第13話:10年前の追憶
* * *
団長執務室でダリアは、イージスが出て行った扉を見ていた。
「なあ、リオン」
「リオンじゃない……ダ・リ・ア。アンタ昔っからそういう所が、ほんと雑ね」
構わず呼んでくるウルスに口を尖らせる。
右ほほに掌を添わせ、顎を下げると少し息が漏れた。あの子を任せるの、早まったかしら。
正面からプッと吐き出す息が聞こえ、思わず眉を顰める。
「お前、ちゃんと『リオン』の方も気に入ってるんだな?」
両肩を竦め、手のひらを上に向けると、体が勝手にソファに沈む。
「そりゃそうよ。だって、どっちのアタシもアタシなんだから」
「俺は、お前がどっちも好きでいてくれて、嬉しいけどな」
ウルスの言葉に嘘がないのはよく知っている。右ほほに添えた掌が熱を持つ。
「……だから、アンタほんと雑なのよ」
少しだけお茶に口をつけ、テーブルに戻すと、ソーサーがコトリと音を立てる。
名前なんかどうだって良い。あの子も、今の自分を受け入れられると良いんだけど……。
「リオ……じゃなかった、ダリア」
ちゃんと改める気はあるようね。目を細めて視線を向けると、コホンと咳払いが聞こえる。
「何よ?」
「あいつは、どういう奴なんだ?」
執務机の上に置かれた本の頁が、パラパラと捲れるのが目に入る。今日はほんの少し風が強い。
「……あの子は多分、どこかの騎士よ。十年前、魔術学院国家に落ちてたの」
「落ちてたってお前……」
砂漠の端に倒れていた銀髪の少年には、パラパラと砂が降っていた。一騎士にしては豪華な騎士服を着た少年は、一瞬目を覚ますと、「強そうだな」と一言だけ言って、また気を失った。
自分を見て……自分の何を見ていたというのか。
ダリアは、軽く頭を振った。
春の風がダリアの金髪をなびかせる。軽くかき上げると、上目遣いのもの言いたげな顔が見えた。
「頼んだ俺が言うのも何だが……。捜査に協力させても良かったのか?」
少し静かになった執務室では、窓の外から団員たちのにぎやかな声が耳に届いてきた。
「あの子は少し……同じ位の年の人間と交わった方が良いのよ」
「ほう」
ウルスが眉間に皺を寄せながら、こちらへ顔を近づけてくる。太い指を顎に添え、顔を左右に傾けながら。
何が言いたいのか。片眉だけを引き上げて睨みつけてやると、ウルスは姿勢を正して座り直した。
「違法魔法薬の出どころは、やっぱりジュシリスか?」
自分の左手の親指と人差し指が、顎を挟みこんだ。
「出所はね。でも持ち込んだのは……」
その先を答えるまでもなく、ウルスは、ハアーと大きく息を吐き出した。
そのまま、立ち上がって窓に近づくと、窓の下の景色を見ている……いや、景色じゃないわね。
珍しくじっとしているウルスの姿に目が細くなる。
「悪かったな。お前とギルもあそこにいたはずなのに」
ウルスはこちらを見ない。やっぱり、見ていたのは、団員達のことか……変わらないわね。
テーブルの上に置かれたカップに目を落とす。透明なきれいなお茶と、底に沈む僅かな茶葉。
10年前、残る者と離れる者とに役目を分けただけの話。何を気にしているんだか。
「勘弁してよ。アタシに、泥臭い魔獣退治なんか似合う訳ないでしょ」
両掌を上に向けながら、両肩を持ち上げると、はんっと息を吐く。
団を抜け、この10年。情報を集め、人脈を作ってきたのは、何の為か。もう、あんな思いは……。
勝手にこめかみが引きつっていく。
持ち上げたカップがカチャッと音を立て、ウルスが少しこちらを見た気がした。
「それにしても、黒の団を出ていっても同じことをするとはな」
ウルスは窓を背にして立つと、後ろ手に窓枠を掴んだ。体重を後ろにかけながら、まだ団員たちを見ている。
「それは、もう伝統行事よ。皆、死んだ団長に拾われたんだから」
ダリアは、カップのお茶を一口すする。
銀髪の少年が、「この世の中の不幸は全部自分のせい」といった顔をしているのが気に入らなかった。
家名も教えようとしないから、銀髪から勝手に「アルギュロス」にしてやった。
ダリアはカップから目を離し、窓際のウルスを見上げた。
「伝統行事と言えば、あれ、まだやってるの?」
「何だそれは?」
ウルスが怪訝そうな顔で見てくる。
「いや、よくやったでしょ。『生き方を改めると決めた日が、誕生日だ!』ってやつ」
「ああ……。あれは、団長の遺産だな」
ウルスは大きく頷いた。
「そういえば、団長が最後に拾ったのは、ファルカスだった。まあ、正確には拾ってきたのは、アルなんだが……」
床に目を落とすウルスは、目を細め口元を緩めている。
「あいつは、それは荒んでいてな。同じ頃にそれぞれ拾われるなんて奇妙な縁もあるもんだ」
静かになった執務室では、団員が訓練する声だけが聞こえる。
「ああ、そういえば、あれも生きてるぞ」
ウルスが勢いよく、ダリアの方に顔を上げた。
「何よ?」
片眉を持ち上げると、ウルスは、窓の方から大股で歩いてきて、目の前で歩みを止める。
「急ぐ時ほど――」
ウルスは姿勢を正して、大き目な声を出した。
「 「急がない!」 」
自分の声がウルスの声に揃い、執務室が震えそうなくらい、口を開けて笑った。両方の手で両目尻を拭うと、お茶を飲み干したウルスがこちらを見ている。
