わたし達の村の章
猿。
外界で最も厄介な動物。
まず、頭がいい。
そして社会を構成する。
つまり、集団で行動する。
そして最後に――残虐だ。
はぐれ猿が一匹。
それくらいなら、まだいい。
問題は群れだ。
ひとつの群れに居着かれては、たまったものではない。
畑を荒らす。
食料を奪う。
こちらを観察し、隙を探し、覚える。
追い払おうとすれば、今度はこちらが狙われる。
最悪の場合。
村を捨てる。
そんな選択すら、ありうる。
だから。
猿を見た。
その報告だけは、絶対に軽く扱ってはいけない。
温暖季。
ある日のことだった。
衛兵から報告が入った。
「防護林で猿を見かけた」
最初に見つけたのは採集家だった。
報告を受けて、すぐに衛兵とハンターが周辺を調べた。
足跡。
食べ残し。
折れた枝。
糞。
そういう痕跡を探した。
けれど。
何もない。
その日は、
「通りすがりだろう」
そう結論された。
わたしも、そうであってほしいと思った。
それから。
月が新月から満月へと変わった頃。
今度は、はっきりと確認された。
西の防護林。
五匹ほどの、小さな群れ。
その報告を聞いた瞬間。
誰かが言った。
「最初の一匹……斥候だったんじゃないか?」
誰も答えなかった。
けれど。
たぶん、みんな同じことを考えた。
最初の一匹は。
わたし達を見に来たのだ。
監視が強化された。
西の五匹を徹底的にマークする。
どこにいる。
いつ動く。
何をしている。
どこへ消える。
衛兵もハンターも、交代で見張った。
それからだ。
小さな事件が起こり始めた。
農作物がなくなった。
本当に僅かだ。
最初は単なる勘違いだと思った。
収穫量の数え間違い。
誰かが別の場所へ移した。
そんな程度。
でも。
二日。
三日。
続いた。
これは違う。
しかも。
監視している猿達の様子がおかしい。
こちらが見ている時。
必ず、向こうもこちらを見ている。
防護林の中を定期的に移動する。
毎日。
ほぼ同じ時間。
ほぼ同じ場所。
まるで。
わざと見せているみたいに。
その日の夜。
報告会が開かれた。
衛兵。
ハンター。
鍛冶屋。
防具屋。
そして。
和尚。
こういう時、和尚の頭は頼りになる。
みんなの報告を並べる。
目撃場所。
時間。
移動経路。
盗まれた物。
しばらく黙って聞いていた和尚が口を開いた。
「……我々は監視されているのではないか?」
部屋が静かになった。
誰も笑わない。
わたし達が猿を見張っている。
そう思っていた。
違う。
猿も。
わたし達を見ている。
「盗まれた物は?」
「ジャガイモ」
「さつま芋」
「にんじん」
そこまでは分かる。
食べ物だから。
でも。
「あと、小さなスコップがひとつ」
「……スコップ?」
なんか変だ。
食べるためだけじゃない。
「試されてる?」
わたしが言う。
「こちらの出方を?」
「かもな」
じいちゃんが腕を組んだ。
「明日、調査に出てみよう」
そう決まった。
次の日。
五匹の猿が消えた。
その日から、村の見回りはさらに強化された。
わたし達も毎日。
朝からと昼から。
二回、外周を回る。
衛兵。
ハンター。
交代で、必ず誰かが外周にいる。
そして。
三日後。
わたし達は遭遇した。
西の林。
いた。
五匹。
木々の間。
樹上。
少し離れたところ。
その中に一匹だけ、大きな個体がいる。
ボスだろう。
わたしと籐吾は立ち止まった。
猿達も動かない。
睨み合う。
しばらく。
二匹が木から離れた。
その時。
ヒュッ。
「っ!」
何かが顔をめがけて飛んできた。
咄嗟に首を振る。
横を抜けて地面へ落ちた。
石?
「投石だ!」
籐吾が大剣を抜く。
前へ。
ガンッ!
飛んできた石を大剣で弾いた。
わたしも長剣を抜く。
また来る。
上。
横。
前。
「五対二……?」
違う。
頭上からも飛んでくる。
右から。
左から。
後ろから。
あらゆる方向から石が飛んでくる。
「もっといる!」
見えない。
何匹いる?
どこだ?
「引くぞ!」
籐吾がわたしを見る。
その瞬間だった。
頭上。
三匹。
樹上から一斉に飛びかかってきた。
「籐吾!」
わたしは籐吾の前へ出る。
長剣を薙ぎ払う。
そこから先。
覚えていない。
意識が暗転した。
気がついた時。
わたしは正門の中にいた。
揺れている。
籐吾?
