第零幕 雨季の前
御形の章
他の村のキャラバン隊が帰っていった。
乾季の道を、荷車が遠ざかっていく。
ガタゴトという音も聞こえなくなって、いつもの村に戻る。
乾いた風が吹いている。
でも、その中に。
ほんの微かに湿り気を帯びた風が混じり始めていた。
そろそろ雨季の季節。
そんな頃。
朝の稽古の時だった。
籐吾が妙なことをしている。
くんくん。
鼻を動かしている。
くんくん。
「なにしてんの?」
籐吾は空を見上げ、また鼻を動かした。
「草の匂いがする……雨が来る」
「ほんとか? こんなに晴れてるのに」
見上げれば青空。
まだまだ乾季の空だ。
籐吾は首を回して、あっちを向いてくんくん。
こっちを向いてくんくん。
ほんとかねぇ。
そして翌日。
午後。
籐吾と外苑の見回りをしていた。
いつもと変わらない道。
いつもと変わらない空。
その時。
ポツリ。
「?!」
頬に何か当たった。
空を見上げる。
ポツリ。
まただ。
「まじで降ってきた!」
青い空はまだ見えている。
でも、その中に黒い雲が一つ。
遠くを見れば、白い雲もあちらこちらに浮かんでいる。
昨日までとは、少し違う空。
「雨季かぁ」
「雨季だな」
横で籐吾が言った。
本当に当てやがった。
その日の晩御飯。
じいちゃん。
ばあちゃん。
わたし。
籐吾。
そして、菖蒲。
みんな揃って食卓を囲んでいる。
「雨季は身体が鈍るんだよー」
思わず口から出る。
「朝の稽古もできんしな」
じいちゃんも頷く。
「家の中で振り回すのはやめとくれ」
ばあちゃんに先に釘を刺された。
「わかってます」
さすがに家の中で長刀を振り回したりしない。
……たぶん。
そんな話をしていると、菖蒲がポツリと言った。
「裏の屋根の下から天幕張ったらどうです?」
「……」
天幕?
「天幕か!」
「雨避けですよ」
なるほど。
屋根のあるところから天幕を伸ばせば、雨が降っていてもその下は使える。
「そうか、風が強くなければ外で振れるな」
じいちゃんも乗ってきた。
「運動不足解消」
籐吾まで頷いている。
そして、じいちゃん。
「御形の機嫌も悪くならんな」
「悪くないし!」
なんでわたしの機嫌の話になるんだ。
「菖蒲、お手柄!」
ばあちゃんが笑う。
菖蒲も嬉しそうに笑っている。
まあ、いいか。
今雨季は身体が鈍ることも。
籐吾に八つ当たりすることも。
少しは減りそう。
祖母の章
「御形や、御形!」
「んー? なんだい?」
「今日は時間あるかい?」
「今日は急ぎは無いからいいよ」
「じゃあ、籐吾も大丈夫だね」
「大丈夫! たぶん」
たぶんってなんだい。
まあいい。
「菖蒲!」
「はい!?」
「今日はあんたも一緒に来なさい」
「はい! わたしも?」
「あたしに弟子入りしたんだ、採集に連れて行くよ」
ぱっと菖蒲の顔が明るくなる。
「はい!」
「雨季になると行けなくなるから今日が最後だよ」
雨季になれば、外苑へ気軽に採集へ出ることも難しくなる。
だったら今のうちだ。
正門へ向かう。
衛兵さんに声をかける。
「おはようさん」
「おはようございます!」
御形も挨拶する。
「おはようございます!」
菖蒲も元気いっぱい。
「あ、おはよう、ございます?」
衛兵さんが妙な顔をした。
あたし。
御形。
籐吾。
菖蒲。
ゾロゾロ。
別の衛兵さんもこっちを見る。
「おはよ!」
「あ、はい。おはようございます。……菖蒲さんまで?」
「そうよ!」
不思議そうな顔をする衛兵さん達に見送られて、四人で外へ出た。
