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剣の世界〜とある村の一日〜  作者: なえみ
雨の雨季 編

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26/58

第三幕 水の前触れ

雨は降り続いている。


朝から。

昼になっても。


空はずっと灰色で、

先の見通しもあまり良くない。


店先の軒から絶え間なく雨水が落ちている。


軒先のデッキも、

いつもなら濡れない奥の方まで雨が入り込んでいた。


店先の道には小さな流れまで出来ている。


雨季なんだから雨が降るのは当たり前。


それにしたって。

今年はよく降るねぇ。


そんなことを思いながら外を眺めていると、


「ダメだな!」

店に戻ってくるなり、棟梁が口を開いた。


頭からびっしょり。

肩からもぽたぽた水が落ちている。


「どうしたんだい?」

「水の量が多すぎる」

「いつもよりかい?」

「ああ」


棟梁が外を見る。

「多分、上ではもっと降ってるんだろう」


上。

村より高いところ。

そこに降った雨は集まって、こっちへ流れてくる。


ここで降っている雨だけ見ていればいいわけじゃない。


「今すぐにどうこうはないだろうが、このまま最後まで降られるとな」

棟梁が言葉を切る。


その顔を見れば、

あまりいい話じゃないことくらい分かる。


「どうするんだい?」

「水の入口に堰を増設するか」


少し考えて、

「あと、牛を沈めるか」


「牛?!」

思わず声が出た。


「なんだよ」

「牛を沈めるのかい?!」


「あー」

棟梁が頭を掻く。


「あれだよ。木で枠を作って、中に石を詰めて沈めるんだよ」

「……ほんとの牛かと思ったよ」

「そんなの沈めてどうすんだよ」

「そりゃまあそうだろうけど」


紛らわしいんだよ。

まったく。


でも。

笑っていられたのはそこまでだった。


「早いに越したことはないな」

棟梁がまた外を見る。

「今ならまだ杭も打てるだろう」


水が増えれば、

それも出来なくなる。


「仕方がない。若いの出すか?」

そばにいた男が言う。


棟梁は少し考えてから首を振った。

「そうだな。しかし作って運ぶまでだ」


「現場にはやらん?」

「ああ」

「そうだな」


二人とも、

そこだけは迷わなかった。


「そんなに危ないのかい?」


わたしが聞く。

棟梁はこちらを見る。

さっきまでとは違う顔。


「水を甘く見ちゃいかん」


そして、

「若いのが流されたら明日がない」


店の中が静かになった。


雨の音だけが聞こえる。


ざあああああ。

屋根を叩いて、

軒から落ちて、

道を流れていく。


若いのが流されたら明日がない。


そうだね。

年寄りだけ残ったって、

村は続かない。


だからって何もさせなければ、

今度は何も残らない。


棟梁が立ち上がった。

「さあ! 準備だ!」

ぱん、と手を叩く。


「若いのには作り方を教える!」

「おう!」


「女将! 店先借りるぞ!」

「あいよ!」


そこからは早かった。


あっちから。

こっちから。

材料が運ばれてくる。


木材。

縄。

道具。

袋。


店先のデッキだけでは足りず、

雨の吹き込まないところまで使って作業が始まった。


「まず四角だ! 底を組むんだ!」


若いのが木を持つ。

「そこじゃねえ。削って合わせろ」

「はい!」


ぎこぎこ。

がりがり。

木を削る音。


「そうだ。そこだ」


組んで。

合わせて。

叩いて。


「そこから上に三角だ」

「こうですか?」

「違う違う、そっちを先に入れろ」

「あ、はい!」

「そう! しっかり組み合わせろ!」

少しずつ形になっていく。


四角い底。

そこから木を立ち上げて、

上で合わせる。

中には石を詰めるらしい。


なるほど。

これが牛か。


「こっちは杭だ!」

別のところでは杭を作っている。


木を削って。

先を尖らせる。

一本。

二本。

三本。


「土嚢袋も用意しろ!」

「はい!」

今度は袋が運ばれてくる。


店先はもう、

食堂なんだか大工の作業場なんだか分からない。


まあ、いいか。

雨季なんだ。

必要なところを使えばいい。


出来上がったものから荷車へ積んでいく。


「荷車に在庫を積むぞ!」

「おう!」


男達が持ち上げる。


「そっち押さえろ!」

「はい!」

「縄掛けろ!」

「はい!」

やがて荷車いっぱいになった。


大工が叫ぶ。

「牛を連れて来い!」

「はい!」

若いのが走っていく。


しばらくして、

「おーい!」

本物の牛を連れて戻ってきた。


棟梁が目を丸くする。

「そっちじゃあねえ!」

「え?」

「……いや、生きてる方だ!」


一瞬みんなが止まる。


「荷車引かせるんだよ!」

「そっちで合ってんじゃねえか!」


誰かが言った。

「そうだよ!」

わたしも言う。