わたしは籐吾に抱き抱えられていた。
「籐吾?!」
籐吾の額から血が流れている。
投石を受けたのだろう。
そして。
わたしの手には――刀がない。
「刀……」
籐吾の背中を見る。
大剣もない。
わたし達は。
敗退したのだった。
修道院。
この村の医療機関も兼ねている。
わたしはベッドの上。
籐吾はその横。
治療を受けた額には布が巻かれていた。
「なんで!」
籐吾を見る。
「なんで刀置いて来た!」
「……」
「どうして?」
「……」
「なんか答えて!」
しばらく黙っていた籐吾が、ぽつりと言った。
「お前が重かった……」
「ばか!」
手を上げる。
平手。
でも。
籐吾に止められた。
そのまま手を握られる。
「ばか」
「うん、すまない」
「……」
分かってる。
分かってるよ。
刀も。
大剣も。
持って帰れなかった。
だから捨てた。
わたしを連れて帰るために。
「……ありがとう」
「うん」
わたしは籐吾の肩にすがった。
涙が止まらなかった。
その夜。
また報告会が開かれた。
「何匹いた?」
「分からない。最初の五匹以外にもいた」
「投石はどこから?」
「あらゆる方向」
じいちゃんが籐吾を見る。
「籐吾。引く時はどうだった」
「すみません。御形を抱いて、前しか見てませんでした」
「そうか」
次。
「西の櫓からはどうだった?」
「最初の五匹以外は不明です」
「正門の衛兵。戻って来る籐吾はどうだった?」
「降りた三匹は、追いかける素振りはなかったですね」
沈黙。
じいちゃんがみんなを見る。
「どう思う?」
「こちらの出方の確認」
誰かが言った。
じいちゃんが頷く。
「だろうな」
わたし達は。
試された。
「どうするか」
「まず、近接武器は使用出来ない」
「盾と弓か、ボウガンか」
「先ずは近づけないことには」
「しかし、既に侵入を許してます」
そうだ。
農作物が盗まれている。
つまり猿は、もう村の中まで入っている。
「村内も見回りを置くか」
「村内での武器はどうする」
意見が飛び交う。
そして。
誰かが言った。
「最後は林を焼くか」
誰も答えない。
やがて。
「それは……村を捨てる選択だ」
防護林を焼けばいい。
猿を追い出せるかもしれない。
でも。
この林は村を守っている。
それを失えば。
もう今まで通りには暮らせない。
「わたしがもう一度出る」
みんながわたしを見る。
「だめだ」
じいちゃんだった。
「このままじゃ」
「何も対策せずに出て、同じ結果になってみろ」
言葉に詰まる。
「どうなる。図に乗らせるだけだ」
何も言えなかった。
次の日。
異変が起きた。
朝。
衛兵に起こされた。
「御形! 西だ!」
すぐに西の櫓へ向かう。
登る。
そして。
言葉を失った。
西の林。
そこには。
二十を超える猿の群れ。
そして。
一際大きな個体。
じいちゃんが呟いた。
「シルバーバックか」
大猿。
昨日、わたし達を襲ったボスより、さらに大きい。
じっと村を見ている。
誰かが気づいた。
「西の五匹……最前列にいるぞ」
いる。
昨日まで監視していた五匹。
その横。
別の大きな猿と、その周囲に数匹。
「あそこにいるの……他の地域で目撃された猿達だ」
「初めから来ていたのか……?」
分からない。
すぐにメンバーが集められた。
群れを観察する。
「大猿の下に副ボスが二匹」
「それぞれ五匹程度の部下を持っているんだろう」
「大猿の周りは?」
「メスと子供達か」
なら。
「御形達を襲ったのが攻撃班だろうな」
「他に採集班がいるのか」
「もう一つの副ボスがどう動くかだな」
「大猿のボスを弓では無理か?」
「届くところまで近づけるかだな」
みんなが話している。
その中で。
ふと。
思った。
「……なぜ、投石をするんだ?」
「そりゃあ、向こうも近づくのが危険だと知ってるからだろう」
「でも」
昨日を思い出す。
「最後は降りて来て襲いかかって来た」
みんなを見る。
「しかも、副ボスだった」
沈黙。
「あそこで接近戦が出来たなら、違ったかも」
「どうやって?」
「林の中じゃ不利だ」
そう。
長剣も。
大剣も。
林の中では振りにくい。
なら。
「格闘戦を行う」
みんながわたしを見る。
「わたしと籐吾で、あの攻撃班の副ボスをやる」
