シェリ、壊れちゃったかも
冷たい銀色の台の上、シェリィは腕枕で休んでいた。
あれから身体の麻痺はとれ、寝返りくらいはうてるようになった。
が、ステンレスの台は無遠慮に冷たく、とても寝付ける環境では無かった。
「…ここ、病院なんかじゃ無いよね。」
シェリィの頭側の壁にはロッカーの様な物が敷き詰められており、そこからは常に蠟のような臭気が漂ってくる。
床には薬品の空き瓶が転がっているが、どれもこれも劇薬を示すシンボルが描かれている。
「ちょっとでも運命が違ってたら、シェリもあの中に居たのかな…」
シェリィはロッカーの方を見る。
その中で眠るであろう死者達に、シェリィは不思議と憧れの感情を抱いた。
死体安置所のドアが開き、シェリィの元に魔女がやってくる。
「すっげぇ。マジで治ってるじゃん。ヒヒ。まじすっげぇ。」
短ジーンズに灰色のパーカーにスニーカー。
シェリィから見たミリアの格好は、非常に奇怪な身なりだった。
「えっと…貴女は?」
「あたし?あたしの名前はミリア・ガーテン・ツィハイア・ツィキュリウス・ミヌ・フギルレルン。バルフェアの親友だよぉ。」
「ひっ!」
それを聞いた瞬間、シェリィは縮こまって頭を抱える。
「ちょちょちょい!あの弱い者いじめしか知らない拷問マニアのクソ雑魚サキュバスと一緒にすんなって。ほら、あれだ。あたしは良い魔女なんだ。」
「…ほんと?」
「ああ。本当だよ。今回はバルちゃんに頼まれて、君の家庭教師をすることになったんだ。」
ミリアはそう言うと、ベロリと舌を出す。
舌先から、粘性のある黒色の液体が数滴床に滴り落ちた。
「ほら、お揃いだよ。仲間。なーかーま。ね?」
ミリアはシェリィの寝ている台の、シェリィが向いている方に座る。
「…」
シェリィはミリアの方をちらりと見るが、直ぐにそっぽを向いてしまう。
「なあ頼むよぉ。君と仲良くならないと借金が…ゲフンゲフン。オレっち寂しいぜぇ。」
ミリアは心の底から困る。
実質数千万ゴールドと言う給料を貰っているのに、成果無しでは申し開きができない。
「借金…?」
シェリィはその言葉に反応する。
「ミリア…様は、誰かからお金を借りてるの?」
「え?ま…まあな。でも仕方無かったんだぜ?当時の魔王軍っていや、それはそれは酷い財政難でよぉ。」
そこでミリアは、シェリィの興味が僅かに自分に向いている事に気付く。
(ここは"良い人"で売り込むよりも、素直に利害が一致してる事をアピールすべきかな。)
「でも君に魔法を教えたら、バルちゃんがその借金肩代わりしてくれるって約束してくれたんだ。だからよぉ、頼むからオレっちと仲良くしてくれよぉ。後生だからさ。な?」
ミリアの必死そうな様子に、シェリィの心は微かに開きかける。
「…ほんとに?」
「え?」
「ほんとに、シェリの事虐めない?」
「そりゃ勿論!あたしの主食はバターを塗ったパンで、絶望の感情なんかじゃ無いからね。」
「…わかったよ。」
シェリィは起き上がる。
バルフェアはきっと、シェリィがこの魔女と仲良くなる事を望んでいる。
それもわざわざ自腹を切る程。
自らの気持ちを優先し、そんな主人の意向に背くことなど奴隷の身で許される筈も無い。
「それじゃあ…よろしくね。先生。」
シェリィは栄養失調と貧血により、すっかり元気を無くしていた。
「おう!宜しくな!嬢ちゃん!」
(あれ、もしやこいつ…可愛い?)
だがシェリィの放つそんな儚げな雰囲気が、ミリアにはうけた。
「じゃあじゃあ!こんな辛気臭い死体安置所なんて出て、早速始めよっか!」
ミリアは台から立ち上がり、出入り口まで駆ける。。
「え?今から…?」
正直、シェリィはまだ何処にも行きたくなかった。
依然として頭はくらくらするし、具合も悪いし、疲れも全く取れていないし、眠たいしお腹も空いた。
(でも、行かなきゃ…)
まだ麻痺の残る鉛の様に重たい身体を無理矢理持ち上げ、シェリィも台から立ち上がる。
「うわっ…とっとっと…わ!」
そして何も無い所でふらつき、盛大に転倒した。
「まぁ。人間ってのはなんて愛らしい生き物なんだ。いよいよ惚れちまうぜぇ。」
ミリアはそう言いながらシェリィの元までやってくると、シェリィをおんぶする。
ミリアの体温は、死体の様に冷たかった。
「んじゃ、アタシが運んでってやるか。」
「…ミリア様。魔女ってなんなんですか?魔族とは違うんですか?」
「ふっふーん。聞きたいか?」
ミリアは安置所のドアを開ける。
その向こうは、焦げ茶色の岩壁の洞窟だった。
「魔女ってのはな。魔族を愛し、魔族の子を産んだらなれるんだ。」
「へー。ミリア様ってママだったんだね。」
「おうよ。子供も七柱居たが、全員見事に独り立ちしちまったよ。」
洞窟の中は物で溢れかえっていたが、ミリアが一歩歩む毎にガラクタは独りでに移動し、足の踏み場を作り続けた。
「つまりミリア様も、元々は人間だったんですか?」
「おう。そうだぜ。」
2人は洞窟を出る。
洞窟を出た直ぐ先は崖になっており、崖の左右には登りと下りの為の山道がそれぞれ一本ずつ伸びている。
「あたしは辺境の村で生まれたんだ。毎日餓死者が出る様なしょうもない村だったさ。でさ、そこにある日、負いの悪魔がやってきたんだ。」
