菖蒲の章 第三幕 きまった
夜。
作業場を出て、空を見上げる。
上弦の月。
その周りを、うっすらと白い雲が流れている。
爽やかな風が頬を撫で、そのまま通り過ぎてゆく。
明日。
いよいよ。
月を見上げる。
風に揺られる。
けど、心は揺れない。
絶対、決めてやる。
朝。
青い空。
風は穏やか。
問題なし。
みんなで朝ご飯を囲む。
「菖蒲、今日からだろ、定期便」
「はい、隣り村です。今日はよろしくお願いしますね、姉さん」
「ん。籐吾もだよな?」
「籐吾兄さんには御者してもらわないと」
「ん? あ、おれも?」
「いつもの事だろ? 行かない事あんのか?」
「……ないな」
「いつも頼りにしてますよ、兄さん」
なんだか籐吾兄さん、少しだけ残念そう。
「今日は御形も一緒かぁ……」
なんかつぶやいていた。
朝ご飯を終えたら、まずは馬さんの厩舎へ。
馬さんを迎えに行って、そのまま隣りのひょうたん池横の倉庫へ向かう。
荷車のところでは、親方さんが待っていた。
「おはようございます! 親方さん」
「来たな。おはよう、菖蒲」
「どうしました?」
「荷車に細工しておいたからな」
「あ、出来たんですね」
「ああ。帰ったらすぐ見せろ」
「わかりました」
荷車の準備も終わった。
荷物を確認して。
馬さんも大丈夫。
よし。
「じゃ! 出発しましょう!」
先導は、いつもの老ハンターさん。
籐吾兄さんが御者台で手綱を握る。
荷台の幌の中には、わたしと御形姉さん。
動き始めた荷車から手を振る。
「行ってきます!」
みんなも手を振ってくれている。
――帰ってこなきゃ。
絶対。
渡る風。
澄み切る空気。
青い空。
荷車にはためく、半分の月定期便の旗。
かわいい。
お花がたくさん散りばめられている。
そして、赤!
うん、かわいい!
ガタン。
ガタン。
いつものリズム。
でも、今日は少し音が穏やかな気がする。
村に着くまでの幌の中。
「どうした? 菖蒲、元気ないな」
「え? 元気ですよ、わたし」
「そうか? ならいいが」
――わたし、考え込んでたな。
やっぱり御形姉さんには隠し事出来ないな。
「あのね、姉さん」
「ん?」
「わたし、今日あっちで蓮に言うの」
「ん」
「ついて来てって」
「そっか」
少しだけ間があった。
「当てはあるのか?」
「ううん。蓮に決めてもらいたいから」
「そうだな」
「大丈夫かなぁ」
「んー、菖蒲はどうなんだ?」
「わたし?」
「うん」
「わたしは……」
どうなんだろ?
一緒にいれば楽しいし。
落ち着くし。
いて欲しいし。
「なら、正直に言うしかないな」
「うん」
「どんな答えでも、菖蒲の家はちゃんとあるから。心配するな」
「うん。ありがと、姉さん」
ガタン。
ガタン。
いつものリズムで、馬さんは走ってゆく。
隣り村。
まずは衛兵さんにご挨拶。
「お疲れ様です!」
「お、来たな。ん? 半分の月定期便?」
「はい、目印です」
衛兵さんが、荷車の旗を見上げる。
「んー、いいな。すぐ分かる」
「これからよろしくお願いしますね」
「おうよ、覚えておくよ」
広場に荷車を止めて、わたしは役場へ。
持って来た薬草と、今回は蔦も一緒に渡す。
「では、お魚さんを」
そのまま村の生簀へ。
今回は運ぶだけじゃない。
食べる大きさのお魚さんもいただいていく。
そっちは、うちの村で試食会をするため。
あとは焼くだけの状態にしてもらう。
大体の数や大きさを決めて。
「では、また後で」
「用意しておくよ。ゆっくりお昼食べて来な」
「お願いします」
よし。
さあ、あとは積んで帰るだけ。
みんなで食堂へ向かう。
蓮、来ないかなぁ。
忙しいのかなぁ。
そんなことを考えながら、みんなで座るテーブルを探していた時。
蓮がやって来た。
「あ」
「あたし、あっちで」
「おう、行っといで」
御形姉さんが言ってくれる。
「籐吾はこっちだよ」
そのまま籐吾兄さんを店の反対側のテーブルへ引っ張っていく。
二人の後ろ姿を見送る。
「座ろ」
「うん」
小さなテーブル。
蓮と向かい合わせに座る。
「おれ、弟子入り出来たよ」
「え? しちゃったの」
「うん。この間言ってたところ」
「そうなんだ……」
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
それからも、蓮はいろいろ話していた。
わたしも返事をした。
たぶん。
取り止めのない話。
でも、ぜんぜん話が入ってこない。
弟子入り。
しちゃったんだ。
ここで。
この村で。
「菖蒲」
肩に手が置かれた。
「御形姉さん?」
「ちょっと、菖蒲借りてくな」
そのまま席を立つ。
姉さんに肩を抱かれて、食堂の外へ連れて行かれた。
「大丈夫じゃなさそうだな」
「え?」
「今にも泣きそうだよ」
「そんなに?」
「ああ」
姉さんの声は優しかった。
「どうする? 今日はやめとくか?」
無理はするな。
そう言ってくれている。
「いや」
首を振る。
「はっきりさせてくる」
「そっか。一人で大丈夫か?」
「離れて見ててくれたら、がんばれる」
「うん。ずっと見てるから。行って来な」
「はい!」
顔を上げる。
よし!