じいちゃんがしばらくわたしを見る。
「格闘戦か」
そして防具屋を見る。
「用意出来るか?」
「サイズさえ合わせれば、昼からでも」
今度は鍛冶屋。
「格闘戦用のナイフは?」
「個人用に合わせれば、すぐにでも」
じいちゃんが頷いた。
「よし。やってみよう」
そして。
「もう一匹の副ボスの動きに注意だ」
作戦が組まれていく。
「衛兵と盾で接近する」
「投石を抜ける」
「そこからスリングショットでおびき出す」
じいちゃんがわたしと籐吾を見る。
「後は二人でやり返して来い」
「うん」
「はい」
まずは防具屋。
「ヘッドギアとゴーグルだ」
親父さんが並べていく。
「投石避けだな。投石を抜けたら捨ててもかまわん」
「なるほど」
「後はコテ。厚めの革製だ。噛まれても耐えられる」
革の脛当て。
胸。
腰。
「とにかく、軽くて動き易く、尚且つ堅牢な物。全部、革製でいくぞ」
「大丈夫?」
「爪と牙を防げればいい」
「なるほど。任せるよ」
「後は胸と腰だな。御形! こっち来い、測ってやる」
「はい!」
「え?」
親父さんが目を丸くした。
「素直じゃねえか」
「測るんだろ? ほら」
親父さんの前で両手を広げる。
「ったく、調子狂うな、おい!」
「はいはい」
奥さんが出てきた。
「自分じゃ測ったり出来ないくせに。ああ見えて照れ屋なんだよ」
「うるさい!」
籐吾を測りながら親父さんが怒鳴る。
籐吾が首を傾げた。
「そうなんですか?」
「うるさい! お前も黙ってろ!」
思わず笑った。
「籐吾、ここ厚くしておくからな」
親父さんが右肩から二の腕を叩く。
「ぶちかます時はここだぞ」
「はい」
今度はわたし。
「御形。ここは短くするぞ」
腰当ての長さを調整する。
「相変わらずスケベだな」
「ばか! 違うだろ! お前の動きに合わせるためだ!」
「分かってるよ」
「下の革のパンツはこれ履いておけ。強くて伸びるから動き易い」
「親父の好みか?」
「おまえな!」
「はは、冗談だ」
防具合わせ終了。
次。
鍛冶屋へ。
「籐吾はハンターナイフでいいか?」
いつもの膝までほどある大型ナイフが二本。
「予備に短いの二本だな」
籐吾が握る。
「どうだ?」
「握りを少し厚く」
「貸してみろ」
親方が握りにバンテージを巻いていく。
「どうだ?」
籐吾が握り直す。
「うん。いいかな」
「よし」
次はわたし。
「御形はどうする? 同じハンターナイフか? もっと軽いタガーにするか?」
「軽い方だな」
「なら、これくらいか?」
刃の広いもの。
細いもの。
何本か並べられる。
「細い方かな」
「そうだな。おまえは切るより刺す方が合ってる」
渡される。
握る。
「うん。軽いね」
「重みが欲しいか?」
「そうかもね」
親方がわたしを見る。
そして。
「なら、これで取り返して来い」
「うん」
昼から。
一堂に会した。
突撃隊。
衛兵五人。
わたし。
籐吾。
後方に、さらに衛兵五人。
そして。
猿の陽動も考えて、反対側の農地にもハンターと衛兵を配置する。
準備は出来た。
西の櫓。
弓が引かれる。
矢には笛。
狙いは猿じゃない。
林まで届けばいい。
放たれた。
ぴーーーーーっ!
甲高い音が林へ響いた。
「よし、出るぞ!」
衛兵を先頭に走り出す。
笛に気を取られていた猿達が騒ぎ始める。
ギャッ。
ギャッ。
騒がしい声。
その中。
一際大きな鳴き声。
副ボス。
その一声で。
騒ぎが止まった。
「……来るぞ」
ヒュッ。
「投石だ!」
盾が上がる。
ガン!
ガンガン!
ゴンッ!
ボコッ!
「うわっ!」
いったい。
どれだけの石を集めたんだ、こいつら。
盾の隙間から見る。
探す。
副ボス。
いた。
一番見渡せる場所。
全体を見ている。
「やはり、司令塔だな」
スリングショットを構える。
狙う。
放つ。
副ボスの近くへ。
もう一発。
こっちに気づいた。
明らかに興奮している。
「よし」
来い。
「降りて来い!」
副ボスが一声鳴いた。
そして。
降りてきた。
三匹。
わたしは副ボスが降りてくる場所へ走る。
横を見る。
籐吾の巨漢が走る。
あいつ。
とにかく突っ込む気か。
三匹と邂逅。
籐吾が一番最初に降りた猿へ突っ込む。
どしん!
