第14話:突入失敗
ドミヌスが詰め所に来てから2週間。
木々の緑が濃くなり、吹き抜ける風の中に青々とした草の香りが混ざる。
予告された査察の日を迎え、強くなり始めた日差しが、夏の到来を告げていた。
ファルカスは朝から団長執務室のソファに腰かけ、最終確認を行っていた。目の前に置かれたテーブルには、査察に関する書類が整然と並ぶ。
「お前は相変わらず、慎重だな」
ウルスが、歯を見せて自分の慎重さを揶揄ってくるが、何だか確認することをやめられない。
ふと時計に目をやると、午後の査察まであと鐘が3つ鳴るだけの余裕があった。十分な時間があるのに、この胸の締め付けは何だ。
窓から差し込む陽光が、目を細くさせる。
ダン、ダン、ダンと強く踏みしめる足音が響き、バタンと扉が開かれた。
「何だ。騒々しいな」
ウルスが声をかけると、執務室に飛び込んできた部下は、右腕を伸ばして書類をこちらへ差し出す。左手は膝の上に置かれ、ゼイゼイと肩で息をしている。
部下に近づき乱暴に書類を奪うと、眼だけで文字を追う。一つ舌打ちすると、無言でウルスに書類を渡した。
「行政府による違法魔法薬の捜査命令だ。しかも日付は今日だ」
ウルスが書類に目を通しているところに、指をさしながら話を続ける。
「行政府による命令の延期は、認められない」
指で顎を挟む自分の隣では、ウルスが腕組みをして唸っている。
「しかし、今日の今日で言われても、準備が間に合わんぞ」
「俺が直接指揮を執る。捜査してもしなくても、俺たちを目の敵にしている奴らの思うつぼだ」
執務室から出ていこうと扉を向いた瞬間、思わず身を引く。開いたままになった扉の前には、ここにいるはずのない人物が立っていた。
「やあ。時間より早く来てすまないね」
声の主は、午後に来るはずのドミヌスだった。なんで、こんなに早く。時計を見るが、時計は少ししか進んでいなかった。
「予定された査察なんて、査察の意味がないだろう?」
もっともらしいことを言っているが、両掌を上に向け、肩をすくめていた。口の端は緩んでいるのに、目元を全く微動だにさせない。相変わらず、張り付けたような笑顔だった。
「折角お越しいただいた対策官には、申し訳ない。急な大規模捜査が決まりまして、今日はお帰り頂けますかな」
ウルスが、丁寧に要望を伝えると、ドミヌスは手のひらをウルスに向けて制した。
「それには及ばない。私も査察を兼ねて同行させていただくから」
思ってもいない言葉に、眉間にしわを寄せたウルスと一瞬視線が交差する。
視線を逸らす寸前で、ウルスが表情を元に戻したので、こちらも合わせて奥歯にかかる力を緩めた。
午後になって、すぐに捜査目標へ向かう。
捜査目標は都市の外れに建つ古い廃屋だった。斥候の話では、窓に目張りがされているため、中は見えないが、小さな明かりが所々に置かれているという話だ。
「副団長、全員配置につきました」
団員の報告に、頷きだけを返す。
廃屋の裏には、アルの部隊を待機させてあった。
自分は表から突入する。乱暴な捕り物でも行ってしまえば、ドミヌスに口を挟ませる口実にもなりかねない。自分が率先して突入した方が団員の統制が効く。
気になることがないわけではない。準備が足りないのは仕方がないはずだが、情報が整いすぎている気もする。確かに、この廃屋については、以前から捜査候補に挙がっていたが……。
胸の奥には小さな違和感が残っていた。
「どうしたのかね?」
背中のざわつきに、後ろを振り向く。ドミヌスのにやけた顔のせいで、やけに口がひきつる。
捜査の遅れは、行政府を無視したと捉えられかねない。考えすぎか……。
もう一度、左右に目を凝らすと、すっと右腕を上げ、肘から先を前方に振り突入の合図を送った。
最初に、自分が直接指揮する部隊から建物の中に侵入する。
目張りされた窓の隙間から射す陽光のせいで、埃が細く光っている。埃っぽさはあるものの、最近まで使用されていたのか、黴臭さは感じない。