席へ戻る。
「蓮、ちょっと外でいい?」
「ん? ああ、いいけど?」
二人で外へ出る。
御形姉さんを視線で探す。
いた。
店の軒先。
壁にもたれて、遠くを見ている。
遠くを見ているようにして、ちゃんとこっちを見てる。
「あのね」
「うん?」
「弟子入り、おめでとうね」
「ありがと」
「それでね」
「うん」
「あたしね……」
頭の中がぐるぐる回る。
昨日考えたこと。
朝考えたこと。
荷車で考えたこと。
いっぱい考えた。
いっぱい考えてきたのに。
まったく出てこない。
「どうしたの?」
「蓮!」
「う、うん」
「うちの村に来ない?」
「え?」
「わたしと一緒に、お仕事しない?」
「菖蒲……」
「わたし、作業場作ってもらったの。お店も作ってくれたの。わたしもいろいろ作って、蓮のいれる場所作ったの」
「……」
「あとは、蓮が決めて」
涙が止まらない。
分かってる。
蓮は絶対、うんとは言わない。
「おれは……」
「うん」
「ありがとう。いろいろしてくれて」
「うん」
「おれが倒れた時から……いや、もっと前から。菖蒲がいろいろしてくれてたのは分かってる。感謝もしてる」
「うん」
「菖蒲は、おれの大事だ」
大事。
「大事だけど……」
「うん。言って」
「今は行けない」
「うん」
分かってる。
「おれは、胸を張って菖蒲を迎えに行きたい」
「迎えに?」
「どっちの村でもいい。おれが迎えに行きたい」
「意地っ張り」
「うん。ごめん」
「わたし、迎えに来るまで待ってるの?」
蓮は、すぐには答えなかった。
「それは……何年かかるか分からない」
「そう」
「ごめんなさい! おれ、菖蒲の気持ちに応えてあげられない」
「うん」
もう、蓮の顔も見えない。
涙が止まらない。
ボロボロ。
ボロボロ。
「一度、別れましょう」
「……ごめんなさい」
「ううん。わたしのわがままだもん」
「そんなことない。おれが今までふらふらしていたせいで、菖蒲を泣かせた」
「絶対、後悔させてやるから」
無理やり笑う。
「え?」
「こんな美人を振ったこと、絶対後悔させてあげる」
手を出す。
蓮も、ゆっくりと手を出す。
握らない。
握手。
握手だ。
もう恋人でもなんでもない。
「じゃあ、でも村には来るから。挨拶はさん付けでね!」
「うん。菖蒲さん!」
振り返る。
御形姉さんがいた。
「頑張ったな」
「……うん」
姉さんは、それだけ言った。
そして蓮を見る。
「ありがとう。妹が世話になった。これからもよろしくしてやってくれ」
「はい! よろしくお願いします!」
蓮が深々と頭を下げる。
わたしは御形姉さんに肩を抱かれて、荷車へ戻っていった。
荷車。
幌の中。
「うわーーーーーん! 姉さん、わたし振られたぁ!」
御形姉さんの胸に抱かれる。
姉さんは何も言わず、優しく肩を抱いてくれる。
「蓮、ついて来れないってぇ」
「うん」
「うーーーーー」
「うん」
「わたし頑張ったの」
「そうだな」
「ほんと、いろいろ考えて、いろいろしたの」
「うん」
「なのに、なのにーーーー」
「うん」
「うわーーーーーーん!」
姉さんの手が、背中を優しく撫でてくれる。
「うん、うん。泣きな。今はいっぱい泣いていい。菖蒲は泣いていいよ」
「うーーーーー」
外には籐吾兄さんの背中。
きっと困った顔して、外を睨んでるんだろう。
ガタン。
ガタン。
馬さんは走る。
ガタン。
ガタン。
いつものリズムを聞きながら。
泣いて。
泣いて。
やっと少し落ち着いた頃。
荷車は防護林を抜けた。
村が見える。
衛兵さん達もいる。
「おかえりなさい! ……って、菖蒲さん! どうしました?!」
「あー、ちょっとつまずいただけさ」
御形姉さんが答えてくれる。
そう。
ちょっとつまずいただけ。
ちょっと寄り道しただけ。
顔をあげなきゃ。
荷車の点検。
お魚の試食会。
いっぱいすることがある。
顔を上げる。
太陽が見えた。
よし。
上を見れた。
村へ戻る。
親方さんが迎えてくれた。
「親方さん! 荷車点検お願いします!」
「ああ、任せろ」
荷車は親方さんにお願いして。
次!
食堂へ。
「女将さん! これ! お魚試食会お願いします!」
「はいよ。任せな!」
持って帰ってきたお魚を渡す。
さあ。
まだまだやることがある。
「菖蒲さん、どうしたの?」
後ろから蓼さんの声が聞こえた。
御形姉さんに聞いている。
「ん? あっちで振られて来た」
「え? あの子、菖蒲さんを振ったの?」
「ああ」
「菖蒲さん、大丈夫?」
「今はな」
「そう……」
聞こえてる。
聞こえてますよー。
でも、今はいいや。
「おい、御形」
「ん?」
今度は親方さん。
「どうした? 菖蒲は」
「ん? 女の子にはいろいろあるんだよ」
「? そうか。いろいろか」
「そ。いろいろだ」
いろいろです。
夕方。
食堂から、お魚が焼けるいい匂いが村へと流れていく。
籐吾兄さんは、くんくんして待ってる。
もう。
美味しいご飯。
わたしが持って来たお魚。
みんなで食べる。
「うまい!」
「美味しいねえ」
「これならいいな」
みんな笑顔。
笑顔。
笑顔。
いっぱい食べて。
いっぱい笑顔。
今日、いっぱい泣いた。
寄り道して。
ちょっとつまずいた。
でも、上を見れた。
だったら。
明日はもっと笑顔にしてやる。
わたしは、わたしの心を決めた。