ミリアはシェリィの背をしっかりと抑えると、崖から飛び降りる。
「悪魔ラーモン。魔王軍の伍長?だか何だかで、ついさっき自軍を全滅させてきたとこだったらしい。」
2人は、山の麓の樹海に着地する。
一見そこはただの森だったが、長年ここで暮らしてきたミリアだけが、その森に進むべき道を見出す事ができた。
「で、ラーモンは自分の傷を癒す為に人間の肉を食いに来たんだとよ。当然みんな逃げ出したが、誰一人として逃げきれなかった。勿論あたしも。」
「そんな…」
ミリアが進む毎に、木漏れ日が二人をなぞる。
「凄く…辛かったんですね…」
「いいや。」
「え?」
「しょーもねー過去とつまんねー未来が一瞬で消し飛んだんだぜ?あんな爽快な気分になったのは、人生で初めてだったぜ。」
ミリアは微かにほくそ笑む。
「しかし困った。このままじゃあたしも死んじまう。そこであたしは勇気を振り絞ってラーモンにこう言った。"助けて頂いた暁には、貴方の伴侶となります!どうか命だけは!"ってね。そしたら、可愛い可愛い底辺魔族のラーモン君は快諾してくれた。家庭を持つってのは、魔族にとっちゃ色々都合が良いらしかったからね。」
ミリアだけが知っている道を抜けた先には、広大な平野が広がっていた。
平野は円形で、周囲は森に囲われている。
「さ、着いたぜ。オレ様専用の秘密の実験場。」
ミリアはそう言ってシェリィを降ろす。
シェリィは再度その場でふらついたが、今度は転倒する事無く二本足での起立に成功した。
「此処で何するんですか?」
シェリィは周囲を見回してみるが、平野には岩一つ無い。
「魔法を教えるにあたり、先ずは君の実力が知りたい。」
ミリアはシェリィから距離をとりながら、パーカーのポケットから手帳を取り出す。
否、それは手帳サイズの魔導書だった。
「女たるもの拳で語ってなんぼだぜ。ぶっ殺す気でかかってこいよ。シェリィ。さもないと、お前の事を"虐め"ちまうかもだぜ。」
「え?きゅ…急に戦えって言われても…」
「戦場じゃ敵は待っちゃくれねーぞー。《フラックスピアー》。」
ミリアの真上に、フラックスで出来た黒色の円盤が出現する。
円盤から、フラックスでできた三本の槍がシェリィに向けて射出される。
その様子はまるで、異界から槍が召喚されている様にも見える。
「ひぃ!?」
シェリィは頭を抱え、その場で縮こまる。
「は?おい躱せって!」
ミリアは槍を制御しようと力を加えるが、間に合わない。
三本の槍は、そのまま全てシェリィに直撃した。
"バチュバチュバチュ"
槍はシェリィに当たった瞬間に形を失い、フラックスへと戻った後にシェリィへと吸収されてしまった。
「んっ…はぁ…」
シェリィは微かに吐息を漏らすと立ち上がる。
先程よりも、ほんの少しだけ元気そうだ。
「は?何だ?フラックス同士だから相殺したのか?まあ良い。だったら。」
ミリアは本の表紙に、舌先から垂らしたフラックスを落とす。
魔力を得た魔導書は独りでにページをぱらぱらとめくりだす。
「シンプルに魔法でどうだ!《フレイム》!」
ミリアの指先から、火球が放たれる。
火球は、シェリィに当たった瞬間に掻き消えた。
「…ふぅ。」
シェリィは歩み出す。
その体は、僅かに自前のフラックスで濡れていた。
「な、これでもダメ?だったら…《ストレングス》!」
ミリアは魔法で自己強化を施した後、シェリィに向けて駆け出す。
「食らええええええ!」
ミリアの拳が、シェリィの額に直撃する。
シェリィはその場から微動だにしない、のけぞりも怯みもしない。
(かった…くねえ。何だこりゃ。手応え無さすぎだろ!)
シェリィの口角から、液体が垂れる。
ブラックフラックスと唾液が9対1で混ざった混合物だった。
「は…はは…あはははは。」
シェリィの身体から急速にフラックスが染み出していき、瞬く間にシェリィの真下にフラックスのプールが形成される。
「どうしよう!シェリィ!本当に壊れちゃった!あっはっはっはっは!」
フラックスより現れた巨大ネズミの頭が、シェリィを一呑みにする。
ネズミは直ぐに、残りの身体もフラックスのプールから引っ張り出した。
「…あ、そう良い事ね。バルちゃん。多分だけどあんたの実験は、あんたが思ってるよりとんでもねーもんらしいな。」
ミリアの真上の円盤が空に向けて水平になる様に倒れ、せり出すように大砲が現れる。
「シェリィの身体には今、あんたが刻んだ魔力回路と生まれつき持ってた魔力回路の両方が存在してるって訳か。」
ミリアのフラックスの大砲が放たれる。
巨大ネズミは軽い身のこなしでそれを躱し、踏んだ草を枯らしながらミリアの元まで駆けていく。
「シェリィ!おめーはべつに壊れちゃいねえから心配すんな!《ウィンド》!」
ミリアの足元に出現したつむじ風が、ミリアを吹き飛ばし巨大ネズミから遠ざける。
「ちょっと言いにくいんだが、おめーは今スキルを二つ持ってる!《グラビト》!」
巨大ネズミに掛かる重力が倍化する。
ネズミの動きが鈍ったその隙に、大砲の砲頭がネズミに向く。
「バルフェアから押し付けられた【ブラックフラックス】、そして自前の【スーパーアブゾーブ】だ!」




