第12話:見つけてくれたかくれんぼ
「どこか、見たい所はありますか?」
廊下に響くアルの足音が軽い。隣を見下ろすと、男にしては、やっぱり小柄だ。こちらを見上げる格好で歩いている。
「うーん、別に……。そういえば、アイツってどんな奴?」
「アイツ? ……ファルカス兄さんですか?」
「ああ。兄弟なのか。二人とも切れ長だもんな」
こちらの目元を人差し指で押さえて見せる。
アルは、長いまつげをパチリパチリと瞬かせると、軽く首を左右に振った。
「血の繋がりはありません。でも、自分の兄さんなんです」
細い肩を軽く丸めながら、目を伏せている。フフッと漏れた声が、さっきより少し高い。
「優しいんです、とても。子供の頃、頼んだら『兄さん』になってくれました」
オルニス兄さんに、ダリアに、ギルベルト……。
「分かるよ」
首を傾けると、行き場のない指で首の後ろを掻いてしまった。
真正面を見据えたアルの顔が、何だか誇らしげで、じっと見てしまう。背の他にも、顔とか手とか全体的に小さい。
あれ、コイツってひょっとして……。
「なあ、アルって略称なのか?」
「はい。自分の名前は、アルヴィナです」
あっ、と吐き出しかけた息を慌てて吸い込む。ああ、男にしては小柄なわけだ。男装の女……に女装の男。黒の団はずいぶん自由な気風なんだな。
「団長の次が、副団長のアイツで。アイツの次は?」
「……自分……です」
「へえ。それはすごいな」
騎士団はどこも実力主義だ。女性で、黒の団の3番目。アルは、こちらから顔をそむけていたが、手の甲で下唇を押さえていたのが見える――その癖は知っている。
「お前ら、やっぱり兄妹だよ。そっくりだ」
大きく頷くと、こちらを見上げるアルの眉尻が下がっている。
「兄さんは、訓練場にいると思いますよ」
アルの歩く速さが、さっきより速くなっていった。
案内された訓練場では、ファルカスが剣を振るい指導していた。
汗をかいているのか、漆黒の髪は落ち着きを見せている。それに血液が回っているのか、白い肌は上気し、いつもは隠された部位が目に入る――上半身裸だ。
腕を組んで訓練の様子を見ていたが、顔に熱を感じ、視線を逸らす。逸らした先でアルの視線とぶつかった。
アルは、軽く握った拳で口元を隠していたが、フフッと息を漏らしている。アルの視線から逃れるよう、ゆっくりと顎で弧を描きながら、反対側に視線を着地させた。
まだ背後からアルの漏らす軽い息が聞こえてくるから、腕を組んで少し斜め上を見上げた。踵は地面についているのに、つま先だけが何度も上下してしまう。別に、アイツを見ているわけじゃないが……。
タッタッタとこちらへ近づく足音が聞こえ、アルを呼びに来た団員が、自分たちの前で立ち止まった。アルは、話を聞きながら団員とこちらを見比べている。
「俺は、適当に1周したら、執務室に戻るよ」
声をかけると、アルは顎に手を添え、口中で何かを呟いているようだった。
「すみません。お言葉に甘えます。何かあったら、近くの団員に自分の名前を出してください」
頭を下げたアルは一瞬、呼ばれた方角へ体を向けかけたが、くるりとこちらへ向き直した。視線を逸らすことが難しくなるほど、じっと見上げてくる。
「大事なことを忘れていました。ファルカス兄さんの事、絶対に『美人』とだけは、言わないでください」
「『きれい』は?」
「『きれい』も、『女みたい』も良いですが、『美人』はダメです」
「絶対?」
「イージスさんは、絶対です」
強い語気に加え、あまりにもじっと見てくるので、大きく頷いてしまった。
「分かった」
アルは返事を聞くと、満足そうにうなずき返し、走り出した。
こちらもゆっくり歩き出しながら、訓練所にちらりと目をやる。視界の隅でファルカスがこっちを見ていた気がした。