ショルダー。
猿が吹き飛んだ。
ほんとにやった。
わたしはゴーグルを投げ捨てる。
副ボス。
走る。
「っ!」
襲いかかる。
相手も、まさかわたしから飛びかかるとは思っていなかったのか。
すぐに揉み合いになった。
爪。
タガー。
爪。
タガー。
お互いに刺し合う。
痛い。
でも。
防具が止める。
厚い革。
親父さんの防具。
効いてる。
猿には何もない。
タガーが当たれば、傷になる。
離れる。
「シャーッ!」
爪。
合わせる。
カウンター。
タガーを振るう。
離れる。
睨む。
一進一退。
互いに間合いを牽制しながら。
円を描く。
爪。
タガー。
爪。
タガー。
応戦。
睨み合い。
その時。
横から。
塊が飛び込んできた。
「うおっー!」
籐吾。
ドンッ!
副ボスへショルダーでぶちかます。
吹き飛ぶ。
「籐吾!」
そのまま落下地点へ走る。
副ボスが起き上がる。
睨み合う。
籐吾が突っ込む。
猿が避ける。
そこへ。
わたし。
タガー。
猿が下がる。
籐吾がぶつかる。
わたしが刺す。
籐吾。
わたし。
徐々に。
猿は反撃出来なくなっていった。
そして。
崩れ落ちた。
視線は地面に、息も絶え絶えに。
「ふうーーーー」
息を吐く。
籐吾も肩で息をしている。
「はあ……はあ……」
そして。
籐吾が見上げた。
わたしも見る。
林の奥。
シルバーバック。
じっと。
こちらを見下ろしている。
わたし達も睨み返す。
ここは。
わたし達のテリトリーだ。
やがて。
もう一匹の副ボスが降りてきた。
背後に三匹。
わたしはタガーを握り直す。
籐吾も構える。
睨み合い。
しばらく。
動かない。
その時。
櫓から声が飛んだ。
「シルバーバックが引く!」
ちらりと見る。
大猿が動いている。
群れも。
少しずつ林の奥へ消えていく。
でも。
目の前の副ボスは動かない。
こちらと睨み合ったまま。
群れを逃がすためか。
ならば。
睨み合う。
こっちから行く必要はない。
やがて。
群れ本体の姿が見えなくなった。
副ボスが一歩下がる。
もう一歩。
そして。
一声。
鳴いた。
何の声だったのか。
わたしには分からない。
副ボスも。
三匹の猿も。
もう一匹の副ボスも。
林の奥へ。
遠ざかっていった。
「はあーーーー」
衛兵達が一斉に息を吐いた。
盾を下ろす。
その場に座り込む者もいる。
「終わったー……」
誰かが言った。
ほんと。
終わった。
わたしはヘッドギアを外す。
そして。
昨日の場所へ向かった。
少し探す。
「あった」
籐吾の大剣。
落ちている。
持ち上げる。
「おもっ!」
思わず声が出た。
――あいつ、こんなの振り回してるのか。
よくこんな物を使えるな。
近づいてきた籐吾へ渡す。
「ほら」
「おう」
籐吾が受け取る。
そして。
わたしは探す。
昨日。
わたしが落としたもの。
林の端。
何かが鈍く光った。
「あった……」
わたしの長剣。
近づく。
拾い上げる。
傷だらけ。
刃にも。
柄にも。
石で叩いたのか。
猿達が調べたのかもしれない。
でも。
無事だ。
修理して。
研いでもらえば。
また使える。
「ほっ……」
息が漏れた。
「よかったな」
「ああ」
籐吾がわたしの肩に手を置いた。
その大きな手に。
わたしの手を重ねる。
「ありがとう」
「昨日聞いたよ」
「いいから」
籐吾を見る。
「ありがとうね」
「おう」
長剣を握る。
籐吾も大剣を肩に背負う。
村を見る。
櫓がある。
外壁がある。
門がある。
その向こうに。
みんながいる。
祖父がいる。
祖母がいる。
いつもの家がある。
鍛冶屋も。
防具屋も。
修道院も。
寺子屋も。
畑も。
いつもの道も。
ここを守るために。
みんなで戦った。
そして。
帰ってきた。
――わたし達の帰るところは、ここだ。




