第七幕の後
「おはようございます!」
「はい、おはよう」
今日も元気な声が店に飛び込んでくる。
「二階! 失礼します!」
「はいよ」
返事をするより早いくらいに、菖蒲は階段を上がっていった。
もう何度目だろうね。
朝になるとやって来て。
二階へ上がって。
蓮の様子を見て。
しばらくすると。
「じゃ! 行ってきます!」
「ああ、行っといで」
今度は八百屋へと飛び出していく。
店先からその背中を見送る。
まったく。
毎日毎日。
「健気だねぇ」
「ですねー。菖蒲さん、頑張ってる」
隣で蓼も同じように見送っている。
「相手にも響いているといいけどねぇ」
「それはどうですかね」
「そうなんだよ。あの子」
「なんででしょうねー」
「はあ……」
「はあ……」
二人でため息をつく。
「あの、朝ごはんいいですか?」
声がして。
二人でゆっくり階段の方へ視線をやる。
そこには蓮。
「な、なんでしょう……か?」
「しっかりしなよ。あんなかわいい娘、そうそういないよ」
「まあ、それはまあ……」
そこは分かってるのかい。
「大丈夫かね」
「どうでしょう?」
また蓼と顔を見合わせる。
まったく。
どうなることやら。
それからも。
菖蒲は毎朝やって来た。
蓮もずいぶん元気になった。
最初は寝たままだったのが。
身体を起こせるようになって。
階段を下りられるようになって。
今では店の中くらいなら普通に歩き回っている。
雨も上がった。
雨季も終わり。
なら。
そろそろ。
「雨季も終わりだよ。あんた、帰るんだろ?」
「そのつもりです。大変お世話になりました」
頭を下げる蓮。
「あんた、なんかこのまま帰りそうな勢いだね」
「みなさんにもご挨拶してからですけど」
「みなさんよりも大事なのがいるだろ?」
「?」
本当に分かってないのかい。
「あたしゃ頭痛いよ。菖蒲だよ」
「ああ。菖蒲さんには、とてもよくしてもらって……」
そこで蓮の言葉が止まった。
「どうした?」
「どうしましょう?」
「なにが?」
「このまま帰っていいのか」
「帰るんだろ?」
「はい」
「じゃあ、ちゃんと言わなきゃだな」
「はい」
蓮は少し考えて。
「なんて言いましょう?」
「……」
あたしゃ本当に頭が痛いよ。
その日の夕方。
「女将さん!」
聞き慣れた元気な声。
「二階って……蓮いるじゃん」
店に入って来た菖蒲が、すぐに蓮を見つけた。
「おかえり」
「あ、ただいま」
なんだか自然にそんな言葉を交わしている。
菖蒲が蓮のところへ寄っていく。
「蓮、もういいの?」
「大体。普通に歩き回れるくらいには」
「そう。無理はダメだよ」
「分かってるって」
いつもの調子。
蓮が少し黙った。
「あの、菖蒲」
「菖蒲さんね」
すぐに言ってやる。
「あ、菖蒲さん」
「ん?」
「おれ、村に帰る」
菖蒲が止まった。
「え?」
「雨季も終わったし。雨も上がったし」
「……そう」
少しだけ間があって。
「よかったね」
「うん」
菖蒲は笑った。
「準備しなきゃ。って、何にも持って来てないか」
「うん。でも、たくさんもらったから」
「……」
「……」
二人とも黙ってしまった。
ほら。
ちゃんと言いな。
蓮が口を開く。
「おれ――」
「行くから!」
「え?」
今度は蓮が止まった。
「村に交易。定期便作るの」
「キャラバン?」
「小さなね」
菖蒲が指を立てる。
「乾季だけじゃなくて、温暖季も。月が丸くなるたんびに行くから」
「うん」
「待ってなさい!」
菖蒲が蓮を指差した。
「わたしがあんたを連れて帰るから!」
そして。
「じゃ!」
言うだけ言って。
そのまま店を飛び出していった。
勢いよく扉が開いて。
閉まって。
外を走っていく足音が遠ざかっていく。
店の中が静かになった。
蓮は、菖蒲が消えたところを見つめている。
「おれ……どうしよう」
「大変なのに気にいられたね」
「どうしましょう?」
「あきらめな」
蓮がこっちを見る。
「菖蒲は言ったらやる娘だよ」
「……そうですか」
「ああ」
蓮はもう一度、菖蒲が走っていった方を見る。
その目は。
今までとは少し違っていた。
何かを考えているような。
何かを決めたような。
そんな目。
雨は上がった。
雨季も終わる。
あの子は自分の村へ帰る。
でも。
それで終わりじゃないらしい。
菖蒲がそう決めてしまった。
なら。
あたしも少しくらい考えておこうかね。
あの子がまたここへ来た時。
ちゃんと帰って来られるように。
さて。
どこに帰るところを作ってあげようかね。




