第五幕 いってきます
雨が始まって、早くも二つの月の巡りほど。
ずっと雲に隠れているから月なんてほとんど見えないけれど。
たぶん、満月も二回目くらい。
そろそろ雨季も終わりに近づいているはず。
その日も朝から食堂では、男達が野菜を切っていた。
トントン。
ザクザク。
すっかり聞き慣れた音。
瓶を並べて。
切った野菜を詰めて。
塩をして。
酢を入れて。
最初の頃に比べれば、随分と手慣れたものだ。
「そろそろ雨季も終わりに近いな」
誰かが言った。
「そうだな。そろそろ大雨か」
「最後の雨だな」
雨季の終わりには、大雨が二、三日続く。
毎年のこと。
それが過ぎれば、長かった雨季も終わる。
手を動かしながら外を見る。
軒先から落ちる水。
道を流れる水。
朝からずっと、雨脚が強い。
「今日は朝から雨が強いねえ」
「最後の雨じゃねえか?」
「かもな」
そんな話をしながら。
男達はまた野菜を切る。
トントン。
ザクザク。
外では雨。
中では包丁の音。
その強い雨は、夜になっても止まなかった。
翌朝。
雨音で目が覚めた。
まだ降っている。
昨日より強いんじゃないかと思うくらい。
店を開けた後、外が妙に慌ただしくなった。
衛兵が走っている。
一人。
二人。
何人も。
「なんだい?」
店先から外を見る。
村の中央へ向かって、馬が一頭連れて行かれていた。
雨に濡れている。
馬も。
連れている人も。
店の中から、瓶詰めを抱えた男達がぞろぞろと顔を出した。
「あれ、うちの馬じゃあねえな」
「他所からか?」
「この雨の中をか?」
一人が店先まで出て声を張る。
「おーい! そこの衛兵のにいちゃん! 何があった?」
呼び止められた衛兵が足を止めた。
「隣り村からの使者ですね」
「隣り村?」
「なんだなんだ」
「何しに来たんだ?」
男達が瓶を持ったまま外へ出てくる。
「詳しいことは僕達も聞いてなくて。今、役場に案内したところです」
「この雨の中を来たのか?」
「そうみたいです」
男達が顔を見合わせる。
ざわざわ。
ガヤガヤ。
「何かあったんじゃねえか?」
「でなきゃ、この雨の中を馬で来ねえだろ」
「だよなあ」
嫌な感じだねえ。
そう思っていると。
今度は村の中央から、一人の男が走ってきた。
雨の中を。
こっちへ向かって。
「ん?」
「あれ、リーダーじゃねえか?」
「あ? だな」
「珍しい。雨の中走ってら」
そのまま真っ直ぐ食堂へやって来る。
「どうした? どうした?」
「何があった?」
男達が一斉に囲む。
息を切らしたリーダーが店先で足を止めた。
「みなさん、お集まりですよね!」
「ん?」
みんなが顔を見合わせる。
大工の棟梁。
鍛冶屋の親方。
防具屋の親父。
農家の旦那。
それから、いつもの男達。
……まあまあ。
村の重鎮達が揃って瓶詰めしている。
「ほらほら! 中に入ってもらいな!」
わたしは男達を押し戻す。
「そんなところで話すようなことじゃあないんだろ!」
「そうだな」
「だな」
「入れ入れ」
ぞろぞろと食堂の中へ戻っていく。
リーダーも中へ。
雨に濡れた肩から水が落ちる。
みんなが集まったところで。
「隣り村から救難依頼です!」
一瞬。
静かになった。
「は?」
「救援!?」
「この大雨で、水路が決壊しそうだそうです」
男達の顔が変わる。
さっきまで野菜を切っていた顔じゃない。
「向こうの村の連中は?」
「抑えるので精一杯だそうです。それに、外壁が崩れかけていると」
「外壁がか!」
大工の棟梁が声を上げる。
「いかんな。あっちは外壁が無ければ即外界だろ!」
「その通りです。なんとか外壁を保たせているようで、水路の方をお願いしたいと」
「まあ、外界よりはマシだが……」
鍛冶屋の親方が腕を組む。
そして、大工の棟梁を見る。
「棟梁よ。どうするか?」
大工の棟梁は、リーダーを見た。
「おめえさんがここに来たってことは、そういうことだよな?」
「はい。出来ましたら」
最後まで聞かなかった。
「準備するぞ!」
「だな!」
「人を集めろ!」
「おう!」
一斉に男達が動き出す。
「ありゃまあ……」
これは大変だよ。
それからの食堂は、もっと大変だった。
人が来る。
また来る。
男達が集まる。
