第25話:悶える漆黒
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大広間でファルカスと別れたイージスは、裏庭近くの建屋を調べようとしていた。
図面に無いおかしな空間があり、監禁用の空間があると予測していた。母屋と比べて、何の飾り気もない建屋は、窓が小さく物置のようだ。
建屋の周りを歩くと、微かだが違和感がある。少年が保護された時の違和感よりは、検問所の時の違和感に近い。
今、薬が使われているというわけでもないのだろうか。
建屋の中を伺おうと足を一歩踏み出した途端、変に甘い空気が流れ込んできた気がした——何で後ろから。振り返ると、裏庭に面した大広間の窓がちらりと目に入る——ファルカス。
大広間へと急ぐ。入口よりも裏庭の方が早い。
窓に近づく途中、室内からガシャンッと何かが割れる音がした。
ガシャアアァン。窓が割れる大きな音と共に、黒っぽい何かが窓の外に飛び出した。
「突入だー!」
ファルカスの叫び声が耳に飛び込み、パーン、パーン、パーンという大きな音が続いた。
見える窓の穴がまだ小さい。
走って、窓の外に飛び出した何かの脚を掴む。その何かを外から何度か窓に叩きつける。体を入れられる大きさまで窓を割ると、内側へ飛び込んだ。
ダンっと床に足が着く。この違和感……やっぱり薬だ。
眉間に力が入り、急ぎ口元を上着の袖で塞ぐ。ファルカスの揺れる体が見えた。
「ファルカス!」
倒れこむ寸前で、背中を受け止めてやる。ファルカスの目が閉じていきそうになっている。
「ファルカス! しっかりしろ、ファルカス!」
体を揺すってやると、ファルカスの唇が弱々しく動く。
「……イージス……?」
反応があったので肩から力が抜けていく。胸を撫でおろすと、少しは、周りが見えるようになってきた。
動く者はいなかったが、ファルカスよりは大丈夫そうに見える。
あの女性が頭から被っている上着には、心当たりがあった。
あれは、ファルカスの……。
腕の中のファルカスを覗き込むと、頬が赤く色づき、緩く開かれた目が潤んでいる。
口元に掌をかざすと、息を吸うよりも吐いている量が多い。俺でさえ、こいつより影響がないのに、何で……。
床には割れた花瓶と、広がる水——さっき俺が掴んだのは、アレか。
さっきのファルカスの上着——コイツは本当に……。
左の奥歯がキシキシと鳴った。
ファルカスの上気した顔が目に入る。
かなり薬が回っていそうだ。魔石の浄化じゃ間に合わない。医者に診せないと。
「もうすぐ他の奴らも来るから待ってろ」
安心させようとして、声をかけると、ファルカスがさっきより目を開いた。
体を起こし、こっちの腕を押しのけようとするので、引っ張り込む。
「嫌だ……」
「何が?」
ファルカスが目を潤ませ、下から見上げてくる。アイツの右手に掴まれた場所からは、震えが伝わってきた。
「……これ、多分……媚薬だ……」
視線を落としたアイツの漆黒の髪が目に入る。
視線の先に目を向けると、アイツの左手が下腹の辺りに置かれていた。
「……だから医者に診せないと」
上手く言葉が出てこない。拳を握りこみ、唇を強くかんだ。
「嫌だ……誰にも……見られたくない」
「お前を一人にできない。誰か呼ばないと」
「あいつらには……見せたくない」
ただ、左右に首を振るばかりのファルカスは、両目の端に涙を浮かべていた。
「ウッ」
小さく肩を震わせると、片方の目から零した涙を唇に吸い込んでいく。
涙が流れないよう、親指の腹で目元をぬぐってやった。何て顔をしているんだ。
はあっと大きく息を吐く。
「分かった」
「……イージス……?」
自分の上着を急いで脱ぎ、ファルカスの頭から被せる。
「顔出すなよ」
