第10話:確かな約束
* * *
イージスと別れたファルカスは、若い団員に肩を貸したまま、馬の預かり所を目指していた。
自分の肩に目を落とすと、幼さの残る顔は汚れている。ほっとしたのだろう。こちらへ預ける体が重い。
「副団長……本当にすみませんでした」
こいつは、2日も一人で乗り切ったんだ。
「あの子を見つけて、保護したのは、本当によくやった」
頭を下げる団員の口元が、少し緩んだ。
「お前は黒の団を守ろうとしたんだな?」
静かに確認すると、こくんと小さく頷いてきた。
「確かに、今、黒の団は行政府から評価される微妙な時期だ……だがな、俺たちは誰かからの評価のためにやっているわけじゃない。心配な時は、その気持ちをありのまま俺たちに言えば良いんだ」
「……分かりました」
団員の頬は、少し赤みがさしたようだ。頭をガシガシと撫でまわしてやった。
「そういえば、副団長と一緒に俺たちを助けてくれたあの人は、副団長のご友人ですか?」
ファルカスを見上げて尋ねてくる。
あいつ……知り合ったばかりのあいつと俺の関係はどう表せば良いのか……。
「そうだな。あいつは俺の……友人だな」
少し考えてそう答えた。
* * *
イージスは、被害に遭った男児を抱えたまま、黒の団の詰め所に乗り込んだ。
「薬にやられてる。医者を呼んでくれ!」
男児を抱いたまま馬上で叫ぶ。走ってきた団員の中には、先日、自分に水をかけてきた小柄な団員もいた。
「お前たちが探していた奴は、副団長が見つけて無事だ。後から二人で帰ってくる」
小柄な団員は、男児を引き取る指示と、ベルの世話を引き取る指示を出していく。ファルカスたちが帰団した後の指示も忘れない。——手際の良い奴だな。
近くの柵に立ったまま寄り掛かる。少し体が重い。
「どうぞ」
小柄な団員が水を入れたカップを差し出してきた。
「ありがとな」
受けとると、カップの淵ギリギリまで水を汲んだらしく、少し水が指にこぼれた。ひんやりとした水で現実感を取り戻す。
一気に煽ると、冷たい水が張り付いた咽喉を開いた。
「伺っても?」
こちらを見上げる眉が下がっている。
「親が犯罪組織の幹部で、敵対する組織の報復に薬を飲まされたらしい」
「……」
ひゅっという相手の息を呑む音が耳に入る。
「新人が見つけて保護していたらしいんだが、事情が事情で、判断ができなかったらしい」
「なるほど。迷惑がかかると……」
「何か、お前ら微妙な時期らしいじゃないか?」
空のカップを持ったまま、慌ただしく動く団員たちへと指を向ける。
「ありがとうございます」
小柄な団員は、胸を押さえていたが、一つ長い息を吐くと、頭を下げて建屋に走って行った。
そのまま、腰を下ろし、柵に体を預けていると、新人団員を乗せたファルカスが帰ってきた。詰め所が一気に慌ただしくなる。
「心配したぞ」
「腹は減ってないか?」
「怪我をしていないか?」
次々と団員が集まってきては新人団員に声をかけ、頭を撫で回している。
頭を撫でられている方は、両肩をすくめ、もみくちゃにされながら笑っていた。
あの後、ファルカスにしっかり声をかけられたんだろう。さっきより声に張りがある。
ひとしきり、新人団員を構った団員たちは、次の獲物を取り囲む。
「副団長、大丈夫ですか?」
「ああ……」
「一人で行くなんて」
「心配掛けたな……」
ファルカスは、ひとつひとつに殊勝に応えていたが、部下たちの声がだんだん非難めいてきた。
「何で俺たちに黙っていたんですか?」
「……まあ」
「酷くないですか?」
「……その」
「いつも俺たちには、言ってますよね?」
「——いい加減にしろ。全員持ち場に戻れ!」
ファルカスが大きな声で怒鳴ると、団員たちは「横暴だ」などと笑いながら持ち場へ戻っていく。
柵を背に座ったまま、その様子を眺めていた。
