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シェリ、食べられちゃうんですか…?

遙かなる水底のクラーケンの口の中で、シェリィは最期の時を迎えようとしていた。


(落…ちる…終わ…る…)


柔らかく冷たい物が、シェリィを上下から押し潰す。


(…頭がぼーっとする…もう…何も感じない…溺れ死ぬ時って…こんな感じなんだ…)


シェリィの肺は、既に純水で満たされている。

無酸素状態は脳の活動を鈍らせ、シェリィはもう自分が何処に居るのかも分からなる。


(…大変な…人生…だったけど…こんな静かな…最期なら…悪く……無い………かも…)






「シェリ。シェリィ。」


「…ん?」


母の優しい呼び声で、シェリィは眼を覚ます。

ただ、時刻は夕方頃だった。


「ママ…?」


「貴女がお昼寝なんて珍しいわね。まあ、今朝からあれだけはしゃいでいたのも珍しいけどね。」


鮮やかなラピスラズリ色の長い髪。眼を合わせるだけで、何もかもが許される様な、何もかもが暖かく包み込まれていくような心地のする、女神の様な美しい顔立ち。

そこにいたのは、シェリィの母親だった。


「ママ!」


母を見つけた瞬間、シェリィはその胸に飛び込む。


「うわあああん!ママああああ!」


「ちょっと、突然どうしたの?」


「あのね!あのね!シェリ、すっごく怖い夢を見たの!イジワルな悪魔とか、おっかないモンスターとかがみんなシェリの事を虐めるの!」


「悪魔?モンスター?ふふふ。変な時間に眠って、おかしな夢を見ちゃったのね。」


「怖かったよぉ!ママぁ!」


「はいはい。大丈夫よシェリ。大丈夫。そんなもの、御伽噺の中だけなんだから。」


胸の中で泣きじゃくるシェリィの背を、母はゆっくりとぽんぽんと撫でる。

それでもシェリィは、結局日が落ちるまで泣き続けた。


「ぐすっ…ひっく…」


「相当怖かったのね…大丈夫。私がシェリを一人にする訳無いでしょう?」


「…うん…」


「ほら、そろそろ夕食の時間よ。今日は奮発して、ミートパイを焼いたのよ。」


「ええ!本当!?」


シェリィは、先程までの泣き顔から嘘の様に元気を取り戻す。


「ミートパイ♪ミートパイ♪」


「ふふふ。シェリは本当に食べ物が大好きね。グラパットおばさんみたいに大きくなっても知らないわよ?」


「良いもん!だってグラパットおばさん、いつも幸せそうだから!シェリも、いつもにこにこしてたいもん!」


「まあ。シェリは本当に良い子ね。」


母は、シェリィを今一度強く抱く。


「本当に…良い子なんだから…」


「?」


「…何でも無いわ。さ、早く行きましょう。」


シェリィは母親と共に、食卓まで向かった。

既にそこには、サラダやパンが用意されてあった。


「あれ?パパとお兄ちゃんは?」


「パパは今日お仕事が遅くなるみたい。ジュデゴはお友達のお家にいるみたい。」


「ええ?」


「まあまあ。じゃあ今日は、ママと二人きりで食べましょうか。たまには良いじゃない。ね?」


「うん。分かった。」


シェリィは食卓に付くと、早速パンに手を伸ばそうとした。


「お待たせ。はい、ミートパイよ。」


間髪入れずに、シェリィの目の前には一切れのミートパイが現れる。


「わぁ!」


シェリィの向かいに、母も座る。


「いただきまーす!」


シェリィは、一口でパイを半分ほど食べる。


「もぐもぐ…ん?」

(味がしない。何でだろう。)


シェリィはそれを飲み込むと、母親に聞いてみる事にした。


「ねえママ。このパイ…」


母親は、すすり泣いていた。


「…ママ?」


「ごめんなさい…ごめんなさい…」


「…ねえママ、どうしたの?」


「シェリ…良い?どんなに痛くても…苦しくても…辛くても…悲しくても…生きてさえいればきっと、貴女だけの幸せを見つけられるわ。」


「…ママ?ねえ、何言ってるの?」


「どんなに絶望しても、どんなに寂しくなっても…絶対に諦めないで…!貴女はきっと、強い子だから…」


夜であるにも関わらず、次第に周囲の風景が光に沈んでいく。

それに伴い、母親の姿も遠く、朧げになっていく。


「ママ?ねえママ!」


「…愛してるわ。シェリ。例え貴女がどんなになっても…ずっと…」


最後には、シェリィの視界は全て真っ白な光に沈んだ。






迦枯レにより内部から融解したクラーケン。

骨を持たないので、いずれ跡形も残さず純水へと還るだろう。


「…ゴポ…!?」


シェリィの目の前には、半分ほどが食べられた、緑色の肉塊の様な物があった。

肉塊はなおも鼓動するかの様に蠢き続けている。


(…そっか。ありがとう。ママ。)


シェリィは、肉塊の残りも喰らう。

これにてシェリィは【遙かなる底の主のコア】の捕食を完了した。


(安心して…ママ…シェリ…諦めないから…)


シェリィの体が、フラックスによって球体に包まれる。

球体からは8本の足が飛び出し、シェリィの居る部分は膨張しタコの頭部となる。


(これだと…息ができなくても平気かも…)


新たに得た【奇臧羅カ(きよらか)(みかど)】の姿により、シェリィは水中での自由を獲得した。


(ここって何なんだろう…絶対にお屋敷より広いよね…)


