第9話:違法魔法薬
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ファルカスと別れた朝から、7日が経った日の夕方。
配送を終えたイージスは、地面に伸びる影が長くなったことに気がついた。
そろそろ、近くの馬預かり所に預けているベルを引き取りに行かなければ。遅くなると、またダリアがうるさい。預かり所へと足を向ける。
最近、街中で黒い騎士服を見かけると、一瞬動きが止まってしまうようになった。ファルカスとは、飲みに行く話はしたが、確かな約束を交わしたわけではない。
あれから、一度だけ街中でアイツを見かけた。隣に女性がいた気がする。楽しそうな後ろ姿に、声をかけるのを躊躇った。
通りの反対側が視界に入ると、黒い騎士服じゃないのに一瞬足が止まった。夕陽に浮かぶ漆黒の髪が、その先の暗く細い通りに入って行った気がして目を眇める。
——私服だった。捜査だろうか。でも捜査なら、なおさらこんな時間に一人で入っていくような場所ではないし。
——馬預かり所は後回しだ。
この前は、ファルカスが追いかけてきた。なら、今度は自分が……。
前方に踏み出しかけた足を、左に回転させる。
「兄ちゃん、危ないよ」
目の前を通過する馬車から声をかけられる。家に向かう人々の動きが慌ただしい。
「おっと。すまない」
馬車や人の間を縫うように反対側へ渡ると、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
このままだと見失ってしまう……。声をかけてみようか。「副団長」って。あいつは驚くかな。
いや、待てよ。伸ばしかけた腕を引っ込めた。誰が聞いているかも分からない場所で、身分がばれるのはまずいかもしれない。慌てて口から出かけた言葉も引っ込める。
「よお」
背中に向かって、呼びかけだけぶつけると、ファルカスは、少しだけ肩を持ち上げた。左腰に右手をかけてから、ゆっくりとこちらを振り向く。
「ああ、運び屋か」
振り返ったファルカスは、眼を細めた後、肩を下げた。
声が弱々しく、頬から赤みが失われている。
「一人か?」
辺りを見回し、声を潜めて問いかける。
「ああ」
「こんな所で……。分かっているのか?」
「分かっている」
言葉少なに答えるファルカスは、周囲に気を配っているが、眼には焦りの色が浮かんでいた。
「分かっていて、何で?」
勝手に眉間にしわが寄り、軽く首を傾ける。
「……人を探している」
ファルカスは、一瞬答えを躊躇ったようで、一息吐いてから答えた。
「誰だ?」
ファルカスの隣を一緒に歩き出しながら、顔をのぞき込んだ。
事と次第によっては、引き止めないと。
「新人の団員だ。行方不明になって……もう2日経つ」
顔色が悪過ぎる……こいつ、寝てないな。
「お前、ちゃんと休んでいるのか?」
「……」
分が悪いと感じたのか、ファルカスは沈黙を返してきた。
目を落とすと、地面と影の境が見分けられなくなってきた。冷たくなった風が、夜が近づいている事を教える。
「分かった、俺も付き合う」
「ばっ! ……馬鹿を言うな――お前に迷惑をかけるわけにはいかない」
勢いよくこちらへ漆黒の髪を振り乱してから、前を向き直した。
予想通りの返答に、緩んだ口元からフフッと息が漏れそうになる。隣から顔を逸らし、できるだけ正面を向いて背筋を伸ばす。
「——任務だ」
なるべくぶっきらぼうにファルカスの言い方を真似してやる。
「お前なあ……」
こちらを向く漆黒の髪の下では、目と口が軽く開いていた。
立てた人差し指をファルカスの口元へ近づける――「黙れ」の合図に。
「2日経つならそろそろ、そいつの体がもたないかもしれないだろ」
分かっていた。団員の為と言えば、断らないだろう。唇をきゅっと嚙みながら、両肩を微かに震わせている。
「……頼む」
僅かに逡巡していたファルカスが息を吐きだし、声を絞り出した。
「よし。決まりだな。行方不明前に、何をしていたかは分かっているのか?」
「違法魔法薬の聞き込みをしていた。2日前の昼間、他の団員とこの辺で私服捜査中だったんだが……」
「違法魔法薬ね……使われている場所なら分かるかもしれない」
「どういう意味だ?」
立ち止まり、目を閉じる。呼吸を整え、あの違和感を探る。
「——こっちだ」
ファルカスの腕を掴むと、通りの奥に向かった——迷いはない。間違えるはずがない。
「ちょっと、待て運び屋」
どんどん歩く速度を上げて進むのに、ファルカスは、戸惑いながらも何も訊かずについてきてくれた。
——ここだ。
何度目かの角を曲がった先の廃屋から、言いようもない違和感が広がっていた。嫌に甘い匂いが、鼻から抜けずにとどまっている。
