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第9話:違法魔法薬

 


 * * * 



 ファルカスと別れた朝から、7日が経った日の夕方。

 配送を終えたイージスは、地面に伸びる影が長くなったことに気がついた。

 そろそろ、近くの馬預かり所に預けているベルを引き取りに行かなければ。遅くなると、またダリアがうるさい。預かり所へと足を向ける。


 最近、街中で黒い騎士服を見かけると、一瞬動きが止まってしまうようになった。ファルカスとは、飲みに行く話はしたが、確かな約束を交わしたわけではない。

 あれから、一度だけ街中でアイツを見かけた。隣に女性がいた気がする。楽しそうな後ろ姿に、声をかけるのを躊躇った。


 通りの反対側が視界に入ると、黒い騎士服じゃないのに一瞬足が止まった。夕陽に浮かぶ漆黒の髪が、その先の暗く細い通りに入って行った気がして目を眇める。

 ——私服だった。捜査だろうか。でも捜査なら、なおさらこんな時間に一人で入っていくような場所ではないし。

 ——馬預かり所は後回しだ。

 この前は、ファルカスが追いかけてきた。なら、今度は自分が……。

 前方に踏み出しかけた足を、左に回転させる。


「兄ちゃん、危ないよ」

 目の前を通過する馬車から声をかけられる。家に向かう人々の動きが慌ただしい。

「おっと。すまない」

 馬車や人の間を縫うように反対側へ渡ると、見覚えのある後ろ姿を見つけた。

 

 このままだと見失ってしまう……。声をかけてみようか。「副団長」って。あいつは驚くかな。

 いや、待てよ。伸ばしかけた腕を引っ込めた。誰が聞いているかも分からない場所で、身分がばれるのはまずいかもしれない。慌てて口から出かけた言葉も引っ込める。


「よお」

 背中に向かって、呼びかけだけぶつけると、ファルカスは、少しだけ肩を持ち上げた。左腰に右手をかけてから、ゆっくりとこちらを振り向く。

「ああ、運び屋か」

 振り返ったファルカスは、眼を細めた後、肩を下げた。

 声が弱々しく、頬から赤みが失われている。

 

「一人か?」

 辺りを見回し、声を潜めて問いかける。

「ああ」

「こんな所で……。分かっているのか?」

「分かっている」

 言葉少なに答えるファルカスは、周囲に気を配っているが、眼には焦りの色が浮かんでいた。


「分かっていて、何で?」

 勝手に眉間にしわが寄り、軽く首を傾ける。

「……人を探している」

 ファルカスは、一瞬答えを躊躇ったようで、一息吐いてから答えた。


「誰だ?」

 ファルカスの隣を一緒に歩き出しながら、顔をのぞき込んだ。

 事と次第によっては、引き止めないと。

「新人の団員だ。行方不明になって……もう2日経つ」

 顔色が悪過ぎる……こいつ、寝てないな。

「お前、ちゃんと休んでいるのか?」

「……」

 分が悪いと感じたのか、ファルカスは沈黙を返してきた。


 目を落とすと、地面と影の境が見分けられなくなってきた。冷たくなった風が、夜が近づいている事を教える。

「分かった、俺も付き合う」

「ばっ! ……馬鹿を言うな――お前に迷惑をかけるわけにはいかない」

 勢いよくこちらへ漆黒の髪を振り乱してから、前を向き直した。

 

 予想通りの返答に、緩んだ口元からフフッと息が漏れそうになる。隣から顔を逸らし、できるだけ正面を向いて背筋を伸ばす。

「——任務だ」

 なるべくぶっきらぼうにファルカスの言い方を真似してやる。

「お前なあ……」

 こちらを向く漆黒の髪の下では、目と口が軽く開いていた。

 立てた人差し指をファルカスの口元へ近づける――「黙れ」の合図に。

 

「2日経つならそろそろ、そいつの体がもたないかもしれないだろ」

 分かっていた。団員の為と言えば、断らないだろう。唇をきゅっと嚙みながら、両肩を微かに震わせている。

「……頼む」

 僅かに逡巡していたファルカスが息を吐きだし、声を絞り出した。

 

「よし。決まりだな。行方不明前に、何をしていたかは分かっているのか?」

「違法魔法薬の聞き込みをしていた。2日前の昼間、他の団員とこの辺で私服捜査中だったんだが……」

「違法魔法薬ね……使われている場所なら分かるかもしれない」

「どういう意味だ?」

 立ち止まり、目を閉じる。呼吸を整え、あの違和感を探る。

 

