第7話: 銀髪の姫と黒い狼
——我々が住む大陸に昔、外の世界から二人の仲の良い姉妹の神がやってきた。二人は、美しい大地を気に入り、この地に下りられた。
姉は、銀の月の女神。妹は、金の太陽の女神。やがて、二人の姉妹は同じ一人のヒトの男に恋をする。二人はとても仲が良かったので、一人の男を分かち合うことにした。
「——だろ?」
ファルカスがこっちに顔だけを傾け確認してくるので、軽くうなずき返し、話を続けるよう顎をしゃくる。
「……もう、お前なあ!」
目を見開き、口をはくはくさせながら指さしてきたので、顎を引いて笑いをかみ殺す。
ファルカスに向けて、もう一度軽く顎をしゃくってやると、はーっと大きく息を吐き、ワシャワシャと髪をかき乱してから話を続けた。
——男は、昼は妹神、夜は姉神と楽しく過ごし、二人の女神はたくさんの子どもを産む。しかし、幸せ過ぎて昼も夜も眠ることを忘れてしまった男は、死んでしまう。
妹神が悲しみの涙として使ってしまったため、大陸の真ん中に流れていた大河は枯れ、西の大陸と東の大陸を分ける「死の砂漠」となる。そして、マナを含んだ妹神の涙が、雨として降り注ぎ、人は魔法を使えるようになった。
「——だろ? これで良かったのかよ」
立てた両膝の上に組んだ腕を置いたファルカスは、頬を膨らませながら、こちらを見てきた。
不満げな横顔に静かに頷いてみせる。なるほど。やっぱり、それが普通なんだな。
「こんなこと、赤子だって知っている」
少し尖らせた唇を見ながら、こちらの口の両端を持ち上げてみる。
「なあ……東と西で話が違うっていったらどうだ?」
「……違う?」
ファルカスは、眉間に皺を寄せながら首を捻った。
「ああ……」
屋根を叩く音が小さくなってきた。激しい雨が少し弱まってきたようだ。
少し深く息を吸ってから、静かに息を吐き出す。
カップを床に置くと、金属と木材がコツンと音を奏でた。
「これは、昔俺が読んだ物語なんだが……」
——姉神が外の世界からやってきた時、「火」、「水」、「緑」、「風」、「地」の五頭の竜を連れていた。姉神が、男との間に生まれた子供たちへ竜の加護を授けたから、西の大陸では竜の加護を使えるようになった……らしい。
「……竜? 西の大陸には竜がいるのか?」
「うーん。いるかもしれないし、いないかもしれないな……」
思いのほか「竜」に反応しているファルカスに、冗談めかして答える。東の大陸には、竜がいないものな……。
「あくまで、神話だぞ」
念を押してみるとファルカスが、うんうんと頷いたので話を続ける。
——男が死んだ時、姉神は、悲しさや辛さ、寂しさといった悪い感情を一体の竜に封印した。でも、それがあまりにも大きかったので、竜は邪竜になってしまったんだ。
話を切ってファルカスの方を向くと、今までより一層眉根を寄せて、険しい表情を作っている。知らない力は怖いだろうか。でも……。
「目に見えないものが竜の加護なら、怖くないと思わないか?」
ファルカスに向かって笑いかけた。
「ほう。竜の加護か……初めて聞いた。面白いな。他にも無いのか?」
こちらの話に興味を示してくれたようだ。不愛想なくせに、眼だけが輝きだした。
雫が床に落ちる音だろうか。ぽつーん、ぽつーんという音が徐々に大きくなっていき、自分の中で波紋のように広がっていく。
気が付くと、置き去りにしていた話があふれ出ていた。
——西の大陸で最も古い国の王には、美しい銀髪を持った7人の娘がいた。銀髪は、五体の竜の加護を授かっている証だ。
ある日娘たちが、邪竜にさらわれてしまったので、王は、娘たちを助けた者に娘をやるというお触れをだした。すると、七頭の黒い狼がやってきた。なんと、狼たちは人語を話すじゃないか。狼たちは娘たちを助けに行った。
「黒い狼……」
ファルカスの小さな呟きが聞こえ、そちらへ目が奪われる。
握った拳の人差し指の辺りを下唇にあてたファルカスは、軽くうつむき何かを思案しているようだった。まだ体が冷えているのか、耳が少し赤い……話を続けても良いだろうか。