外苑。
御形が周りを見渡している。
籐吾はしんがり。
自然とそうなる。
だから、あたしは菖蒲に教えることに集中できる。
足元の草を指しながら、一つずつ。
「八百屋やってるから、ある程度は知ってるね」
「なんとなくは」
「じゃあ、実際に生えてる所を覚えなさい」
「はい!」
うんうん。
「素直な弟子だねー、誰かとは大違いだ」
「わたしも素直だろ」
御形が口を尖らせる。
「おまえは、一言多いんだよ」
「へーい」
みんなで笑いながら外苑を歩く。
でも、ここは村の中じゃない。
それだけは忘れちゃいけない。
「菖蒲」
「はい?」
「外苑を笑いながら歩けるのは、御形と籐吾がいるからだよ。危ない時はすぐに村に戻る事!」
「はい!」
よし。
少し歩いて、目当ての蔦を見つける。
「籐吾! あの蔦引っ張っておくれ」
「これか?」
「そうそう」
籐吾が太い蔦を引き寄せてくれる。
「菖蒲、この蔦だ。生え方、自然の中の時の色を覚えときな」
「はい」
実際に手に取らせる。
見るだけじゃ駄目だ。
触って。
匂いを嗅いで。
どんなところに生えているのかまで覚える。
「で、この辺りだ。ここ、節があるだろ」
「ふんふん」
菖蒲が覗き込む。
「この上で切る」
切ってやる。
しばらくすると、切り口からだんだんと緑色が消えていく。
「あ、よく見る色になった!」
「そうそう」
店で見る頃にはこの色だ。
「この薬草は、ここから切る。また次に収穫出来る」
全部取っちゃいけない。
次も、その次も採れるように残す。
また歩く。
「あの花、咲いてる所を覚えなさい」
「あれですか?」
「そう。実がお腹の薬になる。実だと探しにくいからね」
花の時期に場所を覚えておけば、後で実を探すのも楽になる。
そんなことを一つずつ教えていく。
「あ、おばあちゃん! これ知ってます」
「ん、これかい?」
菖蒲が嬉しそうに手を伸ばす。
その手を止める。
「よく見なさい。根っこ辺りが白いだろ?」
「え? あ、言われてみれば」
「店にあるのは白いかい?」
菖蒲が少し考える。
「全部緑色」
「うんうん、よく見てるね」
それから教える。
「これは毒草だよ」
「えっ!」
菖蒲が慌てて手を引っ込めた。
「似てるだけで食べたりするんじゃないよ」
「はい」
「店に来るのは口にして大丈夫な物だけど、採集は大丈夫か大丈夫じゃないかは採集家が見極め無いといけない。心に留めておきなさい」
さっきまでの笑顔が消えて、菖蒲が真面目な顔で頷いた。
「はい!」
よし。
さて。
「御形!」
「ん?」
ちょうどいい。
「おまえこれ、覚えてるかい?」
御形が覗き込む。
「……草だね」
「……おまえは」
頭が痛い。
「籐吾!」
「ん?」
「おまえは?」
籐吾も覗き込む。
しばらく考えて。
「……緑色」
頭が痛くなって来た。
この二人には何を教えてきたんだろうねぇ。
「菖蒲、おまえは知ってるかい?」
「はい、お店にありますから! 化粧水になる草ですね!」
「うんうん、いい弟子だよ」
やっぱり弟子はこうでなくちゃね。
「菖蒲ばっか褒めて」
御形と籐吾がぶーたれている。
菖蒲が笑う。
あたしも笑う。
湿った風が吹く。
乾季の終わり。
空を見上げれば、黒い雲が少しずつ広がり始めている。
もうすぐだねぇ。
――雨季は仕込みを教えてあげようかね。
菖蒲の章
雨季は八百屋にとっては生憎な季節。
店に並ぶ品物が極端になくなる。
葉っぱ物が少しだけ。