「それにしても、お前……アイツの事をすごく気に入っているだろ」
大きく目を見開いたウルスは、ここぞとばかり、白い歯を見せてきた。こういう所だけは相変わらず鋭い。
——ダリアは黙って、残りのお茶をすすった。
* * *
あれから数週間が経った。
イージスが捜査に加わってから、黒の団は成果を順調に上げている。商会の仕事が終わると、捜査の打ち合わせの為に黒の団の詰め所に寄るのが日課になった。
あれ以来、詰め所で自分を呼ぶ部下の声に振り返ることも、こちらへ手を振る部下の姿が見えることも無い。
団員達も、すぐに打ち解けてくれた。初めて二人で飲んだ時に、ファルカスが「捜査協力のため」と称して、事細かに団員の事を教えてくれたのもあるんだが。
それに、あの漆黒の髪を思い出すと、自然に息がこぼれる。不愛想に思われがちだが、黒の団の話をする時だけは、上がり気味の切れ長の目が開いたり細くなったりで忙しいんだ、アイツは。
まあ……「よく見ると兄ちゃん、美人じゃねーか」と酔っ払いに絡まれたアイツが、いきなり拳を叩き込んだのを見て、心の中でアルにお礼を言ったことは、本人には内緒だ。
——妙だな。
午後の早い時間が空いたので、いつもより早い時間に詰め所へ寄ると、何だか慌ただしい。
いつもは、詰め所内を進んでいくごとに、あちこちから声がかかるので、手を上げたり手を振り返したりで忙しいのだが。
「あ! 運び屋の旦那」と走ってくるアルの副官に、右手を上げることもなければ、「おーい! 次も頼むぜ、運び屋」と2階から聞こえることもない。
詰め所に着くと、いつもベルを可愛がってくれる団員も見当たらない。
ベルを馬繋ぎ場に連れていき、早歩きで建屋へ向かうと、廊下で窓の外を見つめるアルを見つけた。
「よお。今日は騒がしいな」
手を挙げると、軽く頭を下げたアルが窓の外を指さす。指の先には、上等な馬車から降りてきた男の姿があった。服の裾が長い——上級官僚だ。
壮年の男は口角を上げっぱなしにし、両脇に並ぶ団員へと声をかけ続けている。
「誰なんだ?」
窓の外に向けて、こっちの顎をくいっと動かすも、アルは身じろぎもしない。
「『違法魔法薬撲滅派』の筆頭、違法魔法薬対策官のドミヌス様です」
「ああ、あれが『清廉なるドミヌス』か」
清廉な改革派として、被害者救済に私財まで投入しているという話は、噂で知っている。ドミヌスが片手を上げて笑顔を振りまく様は、ちょっとした役者のようだ。
「胡散臭いよな」
眉間に力がこもり、はんっと吐息が漏れた。
「そうですね……今日は訪問予定じゃないのに」
アルは左右の眉の高さを変えながら、一点を見つめている。何か汚いものでも見ているかのようで、アルのそんな顔は珍しい。
「どうした?」
「あの人のファルカス兄さんを見る目が気持ち悪くて……」
小さく呟くアルと、窓の下を見比べる。ドミヌスの向かう先には団長執務室がある。2階の窓まで届く高さの木々が、ザワザワと風に揺れていた。
* * *
団長執務室で、ファルカスは壁を背中にしたまま、ウルスの後ろに立って控えていた。ウルスとドミヌスが向かい合って座る形だ。
「最近の黒の団の活躍は、素晴らしいと聞き及んでいるよ」
ドミヌスは両手を広げ、肩をすくめた。拍手しそうな勢いだ。
「こちらこそ。対策官の多岐にわたる活動、感服します」
ウルスは軽く頭を下げている。ウルスに頭を下げさせているのも何だか気に食わない。
「しかし、黒の団の強引な捜査の噂を耳にすることがあってね。心配で今日は急に来てしまったよ」
ドミヌスが顎に指を添えて足を組む姿は、後ろに派手な真っ赤な花でも背負っているかのようだ。
「それは、私の不徳の致すところですね。申し訳ありません」
ウルスがまた頭を下げているのが目に入り、右の奥歯に力がこもる。口の中も何だか酸っぱい。
「法に背くことがあれば、いかに黒の団といえども、処罰を下さねばならないからね」
ドミヌスは視線をこちらに向けてきた。口の端は緩んでいるのに、目元を全く微動だにさせない。
「では、次は査察の時に」
去り際にそう言い残すと、ドミヌスは部屋を出ていった。
音を立てないように窓に近づき、そっと窓を開ける。喉が張り付いているようで、親指と人差指で喉を撫でた。
「何か飲みたいよな?」
首元を軽く緩めながら振り返ると、ごくごくと喉を鳴らしながら、お茶を飲む姿が目に入る。
ウルスは、ぷはあっと息を吐くと、窓際の自分にもお茶を持ってきた。共に窓からドミヌスが馬車に乗る姿を見下ろす。
ドミヌスは、馬車に乗り込もうとする寸前、一瞬振り返りこちらを見上げた。
「……気味が悪い奴だ」
人差し指の腹が、勝手に右の耳の下あたりを往復していた。
ドミヌスの乗る馬車が詰め所を出たことを確認すると、はあっと息が吐き出される。
「今のところは、奴が何かをやっている証拠はない。今のところは、だ。」
ウルスは、自分自身に言い聞かせているように呟き、こちらを向いた。
「ファルカス、早まるなよ」
「……分かっている」
両肩を持ち上げ両腕を組んだ。窓の下では、こちらを見上げるアルとイージスが見える。2人の傍に落ちる影の長さが、やけに気になった。