昨夜は暗かったし、詰め所内を歩いたわけではなかったが、詰め所の造りなんか、大体どこでも同じだろう。あっちが訓練所だったから、こっちは……。
アルと別れた後ゆっくり歩いていると、耳に懐かしい声が届く。
「団長」
「こっちですよ、団長」
自分を呼ぶ部下の声に振り返る。あの窓からは、こちらへ手を振る部下の姿。自分の騎士団と変わらぬ配置や空気に既視感を覚えてしまったのか。
目の前の視界が歪み、頭が重い。額に掌を添えると、体が沈みこみそうになる。
しまった……どこも同じ感じだから……。
「はあっ、はあっ……息が……」
首元を緩めるが、顔を伝う汗を感じる。誰もいない所は……。ダリアに知られたら心配させる……。
壁のひんやりとした部分を触りながら、人気のない場所を探す。
建屋の裏にひっそりとした木陰を見つけ、仰向けに寝転んだ。ここなら誰も来ないだろう。
ざわざわとそよぐ木々の音が少し煩い。しっとりとした地面が背中にあたって体の熱を下げていくが、湿った土の匂いが気になる。
寝転がると両手両足を放り投げ、深呼吸を心がける。ゆっくり、少しずつ。ゆっくりだ。
ガサガサという、草を踏み分けてくる音が近づき、両手を握り込む。日の光に輝く金髪を覚悟し目を閉じた。
瞼の裏の光が消え、顔の上に陰りが生じた為、さらに固く閉じる。
何だ……いつもならここで髪が垂れ落ちてくるはずなのに、その気配がない。
自分以外の吐息が顔にかかり、ゆっくりと瞼を開けると、ファルカスの顔が飛び込んできた。右の眉は上がっているのに、左の眉は下がっている。
「見つけた……大丈夫か?」
涼やかな声が耳から入ってくると、木々がさわさわとそよぎ、湿った土の匂いも気にならなくなった。
呼吸を取り戻せた。息が、できる……。
ファルカスは、寝ころんだままの自分の隣に腰を下ろした。
「よくこんな場所を見つけたな」
正面を向いてしまったファルカスの表情は、こちらからは伺えない。感心しているような声の調子しか分からない。
「お前こそ……」
その先の「何でここに?」という言葉は飲み込まれた。
腰を下ろしていたファルカスが、地面に手をつく。立ち上がりかけたように見えたが、こちらに向き直しただけだった。
「何となく、お前がこっちにいる気がした」
もう一度上からのぞき込んできたファルカスの後ろから、木洩れ日が差し込んでいる。キラキラと輝いて見えるのは、漆黒の髪だけではなかった。
誰からも隠れられたと思ってたのに、見つかってしまった――違う。ファルカスは見つけてくれたんだ。
目を閉じて、大きく息を吐いてからゆっくりと吸う。隣から漂う香ごと全部吸い込めるように。
さあっと吹いた一瞬の強い風が木々を揺らす。せっかく作られた陰りが消えてしまったのか、閉じた瞼の上から光を感じる。
――もう少しだけ、そのままでも良かったのに。
「明日の約束は、また今度にするか?」
考えてもなかったファルカスの提案に、閉じていた両目を大きく開く。勢いよく上体を起こすと、軽く後ろに下がられた。
「何で?」
大きな声で質問してしまった。
「昨夜も具合が悪いのかとは思ったんだが、飲みたいのを優先してしまった」
ファルカスは両眉を下げ、寂しそうに薄く笑った。
「昨夜?」
「廃屋に突入する前、具合が悪そうだった」
ファルカスの返答に、宙を見て思い出す。気づかれていたのか……。
「ちょっと、ちょっとだけな。今は大丈夫だ」
ファルカスに掌を向けて、勢いよく両手を振る。
隣から、ぷはっという空気が吐き出されたので、眉間に皺を寄せ、瞳だけを声の方角へ動かす。
ファルカスはこちらを指さしながら、もう片方の形の良い指で目尻を拭っていた。
「昨夜と逆だな」
漆黒の髪の下では、切れ長の目が下がり、唇が上下に開いている。
整った顔が大きく崩れていて、思わず左胸を押さえた。大きくなった自分の鼓動を聞かれないように。




