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第6話: 雨宿り

「あそこだ」

 示された猟師小屋は、街道を少し外れた所にあった。馬繋ぎ場で二頭を休ませると、急ぎ小屋へ逃げ込む。

 雨と風に追われ、二人ともひどいありさまだった。

 小屋の中には冷えた空気が横たわっている。

 

 所持していた火打石で火をつけようとするが、思い切って打てない。上手く火が付かない。手先が冷え切っている。

「そこの魔石を使えばいいだろう?」

 いぶかし気に副団長は、火付け用の魔石を指さす。暖炉には、たいてい魔石が備え付けてあるものだ。

 

「……生まれつき魔素が少ないんだ」

 薄笑いで肩をすくめ、用意してある答えを口にする。あいつの返事は「そんなこともあるんだな」といったところだろうか。

「……俺がやる」

 代わって、魔石で手際よく暖炉に火を入れてくれる背中が見える。肩透かしを食らった気分だ。

 

 頭を振って軽い驚きを追いやる。使えるものを探すと、見つけた物は、備え付けの食器類に、毛布が二枚……。

「脱いだ服は、そこへかけろ」

 示されたのは、暖炉の近くに置かれた、小さなひとつの作業台と一脚のガタついた丸椅子。壁のフックにかけられたマントからは、ぽたぽたと雨の残りが零れ落ちる。

 

 男の頬や首筋には、濡れた漆黒の髪が張り付いていた。上着を脱ぎ棄てた男は、肌着の裾に手をかけ一気にまくり上げる。濡れた肌着は脱ぎにくいらしく、うなじの所で引っかかり、漆黒の髪が隠れてしまった。

 その間は、自分より細いのに、十分に鍛えられた体——それだけが眼に入る。

 

 普段は隠れているうなじを、一筋の水滴がなぞり背中へと流れ着く。二の腕に筋がグッと浮かぶと、水滴を飛び散らせながら漆黒の髪が現れ、こっちを振り返った。

「何してる。早く脱がないと体温が奪われるぞ」

 濡れた服を脱ごうとしない自分に、眉を顰め軽く息を吐いてくる。

 

「寒さで指が上手く動かないんだ」

 髪から目が離せなかっただけだというのに、全くなんて下手な言い訳か。

 背中を向けて濡れた服を脱ぐことにした。背後では、水分を含んだ衣類が床に落ちる気配——下衣を脱いだのだろう。

 下着1枚に、肩から毛布を掛ける姿の二人……。

 

 湯が入ったカップを渡してくれたので、持っていたスキットルから2つのカップに蒸留酒を注ぐ。カップの中で広がる琥珀色と共に、立ち上る湯気が穏やかな香りを鼻に届ける。

 

 男が毛布に包まり、暖炉の前に座ったことを確認した。丸椅子と男の間を少し開けてあるような気もする。しかし、揺れる炎の前に座る気にはなれないので、少し距離をとる。

 自分の斜め前に座った男は、毛布の先から腕をのぞかせ、無造作に髪をかき回していた。漆黒の髪から飛び散った水滴が降りかかるが、嫌な気分はしない。

 

 髪をかき回していた腕が止まり、体を少しこちらへ開いた。首を傾け、男の隣を示している。

「そんなんじゃ温まらない」

 男は振り返らずに、さらに間を開けるために、もぞもぞと横へ動く。暖炉から距離を取る自分に、そこに座れということらしい。暖炉の炎と見比べ、隣に腰を下ろすことにした。

 

「熱いな」

 震えながら一生懸命カップに口を付けようとする男は、子犬みたいだ。ふいにくるりとこちらに顔を傾けた。

「名前がまだだったな。俺は黒の団、副団長のクロエ=ファルカス。クロエが家名だ」

「俺……俺は、ダリア商会のイージス……」

 それだけを答える。一瞬眉をひそめ怪訝な顔をされたが、何も言われなかった。大丈夫だっただろうか。カップに目を落とし、口を付けると少し苦い。

 ——俺は、一体誰なんだろうな……。

 

「お前——」

 ファルカスは、指さしながら呼びかけてきたのに、一瞬止まった。コホンと一つ咳ばらいをすると、背筋を伸ばして座り直す。

「お前は、ずっと運び屋をやっているのか?」

「……ああ」

 ただ雨の音と風の音だけが聞こえていた。

 

「——運び屋」

「何だ? 副団長」

 短い答えに何か思うところがあったのか、ファルカスは「運び屋」と呼びかけてきた。名前の話が終わったようで助かった。

「ん?」

 先を促すも、ファルカスの視線は定まらず、何か言いにくそうにしていた。

 

「……悪いが、俺は何にも持ってきていない」

 突然の告白に口の端が持ち上がる。掌でカップのぬくもりを感じ、冷えた体が暖かくなっていく。

 