ああ、くそっ。やっぱりきたか。
押し寄せる違和感に必死に抗うが、呼吸が乱れ体に熱を感じる。右腕に力がこもる。
「どうした?」
小声で心配そうに尋ねられる……右腕は、ファルカスの腕を掴んだままだった。
「悪い」
ファルカスの腕を慌てて離す。廃屋を指さしながら、眉間がひきつっていく。
「……ここだ」
ファルカスは、自分と廃屋を見比べると、一度頷いた。
「ここに何かがあるんだな? ……分かった」
二人で息をひそめて観察するが、人の出入りは見受けられない。
「俺が先に入るから、お前は後ろを見張っていてくれ」
ファルカスは自分に告げると、そっと廃屋の扉を開ける。2人で中に入るが、1階には誰もいない。床がきしむ音に気を付けながら、2階へ進む。
建物内は湿気がこもり、嫌な甘い匂いに加え、カビの匂いが混じっていた。口の中が粘つく。
ファルカスが奥の扉を開けると、中には10歳位の男児が横たわっていた。その男児の傍には、15、16位の少年。体を丸め、男児の額に手を当てている。
少年が顔を上げた。みるみると目が大きくなり、頬が紅潮していく。
「副団長!」
「無事か?」
「——俺は、大丈夫です。でも……」
ファルカスが、男児の傍に膝をついて、無事を確認するのが視界の端に入る。こっちは扉の前に立ち、辺りを警戒しながら、嫌な甘い匂いから逃れていた。
——いっそ、空気を入れ替えたい。
ファルカスは次に、少年の顔に両手を添え、傷が無いかなどを確認している。ほうっと一息吐いたので、新人の方は問題が無いようだった。
男児を見るファルカスの眉間は、ギュッと皺が寄り、固く結んだ口の端は、僅かに震えている。
くそっ。あの嫌な感じは、あの子か……。
シャツの首元を緩め、腕まくりをしながら大股で三人の方へ近づいた。
「薬だな……魔石持ってるか?」
眉をしかめたままのファルカスが、静かに首を振ってくる。
ファルカスの脇から男児を抱き上げてやった。
呼吸が荒いのに、何故か体温が下がっている――急がないと。
男児から嫌な匂いが立ち上り、つい顔を背けてしまう。
新人がファルカスの方へ手を伸ばし、腕を掴んだ。思いっきり眉を下げながら、ファルカスを見ている。
「薬の被害者です……ですが……」
「大丈夫だ」
ファルカスの方は、掴んでいる新人の手をポンポンと軽く叩いてやっていた。
「話は歩きながら聞く、急ぐぞ」
ファルカスは、言いよどむ新人団員を立たせると、脱出を促した。
自分が男児を横抱きにし、ファルカスが団員に肩を貸す。急ぎ大通りへ出ることにした。時折、小声で話している2人声が耳に入ってきた。
「……よく一人で……えらいぞ」
「……二日前に……薬を飲まされていて……でも、あの子の親が……」
時々辺りを警戒しながら進むので、会話が途切れがちになっている。
カラーンと何かが倒れる音がした。足を止め、音の方向を確認すると、猫がニャーッと鳴いた。胸をなでおろし、先を急ぐ。
「……犯罪組織……助けようとしたんだな? ……」
「今は、微妙な……団に迷惑が……」
辺りに人気が無い事を確認しながら、早歩きで進む。
腕の中が冷たい。自分の体温が移るよう、なるべく体を密着させてやる。男児から立ち上る違和感のせいで、息がしにくく、咽喉も張り付いていく。
見えた。大通りの街灯だ。
——暗闇を……抜ける。
明るい通りへ出ると同時に、ファルカスの力強い言葉が、耳に入ってきた。
「お前は、間違っていない……だけど、次からは一人で抱え込むな」
思わず、ファルカスに顔を向ける。眉は上がっているが、目元は緩んでいた。
駆け出しを励ます。よくある事だ。
——だけど目を逸らすことが出来ない。
「一人で抱え込むな」か……。自分もよく言われた。
——オルニス兄さん……。
唇を固く結び直し、隣を見直す。目元を緩ませながらも、額には浮かぶ汗。
——お前もまた……。
前を向きなおすと、強く唇を噛む。
日が落ちた後の大通りでは、行きかう人の数が少なくなっていた。
「お前、馬はどこに?」
「ここから少し離れた所だ」
ファルカスから示された預かり所は、自分も良く知っていた。そこから近い所は、他にいくつでもあるだろうに。
「ここまで歩いてきたのか?」
こっちの少し大きな声には、非難が混じっていたかもしれない。
「この辺は歩かないと、細かいところまで捜索できない」
何でもないというように、さらりと答えられた。そんなに疲れた体を押してまで……危うい奴だな。
ヒューヒューという、か細い呼吸音に目を落とすと、力が抜けぐったりとしている男児が目に入った。
腕に抱える男児の温度と重さを確かめる——まずいな。
「俺の馬の方が近い。俺がこのまま詰め所に連れていく」
ファルカスに告げると同時に、走りだした。