皆で心配し、皆で喜ぶ。どこの騎士団も同じだ。ダリア達も昔はこの空気を吸っていたんだ……。
自分も立ち上がって、手を挙げながら「大丈夫か?」と近づいて声をかければ良い。――それだけのことじゃないか。簡単なことだ。
「副団長」と呼ばれるファルカスに、「団長」と呼ばれた自分。
ファルカスを囲む部下たちは笑顔で、自分を囲む部下たちも……笑顔だった。
目を伏せると、手の中には、何にも入っていない空のカップ。
突然、目の前が陰った。
「運び屋」
声をかけてきたファルカスは、隣に腰を下ろしてきた。
「手間をかけたな」
「いや……あの子は大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ。お前のおかげだ……助かっ……た……」
ファルカスが呟いた直後、自分の肩に心地よい重みがかかる。夜気を含む風が、漆黒の髪からほんのり汗の匂いを届ける。肩から伝わる体温が、案外高い。
肩に乗るファルカスをのぞき込む。
緊張の糸がきれてしまったのだろう。よく見るときれいな顔には、隈。
なるべく動かないようにじっとしていたが、すぐにファルカスが目を開けてしまった。
目が合ったファルカスは、がばっと勢いよく体を起こした。
「悪い。寝てたか?」
「ちょっとだけな」
また、手の甲に唇を当てている――癖なんだな。
ファルカスは、少し目を伏せて、漆黒の髪を風にまかせている。その後ろでは、団員たちが動き回っていた。
かがり火のせいか……眩しさを感じて、目を眇める。
「——良い団だな」
ファルカスが、パッと顔を上げた。口元が緩んでいる。
「そうだろう?」
いつもより、少し声が大きいな。
「団長に会っていってくれないか?」
ファルカスが首を少し傾げている。
立ち上がって、衣服の砂を払うと、パンパンという音がやけに大きく聞こえた。
座ったままのファルカスを上から振り返る。
「いや……今日はもう遅いから、帰るよ」
「そうか……」
聞こえた声が、ほんの少し小さい気がしたが、すぐに団員たちの大きな笑い声で分からなくなった。
——この場所に自分は相応しくない。
「またすぐ会えるか?」
少しだけ震える声に下を向くと、大きく目を開いてこちらを見上げていた。
「ああ」
ファルカスへ手を伸ばすと、両手で掴まってきた——暖かい。
一気に引き上げてやると、反動で自分の体が少し後ろに下がってしまった。
その分ファルカスの体がこちらに近づき、アイツの息を吸い込みそうになる。
こっちは、慌てて息を止めるしかなかった。
「明後日、非番なんだが、一緒に飲めないか?」
訊いてきたファルカスは、眉間に皺をよせ、眉を下げている。
「ああ」
「じゃあ、この前会った酒場で飲まないか?」
張りのある声が、さっきより少し高く聞こえる。
「ああ!」
こちらも少し大きな声で返事をしてしまった。
「ちょっと、仕事を片づけてから行くから、遅れることもあるかもしれないが……。必ず行くから」
握られたままの手にギュッと力が込められる。
「非番なのに仕事するのか? お前、働きすぎじゃないか?」
顔を近づけると、ファルカスの目の下には、やっぱり隈。
「ちょっと。ちょっとだけだ」
ぶんっと掴まれていた手が解かれ、ファルカスは、頭と掌を左右に振る。漆黒の髪が振り乱れる。
思わず噴き出してしまった。目の端に浮かぶ涙を指で拭う。
ベルに跨り詰め所を出ると、真っ暗な通りには、人通りがなくなっていた。今夜は、街灯の明かりと月が、やけに明るい。
——たまには、ダリアにうるさく言われてみようか。
「お前も、さっき食事を出してもらったから良いよな?」
ベルの首を撫で、ゆっくり帰るよう頼む。ベルの背中で規則的な揺れを感じていると、さっきのやり取りが浮かんだ。
この前「揉めた」酒場じゃなくて、「会った」酒場っていうのが何だか、良いな。
見上げた月が丸い。今度は、——確かな約束だ。




