第18話:美人
黒の団への捜査協力がなくなり、詰所に寄る理由がなくなってしまったイージスだが、互いの休みに誘い合うので、ファルカスとは3日に1回くらいは会っている。
いろんな店で飲んだ後は、二人であちこち歩いてから帰ることにしていた。
遅れてくるのはいつもファルカスの方。仕事だけかと思っていたが、団員の私事でも遅れてくる。
「お前、休みじゃなかったのか?」
休みなのに何故か黒い団服姿。そんなことにも、もう慣れた。
一緒に酒を酌み交わす中で、ファルカスの過去も知った。
——俺が生まれたのは、東の国アナトリウムの中でも東だから、東の大陸の中でも最も東だ。
父親は、若くして死んだ。ただ、俺と同じ髪の色だったことだけは覚えている。
母親は……皆が美人だと言っていたが、俺の前では、いつも泣いていた。俺の髪を見ると、死んだ父親の顔を思い出すってな。
ファルカスの美貌は、母親譲りだった。
やがて母親は、笑ったり、楽しんでいる時のファルカスの事を遠ざけるようになった。
「自分に顔が似ている分、余計に嫌だったんだろう……」
そう言って、いつもより少し赤い頬をしたファルカスは、眉を顰めると、苦そうに麦酒を飲み干した。
「美人だと言われると、自分もそんな母親と同じなのかと思ってな……」
自分には、物心ついた時には、母親というものがいなかったから、よく分からない。何と声を掛けたら良いか分からず、黙って耳を傾けていた。
やがて母親の元を飛び出したファルカスは、喧嘩に明け暮れ、独りで荒んだ暮らしをするようになった。
——昼時に歩いてたら、「助けて下さい」って木の上から声がするんだ。
「なんだ?」って思って上を見たら、ガキが木から降りられなくなったって言ってな。
「受け止めてやるから飛べ」って言って、下ろしてやった。
「何で、木の上になんか上ったんだよ?」て聞くと、「お昼を食べようとした」って言うんだ。
そんで、礼だって言って、自分の昼飯を分けてくれた。
同じ所で、次の日もまた次の日も木の上から声がして。やっぱりソイツがいるんだ。
それからはもう、「今日も降りられなくなってるかもしれない」って思ったら……。
「なんとなく探してしまってな」
呟いたファルカスの言い方がどこか優しい。
ファルカスは手を挙げると、2人分の蒸留酒を頼んだ。グラスから届く甘い香りが、鼻を通り、口に含むと、やはり甘い。
——そんなことが、何回かあったんだが。喧嘩でぼろぼろになった時があってな。
そしたら、そのガキがスルスルって木から降りてきたんだよ。
「何だ。自分で降りられるんじゃねーかよ」ってな。
グラスを目の高さまで持ち上げながら、自分の話にクックッと声を漏らしている。
——それで、そん時にガキが連れてきたのが、団長になる前のウルス。
ガキの家に連れていかれて、手当してもらって何日か寝かされてた。
そしたら、そのガキのこと男だと思ってたんだけど、実は、女だったんだよ。
あと、その家には、ソイツの父親が臥せってたんだけどな。
俺が、出ていこうとする度に「俺はもうだめだ、娘を頼む」と言ってガッシリとつかまってきて離れないんだよ。
それで、諦めて「じゃあ、礼に」って、ソイツの兄貴になることにした。
グラスを傾けながら、中の琥珀色をクルクルっと回している。
艶やかな睫毛が、目の下に寄り添うかのようだ。
——当時、黒の団は都市警護から辺境に回されていて、ソイツは団長の娘だった。
俺が「礼としてなら食事を受け取る」と考えたんだろうなあ。
「木から降りられない振り」をしてやがったんだ。
「いい話だな」と思って聞いていたが、突然のドンという音に、肩がびくっと跳ね上がった。
隣を見ると、ファルカスが酒の入ったグラスをカウンターに置き、グラスの中では氷がカランと回った。
「嘘だったんだ……」
呟くファルカスの肩が小刻みに震えていた。
「父親は、確かに臥せっていた……腰痛でな!」
グイッとグラスをあおるファルカス。
そうして、ファルカスは笑った。切れ長の目の端が小さくきらりと光る。
「アルが……俺に家族を作ってくれたんだ」
ファルカスの横顔を見ながら、考えていた。
途中で、アルが自分で木から降りられる事には気が付いていただろう。
「兄さんは優しい」と言っていたアルも……。
優しい嘘だな。
自分の手の中に納まっているグラスに目を落とす。
自分の過去を話してくれたファルカス。一方、自分はどうだ。
今はただ、ファルカスが「お前は?」と水を向けてくれないので、気持ちが楽なだけだ。
物語ではなく、置き去りにしてきてしまった自分の過去の話……。
ふと、掌が冷えていることに気づく。長いこと両手でグラスを挟み込んでしまっていたらしい。
それにしても、コイツと呑んでいると、胸が温まったり、締め付けられたりで何だか忙しない。でも、それが嫌じゃない。
はあっと息が吐かれ、「旨いなあ」という呟きが聞こえる。隣では、空のグラスを名残惜しそうに見ていた。頬を赤く染め、目を細めている。
ファルカスは酒は好きだが、決して強くはない。ひょっとしたら、呑んでいる時間が好きなだけなんじゃなかろうか。
普段、照れ屋な分、酒を呑むと感情も出しやすいようだ。不機嫌さも隠さないことがあるしな。
——その日は、珍しくファルカスの方が先に来ていた。大抵自分の方が先に着くのに。
酒場の扉を開けると、奥の席にファルカスが座っているのが見えた。約束の時間までは、まだある。
ファルカスの隣には、女性が立っている。自分にもよく声をかけてくる娘だ。
女性は、突然テーブルを叩くと、こちらに向かってくる。カツカツと高い音を鳴らしながら。
すれ違いざま目に入った眉と口は、吊り上がっていた。
なんか変な時に着いてしまったようだ。なるべく普段通りに手を挙げる。
「よお!早いな」
ファルカスは、ちらっとだけこっちを見ると、すぐに手の中のグラスに目を落とした。
「あの娘、よく声をかけてくるんだよ」
親指を立て、扉の方へ傾けながら、ファルカスに笑いかけてみる。
「知ってる……」
言葉少なに答えたファルカスの横顔を見ると、不貞腐れたように口を尖らせている。
酒を飲むと、いつも饒舌になるのに珍しかった。




