第一章 一つ満月
後日。
空は青く晴れ渡っている。
けど。
朝からわたしは不機嫌だ。
蓼、そばにいてあげたい。
けど、今はわたしじゃない。
老ハンター。
どこにいるの?
探しに行きたい。
けど何もできない。
わたしは何もできない、わたしはわたしにイラついている。
食堂のカウンター。
わたしはそこに座っている。
後ろのテーブルには籐吾。
「籐吾、邪魔!」
「ん」
「あたしはいいから出て行って!」
「ん」
「もう!」
こうなると籐吾は動かない。
「なんでいるの!」
「ん」
「なんか答えなよ!」
「御形や、やめときな」
女将が止める。
「だって籐吾が」
「やれやれ」
女将が二階へ続く階段を見る。
わたしもつられて見上げた。
「今日も萱?」
「ああ。ずーっとついてるよ」
「そう」
二階の部屋。
蓼は、あれからずっとそこにいる。
「まだ顔見れないかな」
「自分で出てくるまでは待ってあげな」
「そうだね」
「あんたら、仕事はいいのかい?」
「ん。こっちが大事」
「ふう、まったく」
女将が呆れたように息を吐く。
「老ハンターもどこに行っちゃんだろね」
「さあねえ」
「うーん」
次の日も。
その次の日も。
わたしは食堂のカウンター。
籐吾は、すぐ後ろのテーブル。
わたしが席を立つ。
籐吾も席を立つ。
「トイレ! ついてくんの?」
「ん」
ほんとについて来た。
わたしが出てくるまで、前で待ってる。
「女将さん?」
「ん?」
「おにぎり持って来たんだけど」
「……食堂におにぎり持って来る娘も初めてだね」
「なんか毎日気の毒でさ」
「まあ、あんたの好きにしていいよ」
「ありがとう。籐吾! 食べよ」
「ん」
手を伸ばしてきた籐吾に、おにぎりをひとつ手渡す。
籐吾は受け取るなり食べ始めた。
女将がわたし達を見る。
それから、二階を見る。
「あんたら、ほんとに上の二人と何が違うんだい?」
「ん?」
女将はまた、やれやれと首を振った。
半分の月から、満月へ。
「こんにちはー」
「菖蒲かい。なんだ、静かだね」
「あ、姉さんがね」
「ああ、そうかい」
菖蒲が二階を見上げる。
「で、蓼さんどうですか?」
「まだぜんぜんだね」
「そうですか。明日、定期便出すんで、どうかなって思ってですね」
「んー、どうだろね」
「まだまだ会えない感じですか?」
「あたしが聞いてくる」
「姉さん」
わたしは席を立って、二階へ上がった。
蓼の部屋。
ドアの前で立ち止まる。
「蓼、入るよ」
一呼吸おいてから、扉を開けた。
「蓼、調子は――」
言葉が止まる。
悪そうだな。
「あ、御形さん」
蓼が身体を起こそうとする。
すぐに萱が止めた。
「寝てな、な」
げっそりとやつれた顔。
目の下には、濃いくま。
頬もこけている。
ベッドの横の小さなテーブルには、白い粥。
ほとんど減っていない。
「まだ、食べれない?」
萱が首を振る。
「そうか」
ベッドのそばに座る。
「蓼。明日、満月の定期便が出る。何か伝えることや、頼むことはないか?」
「ん……」
それ以上、言葉は出てこなかった。
「そっか」
蓼がゆっくり手を伸ばす。
わたしも手を伸ばして、その手を両手で取った。
暖かい……。
ぽろぽろ。
「あ、やべ」
ぽろぽろ。
止まらない。
「わたし、降りるわ。なんかあったら下にいるから」
立ち上がる。
もう無理だった。
わたしは耐えきれず、部屋を出た。
翌朝。
「おはよう」
「はい、おはよう」
「おはようございます」
「……え?」
蓼がカウンターに座っている。
「おまえ、降りてきて大丈夫か?」
「御形さんに泣かれちゃったら、降りないわけにもね」
「……」
蓼の前へ行く。
両手を握った。
暖かい。
「よかった。生きていてくれて、ありがと」
「御形さん……」
籐吾は、少し後ろで立っている。
「わたし、母さんに手紙書いたの」
「うん」
「菖蒲さんにお願いしてね。それでね……」
「うん」
握った手に少し力を入れる。
「うん。頑張ったね、蓼」
そっと抱きしめる。
痩せた肩が痛々しい。
しばらく蓼は、わたしの胸で泣いていた。
やがて顔を上げる。
笑おうとする。
「まだ、いいよ。無理して笑わなくても」
「うん。ありがと、御形さん」
蓼を二階へ連れていく。
「しばらくはまだ、寝てな」
「少しずつだけど、降りてくるから」
「うん。待ってる」
「ありがと」
部屋を出る。
外には籐吾が立っていた。
一緒に階段を降りる。
カウンターに戻る。
「蓼、大丈夫かな」
「自分で立つと決めたんだ。大丈夫さ」
「そっか」
二階を見る。
「なんか栄養がある物、食べさせなきゃ」
「また鳥でも捕ってくるかい」
「そうだね」
久しぶりに、そんな気になった。
「うん、行ってくる」
「ああ。おまえさんも無理はするんじゃないよ」
「うん、ありがと」
振り返る。
籐吾がいる。
「籐吾、行こ!」
「ん」
わたしは久しぶりに、外苑へと出て行く。




