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シェリ、ほんとにダメな子…

屋敷のリビングにて。

バルフェアはアンティークの椅子に座りながら、コーヒーを片手に新聞を読んでいた。

傍らの暖炉には火が灯り、暖炉の上では年季の入ったラジオが、ノスタルジックな音色でジャズを奏でている。


リビングのドアが、バスルームと繋がる。


「ふぃー。あったかいお風呂なんて何年振りだぁ?洞窟の奥の湧き水なんかより、ずっと綺麗になった気がするよぉ。」


そこから現れたのは、僅かに湯気を帯びたミリアである。


着ているのは、桃色の部屋着。頭には白いバスタオルを被っている。

髪は良く解かされているが、相変わらずバサバサである。

その姿は、普通の人間の少女と何ら変わらない様に見えた。


「貸すと言った覚えは無いが。」


「細かい事は気にすんなってぇ。オレとバルの仲だろぉ?」


ミリアが出た瞬間、背後のドアが勢い良く閉まり、バタン、と言う大きな音がリビングに響く。


「ひっ!ごごごめんて。そんな怒んなよぉ。」


ドアが再び静かに開く。

ドアの向こうは外で、そこには一人の少女が佇んでいた。


全身が暗い灰色に変色し、身体中には生々しい縫い跡と、太い針で突き刺したかの様な穴の様な傷が無数にあった。

縫い目の間や傷からは絶えずどす黒い粘性の液体が流れ出ており、その様子は非常にグロテスクだった。


「え?」


背後に生暖かい空気を感じ、ミリアは振り返る。


「ひいいいいいい!?ぞぞぞぞゾンビ!?バル!?あんたこんなもんも作ってたの!?」


ミリアは尻餅をつき、そのままバルフェアの元まで後退する。

一方その少女は、ドアが開くなり前のめりに倒れ、そのまま動かなくなった。


「俺じゃ無い。」


バルフェアは新聞を折り畳んでミリアの頭に乗せると立ち上がり、その"ゾンビ"の元まで歩いて行く。


「はぁ…ビルジライミの奴め。壊すなと言ったのに。」


バルフェアは倒れた少女の元まで向かい、首に指を当てる。

驚くべき事に、それには脈があった。


「ご…しゅじ…さま…」


それが、枯れた声で話す。


「シェリィか。まだ夕方だが、随分と早い帰りだな。あのビルジライミが、一度手に入れた獲物をそう簡単に逃がすとは思えないが。」


バルフェアはそう言いながら、シェリィの首筋にメスで傷を付けてみる。

流れてきたのは血では無く黒い液体、ブラックフラックスだった。


「それでシェリィ。ビルジライミはどうした。」

(血は全て失ったが、ブラックフラックスがその代わりを担う事で命を繋いだのか。器用な奴だ。)


「…こ…ろし…ました…」


「…何?」


「わざとじゃ…無かったんです…ごめんなさ…」


「殺した?ビルジライミをか?」


バルフェアにとって、シェリィの言った事はにわかには信じられなかった。

しかしシェリィの早々の帰宅の説明を付けるには、それくらいしか無かった。


(あいつは死んだのか。だとしたら一体どうやったのだろうか。まあ、事の真偽は明日の死亡記事を見れば判るだろうが。)


バルフェアはシェリィを抱き上げる。

血がフラックスに置き換わった事で真っ黒になったシェリィは、普段の倍ほどの重さだった。


「取り合えずこいつを治療する。ミリア、風呂代の代わりだ。手伝え。」


「え?治療?って事はその子が…」


「ああ。シェリィだ。どうやらこいつは、目を離す度に姿が変わるらしい。」



◇◇◇



「う…あう…」


記憶が曖昧だ。

ビルジライミを殺してしまった後、家に帰ろうとした所までははっきりと覚えている。

しかしその先が怪しい。

道を進むごとにだんだんと頭がクラクラしていき、寒くなっていき、体も動かなくなっていった事は覚えている。

そうだ確か、人間は血を流し過ぎると死んでしまうとか。


(じゃあつまり、シェリはもう…)


シェリィは目を開ける。

最初に見た物は天国の景色では無く、無機質な白色の天井だった。


(ああ…シェリ、また助かったんだ…)


不思議と喜びの感情は湧かなかった。


ふとシェリィは、全身に違和感を覚える。


「…?」


シェリィの手首と足首に4本づつ、首に8本、チューブが繋がっていた。

チューブの程んどは赤い液体をシェリィの身体に向けて流し込んでいた他、首に繋がっている物の中には透明な液体の物を注入している物もあった。


シェリィは好奇心のままに、チューブを目で辿ってみる。


「ひ!?」


そこには鉤で吊るされた、得体の知れないグロテスクな何かがあった。

それは緑色の豚の生首の下に、小腸と大腸が直接繋がっている様に見える。

鉤は他にもあり、通常の数倍の大きさのカラスや、手足を切断されたシェリィと同年代の少女、8本の指を備え緑色をした何かの腕、無数の目が付いた脈打つ巨大な心臓、束ねられた数多のネズミ等があった。


