第27話:帰る場所
「俺も助けられたんだ」
イージスがファルカスにそう伝えたあの日から、7日が経った。
お互い忙しくて、あの日から会えていないけれど……。
時々、鏡を見る。鏡に映る髪は——茶色。
前よりは、目を留めないようになっていた。
ちゃんと足環が取れたレナは、最近ではエドと一緒に馬の世話をしている。
今日は、早朝から砂浴び場の消毒をする予定だ。
ハーブを抱えたレナがこっちにやってくる。
「イージスさん、ハーブはこの辺に積んだら良いですか?」
もともと、家では馬の世話をしていたレナは手際が良かった。
エドの方はといえば、抱える枯草の量がレナより明らかに多い。枯草を下ろして息を吐くエドに、口元が緩んだ。
「ああ。あとは、これに火をつけて、燃え終わるまで待つだけだな」
あとは、これに火をつける。たったそれだけのこと……。あと……たったそれだけ……。
「イージス、後は私でやっておきますから。3人は戻って朝食の準備をしておいてください。」
ギルベルトの声で引き戻される。
「ああ……」
ギルベルトに任せて、3人で建屋に戻る。途中振り返るが、まだ煙は見えない。まだ火をつけていないのか。
朝食の準備を始めた頃、やっと窓から煙が見え始めた。煙の下では、炎が燃え盛っているのだろうか……。
「午後からレナを連れてきてほしい」と、ウルスから連絡を受けていたが、詰所に着くと何だか慌ただしい。団員が走り回っていて、廊下を歩くこっちに気づく様子がない。
「そのかわいい女の子はどうしたんですか?」って誰かしら軽口を叩きそうなもんだが。
廊下の角から飛び出してきた団員が、駆け寄ってきた。
「運び屋の旦那! 丁度よかった」
アルの副官は、軽く肩をはずませている。
「今日、何かあるのか?」
「ハア……久しぶりに……アイツが来るんですよ」
「アイツ?」
「ドミヌスですよ。ありがたくも褒賞を授けてくれるそうですよ」
息を整えた副官は、両掌を上に向けながら両肩を竦める。
「一体どの面下げて……」
左手が頬に触れる。奥歯がキシキシと鳴っている。
「査察じゃないですけど、皆、揚げ足を取られることは避けたいって……」
副官の視線の先には、慌ただしく走り回る団員達の姿があった。
「正直、今、アイツに構っている暇ないんですけどね。政界、財界を巻き込む大醜聞に……」
あーとか、もうとかブツブツ言っていて、本題が忘れられそうだった。
「そういえば、さっき丁度良かったって言ってなかったか?」
「そうでした。団長が、時間をずらしてほしいって」
副官はレナの方を見ながら、眉を下げた。
「ドミヌス……?」
レナは、呟くと首を少し傾けた。
レナの頭の上にポンと手を置いてやる。辺境だとあんまり知らないかもな。
「こういう奴ですよ」
レナの目線までしゃがんだ副官は、両掌で前髪をピタッと押さえ付ける。そのまま、目を真っすぐにして、口元を上げてみせた。
フフッと息を漏らすレナを見て、立ち上がる。
「アイツすぐ帰ると思うんで。様子見て、後で部屋に来てください」
副官は、「じゃあね」とレナに大きく腕を振り、走っていった。
「様子見てってなあ……」
項のあたりを掻きながら、レナを見下ろす。レナはこっちをじっと見上げたままだ。
「まあ、適当に回るか」
2人で2階の廊下を歩いているが、レナは慎重に左右を伺っているようだ。
あんなことがあったばかりだしな。
隣を歩くレナが突然肩を持ち上げ、立ち止まった。
「どうした?」
高い所から降ってくる陽の光に目を眇める。この窓からは、正門が見えるはずだが……。
「あっ……あの人……」
レナの指さす先には 馬車を下りたドミヌス。
「知ってるのか?」
「あの人……あそこで見かけたことがある」
「あそこって? 屋敷か?」
レナは震えながらも、こくんと頷いた。
「ありがとう、レナ。よく頑張って教えてくれたな」
レナの頭を撫でてやる。ドミヌスが建屋に入っていくところが見える。
ここにいたらマズイな。
「こっちだ」
レナの手を取り、走り出した。あの木陰なら大丈夫だ。
ドミヌスが詰所を去ったことを確認してから、レナと共に団長執務室を訪ねた。ウルスの他には、ファルカスとアル。
二人には「ヨッ」と、軽く手だけを挙げる。
アルは口の端を軽く引き上げ、すぐに元に戻し、ファルカスは軽く頷いただけだった。
レナの証言を聞いたウルスが、レナと目が合う高さまで上体を折ると、にかっと白い歯を見せる。
「ありがとな」
でかい男に頭をグリグリとされたレナは、撫でられている間、全く動かなかった。
体を起こしたウルスが、掌に拳をぶつけると、パンと低い音を鳴らす。
「よーし。お前ら、意趣返しだ! アル!」
「はい。先日の晩餐会の関係者をドミヌスの線で洗い直します」
「ファルカス!」
「ああ。俺は、アイツの動機を探る」
「ようし、後は、政治的ネタの使いどころだなあ……」
顎先をなでていたウルスが、こちらに顔を向けた。
「おお。そうだ。二人ともありがとな。帰っていいぞ」
「ああ。そうだ、イージス」
レナと執務室を出ようとすると、後ろからウルスが声をかけてくる。
振り返ると、引き上がった太い眉と大きな目に、ひくつくこめかみが目に入った。さっきレナに向けた顔とは全く別の顔だ。
「すまんが、帰ったらダリアに『急がないから、顔出してくれ』って伝えてくれ」
ファルカスとアルが、少しだけ二人で目を合わせて、すぐに元に戻す。
「あ、ああ……?」
二人の様子に返事が少し遅れていると、ファルカスがすっと近づいてきた。
「すまんが、次はとりあえず3日後にしといてくれ」
頷きで返し、扉を開ける。
部屋を出る寸前、振り返ってみると、唇を固く引き結ぶファルカスが目に入った。
商会へ戻ると、ウルスの伝言を聞いたダリアは飛び出していく。
「ギルに伝えといて!」
ギルベルトを待たずに出て行くのは珍しい。
「リオンはどうしました?」
入れ替わりに外から戻ったギルベルトは、いつも通り穏やかだった。
「ウルスの伝言を伝えたら飛び出していった」
「ウルスは何と?」
「急がないから、顔出してくれって」
ギルベルトの眉間にみるみる皺が寄っていく。
「本当にそう言っていたんですね?」
あまりに険しい顔をしたギルベルトに、「お、おう」と答えるのが精一杯だった。
そのまま出かけようとしたギルベルトは、急に方向転換して2階へ駆けあがる。
次に階段を下りてきたギルベルトの肩には、大きな袋が掛かっていた。袋から覗く黒い布が目に入る。
団服だ——それも2人分。
右手が胸のあたりをぎゅっと掴み、自然に頭が下がる。自分も……。
キシッという階段の軋む音が耳に入り、視線だけを上げると、こちらの様子を伺うエドとレナ。
打ち消すように頭を振る。そうじゃないだろ。
自分がやるべきことをやる。二人が帰ってくるまで。
——パン。頭を上げ両手で頬を叩き、高い音を響かせる。
「お前たちも手伝ってくれ」
心配そうな顔をする二人に、口元をあげて見せた。