息を吸い込み、話を続けようとしたが、俯いたままのファルカスが掌をこちらに向けた。
「——ちょっと待て」
「ん?」
つまらなかったか……。少し顔を下げると、古い床材が目に入る。
「銀髪は『竜の加護を授かっている』って……何だ?」
ファルカスの言葉に顔が上がる。ファルカスの首が傾くのにつられて、漆黒の髪も揺れる。形の良い顎に指を添えたまま、こちらをのぞき込んできた。
「ああ……加護が強いほど、髪の色が薄い……らしい」
「ふうん。じゃあ、俺だったら、加護が無いって事だな」
「そうだな」
——お前は、「ヌル」だ……。
暖炉へ向き直したファルカスの横顔は、あごに指を添えたまま、少し下を向いている。二度ほど、ふむふむと小さく頷くと、こちらへ顔を向けた。
「なるほど。銀髪と黒髪の加護は分った。じゃあ……お前は?」
「えっ……俺?」
俺は……。
下を向き、答えを言いよどむ。目線を戻すと、こっちの頭を指していた。
「その茶色の髪だよ」
「……ああ。まあ、あるんじゃないのか?」
「ふうん。そうか」
漆黒の髪をつまんで見ているファルカスに、ほんのちょっとだけ教えてやりたい気分になった。
「因みに、『アルギュロス』っていうのは、『銀』っていう意味なんだが……」
こちらを向いたファルカスが、キョトンとしている。
「……あ、さっき家名を言ってなかったんだったな」
「……知ってる」
「え? ……意味を?」
驚きに、声が大きくなってしまった。何故かファルカスは申し訳なさそうな顔をみせると、勢いよく頭を振った。
「違う、違う。家名の方。実は知ってた」
ああ、知っていたのに黙っていたからか……馬鹿だなあ。
「何だ、そうか。そりゃそうだ。黒の団で昨日、調べてあるよな」
笑う自分にほっとしたかのように、ファルカスが噴き出した。
「しかし、茶色の髪で、銀とはな」
耳を塞ぎたくなり、目を伏せてしまう。
「……そうだな。銀髪なら良かったな」
口元だけが自然に歪んだ。今、ちゃんと笑えていただろうか……。
ファルカスの方を確認すると、目が合った。こちらを見ていたようだ。
「あっ、すまん。続けてくれ」
「ああ」
ファルカスの声で、話を止めていたことに気付いた。こちらが待っていたと誤解してくれたらしい。その誤解に今は救われる。肩をすくめて少し申し訳なさそうにしているその姿に、口元が緩んでしまう。
話しても良いんだ……。顔を上げて置き去りにしてきた話の続きを始めた。
——夜が明けると、7頭の狼は、娘たちを一人ずつ背中に乗せて帰ってきた。狼に娘たちを嫁がせたくない王は、約束を破ろうとする。
だけど、娘たちが頼むんだ。「日が暮れるまで待って欲しい」って。
そして、日が暮れると……なんと狼たちは、漆黒の髪を持つ7人の若者に姿を変えたのだ。
東の国で狼になる呪いをかけられていたけど、女神の力で、夜だけは人間に戻ることができたんだ。
いったん話を切り、ファルカスの表情を確認してみる。真剣なまなざしは「早く続きを話せ」という顔をしている。すくめた両肩を小刻みに揺らし、うずうずしているようにも見えた。大きく表情を動かす奴でもないが、その分大きく見開かれた目と少し揺れている体が物語っていた。
それにしても、今日は喉がよく乾く。
「俺は、飲むけど……お前も飲むか?」
「ああ、もらう」
湯で割った酒を渡そうとしたが、微かにファルカスの指先に触れてしまう。——冷たい。
形は良いが、騎士らしく関節の太い指は、まだ冷えているようだった。
「続けても大丈夫か?」
カップを両手に持ったまま、また一生懸命口を付けている。カップから大きな眼をのぞかせ、上目遣いで大きく、こくこく、と頷いた。
——まだ指先が冷えていたな。体も冷えているかもしれない。
温かさが体に行き渡った頃を見計らっていると、ごくり、ごくりという音だけが耳に入り、上下する咽喉ぼとけに目が留まる。
咽喉ぼとけの動きが止まると、ファルカスが、はあっと息をついた。それを合図に話を続ける。
