第11話:捜査協力依頼
商会へ戻ったイージスは、馬小屋でベルを休ませると扉の前に立った。丸い月を見上げてから深呼吸する。
——さあ、小言が来るぞ。
ギーッという音と共にゆっくりと商会の扉を開けると、ソファに腰かけたギルベルト。
ダリアは、ギルベルトに背中を預けたまま、ソファの肘置きに両脚を投げ出し、書類に目を通していた。
「あら、案外早かったわね」
ダリアは目を落としたまま、こちらを全く見ようとしない。珍しい事もあるもんだな。
「何よ?」
「いや、別に……」
肩透かしを食らったようで、口ごもる。
「27にもなって、心配なんかしないわよ」
相変わらず顔を上げようとしないダリアの隣では、ギルベルトが手を口にあて、肩を小刻みに揺らしている。
「く……黒の団から……先ぶれがあったんですよ」
ダリアの書類は、よく見ると上下逆さまだった。
「もう遅いんだから、早く寝なさいよ!」
バサッと音を立てながら書類をテーブルの上に置き、顔を上げたダリアの頬は、少し膨らみ少し赤い。
——何だ、いつも通りか。
2階に上がる階段の1番下の段に脚をかけたところで、止める。振り返ったら、2人がこっちを見ていた。
「俺。明後日は、急な仕事は受けないから」
後ろで、ダリアの声が聞こえた気もするが、気にせず階段をかけ上がる。トントントンという足音がやけに軽かった。
翌朝、イージスはエドと並んで、馬達の背にブラシをかけていた。足元の草花が春のものに入れ替わり始めている。
暖かい春の訪れに、馬たちが活発になってきた。風に尻尾をなびかせて、走り回っているヤツもいる。
走り回りたいのは、馬だけではないようで。
「僕も都市の外に出たいけど、ダリアさんが17になるまでダメだって……」
エドは肩を落としながらも、体を傾け全身でセルにブラシをかけてやっていた。
17……。
騎士団の皆が、団長になった自分を祝ってくれた誕生日——最初で最後の。
ふと、目に入ったエドのつむじが去年よりも近かった。もう、そんな年頃か。片方の唇が勝手に引きつっていく。
「エドは、小さいままで良いんじゃないか?」
エドの頭をギュッギュッと押さえつけてやった。いずれ、嫌でも大人にならないといけないのだから……。
「もう!」
エドが、こちらを向いて口を尖らせる。
「一人で出るなら、剣の腕を上げないとな。ギルベルトにもっと厳しく鍛えてもらえ」
額をこつんと突いてやると、エドは大げさに額を押さえた。
「僕、イージスさんの剣も好きなんですけど……ダメですか?」
額を押さえたまま、上目遣いで見てくるが、ゆっくりと首を振った。俺の剣はダメだ。誰一人守れなかったような、そんな剣。誰にも教えられない。
「ちゃんと基本を教えてもらった方が良いんだよ。ほら」
エドの後ろを指さすと、ギルベルトが、赤毛を弾ませながらこちらへやってくる。
ブラシをかけ終わったベルの腰を軽く叩いてやると、他の馬達の所へ駆けていった。
「黒の団から、イージスへ依頼が来ています」
肩を弾ませるギルベルトは、軽く汗ばんでいた。
「リオンと一緒に話を聞きに行って下さい」
「……一人で良くないか?」
肩を落として、首を傾けギルベルトを見る。
「イージスが説得できるなら、どうぞ」
ギルベルトは指を揃え、掌をこちらへ向けてきた。
「はあー。全く……」
昨日、心配なんかしないって言ってたのは、誰だよ。
ギルベルトの後ろで跳ね回っている馬たちの尻尾が――黒い。顎を上げて宙を見る。明日会うけどな。まあ、今日も会っても別に良いよな……。
「——ベル、出かけるぞ!」
走りながらベルを呼び、足を止めずに2人を振り返る。
「エド、ダリアの馬の準備を急げ」
* * *
ダリアと、それぞれ馬に乗り、黒の団の詰め所へと向かった。
建屋の入り口では、見慣れてきた小柄な団員が立っている。近くの団員に馬を預けた途端、ダリアが走り出した。
「きゃー。アルー! アルじゃない。きれいになって!」
コイツもダリアの昔馴染みだったか。アルと呼ばれた小柄な団員は、両手首を掴まれ、ブンブンと振り回されている。今まできちんと見た事がなかったが、ファルカスと同じで切れ長の目だ。
ダリアといい、こいつといい、黒の団の団員は整った顔立ちの奴ばっかりだな。2人を見ていると、街の噂が思い出される。あいつも綺麗な顔しているもんな。
はしゃぐダリアに小柄な団員は、ひたすら何かを頷いていた。2人の輪には加われず、辺りを見回しながら付いていった。
アルの案内で団長執務室に通されると、頑強そうな男が片手を上げてきた。太くてまっすぐな眉がこちらを見ている。
「よお、リオン。10年ぶりだな」
ダリアは、ダンダンと足音を鳴らしながら男に近づくと、男にぐっと顔を近づけた。
「アンタは、呼ばないで!」
豪奢な金髪の下では、両肩が持ち上がり、肩甲骨が浮かぶ。ダリアに首元を掴まれた男は、踵を浮かせていた。結構体重がありそうなのに、縮こまっている。
ふと、壁際に控えて立つアルを見ると、下を向いて片手で口を押えている。あんなに両肩を揺らして。