作業する手元だけに明かりを置いているようで、小さな明かりが10個位確認できる。人数も10人前後と考えていいだろう。
顎をしゃくると、隣の部下が空中に魔石を放り投げたのが見え、目を閉じる。目を閉じていても分かるほどの光が放たれた。相手は、強烈な光に目がくらんでいるはずなので、その隙に制圧する。
1、2、3、4、5、心の中で数を数え、目を開ける。
「やられた……」
目に入る者たちは、身なりの貧しい者や年老いた者だった。
「やめろ!」
事態に気づき、すぐに中止命令を出したが、小さな明かりが目標になったため、すぐに制圧に動いた団員も出てしまった。
「救護班を呼べ。中止を伝えろ。急げ」
ファルカスの矢継ぎ早の命令に、建物の外に向かって、赤い光と緑の光が放たれる。
目の端で、合図が送られたことを確認すると、膝をつき、震える一人ひとりと目を合わせる。
「怖い思いをさせたな。すまない……」
「飯が出るって言われて連れてこられただけ、飯が出るって……」
やせ細った老人は、プルプルと震えながら同じことを繰り返す。
「何にも知らない。何にも知らない」と首を振り続ける者もいた。
何にも知らない……そうだろうな。拳を握りしめると、ファルカスは自分の太ももを強く叩く。
作業者達は、暗い中で作業をさせられ、強い光を浴びたのだ。明るい外にすぐに出してやるわけにはいかない。部下に後を任せ、ファルカスはため息とともに廃屋の外に出た。
陽光の眩しさに目を細めると、ドミヌスの奴が飛び込んできた。再び拳を固く握りしめるが、顔を白くしたアルが目に入り、努めて気持ちを落ち着かせる。
そして、何故かイージスが立っていた。今日は、査察だから来ないはずだったのに。
太めの眉に、二重の大きな目。緩みがちな片頬が、今は緩んでいなかった。
季節はまだ早いのに、傾き始めた太陽が、容赦なく照り付けてくる。
「命令書を改めさせてもらおうか」
耳に入ってくるドミヌスの声が、何故だが柔らかい。
ハッとしてアルを見ると、アルの口も軽く開いていた。
命令書を見せるように部下に指示する。
確認するドミヌスが、珍しく目を細めた。口元がうっすらと持ち上がっている気がする。
「偽物だね」
ドミヌスは短く呟くと、いつもの張り付けた笑顔ではなく、眉も口も真っすぐにしてこちらを向いた。
「これは重大な規律違反だ。副団長には行政府に来ていただく」
ドミヌスの冷たい声だけが、その場を支配するかのようだった。
両脇を行政府の騎士に固められ、剣を預ける自分を見た途端、団員たちが落ち着きを失い、騒ぎ始めた。
「何で副団長を連れて行くんですか?」
「くそ、俺たちは嵌められたんだ」
「いったい誰が」
このままでは、査察にも影響する。
「だまれ」
一喝すると、一斉に動きを止め、黙ってこちらを見てきた。
「待ってください。副団長が拘束される理由がありません」
一人がおずおずと前に進み出て、珍しく声を上げた。両肩を竦めている。めったに意見する奴じゃないのに。
努めて笑顔になるよう心掛ける。
「心配するな。俺は、事情を説明しに行くだけだ」
うまく口の端が持ち上がらないが、ハッとした団員たちは、固い表情のまま各々の仕事に戻ってくれた。
幾分顔色が戻ったアルを見る。
「アル、皆を頼むな」
今度は、ちゃんと持ち上げることができた。
「……お任せ……ください」
こちらを見上げるアルの方は、きちんと唇を持ち上げていたが、その端は少し震えている。
念のためだと、手を後ろに回された。
馬車に乗せられる寸前振り返ると、イージスと目が合った。自分をじっと見つめたままだったが、一度だけ頷いてきたので、こっちも頷き返す。
「行くぞ」
行政府の騎士に声を掛けられ、正面に向き直す。
——アイツの間抜け面もたまには役立つな。肩から力が抜けていき、ふっと唇が緩んでいく。
乗せられた馬車の窓から茜色に染まっていく空がのぞき、鳥たちが群れをなし、森へと帰っていくのが目に入る。
顎を少し引き、マントの留め具を見る。大丈夫、俺も一人じゃない。