——銀の月の女神は仰った。「竜の加護を授かった者は、良くも悪くも竜の影響を受ける。竜の加護を授かった者と竜の加護を持たない者が交われば、一方の加護は弱まって、もう一方は加護により呪いが弱まる。両者が交われば、国が繁栄するだろう」と。
そうして、7人の姫と7人の若者が結婚し、メランリュクスと名前を変えた国は、とても栄えることとなった——。
……ああ、黒い狼。そは、我らが祖国……。
慣れ親しんだ建国神話の結びの言葉を口中で呟くと、頭をひと振りし静かに眼を閉じた。
メランリュクスは、「黒い狼」という意味なんだ——何故だかその一言が口にできなかった。
「……それにしても、黒い狼……。東の国……東の大陸ではないのか……」
ファルカスの声が耳に届き、過去に身を浸していたことに気が付くと、何故だかこちらを向いて目をこすっているのが見えた。メランリュクスの話なんか、つまらなかっただろうか。少し不安を感じながらファルカスを見つめていた。
「ん? ……何だ?」
ファルカスはぶつぶつ言いながらこっちをじっと見てきたり、少し体を後ろに傾けてこっちを見てきたりする。
「分からんな……」
一言つぶやき、真剣な表情になるとぐぐっと近づいてきた。漆黒の髪だけでなく、長いまつげに、自分が映っている瞳……思った以上に綺麗な顔が近づいていて、後ろに体重を預けてしまう。
「それにしても面白かった。お前、物知りだな」
前のめりになったファルカスの顔から目を逸らすと、毛布の隙間からは、くっきりとした鎖骨が覗いている。
——近すぎる。慌てて距離を取ったが、遅かった。距離を取ってしまった事に気付いたのか、ファルカスも真っ赤になり後ろへ飛び退った。ただ、毛布が1枚あるだけ……。裸なんか見慣れているはずだ。
「もう、だいぶ温まっただろ。眠っても大丈夫だ」
ごまかすように言ってしまった。残ったカップの中身を一気に煽る。底に溜まっていた蒸留酒が、一気に舌先に乗ってしまい、感じる甘さがさっきより強い。
「……そうだな」
同意したファルカスは、背を向け横になった。こちらも続くと、毛布が背中から肩へざわざわと波打つ。ファルカスが毛布を引き上げたらしい。寝藁が無かったので、床に敷かれた毛皮の上からなるべくはみ出さないようにしているのだろう。何やら一生懸命もぞもぞと動いている。
——まただ。
背中合わせになっていると、じんわりと熱が伝わる。背後で動かれるから熱を感じるのだろうか。勝手に指が、床の冷たい部分を探してしまう。
「また、聞かせろよ……」
思わぬ言葉に、頭まで毛布を引き上げ、耳の熱を抑える。
二人分の体温と二人分の匂いが、綯い交ぜになって包まれる……他人の匂いが近い。
竜の加護なら、怖くない……はずなんだけど……。
雨音と、マントから落ちる雫の音が……心地良いな……。
* * *
小屋に差し込んだ朝陽のせいで、イージスは目を覚ましてしまった。土のしっとりとした香りが、小屋に入り込んでいる。雨は止んだみたいだな……。
昨夜は、よく眠れた気がした。優しい雨音のおかげだったろうか。今はもう、壁にかかったマントから落ちる雫の音も聞こえない。
体を起こし、隣を見下ろすと、漆黒の髪は今朝も煌めいていて……やはり目が離せそうになかった。天井を向いた寝顔からは、よく目にする眉間の皺が消え、寝息は規則的だ。ただ、毛布が向こう側へずれ落ちてしまっている。
春の朝はまだ冷える。毛布をかけ直してやろうとしたら、ファルカスの上半身を覆う形になっていた。昨夜見たくっきりとした鎖骨と、呼吸に合わせて上下する胸が目に入る。
「んっ……」
動いたファルカスに、思わず体を引っ込めた。
そーっと、そっとだぞ……。
自分の毛布をかけてやる。音を立てないように、再び寝転がると、小屋に差し込む朝日をもう一度だけ確認する。
もう……雨は止んでしまったんだな……また……振り出せば良いのに。
雨の夜が明けたら、そこはもう特別じゃなく、いつもの日常。
当たり前の日々を重ねることで、一歩ずつ近づいていきます。