なり物も、食べられる期間がすごく短くなる。
根っ子物はまったくだし。
八百屋なのに、棚が寂しい。
毎年のことらしい。
でも、今回は。
そろそろ雨季の空気が感じられる頃。
朝ご飯を食べた後。
わたしは少し姿勢を正した。
「おじいちゃん、おばあちゃん、ご相談が」
「ん?」
「なんだい?」
二人がこっちを見る。
「雨季の間に八百屋に加工品を置こうかと思います」
「加工品?」
「はい。酢漬けや、塩漬け、オイル漬けなんか」
おばあちゃんが少し考える。
「新鮮な物は無いからねぇ。かと言って家で作るのもねぇ」
そうなんです。
欲しい人はいると思う。
「それで?」
「はい、お家の隅で作らせて貰えないかと」
お店じゃ、なかなか出来なくてですね。
ほんの少し場所を借りられればいい。
そう思っていた。
すると。
「なるほど、いい考えだな!」
おじいちゃんが大きく頷いた。
よかった。
「お店じゃなかなか出来なくてですね」
「ならば、いっその事作業場を作るか!」
「いいですね、じいさん」
「え? いや、そこまで」
「早速、大工に頼んでくるわ」
「はい、行ってらっしゃい」
「あの……」
なんか話が大きくなってません?
しかも、おばあちゃんがさらに続ける。
「ついでにお店も作ってもらいましょう」
「え?!」
お店まで?!
「ここで作って、ここで売る。籐吾!」
「ん?」
何も知らずにいた籐吾さんが顔を上げる。
「おまえ手伝いなさい」
「へ? おれ?」
「あんたしかいないでしょ。御形! おまえもだよ!」
「そんなぁ」
御形さんまで巻き込まれた。
わたしは。
ただ。
家の隅をちょっと借りたかっただけなんだけど。
わたしの意見はまったく通らない。
でも。
最高な家族です。
籐吾の章
雨季が来る。
雨が降る。
長い長い雨の時期がやって来る。
また御形の機嫌が悪くなる季節な。
まあ。
菖蒲が天幕張ったらって言ってたから、少しはましか。
雲が増えている。
乾季の終わりを告げるように、青かった空に少しずつ雲が広がっていく。
風の匂いも変わった。
草の匂いがする。
雨が来る。
そんな空を見上げて。
腹減ったな……。
晩御飯まだかなぁ。
祖父の章
雨季が来るな。
風が変わる。
雲が変わる。
匂いが変わる。
空気がかわる。
そして、雨季がやって来る。
「じいさんや」
「ん?」
「雨季の前にベッドの敷物交換しておいておくれ」
「はいよ」
「菖蒲の分もだよ」
「わかってるよ」
一人分増えたな。
「じいさんや」
「なんだ?」
「大工に作業場の作業急ぐように言っといておくれ」
「おう、雨降る前な」
雨が続けば、作業もしづらくなる。
やれるうちにやっておいた方がいい。
「じいさんや」
「んー?」
「今日は籐吾借りるよ」
「あい、わかった。御形は?」
「御形は別のところに出かけたよ」
「そうなのか?」
「聞いてないのかい?」
「なんにも」
まあ、そのうち帰ってくるだろ。
「じいさんや」
「なんだ?」
「今晩の晩御飯はお前さんが大好きな炊き込み御飯作ろうかね」
「いつもありがとよ!」
そりゃ楽しみだ。
雨季の前は忙しい。
いつもの雨季の前。
毎年やって来る雨季。
雨が降る前に直すものを直して。
替えるものを替えて。
蓄えるものを蓄える。
今年も同じだ。
ただ。
これからは菖蒲もいる。
敷物も一つ増えた。
作業場も増える。
店まで作るらしい。
賑やかになったもんだ。
まだまだだな。
「じいさんや」
「はいはい」