「昔は、呼んでただろうが」
抗議の声にダリアがパッと手を放すと、男の足が着地した。
「フン。『リオン』の方を字にしたのよ。だからアンタは呼んじゃだめ!」
男は首元を緩めると、ふうっと息を吐いた。
「ふつう、本名を字にすると思わないんだから、仕方ないだろう」
「アンタが都市に帰ってきたのに、顔を出さないから教えようがなかったんでしょ!」
ダリアは人差し指を立て、さらに男に詰め寄っている。男は上半身を反らしたまま、両手を上げていた。
「降参。分かったから。俺もギルにキレられたくないからな」
「分かれば良いのよ」
ダリアは、汚れを払うかのように、パンパンと両手を叩くと、こっちに振り返った。男の前に出した掌がこちらを向く。
「イージス。この男が、団長のウルスよ」
引き結んでいた上下の唇が、少し離れてしまった。
ギルベルトが「リオン」って呼ぶのは、昔なじみだからじゃなかったんだ……掌で額を覆い、両方のこめかみを押える。つまり、リオンと呼ばれて嫌がるのは、ダリアじゃなくて……。
「なあに?」
ダリアは、眉間に皺を寄せて、怪訝そうにこちらを見ている。
「べつに……」
ダリアから顔をそらし、床の木目を見ていた。帰ったら、すぐギルベルトに謝ろう。
「まあ、座ってくれ」
示されたソファで、ダリアの隣に腰を下ろして脚を組む。ウルスの他には、壁際に立っているアルの姿しかなかった。
「ファルカスから聞いたが、うちの団員が世話になったな。助かった」
知った名前に目が開いてしまう。
向かいに座ったウルスは、膝を大きく広げ、両ひざに掌を置いたまま、深々と頭を下げていた。
「ここからが本題なんだが……お前、鼻が良いらしいな?」
顔を上げたウルスが、テーブル越しに上体を曲げ、こちらへぐっと顔を近づけた。大きく開いた唇から見える白い歯が近い。
ダリアがその顔を掴んで、グイグイと押しやろうとした。
「この子に捜査協力をさせるって事?」
「知っての通り、違法魔法薬検知用の魔石開発は、常に後手だ。薬の側が対抗策を編み出せば、すぐに無効化される」
ウルスはダリアに顔を掴まれたまま微動だにしない。ダリアの指の隙間からじっとこちらを見つめたままだ。
自然と自分の両手を合わせ、人差し指を鼻から口へと添わせた。顎の裏を親指で押し上げると、体がゆっくりと前後に揺れる。
違法魔法薬は、火を灯す、湯を温める、物を冷やすといった生活用の魔石とは根本から異なる。人の精神に直接作用し、欲望や恐怖、快楽を人為的に引き出す——そういう「歪んだ魔法」だ。
自分は、魔法感知に秀でた魔術師ではない。精神に訴えかける人為的な魔法にだけ、強い違和感を覚える。それは竜の加護の影響で、本能に近い感覚だ。
正規の攻撃魔法——たとえば火炎魔法なんかは分からない。分かるのは、人の心を歪める魔法だけだ。
「……俺のはそんなに便利なモノじゃない」
静かに息を吐くと、腰を前にずらし、肩だけを背もたれに当て体をソファに沈める。両腕を組むと、自然に顎が上を向いた。
体を固くし、顎を上げたまま視線だけを下げると、こちらを向くダリアが、何か口を開きかけている。
——行儀が悪いとでも言うつもりか。でも、ここは気安く入り込んで良い場所じゃないだろ。
パン、とダリアが軽く両手を叩く音が室内に響いた。
「良いわ。イージス、アンタ手伝いなさいよ」
「はあ?」
組んでいた脚が床に落ち、思わず立ち上がる。
下から見上げてくるダリアは、唇の両端を持ち上げている。ダリアの人差し指が、ゆっくりとこちらを向いた。
「アンタだって、違法魔法薬は気に食わないでしょ?」
腕を組み、ダリアの指から顔を背ける。両手の指が自分の二の腕をギュッと掴んだ。
「誰だって、気に食わないだろ……」
東の大陸に来てから分かった。俺のメランリュクスを……オルニス兄さんを奪ったのは……。
竜たちはあんなもの知らなかった。
自分の内側から沸き起こる何かを押さえつけるように、腕を掴んだ指にさらに力を込める。
「ね?」
「……」
「ね?」
「……」
ダリアが、お構いなしに横から覗き込んできては、立てた人差し指と首を傾けてくる。器用にも左右に傾ける度、合わせて片目を閉じていた。ああ、もう。
組んでいた腕をほどき、右掌に額を乗せる。体が丸まっていくので、前に倒れこまないように、左手で右の脇腹を抑えていた。
体を曲げたまま、ゆっくりとウルスの方に首を傾けると、白い歯がさっきよりも見えている。
「だー、もう!」
上体を起こし、両手を髪に突っ込み、頭を振った。
「よし、決まりだな。アル。こいつを案内してやれ」
アルは、目尻を指で撫でながら自分の前に立った。
「改めまして、自分は……」
グッと掌をアルに向けると、その先を遮る。
「——知ってる。アルだろ?」
改めて名乗られると、こちらも名乗らないと。しかし、「アルギュロス」っていうのも……。
頭の後ろに手をやり、その指で頭を掻く。
「それじゃあ、案内頼むわ」