クラーケンとなったシェリィは、先ずは下に向けて泳ぐ。

然し進めど進めど底が見えず、怖くなったシェリィは引き返した。

次はそのまま謎の光源の正体を突き止めるべく上に向けて泳ぐ。

しかしやはり天井には辿り着けず、仕方が無いのでシェリィは元の場所に戻った。


(…お願い…帰して…シェリはただ…ゆっくり休みたいだけなの…)


シェリィがそう願った瞬間、一枚の扉が闇の底から浮上してくる。

それは不揃いな木材を針金で巻き付け板状にした物に、薄汚れたドアノブを付けただけの代物である。

然しそれでもドアは開き、屋根裏部屋とこの異空間を繋いだ。


(…やっぱりここも…お屋敷の中だったんだ…)


シェリィがタコ足の先をドアの奥に入れると、変身体全体が熔け崩れ始めた。

クラーケンの足と頭はみるみるうちに形を失っていき、当然ドアの奥に出ている部分も崩れていく。

屋根裏部屋に出ていた触手が溶けると、その中からシェリィが現れた。


「ボコッ…ゲホッゲホッゲホッ!ゴッホ!ゴホゴホゴホ…ケホケホ…ケホッ…ぜー…ぜー…」


シェリィは肺を満たしていた水をその場で吐き出すと、暫く咳き込んだ。

水中呼吸を行うには肺を水で満たさなければならず、切り替えはいつも苦しみを伴う。


「コホッコホッ…うう…このお屋敷に、安全な場所は無いんだね…」


シェリィを苦難に引き摺り込んだ簡素な扉は、独りでに締まる。


「…でも…どうしよう…こんな身体じゃ…もう働けないよ…」


シェリィは先の戦いで残りの四肢を全て喰われたので、もう胴体と頭しか残っていなかった。

フラックスで何とかしようとしたが、もう一滴も出ない。

魔力も無限では無いのだ。


“ガチャリ”


ドアが再び開く。


「ひ!?」


すっかりトラウマになったシェリィは何とかその場から逃げ出そうとしたが、最早そんな力はどこにも残っていない。


「もうやだ…お願い…許して…」


然しドアの先は屋敷の外で、入ってきたのはバルフェアだった。


「お前、ちょっと見ない間に更に小さくなったんじゃないか?」


「ご主人様…」


バルフェアは屋根裏部屋に入ると、状況確認をする。

貸し与えた剣はすっかりぼろぼろになっており、シェリィの余所行き用と買っておいた服も、最早原型を留めていない。

床もシェリィも何故かびしょ濡れで、床材が水を吸った時に出る不愉快な匂いが充満していた。


「シェリィ。」


「…はい…」


バルフェアは、シェリィの首を鷲掴みにして持ち上げる。

シェリィは目に涙を溜めながら、ただ主人の裁決を待つ。


「間違っても服は汚すなと言った筈だが。」


バルフェアの冷たい目線が、シェリィを突き刺す。


「…ごめんなさい…ごめんなさい…」


もうひたすら謝る事しかできなかった。


「…本当に…ごめんなさい…」


シェリィは自尊心を擦り減らして謝り続けた。


「…本当に…ごめんなさい…」


「…」


バルフェアが手を離すと、シェリィはぼてっと地面に落ちた。


「ふきゅっ…」


バルフェアはそのまま、シェリィを思い切り蹴り飛ばす。


「うぐいぇ!?」


「これがお前の服の分。」


バルフェアは、壊れてしまった剣の柄でシェリィの鳩尾を突く。


「ふほぅぐ…っ!」


「これが剣の分。」


バルフェアはシェリィを思い切り踏みつける。

すると水を吸った床板が壊れ、シェリィはそのまま一つ下の階まで落下した。


「ぅ…ぁぅ…」


「これが床の分。あ、そうだ。お前を暫く他所にやる事になった。俺の古くからの友人だ。決して失礼の無いようにな。」


バルフェアはそれだけ言うと、屋根裏の扉からどこかに行ってしまった。


「ぐすっ…ひっく…」


屋根裏部屋の下は、暗い廊下だった。

床も壁も天井も、埃が溜まってぼろぼろになっている。

壁は壁紙が剥がれかけており、ろうそくたての蠟燭は全て溶けている。

屋敷に存在する全ての部屋は、それぞれが固有の異空間だった。


「もうやだ…もうやだよ…」


仰向けだったシェリィは、転がってうつ伏せの状態になる。

強くなるどころか、四肢を失ったシェリィは更に弱くなってしまっていた。


シェリィの横のドアが開き、客間からビルジライミが現れる。


「ん?バルフェア。これがそのシェリィって子なの?私の知ってる人間とは、かなり形が違うけど…」


「ああ。【シームレスドア】が間違える事などあり得ないからな。」


客間の奥から、バルフェアが答える。


「ふぅん。」


ビルジライミの尾がシェリィの首に巻き付き、そのまま持ち上がる。

シェリィは元の身体よりも大分軽くなっていたので、首を吊られても、苦しむだけで窒息する事は無かった。


「じゃ、この子貰ってくから。そうだなぁ…大体三日くらいでどう?」


「構わんさ。好きにしてくれ。」


バルフェアは、言いつけを破ったシェリィに対して少しだけ怒っていた。


「ふふふん。ありがと。バルフェア。この子だったらお腹いっぱいになれそう♪」

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