「真剣な顔をして何を言うかと思えば……ほら」

 袋から取り出した非常食を手渡した。

「そもそも、日が落ちてから都市を出た俺が悪かったんだ。お前は心配してついて来てくれただけだろう?」

「うっ……」

 のぞき込むと、図星を指されたのか、眉根にしわが寄っていた。綺麗な顔をきれいに歪めている。

 

「はい、はい。任務ね」

 両手をひらひらと振って、話を遮っておく。その不器用さは、悪くない。鼻から軽く息が漏れた。

 

「それに、誕生日は特別だからな……」

 ファルカスは、受け取った非常食を齧りながら呟いた。齧るごとに香ばしい匂いがこちらまで届く。膨らんだ頬が、まるで子リスみたいだ。

 口の中から非常食が消えてしまうと、惜しむように行儀悪く指先を唇に当て、嘗めとっている。

 じっと見ていると、自分の行為に気付いたのか、形の良い指を唇から離し、指先を擦り合わせる。バツが悪そうに暖炉を見つめ始めた。

 

「……俺は、10年前黒の団に拾われた日が誕生になった」

 呟いたファルカスは、視線を動かさない。

 ——誕生日だ、じゃなくて……誕生日になった……か。

 目を伏せると、自分の誕生日が思い出された。皆が集まってくれて、お祝いの言葉に……御馳走……贈り物……。

 贈り物……あれ、おかしくないか。あの時、酒場でこいつは……。

 

 あっ……。視線をファルカスに戻し、その横顔をじっと目に捕える。

「お前、ひょっとして、あの時包みの汚れを取ろうとしていたか?」

 ファルカスは、一瞬こちらに顔を向けたが、その問いには答えなかった。視線を逸らすと、ただ、下唇に手の甲をあて床を見ている。その長いまつ毛に残る水滴を炎に照らされながら。

 

 そういえば、追いかけて来た時もこいつは、袋の中身を「包み」だって言っていた。あの時の「丁寧に」も……そういうことか……。

 カップの薄い琥珀色を口に含むと、湯に解けた蒸留酒がまろやかになり、甘くなっていた。

 

 暖炉の炎が生み出すファルカスの影が、軽く左右に揺れた。軽く目をこすりながら、こっちを見てくる。

「体が冷えたまま眠るわけにいかないな」

「こういう時は、何か定番の話があるだろう?」

 面白い話をするように水を向けてみると、ファルカスの話は、「怖がりの部下が、何もないのに驚いて転んだ」という失敗談だった。ひとしきり笑った後には、小屋の隙間から吹き込んだ風の音だけが、ひゅうっと聞こえる。

 

 ふと横をみると、丸椅子が目に入る。しかもガタついているやつだ。丸椅子の反対側を見ると、丁度こちらを見ていない。悪戯心に火が付いた。体をなるべく動かさないように、そうっと丸椅子の脚に腕を伸ばす。

 ——ガタガタという突然の大きな音に、ファルカスの背中がびくっとした。

 

「何だよ、今の!」

 大きな目を見開いてこっちを見てきた。堪えきれず、拳で口元を抑えながら下を向く。ちらりと様子を伺うと、理由を悟ったらしいファルカスの顔がどんどん赤くなっていく。

「そういうのは、冗談でもやめろよ」

「お前、結構怖がりだなあ」

 からかうと、頬だけでなく、耳まで赤く色づく。

 

「俺は怖くない。ただ、急だったから驚いただけだ」

 口を尖らせて、異を唱えてきた。結構強がりなヤツだなあ。

 ファルカスは、憮然として暖炉の灰をかき回し始めた。

「誰だって、目に見えないものは怖いに決まっている……」

 否定すればするほど、自分が不利だとは悟ったらしく、かき回しながら、ブツブツ言っている。

 

 ——そうだなあ。

「目に見えないからといって、怖いとは限らないけどな……」

「……じゃあ、次はお前の話をしろ」

 こちらのつぶやきに、分が悪くなったのだろう。ファルカスは、少し頬を膨らませながら指をさしてきた。

「なんでも良いけど……人が聞いても怖くないやつだぞ」

 どこまでも強情なやつだ。ついこちらも目を細めてしまう。何でも良いと言われてもねえ……そうだな。こいつに確かめてみようか。

 少し考えて切り出してみることにした。

 

「副団長、このガラクシア大陸の創世神話は知っているか?」

「ああ」

「じゃあ、ちょっと話してみてくれないか?」

「次はお前の番だろう? 何で俺が……」

 いぶかし気なファルカスの様子は、放っておく。

 

「良いから、良いから」

 掌を上に向けて話すよう促すと、ファルカスは諦めたのか、頭を掻いた後で少し背筋を伸ばす。

 こういうところが真面目だな。

 小屋に微かに隙間風が吹き込み、ファルカスは静かに話し始めた。

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