「ご主人様…ごしゅじんさまぁ…」


怖くなったシェリィは、か細い声で主を呼ぶ。

今のシェリィは、まるで首から下が別人になったかの様にピクリとも動けなくなっていた。


「ねえ。ねえってば。」


不意に、天使の様な柔らかな声がシェリィを呼ぶ。


「え…?」


「こっちだよ。上。上だよ。」


声の主は、シェリィのドナーにさせられていた手足の無い少女だった。


クリーム色の長い髪。青い瞳。手足が無い事を考慮してもその体躯は華奢である。

服は白いワンピースを着させられており、手足の切断面には包帯が巻きつけられていた。


「初めまして。と言っても、会うのはきっとこれで最後だろうけど。」


「い…生きてるの!?」


「うん。そだよ。貴女と繋がってるものはみーんな生きてるよ。」


「ひやああぁ!?」


「そんな怖がらなくて良いよ。あの山羊頭の悪魔の話じゃ、全部貴女の身体を治したり強化したりする為の物だって言ってたし。」


「きょ…強化…?」


「体に貯めれる魔力の量を上げるとかなんとか。」


少女は天井から伸びる銛から、首を吊られた状態である。

然し手足を失った事で体重が大幅に軽くなった他、その独特な縛り方によって窒息は免れていた。


「ね…ねえ、貴女って人間なの?」


シェリィは恐る恐る問いかける。


「そうだけど…もしかして君も?」


「うん!」


シェリィは奴隷生活で初めて、まともに意思疎通ができる人間と出会った。

なのでシェリィは、少し嬉しくなった。


「シェリはね、シェリィ・ダラーナって言うの!貴女は?」


「私?私は…ごめんね。もう名前は無いんだ。」


「そっか…」


この世界では、名前が長くなる事もあれば名前を失う事もある。

名前を失えば、失った者もその者を知る者も二度とそれを思い出す事が出来なくなり、全ての名前が無くなると、その者そのものが世界から忘れ去られる事となる。

故に誰かの事が思い出せなくなっても、きっとその者が名前を無くしたんだろう、で片付く。


「でも良いんだ。どうせ私は、もう直ぐ死んじゃうんだ。」


「え?」


「だって貴女に血をぜーんぶあげちゃうんだもの。」


「そんな…」


「でも、それにはまだ時間がある。だからさ、最期に話し相手になってよ。シェリィ。」


名前の無い者は、存在しないに同義。

例えこの少女がシェリィの目の前で息絶えたとしても、シェリィは数秒でこの少女がさっきまで生きていた事すら忘れてしまうだろう。


「ねえシェリィ。シェリィはどこから来たの?」


「シェリは…奴隷屋さんの余り物だったんだ。それでご主人様にすっごく安いお金で買われて、それからはずっと…」


シェリィは、屋敷に来てからの日々を思い出す。

先ず早々に巨大ネズミに襲われ、怪しい実験の被験者にもさせられ、おつかいに行った先で色々な者に襲われて死にかけ、帰って早々クラーケンに食べられ、それから恐ろしい悪魔から沢山拷問も受け、そこから帰還して今に至る。


