、もうしばらくして訪れる乾季。
乾季になれば、あの鹿達は森へ移動するはずだ。
そのために食べて、
今のうちに栄養を蓄えているんだろう。
「うーん、一番美味い時期なんだけどなあ」
「群れはやめとけって」
遠くへ去ったのを確認してから、
防護林へ近づく。
「うわー、食べてるなー」
届く範囲には、ほとんど実が残っていない。
まあ、
今回の温暖季は防護林も豊かだから。
籐吾は鹿達が去っていった方角を、
なんとも言えない顔で眺めていた。
防護壁から繋がった塀に囲まれた池。
ひょうたん池。
池には仕切りが入れられ、
大きさごとに魚達が泳いでいる。
そして、仕切りの外側。
そこにも、
ひときわ大きな魚の影。
「菖蒲、あのでっかいの、獲れないのか?」
「あれでしょう? 最初に入れた魚達なんですよねえ」
仕切りをする前に池へ入れて、
そのまま手を出せなくなった子達。
「兄さん、釣ってみます?」
「?! 釣ったら食えるのか?」
「……釣れたら、焼いて食べていいですよ」
「そっか、よし!」
籐吾が外苑へ出て、
細い竹を一本切ってくる。
「糸と針は?」
「針なんてないですよ。親方に頼んできてくださいな」
「おう!」
そそくさと村の中へ消えていく籐吾。
わたし達は顔を見合わせる。
「ほんと、食いしん坊だねー」
しばらくして、
籐吾が戻ってきた。
手には魚を釣るための針。
「へえ、親方さんすごいですね」
「なんでも、ずいぶん昔に親方の親方から教わったらしいぞ」
「へえー」
「糸も結んでくれた。餌はミミズでいいそうだ」
籐吾はわくわくしながら池へ向かう。
池の中央あたり。
仕切りからずいぶん離れたところに丸太の椅子を置いて、
遠く、池の真ん中あたりへ餌を入れる。
しばらく。
しばらく。
…………。
時々、餌を確認する。
「あれ? なくなってる」
また餌をつけて、
池の中へ。
しばらく。
また、餌だけなくなる。
「うーーーん」
籐吾は立ち上がって村の中へ行き――
しばらくして戻ってきた。
「今度こそ」
餌をつけて、
池の中へ。
いきなり。
ごん!
「うお!」
竹が大きくしなる。
水の中を右へ、左へ。
魚の影が走り回る。
「うんせ!」
籐吾が竹の竿を上げる。
びちびちびちびち!
跳ねる魚。
「でっか!」
めちゃくちゃ満足そうな籐吾。
「菖蒲! 焼いて食おう!」
菖蒲と二人で火をおこす。
石を組んで、
枝を組んで、
火をつける。
その間にも、
籐吾は調子に乗って釣っている。
火が落ち着いた頃。
五匹の魚が串に刺され、
火の周りに並んでいた。
塩を振って。
待つ。
いい匂い。
魚の焼ける香ばしい香り。
「まだかなぁ」
「まだまだですよ、兄さん」
籐吾がそわそわしている。
そこへ親方がやってきた。
「どうだ? 籐吾、釣れたか?」
火の周りに並んだ魚を見て、
「ほう、でかくなったな、菖蒲」
「ですねー」
火が当たる魚の向きを変えながら、
菖蒲が返事をする。
「親方さんもひとつ食べて行かれません?」
「お、いいね」
わたし。
菖蒲。
親方。
籐吾は両手に。
「いただきまーす」
かぶりつく。
「?! 美味しい!」
「美味いな! これ!」
「んー、これは酒が欲しくなるな」
「がふがふがふ……うめえー」
みんなで顔を見合わせて笑う。
釣って食べるのも、いいな。
また、ある日。
防護林の中。
下草を刈り取り、
下に置いた生木に火をつける。
煙。
煙。
煙。
もくもくと上がる煙。
その先にあるのは――
大きな蜂の巣。
煙で蜂達を追い払う。
散々、煙でいぶしておいて、
大きな袋を蜂の巣にかぶせる。
丸ごと。
巣ごと。
ざくりと切り取った。
わたし達は遠くから眺めている。
「うわー」
「蜂だよ」
「刺されないのか?」
「いや、刺すだろ」
「すげーなあ」
ハンターなんかよりすごい。
蜂蜜ハンターとでも呼ぼう。
切り取ったあとも、
まだ煙で、煙、煙。
「すごいなぁ」
また、ある日。
ばあちゃんと菖蒲が、
何やらせっせと広げて干している。
「ばあちゃん、何それ?」
緑の草?
いや、
草の固まりのようなもの。
「御形かい。おまえさんにも教えておこう」
「うん」
「これは、水苔という」
「へえ、食べるの?」
「これはな、水を蓄えるんじゃよ」
「へえー。乾季に便利そうだね」
「使い方はいろいろあるさね」
しゃがんで触ってみる。
「どこでこんなに採ってきたの?」
「ひょうたん池ですよ、姉さん」
「ひょうたん池か」
「菖蒲が塀で囲ってくれたでな。水が湧いてる所にたくさん生えてました」
「へえー」
「外苑じゃあなくなって、ゆっくり採れるでな」
そうか。
あそこも、
もう外苑じゃないんだ。
また、ある日。
食堂で和尚と女将さんが話している。
「今回の温暖季は、畑の方は豊作だそうだ」
「じゃあ、次の温暖季までは心配しなくてよさそうかい?」
「ああ。量も質もいいらしい」
「味もかい?」
「芋も甘いらしいぞ」
「甘い芋かあ……」
「食べたそうだね、御形」
「あ」
笑われた。
「あ、防護林も豊かだったよ」
「外苑もいい実りか?」
「ああ。ばあちゃんが言ってた。今回の温暖季は当たりだって」
「ますます安心だね」
女将さんが菖蒲を見る。
「菖蒲んとこの魚もいいんだろ?」
「んあ? あ、はい。予想以上にたくさん残ったし、大きくもなってますよ」
「ひょうたん池の水が合ったんじゃろうな」
「……」
「どうした? 菖蒲」
「え? いえ」
菖蒲は少しだけ間を置いて、
「豊作で、たくさん実って、大きくなって……いいなーって」
そう言った。