「——こっちだ」

 ファルカスの腕を掴むと、通りの奥に向かった——迷いはない。間違えるはずがない。

「ちょっと、待て運び屋」

 どんどん歩く速度を上げて進むのに、ファルカスは、戸惑いながらも何も訊かずについてきてくれた。


 ——ここだ。

 何度目かの角を曲がった先の廃屋から、言いようもない違和感が広がっていた。嫌に甘い匂いが、鼻から抜けずにとどまっている。

 ああ、くそっ。やっぱりきたか。

 押し寄せる違和感に必死に抗うが、呼吸が乱れ体に熱を感じる。右腕に力がこもる。

「どうした?」

 小声で心配そうに尋ねられる……右腕は、ファルカスの腕を掴んだままだった。


「悪い」

 ファルカスの腕を慌てて離す。廃屋を指さしながら、眉間がひきつっていく。

「……ここだ」

 ファルカスは、自分と廃屋を見比べると、一度頷いた。

「ここに何かがあるんだな? ……分かった」

 二人で息をひそめて観察するが、人の出入りは見受けられない。


「俺が先に入るから、お前は後ろを見張っていてくれ」

 ファルカスは自分に告げると、そっと廃屋の扉を開ける。2人で中に入るが、1階には誰もいない。床がきしむ音に気を付けながら、2階へ進む。

 建物内は湿気がこもり、嫌な甘い匂いに加え、カビの匂いが混じっていた。口の中が粘つく。


 ファルカスが奥の扉を開けると、中には10歳位の男児が横たわっていた。その男児の傍には、15、16位の少年。体を丸め、男児の額に手を当てている。

 少年が顔を上げた。みるみると目が大きくなり、頬が紅潮していく。

「副団長!」

「無事か?」

「——俺は、大丈夫です。でも……」

 ファルカスが、男児の傍に膝をついて、無事を確認するのが視界の端に入る。こっちは扉の前に立ち、辺りを警戒しながら、嫌な甘い匂いから逃れていた。

 ——いっそ、空気を入れ替えたい。

 

 ファルカスは次に、少年の顔に両手を添え、傷が無いかなどを確認している。ほうっと一息吐いたので、新人の方は問題が無いようだった。

 男児を見るファルカスの眉間は、ギュッと皺が寄り、固く結んだ口の端は、僅かに震えている。

 くそっ。あの嫌な感じは、あの子か……。

 シャツの首元を緩め、腕まくりをしながら大股で三人の方へ近づいた。

 

「薬だな……魔石持ってるか?」

 眉をしかめたままのファルカスが、静かに首を振ってくる。

 ファルカスの脇から男児を抱き上げてやった。

 呼吸が荒いのに、何故か体温が下がっている――急がないと。

 男児から嫌な匂いが立ち上り、つい顔を背けてしまう。


 新人がファルカスの方へ手を伸ばし、腕を掴んだ。思いっきり眉を下げながら、ファルカスを見ている。

「薬の被害者です……ですが……」

「大丈夫だ」

 ファルカスの方は、掴んでいる新人の手をポンポンと軽く叩いてやっていた。

「話は歩きながら聞く、急ぐぞ」

 ファルカスは、言いよどむ新人団員を立たせると、脱出を促した。



 自分が男児を横抱きにし、ファルカスが団員に肩を貸す。急ぎ大通りへ出ることにした。時折、小声で話している2人声が耳に入ってきた。


「……よく一人で……えらいぞ」

「……二日前に……薬を飲まされていて……でも、あの子の親が……」

 時々辺りを警戒しながら進むので、会話が途切れがちになっている。


 カラーンと何かが倒れる音がした。足を止め、音の方向を確認すると、猫がニャーッと鳴いた。胸をなでおろし、先を急ぐ。


「……犯罪組織……助けようとしたんだな? ……」

「今は、微妙な……団に迷惑が……」

 辺りに人気が無い事を確認しながら、早歩きで進む。


 腕の中が冷たい。自分の体温が移るよう、なるべく体を密着させてやる。男児から立ち上る違和感のせいで、息がしにくく、咽喉も張り付いていく。

 見えた。大通りの街灯だ。

 ——暗闇を……抜ける。

 明るい通りへ出ると同時に、ファルカスの力強い言葉が、耳に入ってきた。

「お前は、間違っていない……だけど、次からは一人で抱え込むな」

 思わず、ファルカスに顔を向ける。眉は上がっているが、目元は緩んでいた。


 駆け出しを励ます。よくある事だ。

 ——だけど目を逸らすことが出来ない。

「一人で抱え込むな」か……。自分もよく言われた。

 ——オルニス兄さん……。

 唇を固く結び直し、隣を見直す。目元を緩ませながらも、額には浮かぶ汗。

 ——お前もまた……。

 前を向きなおすと、強く唇を噛む。


 日が落ちた後の大通りでは、行きかう人の数が少なくなっていた。

「お前、馬はどこに?」

「ここから少し離れた所だ」

 ファルカスから示された預かり所は、自分も良く知っていた。そこから近い所は、他にいくつでもあるだろうに。

 

「ここまで歩いてきたのか?」

 こっちの少し大きな声には、非難が混じっていたかもしれない。

「この辺は歩かないと、細かいところまで捜索できない」

 何でもないというように、さらりと答えられた。そんなに疲れた体を押してまで……危うい奴だな。


 ヒューヒューという、か細い呼吸音に目を落とすと、力が抜けぐったりとしている男児が目に入った。

 腕に抱える男児の温度と重さを確かめる——まずいな。

「俺の馬の方が近い。俺がこのまま詰め所に連れていく」

 ファルカスに告げると同時に、走りだした。


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