「悪い夢みたいな毎日。」


「そっか…悪魔からの愛を受けるのも大変なんだね。」


「愛…?」


「あの山羊頭の悪魔、シェリィちゃんの事を大切に思ってたよ。もっと強くなって欲しい、とか、死んだらゾンビにしてでも働かせる、とか。そんな事を言ってた。」


「ええ…」


それは少なくとも愛とは言えないのでは無いか。

シェリィは喉まで出かかったそんな言葉を、そっと胸まで押し込んだ。


「じゃ…じゃあ君は?名無しちゃん。」


「私?私は元々、小さな村の薬局で…多分、お父さんとお母さんも一緒に暮らしてた…かも。多分上に兄弟か姉妹も居たと思う。ごめん、全然覚えてないや。」


「そっか…こっちこそごめんね。変な事聞いちゃって。」


会話はさほど弾まなかった。


「…ねえ名無しちゃん。名無しちゃんは本当に死んじゃうの?」


「うん。多分。」


「シェリはもう元気だからさ、ご主人様に頼んで助けて貰ったりできないかな…?」


「…ありがとう。シェリィ。すっごく嬉しい。でも良いんだ。名前も体も無くなっちゃったもの、生きててもしょうがないもの。」


「そっか。うーん…」


その時、部屋のドアが開く。


「おや。もう起きてたのか。」


バルフェアの声だった。


「ご主人様!あのね、シェリね…」


「新聞で読んだぞ。お前、本当にビルジライミを殺したのだな。」


「ごめんなさい…」


「いや、その事については全く問題無い。久々に心から笑えた事だしな。」


悪魔にとって、死とはそんなに面白い物なのか。

忘れかけていた違和感が、シェリィの胸に再び蘇った。


「しかしシェリィ。お前、中々いい名前を持ったじゃ無いか。」


「え?シェリが名前?でもシェリはただのシェリィ…あ。」


余りにも自然が為に自身は気付いて居なかったが、シェリィの名前は確かに、ほんの少しだけ伸びていた。


「ダラーナ…シェリは、シェリィ・ダラーナ!」


「"破砕"か。カルムスクリット語はかなりの高位言語なのだが、格上の魔族を倒したのならまあ妥当だろう。」


バルフェアはそう言いながら、シェリィからチューブを取り外していく。


「ふふ。ダラーナは名字じゃ無かったのね。おめでとう、シェリィ。」


「え?」


不意に、聞きなれない声がシェリィを称賛する。


「誰?」


シェリィは、声のした方を向く。

そこには、手足を切断された少女が吊るされていた。


「おや、ただの肉塊かと思ったが人間だったのか。」


バルフェアはそう言いながら、シェリィのドナーになっていた他の様々な物体を麻袋に詰めていく。

ただ、シェリィと少女は相変わらずチューブで繋がったままだった。


「もしかして君が、シェリと喋ってた名無しちゃん?」


「そうだよ。覚えててくれて嬉しいな。」


「そうなんだ。じゃあシェリ、もう君の事を忘れたくないな。シェリの名前をあげるよ!」


「…え!?」


少女は驚愕する。


「何?」


バルフェアもまた驚く。

名前の受け渡しなど、長年連れ添ってきた師弟か、永久の別れを間近に控えた恋人同士でも無ければ発生しない。

ましてやそれが、今日が初対面であろう名無しに分けるなど。


「正気か?シェリィ。」


「うん。だってシェリにはもう、ママから貰ったシェリィって言う名前があるもん。」


シェリィの答えを聞いたバルフェアは、くすりと笑う。

狂気の沙汰などと言う騒ぎでは無い。


「そうか。お前の名だ。好きにすると良い。」


バルフェアはそう言って、シェリィと少女の接続を解く。

これでシェリィは暫く重度の貧血に悩まされるだろうが、発生する問題はせいぜいそれくらいだ。


「ありがとう!ご主人様!」


チューブが全て取り外されたシェリィは、吊るされた少女の方を見る。


「じゃあ今日から名無しちゃんは、ラーナちゃんだよ!…あれ?」


一文字足りない。

然し、その文字が何だったのかはもう忘れてしまった。

名前は、譲渡される度に劣化していく性質を持っていた。


「ふむ…シェリィ、お前はこいつの事を大層気に入っているみたいだな。」


バルフェアはそう言いながら、ラーナを銛から降ろす。


「ラーナちゃんはね、きっとさっきまでシェリのお友達だったんだと思う!だから今も、ラーナちゃんはシェリのお友だ…」


そこまで言いかけて、シェリィは自身の失態に気が付く。

あの意地悪なご主人様の事だ。

きっと例の如く、シェリィが最悪の不幸を被る選択をとる事だろう。


「決まりだ。ラーナ。お前は今日から、シェリィ専属の特別治療機構だ。」


バルフェアはそう言いながら、ラーナを担ぐ。


「私が…治療機構?」


「ああ。」


ラーナは治療機構と言う言葉を聞いて、何か大掛かりな装置の様な物を想像した。

ある目的の為のみに作られた、凡そ生物とは呼ばれる事など無い何かを。


「お…お願いします!どうか機械にする時は、せめて私の心を殺して下さい!」


「既に動けぬ貴様に、処置を施す必要など無い。」


「そんな…」


ラーナは心の底から絶望した。

悪魔の街から人の身で逃れるには、死より他無いと言うのに。


「心配するな。ラーナよ。少なくとも用済みになるまでは、貴様の命は保証する。」


ラーナはその機会を失ったのだ。

たまたま出会ったシェリィとか言う少女に気に入られ、名前を与えられたが為に、ラーナにもこの街で存在意義が出来てしまったのだ。


「嫌…いや…いやあああああああ!」


叫ぶラーナを担ぎ、バルフェアは部屋を出て行った。


「ああ…そんな…そんな…!」


シェリィにとって、罪悪感は最も耐え難い精神的苦痛だった。

特に、友人を自分と同じ地獄に落としてしまった時の物は格別だった。

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