若い連中も集まる。
さっきまで瓶詰めをしていた食堂が、あっという間に人でいっぱいになった。
大工の棟梁が真ん中に立つ。
「持っていけるだけ材料は持って行く! ただし積みすぎには注意しろ!」
「おう!」
「菖蒲!」
「はい!」
「在庫はすまん! 後でどうにかしてくれ!」
「はい!」
即答。
頼もしいねえ。
「馬三頭! 荷車二台出すぞ!」
「おう!!!」
その声を合図にしたみたいに。
人が一斉に散った。
大工は資材。
鍛冶屋は道具。
農家の男達は荷運び。
衛兵達も走っていく。
菖蒲は倉庫へ。
さっきまであれだけ人がいた食堂が、一気に静かになる。
「こんな時には頼もしいねえ。な、蓼」
「はい」
「菖蒲も後片付けが大変だね」
戻ってきた菖蒲が笑う。
「慣れてますから」
「そうかい」
しばらくすると。
店の外に荷車が二台並んだ。
雨の中。
木材が運ばれてくる。
杭。
板。
縄。
道具。
次々に積み込まれていく。
濡れないように覆いをかけて。
縄で縛って。
みんな泥だらけ。
それでも手は止まらない。
わたしは軒先からその様子を見ていた。
すると、大工の棟梁がこっちへやって来た。
「女将」
「なんだい?」
「すまんが、一緒に来てくれ」
「わたしかい?」
「ああ」
「あたしゃ飯炊きくらいしか出来ないよ」
「それだ」
「ん?」
棟梁が外を見る。
降り続く雨。
「この雨の中だ。冷えた身体を温める火と湯の世話を頼みたい」
「ああ……」
なるほど。
「それなら出来るか」
「救援するくらいだ。あっちからの支援は無理だろう」
「そうだね」
なら。
やることは決まってる。
「わかったよ。大鍋とタライも積んどくれ」
「おう!」
蓼がこっちを見る。
「女将さんも行くんですか?」
「行くよ。飯炊きが必要なんだとさ」
「でも……」
「大丈夫だよ。水路直すわけじゃないんだから」
さて。
何を持っていくかね。
米。
干した物。
塩。
味噌。
温かい汁物がいい。
向こうで何人食べるか分からない。
多めにしとこう。
大鍋も。
湯を沸かすなら薪もいる。
あっちの薪が濡れてるかもしれない。
持っていけるだけ。
出来ることを。
出来る人間がやる。
それでいい。
やがて。
「よし! 揃ったな!」
大工の棟梁の声が響いた。
荷車二台。
馬三頭。
資材。
道具。
食料。
大鍋。
タライ。
人も揃った。
「よし、俺も!」
「僕も行きます!」
若い連中が前へ出る。
ところが。
「若いのは留守番だ!」
「えー!!!」
一斉に声が上がった。
「俺らも行きます!」
「僕らも!」
「人手は多い方がいいでしょう!」
「若いのはここで仕事して待ってろ!」
「しかし!」
「でも!」
棟梁が一喝する。
「ちょいと出掛けて釘打って来るだけだ!」
みんなが黙る。
「俺らが帰るまで。帰るまでは、しっかり留守番しとけ! わかったな!」
「……」
誰も返事をしない。
「返事!」
「……はい!」
「よし!」
まったく。
言い方は乱暴だけど。
こういう時は、年寄り連中の方が頑固だねえ。
わたしも荷車へ向かう。
その前に。
「蓼」
「はい」
「留守を頼んだよ!」
「でも……」
心配そうな顔。
「女将さん……」
「あんたも、かあちゃんになるんだろ!」
「え! 女将さん……」
「しっかり留守番して、帰る人を迎えるんだよ」
蓼が少し俯く。
それから。
顔を上げた。
「はい……」
「よし」
それでいい。
向こうでも。
「籐吾!」
「はい!」
「留守はしっかりな!」
「はい!」
でっかい身体で、しっかり頷く。
その横では。
「御形も。あんまりケンカすんな」
「もう! じいちゃん!」
御形が頬を膨らませる。
「待ってるから」
「ああ」
じいさんが笑う。
「わしは凄腕だからの」
「はいはい」
御形も笑った。
「行ってらっしゃい」
「ああ。行ってくる」
あっちでも。
こっちでも。
それぞれ声を掛け合っている。
行ってこい。
気をつけろよ。
任せたぞ。
早く帰ってこい。
待ってるから。
いつもの村。
いつもの人達。
ただ今日は。
行く人と。
残る人。
「すぐに出るぞ!」
大工の棟梁が声を上げる。
「時は待ってはくれん!」
「おう!!!」
雨の中。
二台の荷車が動き出した。