「ああ、もう! 紛らわしいな!」


わはは、と笑いが起きた。


こんな雨の中でも、

笑う時は笑う。


牛を荷車につなぐ。

準備は整った。


「じゃあ行くぞ!」

「おう!」

若いのを引き連れて、

男達が雨の中へ出ていく。


若い連中は作って、

積んで、

運ぶところまで。


その先は経験のある連中がやる。


雨の向こうへ消えていく背中を、

みんなで見送った。

「大丈夫かな?」

御形が呟く。

ずっと外を見ている。


「まだ雨季が始まったばかりだよ。まだ備えだよ」

誰かが言う。


「そうだよな」


御形が頷く。

その隣では蓼が、

両手を胸の前で握っていた。


心配なんだろう。

あの中には、

蓼にとって大事なのもいる。


「大丈夫ですよ」

菖蒲が声をかける。


でも。

そう言った菖蒲も、

心配そうに雨の向こうを見ている。


誰もいなくなった道。

雨だけが降っている。


ざあああああ。


まだ。

まだまだ。

雨は降り続いている。


夕方。


……と言っても。

昼からずっと暗いから、

空を見てもよく分からない。


店の中も早くから灯りをつけている。


雨の音は変わらない。


ざあああああ。


御形はずっと店先にいた。


何度も道の先を見る。

座ったと思ったら、

また立つ。


「御形、少し落ち着きな」

「分かってるよ」


分かってないね。


しばらくすると、

また立って外を見る。


わたしは何も言わなかった。

好きにさせておこう。


やがて。

雨の向こう。

ぼんやりと何かが見えた。


御形が身を乗り出す。


「……あ」


人影。

荷車。

牛。


「帰って来た!」


御形が叫ぶ。

その声で、

店の中が一気に動いた。


「蓼! お湯沸かすよ!」

「はい!」

「菖蒲! 大きな布を!」

「はい!」


湯を沸かす。

布を集める。

タライを出す。

椅子をどかす。

テーブルを空ける。


その間にも、

男達が店へ近づいてくる。

みんな泥だらけ。

みんなぐしょぐしょ。

頭から足まで、

雨と泥でひどい有様。


それでも。

ちゃんと全員いる。


「おかえり!」

御形の大きな声が飛ぶ。


「おう! 戻ったぞ!」

「お疲れさま!」

「はい、これで身体拭いて!」

菖蒲が大きな布を渡していく。


「お湯! ここに置きますよ! 気をつけて!」

蓼が湯気の立つタライを運ぶ。


各テーブルの上に、

お湯を張ったタライが並んでいく。


泥だらけの手を入れる。

「あー……」

誰かが声を漏らした。


「生き返るなぁ」

「いやー疲れた!」

「どうだった?」

「まだまだ増えそうだな」

「やっぱりか」

「あんだけ沈めたから持つだろ」

「一応、土嚢の追加をしとくか」

「明日か?」

「様子見てだな」


どうやら、

やることはやってきたらしい。


なら今日はもういい。


「ほら、熱いお茶だよ。身体温めな」

湯気の立つ茶を置いて回る。


「俺、酒ー!」

「後にしな!」

「えー」

「まずは身体拭いて、温めてからだよ!」

「へーい」


まったく。

子供かい。


そう思ったところで、

「おい! そこ!」

一人が服を脱ぎ始めた。


「女の子いるんだよ! 全部脱ぐな!」

「あ」

「外でやんな!」

「あいよ」


その横で。

菖蒲が真っ赤になって、

くるっと後ろを向いた。


「あはは。菖蒲は初心だねー」

御形が笑う。

「御形さんが慣れ過ぎなんです!」

「そうか?」

「そうです!」


まあ。

御形はあれだからねぇ。

「ほらほら、菖蒲」


わたしは手を叩く。

「晩飯作るから手伝いな」

「はい!」

菖蒲が逃げるようにこっちへ来る。


ちょうどいい。

「ほら、蓼!」

「はい?」

「あんたは行ってやんな」

わたしは顎で向こうを示す。


そこには、

さっきから蓼をちらちら見ている萱。

「旦那が寂しそうだよ」

「女将さん!」


蓼の顔が赤くなる。

でも。

行かないとは言わない。

とととっと、

萱のところへ走っていく。


まったく。

かわいいもんだねぇ。


「さあ、菖蒲。始めようかね」

「はーい」

返事はいい。


でも。

ちらっ。

御形と籐吾、蓼と萱を見ている。


「なんだい?」

「はい?」

「お前も相手欲しくなったかい?」

「そんなんじゃないですよー」

「ほう?」

「……少しだけ、うらやましいだけです」


そうかい。

そうかい。

前だったら、

もっと慌てて否定してただろうに。


「そうかい、そうかい。あんたもだいぶらしくなったねぇ」

「もう! 女将さん!」


はいはい。

さて。

無事に帰ってきたんだ。

身体を温めて。

腹いっぱい食わせて。

今日はそれでいい。


外ではまだ雨が降っている。

屋根を叩いて。

軒から落ちて。

道を流れて。


雨季は、

まだ始まったばかりだ。

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