抱きこむ腕に力を込めると、自分の右肩のほうに引き上げた。
自分の右側だけが、一気に熱を帯びた――熱すぎる。
そのまま抱き抱えると、大広間を出た。
「黒の団だ!」
「全員動くな!」
屋敷の各所から大きな声が聞こえてくる。アルの部隊が、屋敷の制圧に入っているようだ。
廊下に出ると、こっちを見つけたアルが走ってきた。
「副団長は?」
アルの声に反応したのか、自分の右肩から腹まで震えが伝わってくる。
「ちょっと薬の影響を受けてな。必ず連れて帰るから、ちょっとだけ俺に貸しといてくれ。ごめんな、コイツの代わりに指揮しといてくれるか?」
顎先で、自分が抱き抱えているものを示す。
アルは、こっちの肩の辺りと顔を見比べると、ファルカスにそっくりな切れ長の目を少しだけ細くした。
「兄さんをお願いします」
アルは軽く頭を下げると、自分たちが来た道を走って行く。
「もう少しだけ我慢してくれ」
左手で、ファルカスの腰の辺りをトントンと叩く。
屋敷の外へ出ると、ムワッとした湿気がまとわりついて離れない。
ファルカスが頭に被っている上着を少しずらしてやる。
辻馬車を止め、馭者に行き先を告げると、黙って頷きだけを返された。
近くの宿屋で馬車を降り、1番奥の部屋をとった。
ベッドの上にファルカスを寝かせる。
「ごめんな」
首元のタイを抜いてやり、そのままファルカスの両手を縛る。
媚薬の影響下では、自身を制御できない。ファルカス自身に慰めさせると、自分を傷つけてしまうかもしれない。こうするしかないんだ。
縛られたままのファルカスが、フーフーと息を吐きながら、左右に身を捩った。
「嫌だ!」
ベッドの上で叫びながら、大きく体を反らした。
これだけじゃ、足りない。
自分のタイも抜く。急いで抜いたので、摩擦で首の後ろが熱を持った。
縛ったままのファルカスの両腕をその頭上に持ち上げ、ベッドの金属フレームに縫い留める。両腕が動かせないファルカスは、両脚をバタバタと動かし、ベッドから上掛けを蹴り落した。
ファルカスの頬に左手を添え、右手で反対の頬を撫でてやる。
クッ——頭がズキンと痛む。ファルカスから立ち上る甘い匂いにクラクラする。
覗き込んだ自分を見上げるファルカスの口が開いたり、閉じたりを繰り返していた。
コイツの方が苦しんでいる……。
「今、水を飲ませてやる」
頬に添えていた両手をゆっくりと離すと、ベッドの横に置かれた水差しを持ち上げ、水差しの脇のリネンに水を含ませる。
左腕を漆黒の髪の下にもぐらせると、濡れたリネンで唇に触れた。
「こん……なのは俺じゃない」
漆黒の髪が、濡れた額に張り付く。額からは汗が流れ、瞳からは涙をこぼす。
「ああ、こんなのは本当のお前じゃない。お前のせいじゃない。薬のせいだ」
何度も何度も頷いてやる。肩を支える手に力がこもる。
「もう……堪えられない」
ファルカスは、両手を握りこんで、両足を突っ張っている。
「大丈夫。お前なら堪えられる」
漆黒の髪の上で、何度も掌を上下させてやった。
「触りたい」
唇を震わせ、こちらを見上げては、懇願してくる。
「自分で制御できないから、今はだめだ」
自分は首を振るしかなかった。
「じゃあ、お前が触ってくれ。頼む、もう……触ってくれ」
涙を流しながら、乞い願うファルカスに、強く唇を噛むしかなかった。
「後で後悔する」
「良いから、触れよ!」
ファルカスの体が大きく跳ね、ベッドがガタンと持ち上がる。
体が落ちないよう、ファルカスの上から自分の体で抑え込むと、ファルカスの涙で自分の頬も濡れた。
「ごめんな」
コイツだって、俺にこんな姿は見せたくないに決まっている。
奥歯にギュッと力がこもり、こめかみが引きつく。
違法魔法薬は、人の尊厳を踏みにじる——だから、許せない。あの日のことも……。




